((旅程))
1.龍御前神社 → 2.石見國一之宮物部神社
→ 3.出雲國一之宮出雲大社・出雲大社教本部 → 4.美保神社
→ 5.松江城 → 6.出雲國一之宮熊野大社 → 7.神魂神社
→ 8.月山富田城
〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓
月山富田城の麓に道の駅があるのだが、トイレがてらによるとなんやら
説明板らしき立て札を発見した。
尼子興久の墓であった。彼は、名将尼子経久の三男、長兄政久が若くして
戦死し、その嫡男晴久(尼子を滅亡に追い込む凡庸な当主と後になる)に叔父
義勝が後見になっている状態。次兄国久は武勇の誉れ高き『新宮党』を率いて
いた。三男の興久は父より三千貫の領地を与えられたのだが不服だったらしく、
反乱を起こすにいたる。ちなみに興久も武勇に優れていたそうだ。老臣の
亀井秀綱を介して父経久へ七百貫の所領増加を申し出るが断られ、秀綱及び
経久に対して謀叛、岳父である備後甲山城主山内直通を頼るも1534年遂に自害。
この墓に行った瞬間にM子師匠は霊が来たといい、急に体中に痛みを感じ始め
数日苦しんでいたようだ。なぜか私が責められることになったが、そういう
問題ではないであろう。私は何も感じていないのだから。
ま、いずれにせよ、旅はここで終わり、17時過ぎから帰り始めるも雪で山陰道
一部通行止め、国道9号線は積雪。母の車は、ノーマルタイヤで溝もない状態・・・(買い換えろよ) ということで、ガソリンスタンドで4輪とも
スタッドレスに変えて頂いた。鳥取の若桜から兵庫に入るところなど、結構
大変だったが、午前二時ごろ無事奈良に到着し、休むことに。
そして、出雲の旅は終わった・・・
1.龍御前神社 → 2.石見國一之宮物部神社
→ 3.出雲國一之宮出雲大社・出雲大社教本部 → 4.美保神社
→ 5.松江城 → 6.出雲國一之宮熊野大社 → 7.神魂神社
→ 8.月山富田城
〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓★〓
月山富田城の麓に道の駅があるのだが、トイレがてらによるとなんやら
説明板らしき立て札を発見した。
尼子興久の墓であった。彼は、名将尼子経久の三男、長兄政久が若くして
戦死し、その嫡男晴久(尼子を滅亡に追い込む凡庸な当主と後になる)に叔父
義勝が後見になっている状態。次兄国久は武勇の誉れ高き『新宮党』を率いて
いた。三男の興久は父より三千貫の領地を与えられたのだが不服だったらしく、
反乱を起こすにいたる。ちなみに興久も武勇に優れていたそうだ。老臣の
亀井秀綱を介して父経久へ七百貫の所領増加を申し出るが断られ、秀綱及び
経久に対して謀叛、岳父である備後甲山城主山内直通を頼るも1534年遂に自害。
この墓に行った瞬間にM子師匠は霊が来たといい、急に体中に痛みを感じ始め
数日苦しんでいたようだ。なぜか私が責められることになったが、そういう
問題ではないであろう。私は何も感じていないのだから。
ま、いずれにせよ、旅はここで終わり、17時過ぎから帰り始めるも雪で山陰道
一部通行止め、国道9号線は積雪。母の車は、ノーマルタイヤで溝もない状態・・・(買い換えろよ) ということで、ガソリンスタンドで4輪とも
スタッドレスに変えて頂いた。鳥取の若桜から兵庫に入るところなど、結構
大変だったが、午前二時ごろ無事奈良に到着し、休むことに。
そして、出雲の旅は終わった・・・