筑前一ノ宮住吉神社本殿へと向かいました。
まだ薄暗い時間帯でした・・・・
どうやら、説明を読んでいると、住吉の名を冠する神社でも元も古い神社であるという話などが残っていたりするそうであるが、なぜ、住吉神社の親元が大阪の住吉大社になったのかが疑問だ・・・・ 地域と力の問題であったのであろうか? 政治的な問題であったのか?
さて、門をくぐろう・・・・・
空はまだこのような状態だ・・・・
拝殿もまだ薄暗く見える・・・・
境内には鐘が吊られている・・・・
さて、前を見よう!
1623年に黒田長政が再建したらしい本殿。住吉造りで国指定重要文化財だそうだ・・・・・
『ウェキピデア』によると・・・・
「住吉神社(すみよしじんじゃ)は、福岡市博多区にある神社である。式内社(名神大)、筑前国一宮で、旧社格は官幣小社。
住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)を主祭神とし、天照皇大神・神功皇后を配祀する。日本全国に約二千社ある住吉三神を祀る神社の中で最も古い神社であるとされ、古書には「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されている。ただし、全国の住吉神社の総本社は大阪の住吉大社である。大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社の三社が日本三大住吉とされる。
創建年代は不詳であるが、神社の縁起では、日本神話の神産みの段、黄泉から帰還した伊弉諾尊が禊祓を行った「筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原」が住吉神社の地であるとし、その禊祓で住吉三神などが生まれたので当社が住吉神社の始源であるとしている。国史では、『続日本紀』の天平9年(737年)4月1日条に筑紫住吉などに使いを遣わしたとあるのが初出である。延喜式神名帳では「筑前国那珂郡 住吉神社三座 並名神大」と記載されている。
現在の本殿は黒田長政が元和9年(1623年)に再建したもので、国の重要文化財に指定されている。」
ということだ・・・