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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2006.08.05 19 夢想権之助神社

2006-08-16 02:37:07 | 中国、四国、九州
 竃門神社境内にある末社です。





 よくわかりませんが、そういうことだそうです!
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2006.08.05 18 竃門神社

2006-08-15 08:15:26 | 中国、四国、九州
 さて、大宰府をあとにすることになったわけですが・・・・
 当初は石穴神社へ行くはずであったのが、竃門神社が『縁結び』と聞き、Hのたっての願いで、少し山手にあるこの神社へ先によることとなったのです。
 ちょうど、着いた時に若者の3人連れもおりましたが・・・・ 三角関係?



 この階段を登ったところに、 その昔、中国へ留学僧として渡っていった最澄さんに所縁のある寺の跡といわれているところがござります。



 さらに進みます。
と、でっかい石が????



 そして、神社、本殿までラストの階段ですじゃ!



 どーん!



 まだ、七夕の短冊かい!!! ええ、ただ今撤去作業中! という状態であった・・・・ そういえば、昔行った榛原を思い出すなあ・・・・ 



 さて、いつものようにこの4人は長らくお祈りに入るそうだ・・・・
 私は、写真だけなのでまったく祈祷などには縁がないのでこの間は撮影が終わると非常に暇だったりします!



 しかし、暑かった・・・・ 大阪ほどではないが・・・・

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2006.08.05 17 太宰府天満宮3

2006-08-13 21:27:00 | 中国、四国、九州
 さて、また本殿に戻ってきました。

 M子師匠は、お神酒を買いに行きました。
 面白いことにこちらではお神酒は梅酒なのです。

 その間に、祈祷中の写真を!



 で、皆さんも買い物等も終わったので帰る前に写真を撮ってもらった。



 そして・・・・・
 車へと向かうのだが・・・・



 最後は灯篭の上に鯱???
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2006.08.05 16 天開稲荷社

2006-08-13 21:19:21 | 中国、四国、九州


 天満さんの末社に当たります。

 ところで大きな疑問。 なぜ、所々で狐が祭られているのか?なぜ、他の動物は祭られていないのか??? 

 事実は、稲荷は狐ではない。狐は稲荷大神の眷族に過ぎないと、伏見稲荷のHPにもある。狐と同一視するきっかけとなる理由はいくつか存在している。

 稲荷の主祭神ウカノミタマは御饌津神(ミケツカミ)とも同一視されるが、古語で「ケツ」が狐を指していたことから、「三狐神(ミケツカミ)」と付会された。 ということは、本来狐ではないのではないか???

 信仰のベースには田の神信仰があったが、田の神の使いは狼、その狼が狐に変化して狐への信仰が起きた。つまり、本来は狼ではないのか???

 空海が稲荷をダキニ天と習合したことから、ダキニ天の乗っている狐がダキニ天自身と同一視され、超人的な力を持つ狐への信仰が起きた。弘法大師のせいかよ!!

 ところで、「三狐神(ミケツカミ)」とは天狐、地狐、人狐を指すらしい。しかも古代の日本人は音が通じれば意味も通じると考えていたみたいだ。

 そう、現実問題音の問題で狐になっただけで、実はウカノミタマは、古代日本神話に登場する穀物と豊穣の神様で、『古事記』ではスサノオとクシナダ姫との間に生まれたことになっている神様である。



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2006.08.05 15 相輪とう

2006-08-13 21:12:13 | 中国、四国、九州



 そっか、最澄さん、帰りにここにも来たんだねえ・・・ そりゃあ、留学僧だったものねえ。
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2006.08.05 14 天穂日命社

2006-08-13 21:10:07 | 中国、四国、九州


御祭神:天穂日命

菅原家の祖先は土師氏であり、その祖先神が天穂日命です。つまり天神さまの祖先神ということになります。天穂日命は、天照大御神とスサノオノミコトとの誓約(うけい)によってお生まれになったお神さまです。スサノオノミコトが天照大御神に、自分に穢れた心がなく、清い心であることを誓約によって証明したいと申し上げました。 すると、天照大御神はスサノオノミコトの十挙剣(とつかのつるぎ)を貰い受け、その剣から三柱の女神(宗像三女神)がお生まれになられました。また、スサノオノミコトは天照大御神の「ミスマルの珠」を貰い受け、その玉から五柱の男神がお生まれになり、心の潔白を証明されました。このとき二番目にお生まれになったお神さまが天穂日命です。
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2006.08.05 13 中島神社

2006-08-13 21:07:09 | 中国、四国、九州


 実はお菓子の神様の神社にて候!
 太宰府天満宮の境内にあります。


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2006.08.05 12 飛梅伝説

2006-08-13 21:03:01 | 中国、四国、九州


 有名な飛梅の前です。
 左から M子師匠、O、H先生、Mちゃんです。

 901年(昌泰4)、時の右大臣であった菅原道真は、藤原氏の陰謀により突如大宰権帥に左遷されることになりました。いよいよ故郷である都を離れる日、幼い頃より親しんできた紅梅殿の梅に、 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ と詠いかけました。あるじ(道真)を慕った梅は、道真が太宰府に着くと、一夜のうちに大宰府の道真の元へ飛んで来たといわれています。 これが有名な飛梅伝説ですが、もうひとつ別なお話があります。 伊勢度会(わたらい)の社人、白太夫という人が、道真を慕って大宰府に下る折、都の道真の邸宅に立ち寄り、夫人の便りとともに庭の梅を根分けして持ってきたそうです。道真は都から取り寄せたことをふせて、「梅が飛んできた」ということにした、ともいわれています。飛梅は、もともと道真の配所であった榎社にありましたが、太宰府天満宮の造営後、本殿横の現在の場所に移されました。
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2006.08.05 11 太宰府天満宮2

2006-08-13 20:45:14 | 中国、四国、九州
 さて、太宰府天満宮の楼門ですねえ。



 菅原道真公は、非常に学才のあった人なので、藤原氏によって太宰権帥にされ、左遷されたこの地で、死後学問の神様として祀られているのですねえ。

 こちらは、楼門前の狛犬であります。



 こちらは、楼門を越えてすぐにある狛犬になります。そしてその脇にある池には鯉が泳いでいるのだ。



 さて左側を見るとお守りやら売っているところが・・・・



 さてここで、太宰府天満宮のofficial HPより、由緒を抜粋!


 太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらみちざね)公(菅公)の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する神社で、「学問の神」「至誠の神」として世の崇敬を集めています。

 延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬りました。京より追従した、門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(しびょう)を創建、次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、延喜19年に御社殿を建立しました。

 醍醐天皇は大いに菅公の生前の忠誠を追懐されて、延長元年(923)に本官を復されました。そして、一条天皇正暦4年(993)には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大自在天神(天神さま)と崇められました。その後、度重なる勅使の下向があり、22社に準ぜられました。

 明治4年、国幣小社に、同15年には官幣小社、同28年には官幣中社に社格を進められ、天神さまの聖廟(せいびょう)の地と称えられて年間700万余の参拝があり、日本全国より尊崇を集めています。

 では、本殿です。



 
 そして本殿前の狛犬。

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2006.08.05 10 太宰府天満宮1

2006-08-11 08:24:15 | 中国、四国、九州
1.今王社



 立て札もなく、HPにも何も書かれていずに詳細不明です。
 MちゃんとHが拝んでます。

2.志賀社



「心字池の畔にある社で、海の神綿津見(わたつみ)三神を奉祀しています。長禄2年(1459)建立されたといわれ、精巧なつくりと変化のある屋根等全体としては美しい工芸品ともいうべきであり、国の重要文化財に指定されています。」

3.太鼓橋の上から




4.楓社



「御祭神:菅公北方宣来子

心字池にかかる太鼓橋を渡ると、大きな鳥居があり、その右手奥に楓社があります。社殿の形式は一間社流造、銅板葺で杉の白木造です。当宮所蔵の室町期の境内図には「楓宮」として記載されていることから、かなり古くから奉祀されていたことがわかります。また、古くは、妊婦が出産間近になって神官に頼んで楓社の御扉を開けてもらい燈明をお供えしてお参りをすると安産をするという信仰があったとも伝えられています。
菅原道真公は貞観17(876)年、父是善公の門人であった島田忠臣公の娘、宣来子(のぶきこ)さまを妻として迎えました。道真公30歳の時でした。宣来子さまについてはほとんど資料が残っていないため詳しい人物像や生没年月日などについては不明ですが、お二人の間にはたくさんのお子さまたちに恵まれました。お子さま方はお二人の深い愛情により育てられ、その後学者として官人としてそれぞれ立派に活躍されました。延喜元年(901)、道真公が無実の罪により遠く大宰府へ左遷されることとなり、家族みなすべてが離散を強いられました。そのような辛い状況にありながらも、お二人は互いに気遣い相手の身の上を案じられていました。道真公が謫居中に詠まれた次の御詩からも宣来子さまと道真公のそのような互いを想い合う心境を拝察することができます。(天満宮公式HPより)」

5.人丸社



 祭神 柿本人麻呂
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2006.08.05 10 延寿王院

2006-08-11 03:31:45 | 中国、四国、九州
 太宰府天満宮の石鳥居をくぐったら正面に延寿王院が見えます。




『安楽寺天満宮留守別当大鳥居家の宿坊で、宝暦4年(1754)桃園天皇より院号を賜りました。現在、西高辻宮司邸であり、幕末、尊皇攘夷派の三条実美ら朝廷を追われた5人の公卿が滞在し、その間、西郷隆盛・高杉晋作ら大勢の勤皇の志士らが出入りするなど明治維新の策源地となりました。(立て札より)』

 現在は宮司さんが住んでいるのかな?
 とりあえず、中には入れないので外から写真だけ撮らせてもらいました。

 こぎれいな感じで、天気もよかったので見映えもよく感じましたね。
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2006.08.05 9 太宰府天満宮石鳥居

2006-08-11 02:23:29 | 中国、四国、九州



 とうとう太宰府天満宮へと到着いたしました。
 梅のまんじゅう(餅)の土産を売っている店が並んでいる・・・・

 そっか、飛び梅で有名なんだねえ。

 この鳥居は九州最古だそうですねえ。
 新田大炊介ですか??? 南北朝時代・・・・ 
 官名からして新田義貞の血を引くものでしょうか???
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2006.08.05 8 宇美八幡宮4

2006-08-11 02:09:27 | 中国、四国、九州
1.子安石




 一番素晴らしかったものです。 
 しかし、なかなか面白い風習だなあ、と思いますねえ。

2.湯方神社



 誉田別が生まれるときに助産を奉仕された神を祀るらしい。

3.衣掛の森




4.石像



 神功皇后と誉田別大王?

5.湯蓋の森



6.最後に本殿


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2006.08.05 7 宇美八幡宮3

2006-08-09 18:41:42 | 中国、四国、九州


 宇美八幡宮の聖母堂です。権現の母に当たるので、神功皇后を祭っているということになります。キリスト教でジーザスは聖母マリアが処女受胎して産まれて来たこという話がありますが、この誉田別大王(応神天皇)は神功皇后の母体にいたときから、胎内天皇であったというわけわからぬ伝承のある方なのです。まあ、それが聖母の由縁なのか???ちなみに私は、何度も言いますが、仲哀と神功は実在していないと考えています。

 ただ、個人的に小さな社は古くて気に入りました。というか、神社の屋根の形がすきなのです・・・

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2006.08.05 6 宇美八幡宮2

2006-08-09 00:34:24 | 中国、四国、九州
 さて、宇美八幡宮の続き・・・・



 いつも思うのであるが、大きな神社にはなぜこうも狛犬が多いのか・・・・

 本殿の前の門の前に2対もある・・・・

 鳥居の前と本殿の前だけでは駄目なのだろうか???





 結構史跡として指定されているようだね・・・

 まあ、とりあえず、ようやく本殿に到着!



 部活に行く途中なのか試合前なのか女子中学生が数名神社に来ておりました。




 これらは別の角度から。

 宇美八幡宮についてはHPによると・・・
「 ご創建はきわめて古く、当宮に伝わります「伝子孫書」によれば「敏達天皇三年甲午筑紫の蚊田の邑に始めて宮柱太敷建給う。」とあります。平安時代には石清水八幡宮と本末関係にあり安産祈願の守護神として信仰されておりました。江戸時代以降は福岡藩主黒田公より社殿の修復、神領の寄進等がなされ、明治五年村社に列格、明治二十四年には県社に昇格しました。」 とのこと。




 八幡神の大親分の宇佐八幡に行きたいものですなあ・・・・

(つづく)
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