熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

2007年5月1日 8 洲本八幡神社境内

2008-11-23 23:43:12 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************
1.柴右衛門大明神社

 洲本八幡神社境内にあり、八幡神社本社に向かって左側に赤く目立つ建物があり、それが柴右衛門大明神社。




★柴右衛門大明神社★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

・元大阪中座に人気の神、芸能の神、商売繁盛の神としてお祀りされて、片岡仁左衛門、藤山寛美さん達の役者や関係者に大事に
お祀りされてきたという。
・平成11年中座の閉館と共に里帰りし、この地に祀られているらしい。
・淡路狸の頭領であり、日本三名狸に数えられピアノ上達など芸事の神様として崇敬を受けている。


2.末社の一つ



 名称を見てこなかった・・・ ミステイク

3.国端彦護国神社




★国端彦護国神社★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

・藩主蜂須賀家の守護神として阿波から分祀された由緒ある神社が最初。
・現在は地元出身の戦没者を合祀し国端彦護国神社となった。
・宝物庫には藩主や稲田城代家老の使用した鎧や兜などが多数保管されている。
・ちなみに、稲田騒動により淡路島は徳島から兵庫になる原因を作った。

4.金天閣



★金天閣★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

 兵庫県指定文化財

・寛永十八年(1641)、阿波藩主蜂須賀至鎮三熊山北麓の洲本城内に建てたと伝える。
・江戸初期の書院造。
・明治以降の数度の移築の中で改変の跡が残るが内部はほぼ初期のままと言う。

5.境内から見る洲本城




6.山藤



7.この日最後のM子師匠





 この後、通りすがりの店で淡路のたまねぎを大量に買い、また両親への土産を適度に買い、実家に帰ったのだ。

2007年5月1日 7 洲本八幡神社

2008-11-23 23:43:02 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 さらに、洲本城のある三熊山麓にある洲本八幡神社へといった。境内の前には足湯もあり、面白そうな
ところであった。また、お守りに釣り針の入ったものもあり、ユニークな発見があった。

 では、境内の写真から始めよう。

1.石鳥居



 昨今は、経済的にも苦しいためか神社の境内に月極駐車場を作るところも少なくない。この洲本八幡神社も
同様のようであった。

2.手水舎



 小さな龍だ。

3.隨身門と神木「楠」



 隨身門の脇にある神木楠は兵庫県下第4番の巨木らしい。

4.拝殿




5.神龍



 心清き人には見えるでしょう。

6.本殿





★洲本八幡神社★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

・淳仁天皇(淡路廃帝)のご創祀と伝わる。
・淡路州神と言われ、江戸時代には徳島藩主蜂須賀氏、洲本城代稲田氏の祈願所として淡路の国の安寧
 が祈られた。
・洲本の氏神として、開運導きの神、災い除けの神として信仰を集める。

2007年5月1日 6 淡路國洲本城跡③

2008-11-23 23:42:51 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

(続き)

8.天守台から見る洲本の海




9.模擬天守閣



 M子師匠の雄姿です。



 そしてそれがし。



 さらに西の丸方面へと行く通路があったので西の丸を目指した。

10.天守台から西の丸への道

 そこからみる天守閣。



 そして、M子師匠。




11.籾蔵跡




12.そして、西の丸への階段



 格好つけているM子師匠だ。



 そして、わしじゃ。



13.西の丸跡





14.南の丸跡




15.南の丸隅櫓跡




16.最後はサイバーショットで撮ったいけてない模擬天守




★洲本城跡★ 兵庫県洲本市小路谷

 国史跡

・日本で最も古い模擬天守閣をもつ。
・別名三熊城。
・大永6年(1526)、三好氏の重臣・安宅治興が築城、その後、養子(三好長慶弟)
 安宅冬康、冬康死後は長男信康さらには二男清康へ受け継がれた。
・天正9年(1581)、織田信長による淡路討伐のとき討伐軍総大将羽柴秀吉に
 降り、洲本城は仙石秀久に与えられた。
・その後、秀久は九州討伐での不祥事で高野山に追放となり、脇坂安治が
 城主となり、天守が造営された。
・江戸時代、池田輝政の三男忠雄が領主になった際に洲本城は廃城となり
 由良成山城に居城となった。
・現在ある模擬天守は、昭和三年(1928)に御大典(昭和天皇の即位式)を記念
 して、鉄筋コンクリート製で築造されたもので、江戸時代の天守を復元した
 ものではないが模擬天守としては日本最古のもの。

2007年5月1日 5 淡路國洲本城跡②

2008-11-23 23:42:42 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

(続き)

5.本丸虎口跡



6.武者走台跡



 ここをすぎると、本丸だ・・・

7.本丸跡



 本丸跡に入ると正面には日本最古の模擬天守が見える。鉄筋コンクリートだ。



 とりあえず、M子師匠の写真。



 わては石垣の上。



 さらにノーマルバージョン。



 本丸跡には、芝右衛門狸を祀ったお堂があるのだが、よくみると・・・



・・・・・・



 藤山寛美の名前が、ドン、とある・・・ なぜ???

 と、いうことで調べてみた。

「その昔,中座で芝居を興行中,木戸銭箱に木の葉が一枚入っていた。
 なんと客の中に芝居好きのタヌキが混じっていたのである。みなでこれを
 捕まえ,殺してしまう。ところがこれ以降,客足が急に遠のいてしまった。
 これはタヌキのたたりに違いないと,そのタヌキの出身地であった三熊山
 にお祭りすることになった。この祠は昭和37年に藤山寛美さんら松竹新喜劇
 の役者さんなどが建てたものだ。」

 なるほど・・・

 とりあえず、さらにわての写真だす。



 そして、天守台へと向かう。

2007年5月1日 4 淡路國洲本城跡①

2008-11-23 23:42:33 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 磤馭盧島神社のあとは、私の希望の洲本城跡。天気イマイチで雨が
降ったり止んだりする中、まずは福良を目指して走り、途中から洲本へと
向きを変え、無事到着した。山の上のほうにあり、裏手から車で登れたの
で割りと楽であった。

 では、登城にと候。

1.大手門跡(大手口跡)



2.日月の池周辺



3.八王子木戸から八王子神社

 八王子木戸に鳥居が立ち、それをすぎると怒涛の如く鳥居と社殿が並び、
奥の岩の下に主祭神が祭られている。






 雨のせいもあるだろうが、なんとなく暗い気が漂うのであるが、山なんて所詮
そのようなものなので気にせず、記念撮影をしてもらった。

 八王子神社は元々、城の鎮守として安宅隠岐守治興が建立したといい、
奥には城下町に降りる登山道があるそうだ。



4.そして、本丸への道。



2007年5月1日 3 おのころ島神社(自凝島神社)

2008-11-23 23:42:09 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 次は、ほとんど道標もなく不案内な淡路島の中をM子師匠のリクエスト
に答えて、自凝島神社(磤馭盧島神社)へと向かった。大きな鳥居が目印
でした・・・

1.大鳥居



・日本三大鳥居の一つ。
・昭和五十七年三月に、日本の国生発祥の地を顕彰すべく建立された。
・鉄筋鉄骨朱塗りの大鳥居。  

 鳥居の下に写る二人組の女の子が、M子師匠が境内に入っていき消えて
いくのを確認した後に写真を撮ってほしいと頼んできた。ま、遠近感が
わかっていらっしゃらないのでかなり場所を移動して鳥居と自分たちが
何とかいい感じで写れる場所まで移動して写してあげると非常に喜んでいた。

2.磤馭盧島神社社殿



 前で、もちろん記念写真。




 ま、個人的には、ま、多少、地からのエネルギーを感じたが、興味ない
こともあり、ふ~ん、という感じだった。ま、そんなにすごいということ
はない。

3.セキレイ石



 つがいのセキレイがこの石に止まり、御祭神の二神に「交(とつぎ)の道」
を教えたとされている。
 このセキレイは夫婦円満の神鳥として崇められているらしい。

4.神木




 枯れてるやん・・・

5.安産のお砂所



6.葦原国分社(多分、葦原遺跡にある国常立の分社)



7.摂社 八百萬神社



 磤馭盧島神社の祭神の御子の神々を祀る神社だそうだ。


★磤馭盧島神社(自凝島神社)★ 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415番地

・祭神 伊奘諾命、伊奘冉命。
・合祀 菊理媛命・
・神徳は健康長寿、良縁堅固、夫婦和合、安産塩砂。
・当神社は古代の御原入江の中にあって、伊弉諾・伊弉冉命の国生みの聖地
 と伝えられる丘にあり古くから、おのころ島と親しまれ、崇敬されてきた
 らしい。
・古書に誉田大王(応神天皇)・淳仁天皇の参幸されたことが伝えられてい
 る。が、淳仁天皇は淡路廃帝として知られているので、そのときか?
・キム兄と辺見えみりちゃんが来たことで有名になったとか。

2007年5月1日 2 淡路國一之宮 伊奘諾神宮

2008-11-23 23:41:59 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社(自凝島)

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 前の記事よりかなり時間があいてしまったようだ・・・
 伊勢久留麻神社の記事を書いてからしばらくになる。
 もう約一年前の話になってしまったよ・・・

 というわけで、淡路国一之宮伊奘諾神宮。少し道を間違いながらも雨天
の中、無事到着。その頃には、小雨となっていた。

 では、写真等どうぞ。

1.大鳥居



 新しいためか小奇麗だ。

2.表参道




 人が見えず、さびしいものだ。

3.放生の神池近辺



 ここで、自分の写真も撮ってもらった。



 髪の毛の赤染め時代。なつかしい・・・今より痩せてるし・・・



 水神様と、伊奘諾神宮のパンフレットには書かれている。弁財天のこと?



 寒い? 眠い?

4.表神門




 一間一戸四脚門。檜皮葺に棟瓦を配している。元は、隨神門であったのを
明治十六年に現状に改めたらしい。

 なんか、綺麗に整った屋根というか、やはり「神宮」やなあ、と思わせる建物
だ。神気云々は余り感じないが、建物自体は好きである。

5.燈籠



6.拝殿



 檜皮葺(現銅葺)入母屋造。舞殿を兼ねている拝殿だそうだ。
 明治15年ごろのようだ。

7.本殿




 檜皮葺、三間社流造向拝付。棟に千木・鰹木を置き、前方の幣殿と連結し
一屋根に造る。

 多少、ピシッとした感があったが、それだけ。特に神がいるという感じ
はない。

8.夫婦大楠



 兵庫県指定天然記念物。
 樹齢約九百年、樹高三十米余で、淡路の地誌に「連理の楠」と記され、
信仰の対象として広く知られている。元々は二株の木が成長するにつれて
合体し、一株となった奇樹。伊奘諾・伊奘冉二神の神霊が宿る神木として
夫婦円満、安産子授、縁結びなどの信仰で篤く崇められているらしい。

9.神輿庫



 文化五年(1808)阿波藩主が造営寄進。平成六年夏、南西の旧地より
移築修理開始、八年に竣功。

10.淡路祖霊社



★淡路國一之宮伊奘諾神宮★ 兵庫県淡路市多賀740

・幽宮(かくりのみや)とも言われる。
・祭神は伊奘諾大神・伊奘冉大神。
・社格は、延喜式神名帳では名神大社で、明治十八年官幣大社、昭和二十九年
 には神宮號宣下を受ける。
・古事記・日本書紀国には、生みに始まるすべての神功を果たした
 伊奘諾が、子神・天照に国家統治の大業を譲られ、最初に生んだ淡路島の
 多賀の地に幽宮を構えて余生をすごしたある。
・日少宮、淡路島神、多賀明神、津名明神とも呼ばれる。
・伊奘諾の住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始された
 のが起源という。

 → ちなみに、あまり、由緒は信用していない。

2007年5月1日 1 伊勢久留麻神社

2008-11-23 23:41:43 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.自凝島神社(磤馭盧島)

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 この日は、母親の車を借りて雨の中、淡路国一ノ宮に当たる伊奘諾神宮
を目標に旅に出、途中適当にいくつかの神社などに立ち寄っていった。
 最初に言ったのは伊勢久留麻神社。兵庫県淡路市東浦町久留麻2033に鎮座。
神戸淡路鳴門自動車道東浦インターチェンジから降りていった。




 この碑にも書かれていて、NHKにも番組で取り上げられたそうであるが、
伊勢神宮や奈良県の箸墓古墳をはじめとして数多くの古代遺跡が点在する
北緯34度32分の緯線上にあるらしく、古代ロマンの謎に包まれた神社の
ようだ。「太陽の通る道」と呼ばれているそうだ。

(補足)

 調べたところ・・・同緯線上にあるのは

 伊勢斎宮跡、室生寺、長谷寺、箸墓古墳、大鳥神社(大鳥大社)、
 伊勢久留麻神社、舟木石上神社





 参詣者も見かけず、なんとなくひっそりとひんやりとした感じであった。
嫌いではないが、寂しさが伝わってくるところだ。とにかく雨の中、つぎは
伊奘諾神宮に向かい旅立った。

((伊勢久留麻神社))

 祭神 : 大日孁貴尊
 創祀年代 : 不詳だが社伝によれば、「敏達天皇の御代に伊勢国奄藝郡
       久留眞神社を勧請した」とのこと。
 

2007年12月29日 兵庫・鳥取の旅 13

2008-01-17 01:21:15 | 近畿(兵庫)
((旅程))

 1.破磐神社 → 2.美国神社 → 3.播磨国一宮 伊和神社  

→ 4.御形神社 → 5.竹田城址 → 6.當勝神社  

→ 7.但馬国一宮 粟鹿神社 → 8.出石そば 五萬石 → 9.水天宮 

→ 10.出石城址 → 11.但馬国一宮 出石神社 → 12.鳥取城址

→ 13.樗谿神社 → 14.因幡国一宮 宇倍神社 → 15.白兎神社

→ 16.伯耆国一宮 倭文神社 → 17.善ちゃんラーメン

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

((出石神社))

 急ぎの旅ゆえ、急いで急いで出石神社を目指した。ここでも、滞在できる時間
は5-10分ということでお守りなども見ることができないまま立ち去らねばい
けなかった。

 正月前なので、神社の前の商工会議所のようなところにはたくさんの的屋っぽ
い人たちが集まっていた。

 まずは鳥居と境内の遠望。



 そして、門。神門?随身門?楼門?名前は不明・・・



 さらに拝殿。



 その奥が出石町指定文化財であった(今は豊岡市)本殿。



 写真もこれだけしか撮れずに、ここから一気に鳥取に移動となった・・・



★出石神社(伊豆志坐神社)★  豊岡市出石町宮内99

 祭神:出石八前大神 天日槍命

・但馬國一之宮のひとつ。
・式内社(名神大社)、旧国幣中社、別表神社。
・創建は奈良時代といわれ、貞観元年(859年)の日本記畧では但馬第一の
 大社と記された。
・記紀によれば、祭神の天日槍は新羅の王子であったが、八種の神宝を持って
 渡来し、但馬国に定住したのこと。
・また八種神宝を八前大神として祀っており、延喜式では八座とされた。


(「由緒書き」より)

「出石神社は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が、新羅の国よりお持ちになりました八種の神宝を出石八前大神として、また、天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀しています。 天日槍命は、『古事記』、『日本書紀』ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事蹟は記紀のほか『播磨国風土記』『筑前国風土記』逸文等にうかがうことができます。 八種の神宝とは、『古事記』には珠二貫(たまふたつら)・振浪比礼(なみふるひれ)・切浪比礼(なみきるひれ)・振風比礼(かぜふるひれ)・切風比礼(かぜきるひれ)・奥津鏡・辺津鏡の八種としています。 天日槍命のご子孫には、田道間守命(たじまのもりのみこと)や、神功皇后があります。  神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の『一宮縁起』には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、遅くとも八世紀のはじめ頃にはすでにこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれます。 但馬の国一宮として当地では別名を一宮(いっきゅう)さんと呼び尊敬されています。天日槍命は泥海であった但馬を、丸山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集めております。 現在の社殿は大正三年に再建され、透塀で囲まれた三間社流造の本殿、その前面に切妻造りの弊殿と祝詞殿があり、拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に拝殿の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建築です。神門は丹塗の八脚もんで、数多くのの蟇股を飾り、左右に連なる塀も丹塗りがうっそうと生い茂り、入れば祟りがあるといわれています。 」

2007年12月29日 兵庫・鳥取の旅 12

2008-01-12 20:26:15 | 近畿(兵庫)
((旅程))

 1.破磐神社 → 2.美国神社 → 3.播磨国一宮 伊和神社  

→ 4.御形神社 → 5.竹田城址 → 6.當勝神社  

→ 7.但馬国一宮 粟鹿神社 → 8.出石そば 五萬石 → 9.水天宮 

→ 10.出石城址 → 11.但馬国一宮 出石神社 → 12.鳥取城址

→ 13.樗谿神社 → 14.因幡国一宮 宇倍神社 → 15.白兎神社

→ 16.伯耆国一宮 倭文神社 → 17.善ちゃんラーメン

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((出石の街))

 出石そばを食べたらすぐ出石城の駐車場へと向かった。
 そして、短い観光。

 まずは出石の街。



 丹波篠山と似ているなあ、と感じた。

 そして有名な辰鼓櫓。中の時計は入れ替わっているが、櫓自体はオリジナル。
 櫓の手前が大手門のあったところらしい。



 そして、ついに登城。
 橋と登城門、隅櫓は再建物だそう。



 ここで、わが写真。



 M子師匠はその後私が写真を撮っている間にさっさと上に登って行ったよう
だ。私は機嫌よく下から隅櫓の写真撮影。




 そして、本丸跡。



 ここは天守閣は作られなかったらしいので、見る限りは小さな規模の城だっ
たのだな、と感じる。さらに出石藩主となった仙石氏の祖となった仙石秀久を
祀る感応殿なるものもある。これは明治時代に建てられたものだそうだ。



 そして下りしなにもう一度隅櫓を!



 急ぎの旅ゆえ、長居できずに出石神社へ移動となった。


★出石城址★

・もともと出石城のあった有子山の山上に城があったのだが、1604年(慶長9)、
 小出吉英により有子山城が廃され、有子山山麓に出石城が築城。平地に堀で
 囲まれた三の丸を築き、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸を階段状に築いた。
・城下町もこのとき整備され、出石の町並みが形成された。
・出石城が一国一城令により但馬国唯一の城郭となった。貴重だ。
・国指定史跡。
・明治時代の廃城令にて破却されるも辰鼓櫓、堀、石垣などが現存。



2007年12月29日 兵庫・鳥取の旅 11

2008-01-12 19:59:11 | 近畿(兵庫)
((旅程))

 1.破磐神社 → 2.美国神社 → 3.播磨国一宮 伊和神社  

→ 4.御形神社 → 5.竹田城址 → 6.當勝神社  

→ 7.但馬国一宮 粟鹿神社 → 8.出石そば 五萬石 → 9.水天宮 

→ 10.出石城址 → 11.但馬国一宮 出石神社 → 12.鳥取城址

→ 13.樗谿神社 → 14.因幡国一宮 宇倍神社 → 15.白兎神社

→ 16.伯耆国一宮 倭文神社 → 17.善ちゃんラーメン

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((出石そば 五萬石))

 出石に行けばやはり蕎麦は食べなければいけない。しかし店が多くてわからん
のじゃ・・・ということで、見た目で有名そうなところを選んで入ってみた。

 おいしかったですな。
 個人的には、

 ★★★★★★★★☆☆  8/10点 て感じですわ。

 ご馳走さまっす。




 そして、駐車場の向かいに何やら立て札があるので行ってみた・・・

((水天宮社))

 駐車場の向かいにあるのは水天さんだった。あんまり水天宮というものは見か
けないので興味深いですな。



 慶長9年に和泉国岸和田から出石城主になった小出吉英が菩提寺として吉祥寺
を建立した折にその鎮守社として建立したというのが始まりだそうで、祭神は
もちろんの事ながら、安徳天皇となっている。

 そして、出石城方面へと移動することに。

2007年12月29日 兵庫・鳥取の旅 10

2008-01-12 13:08:29 | 近畿(兵庫)
((旅程))

 1.破磐神社 → 2.美国神社 → 3.播磨国一宮 伊和神社  

→ 4.御形神社 → 5.竹田城址 → 6.當勝神社  

→ 7.但馬国一宮 粟鹿神社 → 8.出石そば 五萬石 → 9.水天宮 

→ 10.出石城址 → 11.但馬国一宮 出石神社 → 12.鳥取城址

→ 13.樗谿神社 → 14.因幡国一宮 宇倍神社 → 15.白兎神社

→ 16.伯耆国一宮 倭文神社 → 17.善ちゃんラーメン

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((但馬国一宮 粟鹿神社))

 當勝神社を去り、道沿いにあるはずの粟鹿神社(あわがじんじゃ)に移動。だ
ったが、道沿いにはなかった・・・ 詳しい地図がないのにと悩んで左手を見る
と神社があるっぽい森林が見えたのでそこに向かい、ようやく発見。有名な神社
なんだから道標をつけてくれ。

 まずは鳥居。



 勅使門と神門。



 山東町(現朝来市)指定重要文化財である勅使門。



 神門。



 神水(手水)。



 土俵。この地域の神社はほとんどのところに土俵があるようだ。神事なのだ。



 拝殿と本殿。



 拝殿前から。



 末社の弁天様かな?



 境内。



 最後に、拝殿前にて記念写真。





★粟鹿神社★

・鎮座地:兵庫県朝来市山東町粟鹿

・この神社は、出石神社と並び但馬国一之宮といわれている神社で、但馬で最も
 古い。式内社(名神大社)である。歴史は2000年以上になるといわれている。

・宮内庁が粟鹿大明神元記の写本を残しており、そこには和銅元年(708年)に
 詳細に記された祭神や歴代祭主などが書かれているという。

・朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられ、
 約600年前には勅使門が建立された。これは山東町指定重要文化財(現朝来市)
 になっている。

・名前の由来は、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を
 教えたことからつけられたといわれており、粟鹿神社にその鹿が祀られてい
 るとのこと。

・主祭神には二説あり、彦火々出見命、または日子坐王という。

・応仁の乱で勅使門をのぞき全焼。

2007年12月29日 兵庫・鳥取の旅 9

2008-01-12 00:31:55 | 近畿(兵庫)
((旅程))

 1.破磐神社 → 2.美国神社 → 3.播磨国一宮 伊和神社  

→ 4.御形神社 → 5.竹田城址 → 6.當勝神社  

→ 7.但馬国一宮 粟鹿神社 → 8.出石そば 五萬石 → 9.水天宮 

→ 10.出石城址 → 11.但馬国一宮 出石神社 → 12.鳥取城址

→ 13.樗谿神社 → 14.因幡国一宮 宇倍神社 → 15.白兎神社

→ 16.伯耆国一宮 倭文神社 → 17.善ちゃんラーメン

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

((當勝神社 まさかつじんじゃ))

 竹田城址を去り、但馬国一之宮のひとつである粟鹿神社にいく目安となる位置
に鎮座している當勝神社に寄った。少し場所はわかりにくかったが。どうもこの
あたりには道標がないのだ。M子師匠は神社の少し手前に當勝稲荷という石碑が
あったためにそれだけの理由で神社参りを拒否したので一人で入っていくと、そ
れはなかなかの古きよき建物を持つ神社であった。しかし、稲荷もあるためなの
か、やたら鳥居が多い。




 そしてしばらく行くと山東町指定重要文化財であった(たぶん、今は朝来市の
指定重要文化財であろう)随身門がある。切妻造り軒唐破風付の唐門、屋根は
桧皮葺、様式は主として唐様、各所の絵様彫刻に江戸末期ごろの手の込んだ手法
が見られる。また、出入り口が直角でないところに珍しさが見られるという。



 そして、門を越えると拝殿と屋根付の狛犬の姿が見える。



 個人的には拝殿の彫刻に注目した。面白い。



 斜め前から拝殿、本殿が入るように撮影。写りは粗いが・・・



 そして横の摂社は天神さんだったっけ???



 

★當勝神社★

鎮座 〒669-5125 兵庫県朝来市山東町粟鹿2143
TEL / FAX 079-676-3026

祭神 :  開運繁栄の神 万物創世の神 織物の神

・創建は奈良時代の720年(天平2年)と伝えられる。
・本殿は1859年(安政6年)、拝殿は1868年(慶応4年)に建てられた。