2010.11.14 東山霊園内の仏舎利塔:郡山市田村町)
11月14日日曜日。きょうは『ふれあいまつり』という地区の行事があり、わたしと“ワイフ君”は係になっていて朝から公民館へ。
『ふれあいまつり』の最後は参加者全員で芋煮を食べながらの親睦会。片付けも終え帰宅して午後2時半、“ワイフ君”を車に乗せて“プチ家庭の日”ということにしました。何処に行くかは内緒のまま、いまこうして磐越東線舞木駅手前の“砂時計のくびれ”みたいな道路を走っています。
“ワイフ君”を連れてやってきたのは、ここ『大安場史跡公園』。わたしは先日ここを“マドンさん”に案内をいただいて自転車で訪れていましたので、“ワイフ君”にもぜひ見せてやりたいと思っていたのです。
古墳を一回りして頂上へ。きょうの本当の目的は史跡公園内にある“ガイダンス施設”を見学することなんです。この建物の形は、ここで発掘された副葬品『腕輪形石製品』を模しているのだそうです。(なるほど!)
先日訪れたときはこの施設内を見ていませんでしたので、せっかくの日曜日の残り時間、“ワイフ君”とここで楽しんで行くことにしました。
施設内を案内してくださっている、ボランティアとおぼしき人たちが数人おりましたから、日曜日のきょうは大勢の見学者があったのだと思います。今はもう午後3時を回っていますから、見学されている方はそう多くありませんでした。
昔の職人さん達もじつに「いい仕事してますね!」
様々な表情、どれもユーモラスで生き生きとしています。当時も小学校があって子供達は図工の時間にこういうものを作っていたのではないでしょうか。
発掘された状態から、大きな丸太をくりぬいた棺にこのような形で埋葬されたものと思われているようです。
館内をひととおり見学し終えて、あらためてこうして古墳を見上げると、じつに感慨深いものがあります。
「うーん、これが今から1,600年前につくられたのか・・・」敷地内を一巡して出だしの駐車場に戻りました。
帰り道は東山霊園内の道路を通過しました。すると大層立派な仏舎利塔が見えました。夕暮れ迫る仏舎利塔は写真でしか見たことのないインドを思わせるような風情がありました。
仏舎利塔の四面には写真のような仏像が納められていました。
今、紅葉は里山まで降りてきて綺麗です。
1,600年前へのタイムトラベル、そして異国インドへの夕闇迫るプチ観光、わがやの“プチ家庭の日”の一コマでした。
11月14日日曜日。きょうは『ふれあいまつり』という地区の行事があり、わたしと“ワイフ君”は係になっていて朝から公民館へ。
『ふれあいまつり』の最後は参加者全員で芋煮を食べながらの親睦会。片付けも終え帰宅して午後2時半、“ワイフ君”を車に乗せて“プチ家庭の日”ということにしました。何処に行くかは内緒のまま、いまこうして磐越東線舞木駅手前の“砂時計のくびれ”みたいな道路を走っています。
“ワイフ君”を連れてやってきたのは、ここ『大安場史跡公園』。わたしは先日ここを“マドンさん”に案内をいただいて自転車で訪れていましたので、“ワイフ君”にもぜひ見せてやりたいと思っていたのです。
古墳を一回りして頂上へ。きょうの本当の目的は史跡公園内にある“ガイダンス施設”を見学することなんです。この建物の形は、ここで発掘された副葬品『腕輪形石製品』を模しているのだそうです。(なるほど!)
先日訪れたときはこの施設内を見ていませんでしたので、せっかくの日曜日の残り時間、“ワイフ君”とここで楽しんで行くことにしました。
施設内を案内してくださっている、ボランティアとおぼしき人たちが数人おりましたから、日曜日のきょうは大勢の見学者があったのだと思います。今はもう午後3時を回っていますから、見学されている方はそう多くありませんでした。
昔の職人さん達もじつに「いい仕事してますね!」
様々な表情、どれもユーモラスで生き生きとしています。当時も小学校があって子供達は図工の時間にこういうものを作っていたのではないでしょうか。
発掘された状態から、大きな丸太をくりぬいた棺にこのような形で埋葬されたものと思われているようです。
館内をひととおり見学し終えて、あらためてこうして古墳を見上げると、じつに感慨深いものがあります。
「うーん、これが今から1,600年前につくられたのか・・・」敷地内を一巡して出だしの駐車場に戻りました。
帰り道は東山霊園内の道路を通過しました。すると大層立派な仏舎利塔が見えました。夕暮れ迫る仏舎利塔は写真でしか見たことのないインドを思わせるような風情がありました。
仏舎利塔の四面には写真のような仏像が納められていました。
今、紅葉は里山まで降りてきて綺麗です。
1,600年前へのタイムトラベル、そして異国インドへの夕闇迫るプチ観光、わがやの“プチ家庭の日”の一コマでした。
磐越東線の砂時計は実家から米沢に向かう時に使うところ。
ずいぶんと狭いところを…クルマとすれ違わなくてラッキーでしたね。
今回はまた心の琴線に迫るところが多い,訪問先ですね。
東山霊園の仏舎利塔は,近くに実家の墓があるものの行ったことがないんです。
もちろん,大安場も。
次回の帰省は是非とも行かなくちゃ!
ご紹介ありがとうございます!
ここはけっこう通る車があるんですが、拡張することをしないですよねえ。しばらく通っていないですが派手な道路標示ができたんですね。
霊園、行ったこと無いですがその仏舎利塔は本物なんですかね?仏舎利は納められていないですよね(?)きっと
東山霊園は墓地公園として形作られているのですね。他には見晴台のようなものがチラッと見えたのですが、時間の都合でそこには行かなかったんです。また今度行ってみようと思います。今回見てきた仏舎利塔は近くに行ってみると大きかったですよ。
“心の琴線”とはいい言葉ですね。今回は新旧の墓地を訪ねる旅でした。なんだか年をとってくると墓地が身近な存在になってくるようです。ハハハ
東山霊園は広大な規模の墓地公園なんです。なにせお客様は30万人の郡山市民ですからね。まだ若木でしたが桜並木もありましたから、これからどんどん見応えのある通りになるでしょうね。
仏舎利は最初は8等分され、容器と残った灰で10カ所に奉納され、その後アショーカ王によって『小分けされて8万余の膨大な寺院に再配布を実施した』なんていうことになっているようですが、ここはごくごく近年になって造られた仏舎利塔ですから、おっしゃる通り本物の仏舎利が納められているなんていうことは無いと思いますよ。まあ釈迦の精神が宿っているということで・・・。
・kojiさんの奥さん「お若い」ですね~
まず驚かされるのは、現代のような工作機械を持たない人たちが、手先の技だけで作り上げた石器類。黒曜石などを叩いてナイフやあんなに小さな矢尻まで作ってしまうんですよね。それに曲玉などに空けた小さな穴。ドリルのない時代に石にあんな小さな穴を空けるなんて、どのぐらいの時間を要したのか。
それに様々な種類の土器。昔から器用な人とそうでない人がいたでしょうから、あれってみんなが作ったんじゃなくて、焼き物屋さんがいたんでしょうね。ひょっとしたら、失敗作を割って捨てたものを、現代人がほじくり出して貼り合わせて展示していたりなんかして・・・ハハハ
“へばなさん”の褒めことば、日本人には殺し文句なんだそうですよ。ちなみにうちの“バアさん”、いや“ワイフ君”は日本人です。ワハハハ・・・
きれいな写真をありがとうございます。
寺院のような形ですね。
私、昔出張で、シリアやドバイにいったころ、よくイスラムの寺院でモスクという建物を見ました。
なんか同じ雰囲気ですね。
ミイラにはビックリです。石膏ですね。
ところで、先週末はサイクリング大会に飛び入りで出走して、宇都宮ブルベ300の御前山コースの紅葉を堪能してきました。
紅葉がまばらでしたがきれいでしたね。一部はたぶんkojiさんの記憶にもあるコースです。帰りには菊も見てきました。
菊の花は国花でもありすばらしかったです。
那珂市の一条院の菊まつりはきれいでした。
これから、浜通りと中通りへ出没する季節が近くなってきましたので、情報収集中です。またよろしくお願いします。
大木をくりぬいて作った棺の中に納められた人物はそれらしい形も無かったんだと思います。ですから石膏で形を作って、おそらくこのような形で埋葬されていたと想像して再現されたものだと思います。大昔の生活に時間旅行するのはとても面白いですね。
ということで、“ききょうやさん”のお越しをインドで・・・じゃなかった、中通りでお待ちしております!