私が政治と関わる中で、最も大きく感じているのが、「政治家には愛国心が全く無いな」ということです。そして、日本社会では、それが当然のよう受け入れられ、さらに「愛国心」自体が右翼の専売特許となっています。
私には、これが異常なことのように思えてなりません。どこの国も、国民は一定以上の愛国心を持っています。どこかの政治団体や、主義主張の専売特許として「愛国心」が用いられるとするなら、それは「愛国心」や国民に対する重大な冒涜(ぼうとく)です。
政治家は、国民のために、国家の役割を果たすよう、政治を動かす必要があります。ですから、政治家は特に愛国心を持たなければならない(本来、自然に持つべきものだから、命令形になっている時点でおかしい。)でしょう。
しかし、現在の政治家は、自分のためだけに働いている者が多数を占めます。政治屋と言われる所以(ゆえん)でもあるでしょう。
といっても、私自身、愛国心について完璧に理解しているわけではありませんから、とりあえず、自分自身の勉強もこめて、愛国心について解説し、日本社会への問題提起を行っていきたいと思います。
●親が子を愛すること、国民が国を愛すること
愛国心(あいこくしん)とは、なんでしょうか。愛国心は、「国を愛する心」と書きます。
国を愛するとはなんでしょうか。
まず、愛について考えてみると、親の多くは、子供を愛しており、ときには褒めたり、ときには叱ったりするでしょう。
親が子を叱るのは、子のためを思ってのことです。逆に子を愛していない親は、子を褒めることができるはずもありませんし、子を叱るという言っても、子のためではなく自分のためにしか叱ることができません。
このことから、「愛」とは、愛している者(親)が、愛する者(子)に対して主体的に関わり、愛する者(子)の最善のためにつくすこといえるでしょう。
これを国に置き換えると、愛している者は、国民であり、愛する者は国ということになります。この国は、政治の場としての国であり、国民の共同生活の場としての国です。
つまり、愛国心とは、国民が、国と主体的に関わり、国民自身の生活まで巻き込んだ「国」のために最善をつくすことといえるでしょう。
そして、最善をつくすとは、政治の世界では、国民の参政権を行使し、適切な政治家を選び、真に国のためになる政策を立案することなどを言うでしょう。
国民の共同生活という面では、国民の団結力を高め、非常事態をともに乗り越えてたり、政治の世界に関わったりしていく原動力を養っていくことなどを言うでしょう。
●国家の役割と愛国心
愛国心は、情緒的な面と機能的な面の2つがあります。情緒的な面は、国民の共同生活の中で発揮されます。機能的な面は、政治の世界で発揮されます。
国民が、国民として、一体感を持ち、共同していこうとしたり、あるいは、例えば、拉致問題などの国民的な課題に対する怒りや悲しみなどの感情を共有したりするのは、情緒的な面のあらわれといえるでしょう。
スポーツなどで、自国の選手の勝利を自分のことのように喜び、あるいは敗北を悲しむことも、立派な愛国心のあらわれです。
逆に機能的な愛国心とは、なんでしょうか。例えば、拉致問題に例えると、情緒的な愛国心により、怒りや悲しみなどの感情を共有したということは、その問題の解決が必要という共通理解ができたということでもあります。
この共通理解こそが、機能的な愛国心です。情緒的な愛国心により、感じた問題意識を、実際の政治に落としこんでいくのが、機能的な愛国心の役割です。
現代の国家は、対外的には軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その主権と独立を保ち、対内的には公共の秩序を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業への投資(こうきょうじぎょうへのとうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利(こくみんのじゆうとけんり)を守ることが重要な役割だと考えられています。
これらの役割の中では、防衛を一つとっても、外国からの侵略に対して危機感を覚えるのは情緒的な愛国心のあらわれです。それに対処し、外国からの侵略に立ち向かおうというのは機能的な愛国心のあらわれです。
国民の生活の向上という点でも、国民の生活が苦しくなったとき、その苦しみを共有するのは情緒的な愛国心のあらわれです。それに対処し、国民の生活を向上させようというのは、機能的な愛国心のあらわれです。
機能的な愛国心は、政治に関わる入り口となるのです。
●愛国心を持たない者に政治家の資格はない
いきなり過激なことを言うなと思った方もいるでしょう。しかし、愛国心を持たない政治家に、国民の危機感や不安と共有できない政治家に、国をよりよくすることはできるでしょうか。
国家の役割の点でいえば、国民は、外国からの侵略や生活の困窮に対する不安や苦しみを感じているのに、政治家は能天気で何も感じていない状態です。当然、それに対処しようという動きが出てくるはずもありません。
愛国心を持たない者を政治家にするということは、国を売るのと全く同じ行為です。
●反権力思想も立派な愛国心
このように考えていくと、愛国心は別に政府に従う思想ではないことが分かります。
むしろ、歴史上は、情緒的な愛国心が何度も革命を起こし、政府を倒し、国民のための新政府を建設してきました。
国民が、「こんな権力の言うことではみんな滅亡してしまう」と感じたら、それも愛国心の一つです。
愛国心が政府に従う思想であるとするならば、明治維新で国のために欧米列強の侵略に抵抗し、不平等条約の改正に努力した先人たちは、非愛国者ということなります。
しかし、そんなわけがありません。欧米列強の侵略と不平等条約の改正という国民共通の課題を解決させたのは、間違いなく、明治維新の先人たちの愛国心の強さによるものです。
●愛国心を広げよう
愛国心は、政府を愛することではありません。国民、国土、国史(国の歴史のこと。この言葉は実在する。)、伝統などに基づく国を愛し、国のため、国民全体のために、尽くそうという感情のことです。
この愛国心を広げ、政治家にも浸透させていくことが求められています。
そのためには、まず公民教科書が愛国心論を展開することが必要です。歴史を振り返ると、今で愛国心論を展開した教科書は、決して少数ではありません。
特に昭和30年代から昭和40年代にかけては、教科書改善の影響もあり、半数程度の教科書が愛国心論を展開していたといわれています。
現在では、自由社と育鵬社のみが愛国心論を展開しており、数としては少数派ですが、教科書改善運動の流れは確実に来ています。
この流れに乗っかって、愛国心論が全社で展開される時代を到来させましょう。愛国心教育を海外レベルまで引き上げましょう。
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愛国心論も愛国心という言葉もある。しかし、愛国心論は軽く触れるのみ。
郷土愛と少し関連付けて愛国心の機能を簡単に紹介するだけ。
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愛国心論も愛国心という言葉もある。愛国心論もかなり詳しく展開されている。
全社で唯一、家族愛とも関連付けて、家族愛→郷土愛→愛国心という愛の発展の流れを書いている。
他国の尊重に愛国心が必要ということも説明。
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なお、つくる会は自由社が発行する教科書の編集者の団体であり、営利目的の団体ではない。
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