2007年大晦日の佐助師匠です。
昨2006年9月9日、なんかの用事で実家に帰ったときのものですな。
うちのサスケ師匠ですわ。
出来の悪いやつですが、一応血統書つきらしい。
うちのサスケ師匠ですわ。
出来の悪いやつですが、一応血統書つきらしい。
先週の金曜日7月28日に職場で窓から空を見ると、龍の姿が・・・
すげえ・・・・・
雲龍の頭が雲から出てきておりますなあ・・・・
しかも耳の上に鳥がとまっているような姿が見えますが・・・・
ああ、25から26日にかけての夜中に息を引き取った弟のムックを龍神様が空高く飛ばしてくれてるのかもしれませんな・・・・
息を引き取る2日前の元気なムックの羽ばたく姿です・・・・
ところで、この日は綺麗な入道雲もありましたよ....
すげえ・・・・・
雲龍の頭が雲から出てきておりますなあ・・・・
しかも耳の上に鳥がとまっているような姿が見えますが・・・・
ああ、25から26日にかけての夜中に息を引き取った弟のムックを龍神様が空高く飛ばしてくれてるのかもしれませんな・・・・
息を引き取る2日前の元気なムックの羽ばたく姿です・・・・
ところで、この日は綺麗な入道雲もありましたよ....
短い間だったが家族の一員になってくれたモズの雛鳥。
モズは知らなかったが、猛禽類だったんだねえ。 多分、バッタを食べたときはとっても嬉しかったんだろう・・・・ でもやはり、農薬とか害虫駆除の薬が撒かれていないところでのものしかやはり危険だ・・・・
もうすこし成長して強くなっていたら・・・
空に羽ばたけたんだけどねえ。
昨日、我が家のペットの先輩たちの眠る地にムックも供養されていったと思います。
こいつはわが実家では三代目となる犬ころの佐助。
初代は黒い雑種のクマという、おそらく最も利口であった犬だ。小学生の頃から、高校二年生くらいまで生きていたのだが、最期は残念ながらフィラリアで世を去ることになった。
そして二代目は柴犬の弁慶。散歩が好きで、人々に愛されていたちょっと間抜けな可愛い犬であったが、軌道の周りを硬い悪性腫瘍で被われ、手術をしたが最期は傷口から血を噴出しこの世を去った。痰を吐けなかったのが原因で、排痰をしてあげたのだが、するのが遅かったのかもしれない。最後はいちばん世話をしてくれていた父を探したのであるが外出中であったために神棚の前を死地に選び最期は私の腕の中で目を閉じた・・・・
その翌年は同じ場所で十八年生きたハナという猫が永眠し、しばらくペットはいなかったのであるが、三代目として、佐助がこの家にやってきたのだ。
おかげで、とても可愛がられているのだが、なかなか、こいつは私が家に帰ると喜んで飛び掛ってくるのでかわいらしいものだ。
この写真は今年の四月始め・・・大体一歳半の頃の写真である。
初代は黒い雑種のクマという、おそらく最も利口であった犬だ。小学生の頃から、高校二年生くらいまで生きていたのだが、最期は残念ながらフィラリアで世を去ることになった。
そして二代目は柴犬の弁慶。散歩が好きで、人々に愛されていたちょっと間抜けな可愛い犬であったが、軌道の周りを硬い悪性腫瘍で被われ、手術をしたが最期は傷口から血を噴出しこの世を去った。痰を吐けなかったのが原因で、排痰をしてあげたのだが、するのが遅かったのかもしれない。最後はいちばん世話をしてくれていた父を探したのであるが外出中であったために神棚の前を死地に選び最期は私の腕の中で目を閉じた・・・・
その翌年は同じ場所で十八年生きたハナという猫が永眠し、しばらくペットはいなかったのであるが、三代目として、佐助がこの家にやってきたのだ。
おかげで、とても可愛がられているのだが、なかなか、こいつは私が家に帰ると喜んで飛び掛ってくるのでかわいらしいものだ。
この写真は今年の四月始め・・・大体一歳半の頃の写真である。
これは、私が実家を去る前にムックと遊んであげていたときに撮った写真。カメラの紐が気に入ったのか一生懸命に引っ張っていたねえ。
この頃は、我々を家族だと思っていたんだろうね・・・・
いや、短い間ですが家族でしたね。
しかし、彼らの目を見ていると、純粋なつぶらな瞳で・・・・
人間というものはどこまで汚れていっているのか、と思ってしまう。
知恵を持ち、道具を使うことを覚え、新しいものを想像していく力を持つということはまた我々自身にとっても大きな害があるんだねえ・・・・
恥を知ります。
先ほど、母親から携帯にメールが入ってきた。
1ヶ月ほど前に犬の散歩中に捕獲したモズの雛鳥が先ほど息を引き取ったということであった。もしこのとき捕獲されていなければ、空を飛ぶことなく、猫か何か他の動物により、おそらく落命していたと思う。残酷なようであるが、それは自然の掟である。 しかし、わたくしの親は引き取って療養させようという道を選んだようであった。野鳥で、将来空に放つ予定であったために、餌も自分で食べさせなければいけなく、買ってきたワームを食べさせていた。
このムックとはじめてあったのは、わたくしの誕生日前後に実家に帰ったときであったが、この頃はまだ人に慣れていずに触った記憶もない。前回に掲載した写真を撮っただけだ。実は今回、従弟の結婚式のために帰った週の頭くらいから飛べなくなっており(肩の炎症だったようだ)、餌も食べなくなり弱りつつあったと聞くが、自分がいた日はすごく元気であった。この日もいつものようにたくさんのワームを食べた上に、父がとってきたバッタもとても嬉しそうに初体験して喜んでいた。その後、父のほうへいったのを鑑みるととてもおいしかったのだろう。そして、その後私は大阪へと帰ってきたのであるが、母のメールによれば、よく月曜日から鳥かごにうずくまって動かなくなったそうだ。獣医にも見てもらったが、おそらく栄養失調で栄養を吸収する機能が不全だったのかもしれない、とのことだった。とすれば、消化吸収の問題だ。だが、自分は、死んだ話を聞いたときに、ある種の疑念を抱いた。 「バッタ」かもしれない。そうだ、近くにはまだ田圃もあり、草木も生えている。農家の人たちが薬品をまいていてもおかしくないのだ。バッタは生きていたけれども、もしそうであったとしたら、このムックの小さな体には強すぎたのかもしれない。そうだよな、水田にも今までいてた生き物もいなくなるくらいの薬品だ・・・・ あの蛇でも死ぬ時代だ・・・・ この可愛いムックには・・・ もしそうだとしたら、この死ぬまでの二日間はものすごく苦しかったに違いない。そう思うと、涙が出て止まらないよ・・・・・
ほんの二日前の日曜日は、やっと人に慣れて、私が部屋ではなしてあげたときにあの細い足でひょこひょこと跳ねて、周りにきて、カメラの紐をつついて楽しそうにして遊んでいたし、元気も出てきて鳴き声も大きくなってきたところだったからね・・・・ ただ、ムックがその短かった一生の中で少しでも幸せな時間があったことを切に願うばかりである。
私は、あまり人の死に対しては、最近はまあ冷たいようではあるがあまり悲しみなどを感じなくなってきている(まだ言葉も話せない小さな子どもたちについては別だが)、いや、以前からそうかもしれない。だが、我々の言葉を話せなく、その最期の苦しみ、死への恐怖も我々に伝えることの出来ない動物たちには、常に深くEmpathyを感じ、涙を流す。でも、おそらく我々が悲しく思うほども、彼らは悩まずに、その自然の摂理というものを覚悟してはじめから生きているのだろう。
ただ、もう一度、手の上に乗せてあげたく思い、もう一度、ムックの鳴き声を聞きたく思う。天理教的にいえば、魂は自分のものであるが、その今世での肉体は神から借りているものである。ムックはまた新しい体を親神様より与えられて、新しい命を生きて行くに違いない。天理教徒ではない(天理中学出身なんで教義は学んでいる)が、ムックのためにそう願ってあげたい。そして、
ムック、次に生まれてくるときは、空高く羽ばたくんだぞ!
トップにある写真は、この日曜日、ピーピーいいながら羽根をパタパタさせていた(おそらく甘えていたんだろう)時の写真だ。わが職場にも貼っている非常にかわいらしい写真だ。
そしてこちらは撮影中に動きを止めずにぶれた、動を感じる写真です。
実家の庭には、2002年春に亡くなった柴犬の弁慶と2003年に大往生を遂げた猫のハナの喉仏が眠るのだが、ムックもそこで眠ることになりました・・・・