C 国境をなくすために → 歴史
「またも辞めたか亭主殿」
2003年のテレビドラマ 「またも辞めたか亭主殿」幕末の名奉行小栗上野介 が再放送されました。
前編・後編で、最後は、小栗上野介42歳 享年 と出て、画面はグレー。
いっときおいて、明治4年完成の横須賀造船所の石の階段の所で、くに子と名付けられた娘がヨチヨチと飛び回り、小栗上野介夫妻と3人の巡り合い、できないと思っていた造船所が出来たと、静かな喜びの場面で、白いチョウチョが空にむかって飛び、終わりました。
遠くまで行くんだと、娘を抱き上げました。
私が、当時から感じていたことでしたが、 ”小栗は水無河原で処刑されていない。 別の誰か囚人のような人が、身代わりになっていた。 小栗は、会津戦争から蝦夷地北海道への転戦に混じり、甲鉄船で、五稜郭で戦った武士たちと共に、アメリカへ渡った。”
小栗はすでに、10年前に、ハリスの日米和親条約のあとの幕府派遣のもと、遣欧使節団(77人)で、サンフランシスコ、パナマ運河、ワシントン、大西洋を渡って、奴隷船なども見て、外国を体験している地球を一回りした経験者です。 さらに、待ち望んだ赤ちゃんがお腹に居るとわかったばかりの時です。 ムザムザと新政府軍の処刑に応じるはずはありません。
私の想像では、五稜郭の武士たちと共に秘かにアメリカへ渡ったあとは、日本の明治維新を海外から助言・補佐を続けたと考えます。 日本国内では、勝海舟(遣欧使節の護衛艦としてサンフランシスコまで行って戻ってきた遣米施設に同行している)、徳川慶喜(表立っては渋沢栄一)の3人が、きちんとタッグマッチを組み、新政府とともに明治時代を築いていったと、教科書の歴史とは違う真実があるのではないかとの考えが、私の中では確信に近くなっています。