項目C 国境をなくすために → 歴史
(冊子『国境をなくすために』の送り状は2007年10月22日にあります)
(ブログ『国境をなくすために』の趣旨は2008年10月15日にあります)
しまなみ海道を通り大島に立ち寄ったら、村上水軍博物館へ行くようすすめられて、本屋大賞のこの本に出会いました。
[実は、20年ほど前に因島へ立ち寄ったことがありました。 急な階段を登り、村上海賊の城に行き当たり、人影も少なく、でもどこか管理してあって、不思議な感じにおそわれ、何だろう、海賊なので学校歴史にあった‘塩飽’(しわく、秀吉のときなどに出てきた、勝海舟の咸臨丸の水夫50人中35人など)を思い出して勘違いしたままでした。
地図をみると、塩飽諸島はしまなみとは別のところにあって、岡山県と広島県の県境辺りから四国の丸亀に点々とつながる島々でした。]
ともあれ、巻頭の登場人物紹介から、織田信長が石山本願寺(大坂本願寺、今の大阪城の地にあったころ)を攻め倦んでいるとき、本願寺に味方して食料を海路で届けるため毛利軍の下で三つの島にいる村上海賊(因島村上、来島村上、能島村上―大将格)が働くかどうかの意見がまとまらないうちに、能島村上の愛娘‘姫様’景が大活躍するなりゆきにおいて、それぞれの親分の気持ち、毛利家の事情、信長の立ち位置と評判、などなどが詳しく語られるうちに、歴史上人物名と地形が当時の歴史を知る参考になりました。 対する織田信長側についた泉州侍、真鍋海賊、鉄砲の雑賀党(門徒)の三つの団体の人物描写も楽しくて、思わず読んでしまいました。
私的メモ:
p257、8 景が目をやっていたのは、現在の大阪市西区九条の辺りだ。 現在は手前に港区があるが、当時はまだ海の底だった。
難波海に面した九条の地は、戦国時代、陸続きではなく「九条島」という島に過ぎない。 その北側には「福島荘」という地域(大阪市福島区の辺り)があり、こちらは当時から陸続きだった。 ちなみに福島区の西隣りには此花区があって大阪湾に臨んでいるが、この時は四貫島という島である。 景が見た川は、九条島と福島荘に挟まれた水路だ。 現在の安治川に一部が重なるが、これはこの時からおよそ百年後に整備されたもので当時はその名はない。 河口の位置も違えば流れも全然違い、大きく蛇行していた。 それはともかく、この河口から入って川をさかのぼれば、現在の土佐堀川かあるいは堂島川を経由して、大川(前にも触れたが当時の名は渡辺川)に至り、大阪城に位置した本願寺に横付けできるはずだった。 「確かに、じゃがそれは叶わぬことでござりましてな」と源爺は言う。 河口を形作る福島荘の川岸に、織田方が構える野田砦が睨みをきかしていたのだ。
p439 陸地と島とに挟まれた、あやふやな流れが当時の木津川であった。
河口の幅は現在よりもさらに大きく400メートルはある。 関船と小早2艘も従い、船団は南に向かって開いた河口から川を北上した。 源爺によれは、木津川砦は木津川沿いに築かれているとのことだった。 しかし、川をさかのぼって少しも経たぬうちに、右舷にいた景は怪訝な顔をした。 「どこだよ、城門は」 というのも、すでに右舷には、生い茂った葦原の間から木津砦の土塁が見えていたのだ。 門扉も見あたらなければ、土塁から顔を出す者もない。
p439 ― 進者往生極楽(進まば往生極楽)
― 退者無限地獄(退かば無間地獄) これ阿弥陀仏の本願なり
頼龍は孫市と揉みあいながら、そう一気に叫び終えていた。 「まことか」源爺はその声を聞くなり、総身を震わせた。 脅しである。 しかも門徒にとっては強烈極まりない脅しであった。 門徒たちはそこに火の海でも見たかのように、すぐさま踵をかえした。 再び敵の砦に向かって身を曝し、槍を振りかざしたが、その顔は恐怖のために引きつっていた。 一向宗の宗祖、親鸞がこの軍旗を見たならば、激怒したことだろう。 一向宗において、極楽往生するには、信心だけがあればいいのだ。 にもかかわらず、織田家との戦いで、この旗は実際に使用された(長善寺に現在も保存)。 恐るべき欺瞞といっていい。
下巻、p174コピー 娘 景 と 父 武吉 の会話 「弥陀の御恩に報いるために、
行かぬでもいい戦に行って命を捧げたんだ」 大きな瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちた。
p300 「この村上元吉(景の兄)が十日あまりも淡路島におりながら、鼻毛を抜いておったとでも思うたか」「なに」七五三兵衛は振り向き、訝しげな顔を向けてくる。 その顔を見て、元吉は勝利を確信した。 中空を指差し声を張り上げた。 「この力比べ、村上海賊の勝ちじゃ。 わしは難波海の潮目を頭に納めておるぞ」 途端、七五三兵衛ははっと目を見開いた。 「しもたっ」と叫んで海面を覗き見ると、恐れたことが起きていた。
七五三兵衛の大不覚だ。 潮流など乱戦となって船の向きを変えれば、追い潮も向かい潮になるゆえ問題にならないと軽く見ていた。 だが、今は別だ。 押し合いの最中、向かい潮に遭遇すれば討ち抜きは不可能となる。 さらさらと潮が流れ始めている。 潮は明石の瀬戸から難波海に流れ込み、友ヶ島水道へと抜けていく。 すなわち、北から進軍してきた村上海賊に順潮で、真鍋海賊にとっては逆潮だった。 海上はまだまだ穏やかに見えるが、海中はそうではない。 うねりにうねって安宅の舳先を押し戻しているはずだ。 「こいつ、男のくせに細かいことを」・・
「鶴翼を閉じよ。 引っ包んで討ち取れ」
「迎え撃ったれ」
両者の船団から一斉に矢弾が放たれた
真鍋の船団の殿軍では道夢斎(七五三兵衛の父)が、「七五三兵衛のやつ、討ち抜き、しくじりよったしょ」と剃り上げた頭を撫でていた。
・・・・(両者の父親たちの暖かい思いが小説の芯になっている)
コピー 瀬戸内海地図と登場人物紹介
(冊子『国境をなくすために』の送り状は2007年10月22日にあります)
(ブログ『国境をなくすために』の趣旨は2008年10月15日にあります)
しまなみ海道を通り大島に立ち寄ったら、村上水軍博物館へ行くようすすめられて、本屋大賞のこの本に出会いました。
[実は、20年ほど前に因島へ立ち寄ったことがありました。 急な階段を登り、村上海賊の城に行き当たり、人影も少なく、でもどこか管理してあって、不思議な感じにおそわれ、何だろう、海賊なので学校歴史にあった‘塩飽’(しわく、秀吉のときなどに出てきた、勝海舟の咸臨丸の水夫50人中35人など)を思い出して勘違いしたままでした。
地図をみると、塩飽諸島はしまなみとは別のところにあって、岡山県と広島県の県境辺りから四国の丸亀に点々とつながる島々でした。]
ともあれ、巻頭の登場人物紹介から、織田信長が石山本願寺(大坂本願寺、今の大阪城の地にあったころ)を攻め倦んでいるとき、本願寺に味方して食料を海路で届けるため毛利軍の下で三つの島にいる村上海賊(因島村上、来島村上、能島村上―大将格)が働くかどうかの意見がまとまらないうちに、能島村上の愛娘‘姫様’景が大活躍するなりゆきにおいて、それぞれの親分の気持ち、毛利家の事情、信長の立ち位置と評判、などなどが詳しく語られるうちに、歴史上人物名と地形が当時の歴史を知る参考になりました。 対する織田信長側についた泉州侍、真鍋海賊、鉄砲の雑賀党(門徒)の三つの団体の人物描写も楽しくて、思わず読んでしまいました。
私的メモ:
p257、8 景が目をやっていたのは、現在の大阪市西区九条の辺りだ。 現在は手前に港区があるが、当時はまだ海の底だった。
難波海に面した九条の地は、戦国時代、陸続きではなく「九条島」という島に過ぎない。 その北側には「福島荘」という地域(大阪市福島区の辺り)があり、こちらは当時から陸続きだった。 ちなみに福島区の西隣りには此花区があって大阪湾に臨んでいるが、この時は四貫島という島である。 景が見た川は、九条島と福島荘に挟まれた水路だ。 現在の安治川に一部が重なるが、これはこの時からおよそ百年後に整備されたもので当時はその名はない。 河口の位置も違えば流れも全然違い、大きく蛇行していた。 それはともかく、この河口から入って川をさかのぼれば、現在の土佐堀川かあるいは堂島川を経由して、大川(前にも触れたが当時の名は渡辺川)に至り、大阪城に位置した本願寺に横付けできるはずだった。 「確かに、じゃがそれは叶わぬことでござりましてな」と源爺は言う。 河口を形作る福島荘の川岸に、織田方が構える野田砦が睨みをきかしていたのだ。
p439 陸地と島とに挟まれた、あやふやな流れが当時の木津川であった。
河口の幅は現在よりもさらに大きく400メートルはある。 関船と小早2艘も従い、船団は南に向かって開いた河口から川を北上した。 源爺によれは、木津川砦は木津川沿いに築かれているとのことだった。 しかし、川をさかのぼって少しも経たぬうちに、右舷にいた景は怪訝な顔をした。 「どこだよ、城門は」 というのも、すでに右舷には、生い茂った葦原の間から木津砦の土塁が見えていたのだ。 門扉も見あたらなければ、土塁から顔を出す者もない。
p439 ― 進者往生極楽(進まば往生極楽)
― 退者無限地獄(退かば無間地獄) これ阿弥陀仏の本願なり
頼龍は孫市と揉みあいながら、そう一気に叫び終えていた。 「まことか」源爺はその声を聞くなり、総身を震わせた。 脅しである。 しかも門徒にとっては強烈極まりない脅しであった。 門徒たちはそこに火の海でも見たかのように、すぐさま踵をかえした。 再び敵の砦に向かって身を曝し、槍を振りかざしたが、その顔は恐怖のために引きつっていた。 一向宗の宗祖、親鸞がこの軍旗を見たならば、激怒したことだろう。 一向宗において、極楽往生するには、信心だけがあればいいのだ。 にもかかわらず、織田家との戦いで、この旗は実際に使用された(長善寺に現在も保存)。 恐るべき欺瞞といっていい。
下巻、p174コピー 娘 景 と 父 武吉 の会話 「弥陀の御恩に報いるために、
行かぬでもいい戦に行って命を捧げたんだ」 大きな瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちた。
p300 「この村上元吉(景の兄)が十日あまりも淡路島におりながら、鼻毛を抜いておったとでも思うたか」「なに」七五三兵衛は振り向き、訝しげな顔を向けてくる。 その顔を見て、元吉は勝利を確信した。 中空を指差し声を張り上げた。 「この力比べ、村上海賊の勝ちじゃ。 わしは難波海の潮目を頭に納めておるぞ」 途端、七五三兵衛ははっと目を見開いた。 「しもたっ」と叫んで海面を覗き見ると、恐れたことが起きていた。
七五三兵衛の大不覚だ。 潮流など乱戦となって船の向きを変えれば、追い潮も向かい潮になるゆえ問題にならないと軽く見ていた。 だが、今は別だ。 押し合いの最中、向かい潮に遭遇すれば討ち抜きは不可能となる。 さらさらと潮が流れ始めている。 潮は明石の瀬戸から難波海に流れ込み、友ヶ島水道へと抜けていく。 すなわち、北から進軍してきた村上海賊に順潮で、真鍋海賊にとっては逆潮だった。 海上はまだまだ穏やかに見えるが、海中はそうではない。 うねりにうねって安宅の舳先を押し戻しているはずだ。 「こいつ、男のくせに細かいことを」・・
「鶴翼を閉じよ。 引っ包んで討ち取れ」
「迎え撃ったれ」
両者の船団から一斉に矢弾が放たれた
真鍋の船団の殿軍では道夢斎(七五三兵衛の父)が、「七五三兵衛のやつ、討ち抜き、しくじりよったしょ」と剃り上げた頭を撫でていた。
・・・・(両者の父親たちの暖かい思いが小説の芯になっている)
コピー 瀬戸内海地図と登場人物紹介