警固神社をあとにして、Hの運転で宇美町にある宇美八幡宮へと向かうこととなった。
宇美の語源は「産み」であり、ここで仲哀天皇の后である神功皇后が応神天皇を産んだところという伝説に基づいている。まあ、現実問題この仲哀天皇と神功皇后は歴史上、その実在性が疑われている方々であるためにこの応神天皇の存在をも否定する向きがあるくらいだ。
個人的見解からいうと、応神王朝は朝鮮半島からの騎馬民族ではないのか、と考えるので、九州へやってきた誉田別大王を崇神王朝と結びつけるために作った話だと考えている。まあ、それは横において置き、旅の報告。
まずは、宇美八幡宮の境内図。

まず最初の鳥居は写真を撮ってないので、狛犬さんです。


阿吽の狛犬、その保存状態が違うところから・・・・
結構太陽の影響があるんだろうなあ、と思ってしまう・・・・
そして、元禄の鳥居を通しての境内の姿。

この写真から、この宇美八幡宮の雰囲気などが伝わってきますか?
(つづく)
宇美の語源は「産み」であり、ここで仲哀天皇の后である神功皇后が応神天皇を産んだところという伝説に基づいている。まあ、現実問題この仲哀天皇と神功皇后は歴史上、その実在性が疑われている方々であるためにこの応神天皇の存在をも否定する向きがあるくらいだ。
個人的見解からいうと、応神王朝は朝鮮半島からの騎馬民族ではないのか、と考えるので、九州へやってきた誉田別大王を崇神王朝と結びつけるために作った話だと考えている。まあ、それは横において置き、旅の報告。
まずは、宇美八幡宮の境内図。

まず最初の鳥居は写真を撮ってないので、狛犬さんです。


阿吽の狛犬、その保存状態が違うところから・・・・
結構太陽の影響があるんだろうなあ、と思ってしまう・・・・
そして、元禄の鳥居を通しての境内の姿。

この写真から、この宇美八幡宮の雰囲気などが伝わってきますか?
(つづく)