公民・歴史教科書問題を中心に教育問題を考えていくブログ

恐るべき公民教育の問題を中心に扱っています。かなりの割合で小山常実氏のブログ(特に教科書資料)や著書を参考にしています。

【真の愛国心】真に国を愛するとは【軍国主義との決別宣言を】

2023-09-26 02:57:32 | 教育

私が政治と関わる中で、最も大きく感じているのが、「政治家には愛国心が全く無いな」ということです。そして、日本社会では、それが当然のよう受け入れられ、さらに「愛国心」自体が右翼の専売特許となっています。

私には、これが異常なことのように思えてなりません。どこの国も、国民は一定以上の愛国心を持っています。どこかの政治団体や、主義主張の専売特許として「愛国心」が用いられるとするなら、それは「愛国心」や国民に対する重大な冒涜(ぼうとく)です。

政治家は、国民のために、国家の役割を果たすよう、政治を動かす必要があります。ですから、政治家は特に愛国心を持たなければならない(本来、自然に持つべきものだから、命令形になっている時点でおかしい。)でしょう。

しかし、現在の政治家は、自分のためだけに働いている者が多数を占めます。政治屋と言われる所以(ゆえん)でもあるでしょう。

といっても、私自身、愛国心について完璧に理解しているわけではありませんから、とりあえず、自分自身の勉強もこめて、愛国心について解説し、日本社会への問題提起を行っていきたいと思います。

●親が子を愛すること、国民が国を愛すること

愛国心(あいこくしん)とは、なんでしょうか。愛国心は、「国を愛する心」と書きます。

国を愛するとはなんでしょうか。

まず、愛について考えてみると、親の多くは、子供を愛しており、ときには褒めたり、ときには叱ったりするでしょう。

親が子を叱るのは、子のためを思ってのことです。逆に子を愛していない親は、子を褒めることができるはずもありませんし、子を叱るという言っても、子のためではなく自分のためにしか叱ることができません。

このことから、「愛」とは、愛している者(親)が、愛する者(子)に対して主体的に関わり、愛する者(子)の最善のためにつくすこといえるでしょう。

これを国に置き換えると、愛している者は、国民であり、愛する者は国ということになります。この国は、政治の場としての国であり、国民の共同生活の場としての国です。

つまり、愛国心とは、国民が、国と主体的に関わり、国民自身の生活まで巻き込んだ「国」のために最善をつくすことといえるでしょう。

そして、最善をつくすとは、政治の世界では、国民の参政権を行使し、適切な政治家を選び、真に国のためになる政策を立案することなどを言うでしょう。

国民の共同生活という面では、国民の団結力を高め、非常事態をともに乗り越えてたり、政治の世界に関わったりしていく原動力を養っていくことなどを言うでしょう。

●国家の役割と愛国心

愛国心は、情緒的な面と機能的な面の2つがあります。情緒的な面は、国民の共同生活の中で発揮されます。機能的な面は、政治の世界で発揮されます。

国民が、国民として、一体感を持ち、共同していこうとしたり、あるいは、例えば、拉致問題などの国民的な課題に対する怒りや悲しみなどの感情を共有したりするのは、情緒的な面のあらわれといえるでしょう。

スポーツなどで、自国の選手の勝利を自分のことのように喜び、あるいは敗北を悲しむことも、立派な愛国心のあらわれです。

逆に機能的な愛国心とは、なんでしょうか。例えば、拉致問題に例えると、情緒的な愛国心により、怒りや悲しみなどの感情を共有したということは、その問題の解決が必要という共通理解ができたということでもあります。

この共通理解こそが、機能的な愛国心です。情緒的な愛国心により、感じた問題意識を、実際の政治に落としこんでいくのが、機能的な愛国心の役割です。

現代の国家は、対外的には軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その主権と独立を保ち、対内的には公共の秩序を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業への投資(こうきょうじぎょうへのとうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利(こくみんのじゆうとけんり)を守ることが重要な役割だと考えられています。

これらの役割の中では、防衛を一つとっても、外国からの侵略に対して危機感を覚えるのは情緒的な愛国心のあらわれです。それに対処し、外国からの侵略に立ち向かおうというのは機能的な愛国心のあらわれです。

国民の生活の向上という点でも、国民の生活が苦しくなったとき、その苦しみを共有するのは情緒的な愛国心のあらわれです。それに対処し、国民の生活を向上させようというのは、機能的な愛国心のあらわれです。

機能的な愛国心は、政治に関わる入り口となるのです。

●愛国心を持たない者に政治家の資格はない

いきなり過激なことを言うなと思った方もいるでしょう。しかし、愛国心を持たない政治家に、国民の危機感や不安と共有できない政治家に、国をよりよくすることはできるでしょうか。

国家の役割の点でいえば、国民は、外国からの侵略や生活の困窮に対する不安や苦しみを感じているのに、政治家は能天気で何も感じていない状態です。当然、それに対処しようという動きが出てくるはずもありません。

愛国心を持たない者を政治家にするということは、国を売るのと全く同じ行為です。

●反権力思想も立派な愛国心

このように考えていくと、愛国心は別に政府に従う思想ではないことが分かります。

むしろ、歴史上は、情緒的な愛国心が何度も革命を起こし、政府を倒し、国民のための新政府を建設してきました。

国民が、「こんな権力の言うことではみんな滅亡してしまう」と感じたら、それも愛国心の一つです。

愛国心が政府に従う思想であるとするならば、明治維新で国のために欧米列強の侵略に抵抗し、不平等条約の改正に努力した先人たちは、非愛国者ということなります。

しかし、そんなわけがありません。欧米列強の侵略と不平等条約の改正という国民共通の課題を解決させたのは、間違いなく、明治維新の先人たちの愛国心の強さによるものです。

●愛国心を広げよう

愛国心は、政府を愛することではありません。国民、国土、国史(国の歴史のこと。この言葉は実在する。)、伝統などに基づく国を愛し、国のため、国民全体のために、尽くそうという感情のことです。

この愛国心を広げ、政治家にも浸透させていくことが求められています。

そのためには、まず公民教科書が愛国心論を展開することが必要です。歴史を振り返ると、今で愛国心論を展開した教科書は、決して少数ではありません。

特に昭和30年代から昭和40年代にかけては、教科書改善の影響もあり、半数程度の教科書が愛国心論を展開していたといわれています。

現在では、自由社と育鵬社のみが愛国心論を展開しており、数としては少数派ですが、教科書改善運動の流れは確実に来ています。

この流れに乗っかって、愛国心論が全社で展開される時代を到来させましょう。愛国心教育を海外レベルまで引き上げましょう。

▼東京書籍

【東京書籍】 お問い合わせ 内容についてのご質問・ご意見箱:個人情報の取扱いについて

愛国心論、愛国心という言葉、「国を愛する」等...一切なし。

なお、お問い合わせには、利用規約などへの同意が必要です。

▼教育出版

利用規約 - 教育出版

愛国心論、愛国心という言葉、「国を愛する」等...一切なし。

高校の教科書は発行せず。

なお、お問い合わせには、利用規約などへの同意が必要です。

▼帝国書院

教科書の内容や指導書・Webサポート・QRコンテンツについて|株式会社帝国書院

愛国心論、愛国心という言葉、「国を愛する」等...一切なし。

▼日本文教出版

お問い合わせフォーム|お問い合わせ|日本文教出版

愛国心論、愛国心という言葉、「国を愛する」等...一切なし。

高校の教科書は発行せず。

▼育鵬社

お問い合わせ | 育鵬社

愛国心論も愛国心という言葉もある。しかし、愛国心論は軽く触れるのみ。

郷土愛と少し関連付けて愛国心の機能を簡単に紹介するだけ。

高校の教科書は発行せず。

▼自由社

お問い合わせ|新しい歴史教科書をつくる会

愛国心論も愛国心という言葉もある。愛国心論もかなり詳しく展開されている。

全社で唯一、家族愛とも関連付けて、家族愛→郷土愛→愛国心という愛の発展の流れを書いている。

他国の尊重に愛国心が必要ということも説明。

高校の教科書は発行せず。

なお、つくる会は自由社が発行する教科書の編集者の団体であり、営利目的の団体ではない。

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【教科書改革】学習指導要領から教科書検定基準、閣議決定にまで及ぶ総合的な「教科書改革プラン」を提案する【公民教科書改善/歴史教科書改善】

2023-08-11 01:15:13 | 教育

●絶望的状況に置かれた日本

今の日本は終わっている。

その代表格が「防衛」増税だろう。国家の役割の一つは、インフラの整備や教育など公共事業への投資により、国民生活の向上を図ることである。

国民生活を向上させるためには、この不景気で増税すればさらに不景気が加速するのであり、他の予算を削るのも増税ほどではないにせよ、景気が後退するため、国債発行がベストであろう。

同時に、防衛も国家の役割の一つであるから、国債発行で防衛費を増額してもらいたい。

●公民・歴史教育は日本解体宣言である

この危機をもたらしたのは間違いなく、公民教育であるし、歴史教育である。

まず、日本の公民教科書では、家族や国家、文化とは本質的にどういうものなかのか、国家の役割とは何なのかなどの基本的な事柄が全く書かれない。愛国心や愛郷心、公共の精神についても一切書かれない。改正教育基本法で「我が国と郷土を愛する」や「公共の精神」が明記されてもである。

前回も書いたが、現代の国家は、対外的には軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その主権と独立を保ち、対内的には公共の秩序を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業への投資(こうきょうじぎょうへのとうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利(こくみんのじゆうとけんり)を守ることが重要な役割だと考えられている。

大きく分ければ、防衛公共の秩序の維持公共事業への投資国民の自由と権利の保障の4点が国家の大きな役割といえよう。この4点の中で序列をつけるのであれば、まず国家が存在しなくなれば国家の役割を果たすことは不可能なので、第一に防衛、その次に社会秩序の維持と国民の自由と権利の保護がくるであろう。そして第三に、公共事業への投資がくるだろう。

このような基本的な事柄を知らないまま、政府の役人が育成された結果、国家の役割を全く果たさない政府が生まれたのである。防衛増税などは公民教育が生み出したといっても過言ではない。

このまま行けば、日本国はいずれ世界からの信用を失い、国家承認を受けなくなるであろう。

さらに歴史教育では、もっと本質的な国家解体を実行する。国民的自覚や国家観だけでなく、民族共同体までもを破壊しようとする。

日本の歴史教科書は、神話が書かれない。海外では、激しく進むグローバル化から民族共同体を守るために、自国の神話をかなりの文量で記述し、さらに民族的自覚を高めるために、他国の神話まで教えようというのがスタンダードになっている。最低限、どんな国でも自国の神話を教科書で言えば1単元2ページ以上の分量を使って教えてきた。

その中で、神話が書かれない日本の歴史教科書はきわめて異常なものといえよう。

さらに、教科書のページを進めると、中国大陸が文化などで一番上の国として位置づけられ、その次に韓国、最下位が日本という考え方を教え込まされる。中国大陸で大半の文化ができて、その文化が韓国(朝鮮半島)に伝わり、そして最後に日本に伝わったという嘘物語が展開されている。

実際には、このようなものもあれば、日本から生まれた文化が韓国→中国大陸へと伝わったもの、日本→西欧諸国→中国大陸、中国大陸→日本→韓国など、文化の出現や移り変わりは多種多様であり、とても断定できるものではない。

また、歴史教科書は、本来神話が書かれるべき部分を穴埋めをするために、四大文明なる虚構を教え込み、その中では黄河文明を「中国文明」と表記し、日本に影響を与えた長江文明を抹殺する。

四大文明は、100年前ぐらいに日本や中国大陸で流行した全ての文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の亜流(劣化コピーという意味。)であるという説である。

しかし、この学説は直ちに修正をせまられることになった。すぐに中国大陸で黄河文明とは全く別系統の長江文明が発見されるし、日本文明は、四大文明のいずれの影響も受けていないことが分かっている。

それなのに、歴史教科書は、日本文明を隠すとともに、日本文化に影響を与えた単位面積あたりの収穫量の多い稲作を基調とする平和な長江文明を抹殺し、単位面積あたりの収穫量が少ない農業のためにたくさんの奴隷を必要とする野蛮な黄河文明を「中国文明」として長江文明とすり替えている。

さらに、歴史教科書の後半では、日本は中国大陸や韓国への侵略者として描かれる。「侵略」と明言する教科書自体は減ったが、傾向は変わっていない。

特に東京書籍と学び舎は、満州事変と日中戦争を「侵略」と明言してみせるし、今日では完全に嘘だと証明された南京事件の犠牲者数30万人説を連想させる「南京大虐殺」を使う(当時の人口は20万人)。

しかも、東京書籍は、全社の中で唯一『太平洋戦争』を「侵略」と位置付ける。日本のことをできるかぎり悪く書こうとする学び舎でさえ、「侵略」とはしない。それは当然である。他の記事でも書いたが真実は「欧米列強と特亜の日本侵略戦争」なのだから「日本の侵略」であるはずがない(植民地を持たなければ植民地にされるという今よりも圧倒的にひどい弱肉強食の世界の中で日本に植民地を放棄せよとせまったとんでもなハル・ノートを受け入れなければ日本にとって重要な石油資源の輸出を停止するというアメリカ(ルーズベルト)の日本殺害宣言に抵抗し、真珠湾に軍事的に反撃したことにより始まった。敗北という結果にはなかったが、日本滅亡を防ぐことはできた→太平洋戦争

だから、日本の悪行を捏造するのが限度であるはずである。

本当に東京書籍はおかしな教科書である。

話がそれたが、こうして日本人は、公民教育では、国家観と国民的自覚を奪われ、歴史教育では民族的自覚と誇りを奪われる。これが、防衛「増税」などという「国家の役割を果たす気はない」と宣言したに等しいアホみたいなことを現実化させ、日本を危機におとしいれているのである。

●危機を脱するには...学習指導要領の改訂あるのみ

このように危機的状況に置かれた日本を復興させるには、もはや学習指導要領の改訂しかない。歴史教育の改善は最終的な解決を意味するが、現実問題の改善には全く意味をなさない。

そこで、今回は公民教育を中心にさまざまな改善を提案する。

まず、国家論の教育である。

国家には、決まった範囲の領土(りょうど)があって、その周りに領海(りょうかい)を持ち、それらの上に領空(りょうくう)を持つ。これが国家の領域(りょういき)である。

領域の中にはそこで生活する人々がおり、この人々が国家を運営する主体となる。これが国民(こくみん)である。

国家が、領域や国民を支配する権利を、統治権(とうちけん)といい、これが対外的に独立し、どの国の干渉も受けないようになると、国家主権(こっかしゅけん)となり、主権を持つ主権国家独立国)となる。

この主権領域国民国家の三要素(こっかのさんようそ)である。領域や国民がなければ、国家が成立しないのは分かるだろう。では、主権はどうだろうか。

主権を持たない国家は、どこかの国に属するか、他国の影響を強く受ける傀儡国家(かいらいこっか)になるしか、選択肢がない。このような場合、当然、現地の国民の意思や利益が尊重されるわけがなく、現代の国家は、この主権を持ち、かつ独立し、主権と独立を守ることが重要である。

このような現代の国家は、対外的には軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その主権と独立を保ち、対内的には公共の秩序を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業への投資(こうきょうじぎょうへのとうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利(こくみんのじゆうとけんり)を守ることが重要な役割だと考えられている。

これらの役割を担うのが、国会や、内閣、裁判所などの国の機関である。例えば、防衛省や自衛隊は、このうちの防衛を担っている。警察は国内の秩序の維持を担っている。裁判所は、国内の秩序の維持と国民の自由と権利を守る役割を担っている。

国家は、これらの役割を限られた時間で果たすために、できるかぎり合意に努める。これが政治である。ただし、限られた時間で対立を解消しきれず、合意に達しない場合は、権力による強制も避けられない。この権力が、政治権力である。

政治権力は、一見すると、国家による一方的な強制力のようにも見えるが、実は国民がその政治権力を承認しているから成立しているのである。国民の承認がない政治権力は、歴史上いくつか存在してきたが、例外なく、その国家は消滅している。国民の承認がなければ、政治権力を維持することは不可能なのである。

上記の国家論は極めて簡単なものであるが、これさえも教えられなければ、国会や内閣、裁判所について教えても理解できるはずがないだろう。

国家論を公民教科書に記述させるためには、中学校学習指導要領「人間の尊重についての考え方を,基本的人権を中心に深め,法の意義を理解すること。」などと記す前に、「国家についての考え方を,国家の機能を中心に理解を深め,国家の意義を理解すること。」と明記する必要がある。

解説書では、上記の指導要領改訂ができた場合は改訂時に追加した上記の内容に関連づけて「アの(ア)のについて国家についての考え方を,国家の成立と役割を中心に理解を深め,国家の意義を理解することについては,弥生時代における国家の成立から扱い,防衛,社会秩序の維持,社会資本の整備,国民の自由と権利の保障が国家の役割であることなど,国家の機能について理解を深めるようにすることが大切である。」と記す必要がある。

指導要領の改訂ができなくとも、「民主的な社会生活を営むためには,法に基づく政治が大切であることを理解すること。」などに関連付けて「国家の機能について触れ,国家の意義を理解できるようにすることが必要である。」と明記する必要がある。

続けて、家族論の教育が必要である。

家族は、男女の愛と尊敬から始まる集団の中で最も小さな共同体(きょうどうたい)であり、団らんの中で安らぎを得るなど、いこいの場としての性格を有するとともに、子を生み、愛情や道徳を教えながら育てるなど、人間形成の場としての性格を有し、ともに生活することで、信じ合い、助け合いながら家族の(きずな)を深め、祖父母から父母、父母から子という縦のつながりをもつ唯一の集団である。

もう少し掘り下げると、人間形成の場であるために、民法が親の養育・教育に関する義務や権利を定め、また、親には子への懲戒権が認められている。

従来、中学校学習指導要領には「家族や地域社会などの機能を扱い,人間は本来社会的存在であることに着目させ,個人と社会とのかかわりについて考えさせる。」と記載されていた。

ところが、教育基本法が改正されて改めて家族教育の重要性が認知されるようになったはずの平成20年の指導要領の改訂時に傍線部の「家族や地域社会などの機能を扱い」の部分が削除された。

これにより、これまで2単元4ページないし1単元2ページで家族論を展開していた教科書が一気に数行や単語だけとなった。

ただ、現在、学習指導要領の構成が大幅に変更されており、従来のように「家族や地域社会などの機能を扱い」とすることはできない。

ではどうすれば良いのであろうか。「内容の取り扱い」というところに「アの(イ)の「人間は本来社会的存在であること」については,家族や地域社会の機能なども扱うこと。」と規定すれば良いのである。

ちなみに、指導要領解説には、平成20年のときと違って、「家族・家庭の基本的な機能についての理解を深めること...などを目標に掲げる技術・家庭科(家庭分野)と特に関わりが深いことに十分留意して,組織的かつ計画的に学習指導を進めていくことが大切である。」と書かれている。

それなのに、相変わらず、東京書籍・教育出版・日本文教出版は家族論を全く展開しないし、「基礎的な社会集団」とさえしない。帝国書院は、今回記述を悪化させ、家族論を明確には展開しなくなった。わずか8行程度しか家族について書かれなくなった。それでも「基礎的な社会集団」とはする。

育鵬社は、帝国書院ほどではないにせよ、記述を悪化させ、「共同体」としていたものを「基礎的な社会集団」という位置付けに変化させたのである。それでも1単元2ページという分量はある。

結局、自由社ぐらいしか家族論を本格的に展開しているとみなせる教科書はないのだ。この学習指導要領の改訂が実現すれば、必ず、自由社に近い記述が全社で取り入れられるだろう。

また、拉致問題についても記述する必要があるし、領土問題も「固有の領土」の徹底を図る必要がある。

現在は、領土問題は小学校と中学校では「固有の領土」だが、高校の歴史では「固有の領土」という表現が徹底されていない。

拉致問題については規定はないが、中学校の歴史と公民では最後の方でかなり小さく扱われる。領土問題と異なり、拉致問題は中学と高校でまるで状況が違い、高校ではほとんど扱われない。

主権問題がここまで軽く扱われる国がどこにあるだろうか。早急な解決が必要である。

小学校学習指導要領では、6年生の歴史分野で、新たに内容の取り扱いにおいて「アの(ケ)の「廃藩置県や四民平等などの改革」に関連させて,我が国の固有の領土である北方領土に触れるとともに,竹島や尖閣諸島の編入についても触れること。」と書く必要があるだろう。

さらに、同じく6年生の歴史分野で、内容の取り扱いにおいて「アの(サ)については,北朝鮮による日本人拉致問題についても触れること。」と明記する必要がある。なお、「アの(サ)」は、日本国憲法の制定などの戦後史の部分である。

中学校学習指導要領では、領土画定のところにある「北方領土に触れるとともに,竹島や尖閣諸島の編入についても触れること」の前に「我が国の固有の領土である」を加えて「我が国の固有の領土である北方領土に触れるとともに,竹島や尖閣諸島の編入についても触れること」と明記する必要がある。

ちなみに、一度「固有の領土」と書いておけばあとに続く文(すなわち、竹島と尖閣諸島)も検定で「固有の領土」と書くよう求められるので、この書き方で問題ない。

さらに、戦後史の部分では沖縄返還や石油危機などに関連付けて「その際,北朝鮮による日本人拉致問題についても触れること。」と明記する必要がある。

公民の方では、指導要領の規定がしっかりしており、「固有の領土」は徹底されているので、国際社会編の国家主権の部分に関連付けて「「国家主権」については,我が国が,北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向けて努力していることなども取り上げること。」と明記すれば良い。

高校の地理歴史科の歴史総合や、日本史探究、公民科の公共、政治経済についても同様の改正が必要である。

また、これは歴史教育関係だが、神話教育も重要である。

神話教育は、海外ではものすごく進んでいて自国の神話を数十ページで、他国の神話さえも見開きで紹介するのがスタンダードなのに(当然、すべて本文である)、日本ではコラム扱いで分量も少ない。

最低でも「国生み」「国譲り」「天孫降臨」「神武東征」「建国の詔」については単元本文で取り上げる必要がある

中学校学習指導要領には「日本列島における国家形成」という部分の内容の取り扱いで「古事記,日本書紀,風土記などにまとめられた神話・伝承などの学習を通して,当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるよう留意すること。」という規定がある。

これに加えて「その際,古事記・日本書紀にまとめられた「国生み(くにうみ)」「国譲り(くにゆずり)」「天孫降臨(てんそんこうりん)」「神武東征(じんむとうせい)」「建国の詔(けんこくのみことのり)」などについても扱うこと。」と規定するべきではないだろうか。

さらに、目標を改善し、もっと本質的に改善する必要がある。

小学校学習指導要領の社会科の目標の「多角的な思考や理解を通して,地域社会に対する誇りと愛情,地域社会の一員としての自覚,我が国の国土と歴史に対する愛情,我が国の将来を担う国民としての自覚,世界の国々の人々と共に生きていくことの大切さについての自覚などを養う。」となっている部分を改正する必要がある。

すなわち、「多角的な思考や理解を通して,地域社会に対する誇りと愛情,地域社会の一員としての自覚,社会の一員として,正義と責任を重んじ,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与することの大切さについての自覚,我が国の国土と歴史に対する誇りと愛情,我が国の将来を担う国民としての自覚,世界の国々の人々と共に生きていくことの大切さについての自覚などを養う。」と改善する。

中学校学習指導要領については社会科の目標から地理・歴史・公民の各分野の目標の全てを、次のとおり改善する必要がある。

社会科(改善前)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される我が国の国土や歴史に対する愛情,国民主権を担う公民として,自国を愛し,その平和と繁栄を図ることや,他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。」

社会科(改善後)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される,家族の一員として,家庭生活を尊重し,家族と協力しながら家庭生活を充実させていくことの大切さについての自覚社会の一員として,正義と責任を重んじ,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与することの大切さについての自覚,我が国の国土や歴史に対する誇りと愛情,我が国の将来を担う国民として,伝統と文化を尊重し,それらを育んできた我が国と郷土を愛し,その発展に寄与することの大切さについての自覚,国民主権を担う公民として,自国を愛し,その平和と繁栄を図ることや,他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深め,公共の精神を養う。」

地理的分野(改善前)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される我が国の国土に対する愛情,世界の諸地域の多様な生活文化を尊重しようとすることの大切さについての自覚などを深める。」

地理的分野(改善後)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される,社会の一員として,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与することの大切さについての自覚,我が国の国土に対する誇りと愛情,我が国の将来を担う国民として,伝統と文化を尊重し,それらを育んできた我が国と郷土を愛し,その発展に寄与することの大切さについての自覚,世界の諸地域の多様な生活文化を尊重しようとすることの大切さについての自覚などを深める。」

歴史的分野(改善前)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される我が国の歴史に対する愛情,国民としての自覚,国家及び社会並びに文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を尊重しようとすることの大切さについての自覚などを深め,国際協調の精神を養う。」

歴史的分野(改善後)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される,社会の一員として,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与することの大切さについての自覚,我が国の歴史に対する誇りと愛情,国民としての自覚,国家及び社会並びに文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を尊重しようとすることの大切さについての自覚,我が国の将来を担う国民として,伝統と文化を尊重し,それらを育んできた我が国と郷土を愛し,その発展に寄与することの大切さについての自覚などを深め,公共の精神と国際協調の精神を養う。」

公民的分野(改善前)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される,国民主権を担う公民として,自国を愛し,その平和と繁栄を図ることや,各国が相互に主権を尊重し,各国民が協力し合うことの大切さについての自覚などを深める。」

公民的分野(改善後)「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵(かん)養される,家族の一員として,家庭生活を尊重し,家族と協力しながら家庭生活を充実させていくことの大切さについての自覚社会の一員として,正義と責任を重んじ,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与することの大切さについての自覚,国民主権を担う公民として,自国を愛し,その平和と繁栄を図文化を高めることや,各国が相互に主権を尊重し,各国民が協力し合うことの大切さについての自覚などを深める。」

高校の地理歴史科の目標については、中学の地理的分野と歴史的分野を合わせたもの、地理総合と地理探究の目標については中学の地理的分野、歴史総合と日本史探究と世界史探究の目標については中学の歴史的分野、公民科の目標と公共・倫理・政治経済の目標については中学の公民的分野と同じように改善する必要があろう。

●論争がある事件を本文で「断定的」に書くな...教科書検定基準の改訂を

上記の学習指導要領を改訂しても、教科書にはまだまだ問題が残る。

「南京事件」については真偽や実態をめぐる議論が続いている。「慰安婦問題」についても、強制性(強制連行を含まない。)の有無をめぐる議論があるし、強制連行についてはないというのが通説だが、あるという主張も存在する。

他にも、関東軍「七三一部隊」の細菌実験や「三光作戦」などは、真偽か犠牲者数などの実態をめぐる論争が続いている。

しかし、教科書ではこうした論争が書かれることなく、「多数の中国人が殺害された(南京事件)。」のように単元本文で断定している。おかしいのではないか。

論争がないものと明確に区別できるように単元本文で書くべきではないだろうし、注釈などで「多数の中国人が殺害された(南京事件)。」と書いてとしても、後に「この事件の犠牲者数などの実態については、さまざまな見解がある。」ぐらいは書いてほしいものである。

さらに、いまだに特定事項や一面的見解の強調も目立つ。もっと客観的事実を重視すべきだ。

東京書籍の中学歴史教科書では、朝鮮人志願兵の写真を「動員され訓練する朝鮮の若者たち」として強制性のある徴用兵であるかのような印象操作をしている。

多くの歴史教科書ではその年代に「元号」が書かれない。応仁の乱などでも「応仁」の元号が書かれないものもあるという。しかし、それでは生徒は名称の意味について理解することができない。是正が必要だろう。

このような問題を解決するために、義務教育諸学校教科用図書検定基準及び高等学校教科用図書検定基準(以下これらをまとめて「教科書検定基準」という。)を改正するべきではないか。

教科書検定基準では「学習指導要領の総則や教科の目標に一致していること」とはあっても、学年や分野、科目などの目標に一致することを求めてはいない。

その意味でも、次の通り、教科書検定基準を改正する必要があるだろう。

義務教育諸学校教科用図書検定基準※小中学校とかがこれ。

 対照形式※改正箇所は傍線部。

改正前

第2章 教科共通の条件

1  基本的条件

(2) 学習指導要領の総則や教科の目標に一致していること。
(3) 小学校学習指導要領(平成29年文部科学省告示第63号)又は中学校学習指導要領(平成29年文部科学省告示第64号)(以下「学習指導要領」という。)に示す教科及び学年、分野又は言語の「目標」(以下「学習指導要領に示す目標」という。)に従い、学習指導要領に示す学年、分野又は言語の「内容」(以下「学習指導要領に示す内容」という。)及び「内容の取扱い」(「指導計画の作成と内容の取扱い」を含む。以下「学習指導要領に示す内容の取扱い」という。)に示す事項を不足なく取り上げていること。

改正後

第2章 教科共通の条件

1  基本的条件

(2) 小学校学習指導要領(平成29年文部科学省告示第63号)又は中学校学習指導要領(平成29年文部科学省告示第64号)(以下「学習指導要領」という。)の総則並びに学習指導要領に示す教科及び学年、分野又は言語の「目標」(以下「学習指導要領に示す目標」という。)に一致していること。
(3) 学習指導要領に示す目標に従い、学習指導要領に示す学年、分野又は言語の「内容」(以下「学習指導要領に示す内容」という。)及び「内容の取扱い」(「指導計画の作成と内容の取扱い」を含む。以下「学習指導要領に示す内容の取扱い」という。)に示す事項を不足なく取り上げていること。

改正前

第3章  教科固有の条件

【各教科】

[社会科(「地図」を除く。)]

1  選択・扱い及び構成・排列

(1) 略※小学校学習指導要領との関係規定
(2) 略※多様な見解のある社会的事象に関する包括的な規定
(3) 略※未確定な時事的事象への対応に関する規定
(4) 略※近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定
(5) 略※閣議決定などへの対応に関する規定
(6) 略※いわゆる近隣諸国条項
(7) 著作物、史料などを引用する場合には、評価の定まったものや信頼度の高いものを用いており、その扱いは公正であること。また、法文を引用する場合には、原典の表記を尊重していること。
(8) 日本の歴史の紀年について、重要なものには元号及び西暦を併記していること。

改正後

第3章  教科固有の条件

【各教科】

[社会科(「地図」を除く。)]

1  選択・扱い及び構成・排列

(1) 略※小学校学習指導要領との関係規定

(2) 略※多様な見解のある社会的事象に関する包括的な規定

(3)社会的事象について、特定の事柄を強調し過ぎていたり一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするなどの取り上げ方に不適切なところはなく、児童又は生徒が事実を客観的に捉え考えを深めることができるよう適切な配慮がされていること。

(4) 略※未確定な時事的事象への対応に関する規定

(5) 略※近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定

(6)近現代の歴史的事象のうち本文において、多様な見解がある事柄について記述しているところはなく、本文以外の図書の内容において多様な見解のある事柄について記述する場合には、多様な見解があることが明示されているとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。

(7) 略※閣議決定などへの対応に関する規定

(8) 略※いわゆる近隣諸国条項

(9) 著作物、史料などを引用する場合には、児童又は生徒の心身の発達段階に適応し評価の定まったものや信頼度の高いものを用いており、その扱いは公正であるとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。また、法文を引用する場合には、原典の表記を尊重していること。

(10) 引用、掲載された教材、写真、挿絵、統計資料などは、児童又は生徒の心身の発達段階に適応し、信頼性のある適切なものが選ばれており、その扱いは公正であるとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。

(11) 日本の歴史の紀年について、元号を記していること

※なお、新設の(6)の運用については、近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定と異なり、多様な見解について個別具体の出典は求めず、また「多様な見解があること」の明示方法については「さまざまな見解」と書くのみで良いものとするよう補足させていただく。これは、「多様な見解」と称してありえない説が多数掲載されることを阻止するためのものである。

高等学校教科用図書検定基準※高校のこと。高校は現状義務教育よりも圧倒的に酷い

 対照形式※改正箇所は傍線部。特筆するべき改正は赤字。

改正前

第2章 各教科共通の条件

1 基本的条件

(2) 学習指導要領の総則や教科の目標に一致していること。
(3) 高等学校学習指導要領(平成30年文部科学省告示第68号。以下「学習指導要領」という。)に示す教科及び科目の「目標」(以下「学習指導要領に示す目標」という。)に従い、学習指導要領に示す科目の「内容」(以下「学習指導要領に示す内容」という。)及び「内容の取扱い」(「各科目にわたる指導計画の作成と内容の取扱い」を含む。以下「学習指導要領に示す内容の取扱い」という。)に示す事項を不足なく取り上げていること。

改正後

第2章 各教科共通の条件

1 基本的条件

(2) 高等学校学習指導要領(平成30年文部科学省告示第68号。以下「学習指導要領」という。)の総則並びに学習指導要領に示す教科及び科目の「目標」(以下「学習指導要領に示す目標」という。)に一致していること。

(3) 学習指導要領に示す目標に従い、学習指導要領に示す科目の「内容」(以下「学習指導要領に示す内容」という。)及び「内容の取扱い」(「各科目にわたる指導計画の作成と内容の取扱い」を含む。以下「学習指導要領に示す内容の取扱い」という。)に示す事項を不足なく取り上げていること。

改正前

第3章  各教科固有の条件

[地理歴史科(「地図」を除く。)]

1 選択・扱い及び構成・排列

(1) 略※多様な見解のある社会的事象に関する包括的な規定
(2) 略※高等学校学習指導要領との関係規定
(3) 略※未確定な時事的事象への対応に関する規定
(4) 略※近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定
(5) 略※閣議決定などへの対応に関する規定
(6) 略※いわゆる近隣諸国条項
(7) 著作物、史料などを引用する場合には、評価の定まったものや信頼度の高いものを用いており、その扱いは公正であること。また、史料及び法文を引用する場合には、原典の表記を尊重していること。
(8) 日本の歴史の紀年について、重要なものには元号及び西暦を併記していること。

2 正確性及び表記・表現

(1) 略※図表の記載方法に関する規定

改正後

第3章  各教科固有の条件

[地理歴史科(「地図」を除く。)]

1 選択・扱い及び構成・排列

(1) 略※多様な見解のある社会的事象に関する包括的な規定

(2) 略※高等学校学習指導要領との関係規定

(3)社会的事象について、特定の事柄を強調し過ぎていたり一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするなどの取り上げ方に不適切なところはなく、生徒が事実を客観的に捉え、考えを深めることができるよう適切な配慮がされていること。

(4) 略※未確定な時事的事象への対応に関する規定

(5) 略※近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定

(6)近現代の歴史的事象のうち本文において多様な見解がある事柄について記述しているところはなく、本文以外の図書の内容において多様な見解のある事柄について記述する場合には、多様な見解があることが明示されているとともに、生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。

(7) 略※閣議決定などへの対応に関する規定

(8) 略※いわゆる近隣諸国条項

(9) 著作物、史料などを引用する場合には、児童又は生徒の心身の発達段階に適応し、評価の定まったものや信頼度の高いものを用いており、その扱いは公正であるとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。また、法文を引用する場合には、原典の表記を尊重していること。

(10) 引用、掲載された教材、写真、挿絵、統計資料などは、児童又は生徒の心身の発達段階に適応し、信頼性のある適切なものが選ばれており、その扱いは公正であるとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。

(11) 日本の歴史の紀年について、元号を記していること

2 正確性及び表記・表現

(1) 略※図表の記載方法に関する規定

※なお、新設の(6)の運用については、近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定と異なり、多様な見解について個別具体の出典は求めず、また「多様な見解があること」の明示方法については「さまざまな見解」と書くのみで良いものとするよう補足させていただく。これは、「多様な見解」と称してありえない説が多数掲載されることを阻止するためのものである。

改正前

第3章  各教科固有の条件

[公民科]

1 選択・扱い及び構成・排列

(1)略※多様な見解のある社会的事象に関する包括的な規定
(2)略※高等学校学習指導要領との関係規定
(3)略※高等学校学習指導要領との関係規定
(4)略※高等学校学習指導要領との関係規定
(5)略※未確定な時事的事象への対応に関する規定
(6)略※近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定
(7)略※閣議決定などへの対応に関する規定
(8)略※いわゆる近隣諸国条項

(9)著作物、史料などを引用する場合には、評価の定まったものや信頼度の高いものを用いており、その扱いは公正であること。また、史料及び法文を引用する場合には、原典の表記を尊重していること。

(10)日本の歴史の紀年について、重要なものには元号及び西暦を併記していること。

2 正確性及び表記・表現

(1) 略※図表の記載方法に関する規定

改正後

第3章  各教科固有の条件

[地理歴史科(「地図」を除く。)]

1 選択・扱い及び構成・排列

(1)略※多様な見解のある社会的事象に関する包括的な規定

(2)略※高等学校学習指導要領との関係規定

(3)略※高等学校学習指導要領との関係規定

(4)略※高等学校学習指導要領との関係規定

(5)社会的事象について、特定の事柄を強調し過ぎていたり一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするなどの取り上げ方に不適切なところはなく、生徒が事実を客観的に捉え、考えを深めることができるよう適切な配慮がされていること。

(6)略※未確定な時事的事象への対応に関する規定

(7)略※近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定

(8)近現代の歴史的事象のうち本文において多様な見解がある事柄について記述しているところはなく、本文以外の図書の内容において多様な見解のある事柄について記述する場合には、多様な見解があることが明示されているとともに、生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。

(9)略※閣議決定などへの対応に関する規定

(10)略※いわゆる近隣諸国条項

(11)著作物、史料などを引用する場合には、児童又は生徒の心身の発達段階に適応し、評価の定まったものや信頼度の高いものを用いており、その扱いは公正であるとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。また、法文を引用する場合には、原典の表記を尊重していること。

(12) 引用、掲載された教材、写真、挿絵、統計資料などは、児童又は生徒の心身の発達段階に適応し、信頼性のある適切なものが選ばれており、その扱いは公正であるとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと。

(13)日本の歴史の紀年について、元号を記していること

2 正確性及び表記・表現

(1) 略※図表の記載方法に関する規定

※なお、新設の(8)の運用については、近現代の歴史的のうちの通説がない事項に関する規定と異なり、多様な見解について個別具体の出典は求めず、また「多様な見解があること」の明示方法については「さまざまな見解」と書くのみで良いものとするよう補足させていただく。これは、「多様な見解」と称してありえない説が多数掲載されることを阻止するためのものである。

●教育基本法と学習指導要領への一致強化が必要だ...編修趣意書の改善を

現在の教科書の編集趣意書(編集方針を示したもの)では教育基本法の目標を項目的に網羅していれば良く、例えば、第五号には「伝統文化の尊重」「愛国心」「他国の尊重」「国際社会への寄与」等が掲げられていますが、「他国の尊重」だけなど、いずれかを書けば検定を通過します。

しかし、これでは教育基本法の目標が十分に反映されたとはいえません。

そこで編集趣意書の教育基本法の目標の対照の末尾を「第◯号」と項目だけを示す方式から、「第◯号「〇〇」」(例えば、「第五号「伝統と文化を尊重し」)のように具体的な内容を示し、それらを網羅するよう求め、教育基本法を教科書に反映していくことが必要です。

さらに、学習指導要領の学年・分野・言語(高校においては科目)の目標との対照表も提出するよう求め、学習指導要領の反映を図ることも必要です。

●教科書の横暴に国民の監視が必要だ...検定合格後の教科書の「HP公開」を

教科書は展示会などで公開されますが、時間の関係で行けない人も多くいます。今の時代、インターネットで公開することは簡単なはずです。検定合格後の教科書の全内容を文科省のホームページで公開するべきです。

●韓国併合・台湾併合を「植民地支配」と断言することの不適切さ...閣議決定を

韓国併合は当時韓国内で最大規模の政治団体『一進会』が日韓合邦運動を進めたことにより実現し、日本が近代化を進めました。台湾併合でも同様に近代化を進め、特に八田與一などが活躍しました。欧米列強の「植民地支配」とは違うのです。これを「植民地支配」とすることこそ、日本や欧米列強に対する誤解を招きます。「不適切」の閣議決定が必要です。

●政治的批判にしかならない「侵略」の用語を教科書に載せるな...閣議決定を

「ウクライナ侵略」といえば、一発でロシア批判の立場と分かるでしょう。それは別に良いです。しかし、教科書にあれば、それは教科書が政治的批判をしているということになり、問題です。「侵略」は不適切だと閣議決定すべきです。

●日本語理解を混乱させる「重語」を教科書に載せるな...閣議決定を

「徴用」「動員」「徴税」「連行」、全て強制性のある言葉ですが、教科書ではこれらの前に「強制」を付けて「強制連行」などと称することがあります。これは重語と呼ばれますが、教科書に載せる分には生徒の日本語理解を混乱させるだけです。「不適切」の閣議決定が必要です。

●朝鮮人徴用・中国人「強制連行」人数に通説なし...閣議決定を

朝鮮人徴用については数百~数十万人、中国人「強制連行」については数千~数万人との学説がある。文科省は学説の幅のある場合は「通説的な見解がない」として断定的な記述をしないよう求めており、朝鮮人徴用と中国人「強制連行」の人数に通説がないことを確認する閣議決定をするべきだ。

●「意思に反して日本に連れてこられ」は閣議決定からの逃亡だ...東京書籍・教育出版・帝国書院・山川出版は問題教科書、一刻も早く訂正申請を

2021年4月、戦時中の朝鮮人労働者には、徴用・官斡旋・募集や自ら来たものなど、その実態はさまざまであり、一括りに「強制連行」「連行」などの表現を使うべきでないと閣議決定が出た。また、徴用は合法であり、「強制労働」との表現を使うべきでないともした。

これに伴い、「強制連行」などを書く高校の教科書の多くが訂正申請を出した。しかし、「強制連行」と明言はしないものの、例えば、東京書籍は「意思に反して日本に連れてこられ...労働を強いられました」として、「強制連行」ばかりか、「強制労働」までもを連想させている。

今年の検定で「強制的に連れてこられて」との記述があった小学校の教科書が「強制的に動員され」に変わった。

教育出版が「連れてこられ」と「厳しい労働を強いられました」、帝国書院が「連れて行き」、山川出版も「労働を強いられた」との表現を使っている。

東京書籍・教育出版・帝国書院・山川出版は、早急に訂正申請すべきだ。

●国際社会は国益を取り合う「競争社会」である...国際社会=競争社会論もなければ「国益」の思想さえないお花畑の東京書籍等多数派公民教科書

領土問題が起こるとき、その原因は、多くの場合、領土拡張の国益と領土防衛の国益との対立である場合が多い。これは、ほかの対立にもいえるし、逆に利害が一致したときは合意にもつながる。明らかに国際社会は競争社会なのである。しかし、教科書にはこれらの事実は記載されず、国際社会を単なる国際協調の場としてしか捉えようとしない。子どもが国家の一員として生きることを踏まえていない、あまり乱暴な態度だ。

一応、「国と国との利益の対立」として、国際社会を競争社会と捉え、曲がりなりにも「国益」の思想を表明するのが帝国書院、外交における軍事力や経済力の裏付けを紹介し、国際社会を競争社会として捉え、正面から「国益」の思想を表面するのが自由社と育鵬社である。

逆に、「国益」の思想を一切表明せず(そもそも国の利益などない、あっても解体せよな雰囲気)、国際社会を競争社会として一切書かないのが、東京書籍・教育出版・日本文教出版の多数派教科書である。特に教育出版は、領土問題さえも「日本固有の領土というのが日本政府の立場です」と他人事のように書いている。

●付録 誤報で生まれた『近隣諸国条項』の削除も必要だ

近隣諸国条項の削除も必要である。というか、近隣諸国条項を削除することができればこの記事のような回りくどいことはしなくて良いのかも知れない。

しかし、近隣諸国条項はこれまでさまざまな人が削除を要求して、安倍政権でも見直しが図られたが、ついに今日まで削除されることはなかった。

この状況を見るに、いきなり削除するのではなく、段階的に『反』近隣諸国条項的なものを追加していってフェードアウトさせるのが得策だと思う。

若しくは、『近隣諸国条項』を「削除」せずに「改正」して「近隣のアジア諸国との近現代の歴史的事象について国際理解国際協調の見地から必要な配慮がされていること」の「国際理解と国際協調」を「郷土愛愛国心」に入れ替えるべきではないか。

というか、今の文科省は左翼過ぎるので「削除」に意味はないのではかと思う。

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日本を救った「新しい歴史教科書をつくる会」を終わらせるな【数え切れないつくる会の功績とまだまだ続く教科書問題】

2023-08-05 01:33:06 | 教育

新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」)は、今、非常に厳しい財政状況にあると伝えられます。

つくる会は、平成8年度に出された中学校の歴史教科書の全てに「従軍慰安婦」が掲載されたことがきっかけとなって設立された団体です。

このつくる会の設立が、きっかけとなって、「従軍慰安婦」が教育的配慮などをめぐり大問題となりました。同時に、この根拠とされた河野談話の最大の争点だった「強制連行」の有無について「軍や官憲によるいわゆる強制連行を示すような資料は発見されていない」との政府見解が出るに至りました。

さらに、当時、「強制連行」を肯定する立場をとっていた学者などからも、「中学校の歴史教科書に「従軍慰安婦」を載せるのはさすがにおかしい」という声があがりました。

その次の検定では、つくる会がつくった教科書が不当に不合格されそうになる事件なども起き、つくる会は、当時の教科書界隈の異常性を明らかにする存在となりました。

また、その検定では、慰安婦に関する記述が大幅に減少しました。そして、何よりも、つくる会の教科書が登場したことで、「従軍慰安婦」だけでなく、中国→朝鮮半島→日本というつくる会以外の全ての教科書に載る文化の流れにも多くの疑問が出されることになりました。

ほかにも、当時の教科書には、誤記や、誤述が多くありました。それを明らかにしたのも、つくる会です。

つくる会は、まさに、歪んだ教科書を是正するだけでなく、日本全体を救ったヒーローなのです。

しかし、教科書界隈では、つくる会を排除しようという動きがあり、文科省による違法検定による一発不合格事件は記憶に新しいところです。つくる会が、文科省に問い詰めたところ、文科省の職員は何も言えなくなったという出来事は文科省の検定の違法性・不当性を象徴しています。

おまけに、いまだに教科書では、「慰安婦」を掲載する教科書が、学び舎と山川出版の2社もいます。山川出版の教科書が中学歴教科書に「従軍慰安婦」を掲載し、再び大問題となった出来事は記憶に新しいのではないでしょうか。

つくる会の運動の目的は、歪んだ教科書の是正ですが、まだそれは達成できていないのです。それどころか、教科書界隈では、これを排除する動きさえもあるのです。

つくる会は、教科書をつくり続けることで、教科書の是正に大きく貢献しています。教科書をつくることで、教科書界隈の異端児でありながらも、外野としてはなく、内野として教科書を批判することができ、それが教科書の改善につながっています。

冒頭でも述べた通り、つくる会は、資金が不足しています。歴史・公民教科書の政策には、2600万円かかるという試算が出ています。

つくる会を終わらせないためには、つくる会への寄付が必要です。

↓のリンクから、つくる会へ寄付することができます。ぜひとも、つくる会にご支援とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

「つくる会」運動の火を消さないため、緊急のご支援のお願い

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【自分の国家観を総括してみる】国家を意識し始めた小4から家族も国家もない公民教科書の問題を深く憂慮する現在まで【

2023-07-31 03:24:46 | 教育

今の公民教科書には、家族論も、国家論も、国際社会が競争社会であることも、何も書かれていない。

●現在の考え方

現在は、家族については、他の記事で書いたように「家族は、男女の愛と尊敬から始まる集団の中で最も小さな共同体(きょうどうたい)であり、団らんの中で安らぎを得るなど、いこいの場としての性格を有するとともに、子を生み、愛情や道徳を教えながら育てるなど、人間形成の場としての性格を有し、ともに生活することで、信じ合い、助け合いながら家族の絆(きずな)を深め、祖父母から父母、父母から子という縦のつながりをもつ唯一の集団」という考えを持っている。

国家については、他の記事でも書いたが、その役割については「対外的には、軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その独立を保ち、対内的には、国内の秩序(ちつじょ)を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業(こうきょうじぎょう)への投資(とうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利を守ること」だと考えている。

国家についてもう少し掘り下げると、

国家には、決まった範囲の領土があって、その周りに領海を持ち、それらの上に領空を持つ。これが国家の領域(りょういき)である。国家を運営するには、人が必要である。これが国民(こくみん)である。

国家が、領域や国民を支配する権利を、統治権(とうちけん)といい、これが対外的に独立し、どの国の干渉も受けないようになると、主権(しゅけん)となり、主権を持つ主権国家独立国)となる。この主権、領域、国民を国家の三要素と呼ぶ。領域や国民がなければ、国家が成立しないのは分かるだろう。では、主権はどうだろうか。

主権を持たない国家は、どこかの国に属するか、傀儡国家になるしか、選択肢がない、このような場合、当然、現地住民の意思や利益が尊重されるわけがなく、現代の国家は、この主権を持ち、かつ独立し、主権と独立を守ることが重要である。

一番最初に言った防衛は、この主権と独立を守り、かつ国民の安全と生活を守るために行われる。このような背景から、国際法は国の自衛権を保障している。

国内の秩序の維持はどうだろうか。国内の秩序が乱れていて、仮に、他人を殺したり、傷つけたりするような人が居た場合、国民の安全が保たれているとはいえない。国民は、国家の構成員であるから、国民の安全が保たれていないとなると、国家の存立も危うくなるだろう。

一般的な外国の侵略に対する防衛を、対外的な防衛と位置付けるなら、国内の秩序の維持は、国家の存立や国民の安全を守るという共通の目的が存在する以上、対内的な防衛といえよう。

公共事業への投資はどうだろうか。公共事業とは、インフラの整備や、教育、福祉など、国家全般の事業である。道路がなければ、国民は移動することができない。通信ケーブルがなければ、国民はインターネットを利用することができない、教育がなければ、国民は、生活をより豊かにするために勉強することができない。福祉がなければ、国民は自力で生活するしかなく、会社で失敗するなどすれば、事実上死である。

公共事業への投資は、国民の生活の向上を図るために重要なことなのである。

国民の自由と権利を守るというのはどうだろうか。これは、国民の参政権が登場した近代以降に取り入れられた国家の役割であるとの見方が強い。

言論の自由や、国民固有の参政権を保障するのも国家の大切な役割であるといえよう。国民主権の国家であれば、国民が参政権を持っていなかったり、国民以外が参政権を持っていれば、国民だけが「主権」を持つことができない。

同時に、国民の自由と権利の保障は、他の役割にもいえるのではないか。例えば、防衛では、国民の安全が守られていなければ、移動の自由や、幸福追求権などが侵害されているというほかない。

国内の秩序の維持という点でも、やはり移動の自由や幸福追求権との関係が密接といえる。

公共事業への投資という点でも、やはり幸福追求権が出てくる。

国家の役割は、ある程度、相互関係を持っているものといえよう。

国際社会については、国益同士が対立する競争社会であり、国家は、常に生き残りをかけて戦っているという考え方である。

●昔の考え方

家族について言うと、実はほとんど意識したことがなかった。考え方は存在しない。

国家について言うと、小5~中1の時期は、対外主権を守ることの重要性や、防衛の役割ぐらいしか認識がなかった。

国際社会について言うと、小4の時点で、国益同士が対立し合う競争社会的な考え方を持っていた。(※「競争社会」と明確に意識していたわけではないが。)

また、この国際社会の考え方が影響し、国家論も知らず、歴史観で言えば強固な自虐史観に染まっていた小4時代にも、自衛戦力には完全に肯定だったし、憲法第9条はあり得ないという立場だった。

むしろ、今よりも核武装論を強く推し、自民党実質意味なし改憲案(自衛隊の明記)にはがゆさを感じて、「日本軍」の創設を強く望んでいた(9月4日追記、「国防軍は生ぬるい」という立場)。

当時、歴史観や、防衛以外の国家観では、同じ考え方を持っていた左翼の人たちが、防衛を否定するか、やや否定気味だったことに強い疑問を感じていた。

「国益同士が対立し合う競争社会」という国際社会の考え方が影響したのか、自虐史観についても、「植民地支配したことを謝罪しよう」的な態度はとらず、あくまで第二次世界大戦等をめぐる問題は政府が戦争を開始した責任に関する国内問題と考えていた。

「東南アジアに対する侵略」や数々の日本軍の「蛮行」等も、第二次世界大戦を調べていく過程で、一応なんとなく知ってはいたが、あくまで日本軍の倫理観の問題であり、別に国家として、あるいは日本軍の兵士が、東南アジア諸国に謝罪する必要性など微塵もないと考えていた。

この考え方は、国際社会が競争社会であると捉えていたほかに、先祖のした行為を末代まで謝罪し続ける道理はないという意識も背景にあると思われる。

自虐史観に染まっていた点を除けば、現在でも、この考え方を維持したいと思っている。しかし、最近では、特に核武装論や日本軍創設などが弱くなっている。

「植民地」問題についても、その支配の実態が植民地支配とはいえないという史実に執着しすぎたあまり、「植民地」について謝罪するべきではないと考え方を失いかけていた。(最近、国家論や国際法に対する感覚の構築とともに、戻ってきた。)

東南アジア等に関する謝罪問題についても、「侵略」ではないことや、「蛮行」が捏造であることの指摘に執着し過ぎ、根本的に解決済みないし謝罪の必要性がないという事実を忘れかけていた(忘れかけていたせいで、余計に「侵略」ではないことや、「蛮行」が捏造であることの指摘に執着するようになった)。

国家及び国際社会に対する正しい認識をもって、公民教科書問題、歴史教科書問題、歴史問題などを考えていきたいと思う。

この記事は、完全に自分のまとめ的な、メモ的なものなので、拡散等は不要です。

9月4日追記 不思議なのが、当時、国家権力を悪と捉え、警察権力を悪の存在としておきながら、軍隊については良いものとした点である。正義の軍隊、悪の警察という考え方があったのである。今もそうであるが、全く納得していない。政治権力の必要性まで認識するようになっても、やはり警察権力だけは肯定できない。逆に軍隊による治安維持には肯定的である。警察組織に対する強力な不信感がこの考えを生み出したと思われる。

いろいろ考えていくうちに、自身は左翼ではないかと考えるようになったのである。小山常実氏は左翼を「人工主義、平等主義、愛国主義、武力重視主義」と定義している。現状、自身は全て当てはまっている。

また、小山常実氏は「ほとんどの左翼は、国家の本質を軍隊と警察という「暴力装置」の中に見いだし、もっぱらそれらに支えられた権力中心に歴史を理解しようとする。したがって、左翼は、権威と権力の分離という事が理解できないし、そもそも権威自体を理解できない。」とも言っていた。

これもおそらく事実である。実際、小6~中1にかけての保守思想を取り入れる段階で「権威と権力の分離」や「天皇の権威」の部分でつまづいた経緯がある。

「おそらく」となるのは、「権威」の定義が人によって違うためである。今のところ、権威とは、原則として何も言わない権力者であると理解している。そして、緊急時には、そのしまっておいた権力を直接行使するものであると考える。

天皇の権威とは、天皇は平時には一切の権力を行使せず、もっぱら政治権力の承認と法令の公布などの儀礼を行うだけである。しかし、歴史を見ても緊急時には「天皇親政」といった形で権力を直接に行使した時代もあったので、緊急時には権力を行使できると考える。

しかし、国民主権(民主主義)までもを権威と捉える見方もある。これを合わせると、納得がいかない。国民の選挙権は、権威ではなく、間違いなく「権力」である。選挙権だけでなく、請願権も国民が政府に要求する「権力」である。ただし、請願権の方には「権力」といっても、力の行使による強制力(刑罰や地域の排除など)がないので「権威」とみなすこともできるかもしれない。

ちなみに、私は天皇・国民共同主権論者であり、天皇は権威としての主権者であり、国民は権力としての主権者であると考えている。天皇の権威(権力?)とは、政治権力の承認(大臣の任命)と政治権力の行使の承認(法令の裁可)である。国民の権力とは、政治権力の代表者の選択と罷免(選挙)並びに代表者への命令(請願)である。

だいぶ分離できたような気がするが、天皇の方も権力と感じるのは気のせいだろうか。しかし、天皇の政治権力(および政治権力の行使)の承認には、強制力がないから、実質的に無意味だともいえる(儀礼的・慣習的な意味は除いて)。

だとすれば、天皇は主権者ではなくなるし、日本の国体は解体されることになるから、天皇の行為に強制力をもたせるべきではないか。昔、つくったことのある皇室法でも作って、「政府は、天皇の行為に従わなければならない。天皇の行為に従わない国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、罷免する。」と規定すべきか。

いや、そんなことをすれば天皇独裁になってしまう。しかし、よくよく考えると、天皇の行為に「輔弼」が必要とした帝国憲法も、国体に反しているような気がしてしまう。やはり天皇に主権などなく、ただの儀礼的・慣習的な行事のみを行うものなのだろうか。

ちょっと思いついた。

天皇の権力を一体化せずに、天皇の権力行為と形式行為に分離すれば良いのだ。そして、国民の権力との担当表は次のようになる。

●立法

国民

・議員を選定・罷免

天皇

・法律を裁可

●行政

国民

・実際政治の評価

天皇

・大臣を任命

●司法

国民

・裁判官を任命

天皇

・司法権の行使を裁可

このように考えると、行政以外は、国民が、任命権を持ち、天皇が、実際行為の裁可権を持つといえる。行政はその逆である。これら以外の儀礼的・慣習的にすぎない行為のみが輔弼(現行憲法では「助言と承認」)を要するのであると考えられる。

なんだか保守らしくなってきた感じだ。

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【先の大戦の真実】第二次世界大戦は「欧米列強と特亜の日本侵略戦争」だ

2023-07-05 23:42:57 | 教育

※この記事及び題名において「特亜」又は「特定アジア」と表記するものは、第二次世界大戦以前の中華民国、中国大陸の共産党、ソ連当局のことを指す。

先の大戦について、左巻きの人たちは主に「日本の侵略戦争」と位置付けて「太平洋戦争」ないし「アジア太平洋戦争」と呼ぶ。右巻きの人たちは主に「日本の自衛戦争」と位置付ける。私も、この二つに分類するなら右巻きになるのかも知れないが、「日本の自衛戦争」という位置づけはおかしいのではないか。

他の記事でも書いたが、日米戦争は、米国のハル・ノートの押し付けという実質的な侵略行為から始まったし、日中戦争(日華事変)に至っては国民党軍がそそのかし、冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)の保安隊(中国人部隊)が起こした通州大虐殺という明らかな侵略行為から始まった。

他に終盤の日ソ戦争も入るが、ソ連の行為は条約に違反しているので、完全な侵略である。

こうして見ると、左翼の「日本の侵略戦争」は論外だし、「欧米列強と特亜の日本侵略戦争」といえると思う。

いわゆる右派の「日本の自衛戦争」という位置付けは間違いとはいえないが、少し広すぎないか。

「自衛戦争」は、何も対侵略戦争でなくとも、成立し得るものである。

仮に「自衛戦争」的な言い方をするのであれば、「抵抗戦争」ないし「独立死守戦争」という方が適切ではないだろうか。

しかし、やはり「抵抗戦争」も「独立死守戦争」も、今日の国家観が衰退した日本においては、相手が侵略してきたということが分かりにくい。

やはり「欧米列強と特亜の日本侵略戦争」(「特亜」を「特ア」に変えるのもあり。)ないし「欧米列強と特定アジアの日本侵略戦争」と呼ぶ方が適切なのではないだろうか。

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