LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

リスボン超豪華クルーズ

2010年04月20日 | スペイン・ポルトガル日記
4/20 夜行バス(リスボン-セビーリャ)


【部屋の窓よりグッモーニン、リスボン】

朝食をとってると昨日ロカ岬で絵を描いていた(一昨日宿で挨拶して顔を覚えてた)日本人の女性Hさんと一緒になりお話しする。彼女は今パリに住んでていろんなところを絵を描きに出かけていてその絵がANAの機内誌に載るとのこと。先日行ったナザレがよかったと教えてもらう。が、朝食食べた後、あまりに窓から見えるリスボンの景色が美しく、また入ってくる風があまりに心地いいので2度寝。12時のチェックアウトギリギリまで寝てしまいナザレ行けず。

サン・ロケ教会近くのMiradouro S Pedro Alcantaraはリスボンの街が見下ろせる絶景ポイント。ここの椅子でまた寝てたら一仕事終えた絵描きの人にまた再会しテージョ川の船から見える景色もいいよ、と教えてもらったので港へ。15ユーロの観光ボートもいいと思ったが、片道85セントのジモッチー用渡し舟で往復することに。



川から見上げるリスボンの街も素晴らしい。10分もしないうちに対岸の町へ。



観光客もいないただの町だが川では釣り糸を垂れている人がいたりしてのんびり。アマゾンの河口もこんな感じなのかな、と勝手に夢馳せてみる。。

1時間ほどボーっとしたあと船でCais do Sodreに戻る。




【リスボンの警官はセグウェイ乗ってます】

宿で荷物を取り7時半にはセッテ・リオスバスターミナルへ。駅でアイス売ってたおばちゃんに余った2ユーロ分(紙のSUIKAみたいなやつ。リスボンのそれは複数人で使用できないと知らず多めに買ってしまい余らせてしまった)のメトロチケット進呈。

20:50セビーリャにむけて夜行バス発車。


中学生のときから行ってみたかった場所へ・・ユーラシア大陸西の果て、ロカ岬

2010年04月19日 | スペイン・ポルトガル日記
4/19 リスボン



レストランで簡単な朝食をとり8時40分外出。まず昨日の朝来たルートを逆に歩きバスターミナルへ行き明日夜行のセビーリャ行きチケットをとる。丁度スペイン三大祭りのひとつ、セビーリャの春祭りとぶつかるためか、明日は夜行しか空いてないと言われる。祭りを狙ったわけじゃないけどたまたまタイミングばっちりで嬉しいことに。

Rossio駅で世界遺産の街シントラまでの列車とロカ岬までのバスの往復チケットのお得セットを購入し10:01発SINTRA行き発車。40分ほどで到着。





雰囲気のいい街を歩き見所を3つほど回り駅へ戻り12:50バスに乗りずっと訪れてみたかった場所へ・・・・。

ポルトガル・ロカ岬。ユーラシア大陸の西の果て。この向こうはアメリカ。中学生の時からこの岬の名前を知りずっと覚えていた。13:30バスの窓から緑の大地の向こうに蒼の大海原が見えてきた。



ああ、これがロカ岬。。地図帳に○してたロカ岬。

茶けた崖の大地に打ち寄せる波、という勝手なイメージとは逆に、緑のじゅうたんにはたくさんの春の花が咲き誇り・・

海は飛行機上空から見ているように全く微動だにせず蒼の濃淡がただただ美しい。なんだかとっても幸せな2時間半をここで過ごす。ユーラシアを東から陸路のみでここまで来れたならその感動の大きさはいかほどであっただろうか。。そう思うとちょっと残念であった。





16:00バスに乗りCASCAISへ。せっかく来たからと街ぶらしてみるがこのあたりはビーチリゾートと思われまだ海で日焼けには早いこの時期まだ閑散としていた。リスボンへ戻る列車の車窓からは右手に長いビーチが見えていた。

リスボン・Cais Do Sodre駅からずっと歩いて宿まで戻った時には午後8時。

セビーリャの宿を検索してみたら案の定、宿代大暴騰。朝5時過ぎセビーリャ着いて暗闇の中さまようのは嫌なので泣く泣く予約を入れた。入れたら入れたで春祭りすごく楽しみになってきた。



ロカ岬、とにかくよかった。地図帳見るのが大好きだった若かりし頃の自分に言ってやりたい。「そこ行ったぞ!!!」

Life is GOOD!!

ポルトガル・リスボン到着。以外にいいとこ・・

2010年04月18日 | スペイン・ポルトガル日記
4/18 リスボン

夜中遅くまで黒人たちは大声でお喋り。それにも負けず眠る。朝6時(スペインとの時差1時間あり。日本と8時間)リスボン到着。目の前がメトロであるがなんと首都のメトロが6時半頃まで開いてなかった。なんで?日曜だから?

宿最寄のメトロで降り予約入れた宿を探す。来るまで知らなかったがリスボンは坂の街。それもかなりきつい。。バックパックが重い。。詳細地図も持っていなかったのでメトロにあったMAPをiphoneで撮影して人に聞きながら探す羽目に。20分ほど歩いてようやく着いたが英語をあまり理解しない夜勤のおじさんが「部屋無い。10時OK」といったので荷物を置いて外に出る。

すぐ隣にカフェが開いていたのでパンとエスプレッソの朝食をとり散歩。歩いていると雨が落ちてきた。だんだん強くなる。ショックなことにゴアテックスのジャケットの中までちょっと雨がしみこんできてた。もしかしてニセモ・・。帰国したら新宿のL-B・・訴えに行くか。



9時半まで雨宿りしサン・ロケ教会を見て10時になったので宿に。高台にあるこの宿の4階(日本でいう5階)の窓から見えるリスボンの景色はサイコーであった。



いまんとこ部屋の窓から見える景色ヨーロッパNo1!(アジアNo1はラオス・バンビエンで泊まった宿)。外はまだ強く雨が降っていたので昼寝。

3時過ぎ街ぶら開始。



ロシオ広場からコメルシオ広場。テージョ川を眺めながらタルトを食べた後サン・ジョルジェ城へ。



城壁に上がってリスボンの街を見下ろす。



リスボンの知識など何も持たないまま来たがこんなに美しい(美しい・・というのとはちょっと感じが違うのだが言葉が思いつかない)街だとは知らなかった。

午後もスコールのような強い雨が落ちてきた。今日たまたまか、場所柄なのかは分からないけど。今日一日ずっと晴れと雨を繰り返す変わりやすい天気。


【うっとうしい雨の後はこんなご褒美も】

今日は日曜日なのでここもレストラン以外はほとんどお休みで活気なく退屈。8時過ぎには宿に戻りネット、ネット、ネット・・。

無料だからGO!ソフィア王妃芸術センターとプラド美術館

2010年04月17日 | スペイン・ポルトガル日記
4/17 夜行バス(マドリッド-リスボン)


【右側が人間。お金をいれると目が開きます】

昼前チェックアウト。今日土曜日は午後から入場料が無料になる美術館があったので訪問。まずは午後2時半から無料のソフィア王妃芸術センターへ。ピカソの「ゲルニカ」を見たが何がすごいのか凡人には全く理解できず。


【ゲルニカの前はたくさんの人だかり】


【作者どおくまんじゃないの?】


【ダリもアリ】

このセンタ-の絵は全体的に興味がわかずあっという間に飽きてしまった(といいつつほとんどまわったけれど)。

有名なプラド美術館は午後6時から無料。ちょっと早めに着いたので石段に横になってちょっと昼寝。6時20分頃には中に入れ8時の閉館まで駆け足でとにかく有名どころを見て回る。(写真撮影禁止のため映像なし)

8時に出てマクドでちょっと食べて宿へ戻り荷物をピックアップ。地下鉄を乗り継いで南バスターミナルへ行き23時発のリスボン行きバスに乗り込む。客の半分以上は黒人。

一日中悩みに悩み来月いったん日本に帰ることにしました

2010年04月16日 | スペイン・ポルトガル日記
4/16 マドリッド

今日は悩みに悩んだ1日。11時頃旅行代理店に行きブエノスアイレス、成田の航空券をいろいろ調べてもらっては外にでてコーヒー飲んで悩み・・を繰り返し3回目の訪問で結局一度日本に帰ることにした。e-チケットもらったときには午後7時を回っていた。こんなに悩んだのは早期退職に手を挙げるかどうか悩んで以来・・とはいいすぎか。。

日本に一旦帰国するメリットと自己満足だけど「世界一周」(ま、定義はいろいろあるけれど)と呼べるルートで旅を完遂させたいという気持ちの大・大・大葛藤であった。最後はもうコイン投げて決めたいぐらいであった。何度かは「ブエノスアイレスでいこ!」と席を立ったんだけど。。

ブエノスアイレス案が強かったとき、南米のガイドブックを日本から送ってもらおうと日本大使館に電話し、そちらに送っていいか聞いたところ、手紙はいいが小包系は何かあったときいろいろ面倒なことになるので扱いませんと返答される。言い分は分からんでもないがほんとお役所仕事丸出しだわね。期待してなかったけど。

実際のところ今、旅生活疲れのピークである。物事に感動しなくなってきているし、なにより時々今どこにいるのか分からないときがある。3つ前に訪れた街がどこだったか覚えてないし。あれ、あの出来事は、あの風景は一体どこだったっけ??ということがよくある今日この頃。これはよろしくない。非日常を楽しむ毎日が完全に日常化し、観光することが宿題化してる。これはいかん。あまりにもったいない。

たまった荷物の整理、心身のリフレッシュをして中南米に出発だ。残りあと1ヶ月弱、ヨーロッパを全力で楽しむことにしよう。もう土産も買ってやる!

夜はグラン・ビアを散歩。人でごったがえすBAR(パン屋でもありハム屋でもある)で生ハムサンドの晩御飯。




【1ユーロ】

スペイン人の夜は遅い。10時過ぎても街は人でいっぱいである。H&MやZARAあたりの店も9時半まで営業している。

ニュース見てたらアイスランドの噴火でフライトキャンセル続出してるらしい。産経新聞はマドリッドの空港の写真を載せていた。

マドリッドつくやいなや幕の内弁当

2010年04月15日 | スペイン・ポルトガル日記
4/15 マドリッド

朝7時半過ぎ起床。最近その町を出るときは晴れる、というルールが今日も当てはまり3日ぶりの快晴。なんでこうなるの。。


【バルセロナ北バスターミナル】

メトロを乗り継ぎ北バスターミナルへ。09:30ALSA社バス発車。内陸の乾いた赤茶けた景色の中をバスは快調に走りほとんどの時間を爆睡。

17時過ぎマドリッド・アベニーダ・デ・アメリカ・バスターミナル到着。今回マドリッドに来たのは観光のためではなくヨーロッパ後の航空券を取るため。直接南米に行くか、一度日本に戻り準備するか明日決めることになる。。

スペイン広場近くに宿を取り、メトロで南バスターミナルへ行き明後日のリスボンまでの夜行バスの切符を取った。とうとうヨーロッパ最後の国ポルトガルがもうすぐそこである。


【プエルタ・デル・ソル】

プエルタ・デル・ソルの広場近くの日本食レストラン「どん底」へ直行。トンカツ定食と幕の内弁当をいただく。ヨーロッパで初めていただく懐かしの味噌汁の味が胃に沁みた。。思えばパリでラーメン、カレーを食べたがいわゆるほんとの日本食ではないことを考えると約2ヶ月ぶりの日本の味であった。最近パン類ばっかりでいい加減飽きた後の米だったので本当おいしかった。



南米行く前に一度日本に帰ろうかとも思っていたが不思議や不思議、お腹いっぱいになったら日本帰らなくてもいいや、と思ってしまった。懐かしきはやっぱ食い物だったのか。

グラン・ビアを歩き宿に10時過ぎ帰還。

カンプ・ノウでバルサ観戦!!!!!

2010年04月14日 | スペイン・ポルトガル日記
4/14 バルセロナ


【バルサ・ナイト!】

8時過ぎ部屋を出てメトロでスペイン広場へ行き09:36カタルーニャ鉄道R5で10:40Montserrat駅下車。そこからロープウェーに乗り霧の中一気に上に上がる。灰白色の奇岩が並ぶ中腹に10分ほどで到着。ここはバルセロナから北西53キロにあるモンセラット。カタルーニャ地方をはじめスペイン各地から巡礼者が訪れるキリスト教の聖地である。



切り立った崖に作られた道を歩きサンタ・コバへ。ここからみえる霧と山の景色は最高であった。雨が今にも降り出しそうな天気ではあったが霧のおかげで荘厳な風景に。午後1時教会堂ではエスコラニアと呼ばれる少年合唱団の美しい歌声を聞く。目を閉じて聞いていたらそのまま眠りに落ちた。。



お昼ごはんは昨日買った34ユーロのセット券に含まれていた。いくつかの中から選べた上、量も多くデザートまでついて満足。

ケーブルカーに乗りサン・ジュアンの展望台へ。雨がポツポツきていたがそれでも素晴らしいパノラマ。この後モンセラット美術館を見て終了。



暇な時間を使って急遽来てみたモンセラットであったがここは大当たり。どことも似ていない景色と過去から脈々と受け継がれてきたキリスト教の歴史と人々の思いが感じられた。

6時頃バルセロナに戻る。スペイン広場駅の地下連絡通路を歩いていたら、後ろを歩いていた相棒が「ちょっとー!!」と走ってきた。なんと背負っているデイパックのチャックを外され中身を物色されそうになったのだ。向こうには去っていく小さな男の後姿が。幸い取られる前に気付き被害はなったが(というか金目のものは入ってなかった)明るい連絡通路で、それも他に人も歩いてる中、堂々とそういうことをする奴がいるという事実にビックリした。そういやホーチミンでもデジカメ取られそうになったことあるな。気を抜くなよと教えられた気がしていい教訓になった。でもちょっと怖い。その後電車に乗っても皆悪そうな顔に見えてしょうがなかった。。。。

カタルーニャ広場で時間を潰した後メトロでCollblancへ。待ちに待ったバルサの試合観戦である。


【バルサ本拠地カンプ・ノウ】





午後10時の試合開始時には10万弱入るカンプ・ノウスタジアムはほぼいっぱいであった。夢のような90分はあっという間にバルサ3-0デポルティボで終了。最初から最後まで楽勝ムード漂い応援自体はなんとなくおとなしく軍隊風応援に恐怖感さえ感じたイタリア・セリエAのほうがすごかったような気がした。(でも4日前のレアル戦はそんなわけもないんだろうけど・・)




【後半アンリ投入に盛り上がる。メッシとの競演】


夜中1時過ぎ宿に戻ってくる。今日は朝からイベント、事件てんこもりで疲れた。。

夜のサグラダ・ファミリア

2010年04月13日 | スペイン・ポルトガル日記
4/13 バルセロナ


【ランブラス通りの怪人が今日は2匹になっていた!!】

11時前チェックアウトし5番メトロで世界遺産にも登録されているサン・パウ病院のあるSant Pau Dos de Maigへ。今日から2泊する宿は窓からこの世界遺産が見えるかなり居心地のいい宿。サグラダ・ファミリアへは歩いて10分もかからない。


【芸術には人を癒す力があるという考えの病院】

北バスターミナルへ行き明後日のマドリッド行きチケットを取り凱旋門経由でカタルーニャ広場へ。今日は雨は降っていなかったものの気温上がらずさすがにTシャツでうろついている人はいなかった。


【凱旋門】

ランブラス界隈を歩いた後宿に戻ってきて休憩した後、サグラダ・ファミリアの夜景を見に行く。こんなすごい建築物を何度も何度も見ることができて幸せである。





CNNで松井がヤンキーススタジアムへ凱旋したニュースをかなりの時間を使って流していた。ヤンキースの選手に囲まれる松井を見てなんかすごく嬉しかった。

もっと旅を楽しむことにした!

2010年04月12日 | スペイン・ポルトガル日記
4/12 バルセロナ


【ランブラス通りの怪人】

昨日の天気から一変、肌寒く今にも降りだしそうな空模様。12月25日神戸から天津に船で渡ってから約100数日、ヨーロッパの旅もあと1ヶ月弱で終わろうとしている。今楽しく?悩んでいるのはこの次の中南米への移動である。スペインから南米に飛ぶか、一度日本に帰り再準備してから飛ぶか、で悩んでいる。一度日本で荷物の整理(デジカメとガイドブック購入等々)をしたい反面、世界一周じゃなくなるような気がしてためらわれる。。

HISバルセロナ支店に行き聞いたところ、成田までの片道航空券は約600ユーロ弱。ブエノスアイレスへの片道も同じような値段であった。ああ、悩む。ちなみに南米のどこに飛ぶかも決めかねてる。ブラジルはビザ取ってないのでいきなりは飛べないし。南米に片道航空券では入れるかどうかも悩みの種である。。

そんなことを考えながら雨のランブラスを歩く。



賑やかなサン・ジュセップ市場ではおいしいイチゴをいただく。ここは果物、スイーツ、肉などが安く売られていて楽しいところである。



港まで歩きまた戻る。途中相棒がちょっと遅い誕生日プレゼントを買ってくれた。それはドイツでも欲しそうに眺めていたもの。そんなに高いものじゃないけど少ない貯金の中からプレゼントしてくれたことが嬉しかった。これからの旅のお供としてずっと持ち続けるよ~。



初日入ったレストランで晩御飯。9時過ぎ宿に戻ってからはずっとネットでいろんな調べ物。検索しているといろんな旅人のHPにヒットしついつい読み始めてしまう。

純粋に旅を楽しんでいる旅人の日記を読み、俺ももっと心からこの旅を楽しまんといかんな~と思った。旅が終わった後のことを心配するのはちょっと止めて、もしかしたら人生のひとつのハイライトであるこの瞬間をもっと想い出深くなるよう前向きに・・前向きに。

今は夜中の2時前。午後ずっと降り続いていた雨も上がったようだ。明日の天気予報は曇り。明後日は晴れ!

バルセロナをバスでグルグルまわりまくり

2010年04月11日 | スペイン・ポルトガル日記
4/11 バルセロナ


【朝夕冷えても日中はもう夏。太陽が眩しい】

10時部屋を出てカサ・バトリョ前から引き続き観光周遊バスに乗る。昨日も乗ったレッドラインでまずはモンジュイック界隈を一周。




【コロンブスの塔】

続いてグリーンラインでビーチサイドを周り・・



最後に再度ブルーラインで北側を。今日一日で全路線制覇。これで元はとっただろ。(これは元を取るのに四苦八苦したアムステルダムカード、パリ・ミュージアムパスへの後悔がある・・)

いつもケチってこういう前払いパス系は買わずに自分の足でつないでいくけど、こういうのもアリだと思った。自力だったら絶対行かないようなところも行けて”以外”にいいものに出会えたりする。もちろん値段と街のおおきさにもよるけど。

途中サグラダファミリア(KFCでランチを取るため・・)で下車。


【おじさんがこんなところに座っていた・・】

あとグエル公園で下車。ガウディも住んでいたグエル公園はかなりの人出。バルセロナの街の向こうは青い海まで見えてなかなかのもんである。





今日は日曜なのでほとんどのお店はクローズ。パンを買い込んで午後8時過ぎ宿に戻ってきた。