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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

3 Sep 2006  京都30

2007-08-22 17:03:00 | 近畿(京都)
<<ルート>>

1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 そして、京阪出町柳駅に向かう途中にある例の河合神社です。



 立派な神社であるのに、人は少ない。
 みな、糺の森を通り下鴨神社に向かい、ここはスルーしているのだ。
 存在を知らない人もいるくらい。 だが、鴨長明関係で知られている神社なのだ。





 如何ですかね?

 まあ、とりあえず、この日のたびはここでおしまい。
 後は列車で帰宅です。
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3 Sep 2006  京都29

2007-08-22 16:51:54 | 近畿(京都)
<<ルート>>

1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 陽成天皇の御陵を訪れた後、下鴨神社を目指すのだが・・・・
 はっきり行って遠いので、タクシーが通りそうな道を探して下って行ってると偶然にもタクシーが通りかかり、下鴨神社まで。なんかホテルのドライバーのように角ばった帽子まで着た人で独特だったな・・・

 とりあえず、下鴨神社の楼門。



 そして、本殿へと・・・




 そして、細殿付近で記念撮影。




 世界遺産だが、あまり個人的には魅力的ではないなあ・・・・
 まあ、たびたび行ってはいるが。

 摂社(末社かな)の河合神社の方が好きだね。
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3 Sep 2006  京都28

2007-08-22 15:48:58 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 そして、わたくしの行きたかった陽成天皇の御陵。





 ここは、おそらく真の清和源氏の祖と思われる清和天皇の第一皇子であった陽成天皇の御陵だ。源経基を筆頭とし、満仲、頼光、頼信、頼義、義家、為朝、頼朝、義経などで知られる一族、だがその祖となった源経基の出生の謎が解明されていないのだ。清和天皇の第六皇子貞純親王の子供だから六孫王というが、この呼び名から一般的でなく不自然とされているし、いつ、源姓を賜ったのかすら不明。しかも、彼が生まれたのは貞純親王の死後半年後とされる。それはありうるけれども、双子ではない同母弟の経生王の存在はどうなる?ありえない。だが、系図には貞純親王の下にある。しかも、その次の代、満仲、ある記録での生年月日は・・・ひどい。父経基よりも年長。それはなんですか??? まあ、ここは血がつながっていなくて、経基王の名跡を継いだのか、婿だったのかもしれないが・・・・

 ただ重要なのは、経基の孫に当たる源頼信の願文。写しだが、それでも鎌倉初期のものと言われ信頼性が高いといわれているが、その孫は言っている。父、満仲は経基の子、そして経基の上は元平親王でそして陽成天皇、そして清和天皇だ、と。

 陽成天皇、ほんとうはそうなのでしょう???
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3 Sep 2006  京都27

2007-08-22 15:37:22 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 さらに、陽成天皇陵を探していると、滅多にない時宗の寺が!
 極楽寺というそうで、しかも毘沙門天! 後に大津でも時宗の寺院を見つけましたが、レアです。




 覗いただけですが、本尊も拝みたかったですね。
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3 Sep 2006  京都26

2007-08-22 15:04:05 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 さて吉田山を下りると後一條天皇の御陵です。後冷泉天皇の皇后章子内親王の御陵が同じくあるそうです。ただ思う・・・・ 何故、天皇の御陵に違う天皇の皇后の墓があるのか・・・・ 夫婦で入れるほうが自然と思うのだが・・・・ と思って調べたら、天皇の皇女でした・・・・ それでは理解できますわ・・・・




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(引用) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後一條天皇
 寛弘5年9月11日(1008年10月12日) - 長元9年4月17日(1036年5月15日)は、平安時代中期の第68代天皇(在位:1016年 - 1036年)。諱は敦成(あつひら)。
 一条天皇の第二皇子。母は藤原道長女中宮彰子。その誕生の様子は「紫式部日記」に詳しく、道長にとって待望久しい外孫皇子出生はその後の一族の栄華の初花となる。8歳で即位したため、道長が摂政となり権勢を振るった。道長の娘で叔母にあたる威子を中宮とし、この時代には珍しく他の妃を持たなかったが、皇子女は内親王二人のみで世継ぎの皇子にはついに恵まれぬまま、29歳の若さで崩御した。
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3 Sep 2006  京都25

2007-08-22 14:54:55 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 そして、宗忠神社到着・・・・
 ここは、神社庁に所属する神社らしいが、
 黒住教の教祖黒住宗忠を祀る神社でさらに横には赤木忠春を祀る神社もある。
 個人的には、「自分が神になる」などいう不遜なやつは嫌いなので、特に彼は好きではないが、M子師匠は彼にぞっこんだそうなので来ることになったのだ・・・



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3 Sep 2006  京都24

2007-08-22 14:40:57 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 すこし登ったところに吉田神社の斉場所大元宮がございました・・・
 慶長年間につくられたそうなので、もう400年ばかりたつのですか・・・





 なんか、芭蕉庵みたいな形ですね・・・
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3 Sep 2006  京都23

2007-08-22 14:34:02 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 さて、慈照寺の参道を戻り、カキ氷を食べた後、雑貨店で指環と財布を買い、それからタクシーで吉田神社へと移動。京都大学のすぐそばですな・・・・ まあ小さな山とでも言うべきかな。






 マニアなM子師匠曰く、気がよいところだそうだ・・・

 まあ、兎に角、彼女が行きたいらしい黒住宗忠の神社もあるのでそちらのほうへ動くことに・・・
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3 Sep 2006  京都22

2007-08-22 13:16:25 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 さてさて、では哲学の道の最終予定地「慈照寺」です。
 師匠はもうかなり疲弊されているようで、口数は少ないと言うか、ない。
 ということで、慈照寺に入っていく・・・



 休日だったのでカップルが多かったですな。
 写真にも一組写っているのだが、まあ、当時普通の格好だったんだろうが・・・・ ああいう、ブラウスを来て、下がデニムのミニスカとか短パンそして素足でサンダルと言うのはすごく清潔感を感じなくて嫌いだ。

 さて、先に進もう・・・



 向月台のアップ。
 


 こちらは北斗石と言うらしい。




 東求堂の前からの銀閣。



 東求堂を過ぎてすぐの池にある座禅石。

 そして最後はみんな記念写真撮るところだ。



 ちなみに写真には納得していないので、またいきます。秋にでも。
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3 Sep 2006  京都21

2007-08-20 01:59:35 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 慈照寺に到着と思いきや、参道近くの八神社の鳥居がかすかに見えたので先にそちらに行くことに・・・・ M子師匠はぶつくさいいながらも階段を登り雨乞いの祈祷をしておりました・・・



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3 Sep 2006  京都20

2007-08-20 01:50:15 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 次は少し山手にある法然院ですな。
 M子師匠は疲労のためにかなり愚痴っておられましたが・・・・



 歴史の時代背景がわからない。
 法然上人、すなわち法然房源空は平安末期から鎌倉期の僧で浄土宗の宗祖。
 そして、出家後の熊谷直実がその弟子だったのだから、源頼朝世代と言うことになる・・・ 本堂にある仏像は恵心僧都作だとか・・・ それって、源信さんでしょ? 時代的には平安時代のもっと前期のほうで、清和源氏の系図上は2代目の多田満仲の一子がその弟子だったというので100年以上の時代差がある。どういう経過でこの本堂にその仏像があるのだろうか???? 法然院とは、法然以前からあったものなのか、それとも後に他の寺院からこの仏像を持ってきたのか疑問だ・・・・ 

 まあそれはおいておいて、少し写真を・・・







 ここで、通り抜けが出来なく、また道を引き返し、慈照寺を目指すことに。師匠は「タクシー、タクシー」とやかましかったが、それは却下・・・

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3 Sep 2006  京都19

2007-08-20 01:10:20 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 次は、師匠が姪のエディ山さんにみやげ物を買いたいと言うことで探していたようじ屋です。油とり紙などで知られているらしい。


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3 Sep 2006  京都18

2007-08-20 01:04:00 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 次は冷泉天皇陵。同所にどうやら後一條天皇皇后の威子様の火葬塚もあるようです。




⇒ 冷泉天皇について

引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

冷泉天皇(れいぜいてんのう、天暦4年5月24日(950年6月12日)- 寛弘8年10月24日(1011年11月21日)、在位:康保4年(967年) - 安和2年(969年))は、第63代の平安時代中期の天皇。村上天皇の第二皇子。憲平(のりひら)親王。母は藤原師輔の娘中宮安子。円融天皇の同母兄。

第一皇子の広平親王を押しのけて生後間もなく立太子。時の権力者である藤原実頼・師輔の兄弟の力が働いていたと思われる。康保4年(967年)、村上天皇の崩御を受けて18歳で即位。この時初めて紫宸殿で即位式を行った。精神に病があり皇太子の時代から問題になっていたことから、藤原実頼が関白についた。村上天皇の第四皇子為平(ためひら)親王と、守平親王の間で冷泉天皇の皇太子(皇太弟)をめぐって安和の変があり、安和2年(969年)、円融天皇(守平親王)に譲位。譲位後は冷泉院上皇と称される。62歳で崩御。記録では死因は赤痢とされている。

以後後一条天皇の即位まで約50年間弟の円融系との皇位迭立が続き、円融系を父方、冷泉系を母方とする曾孫の後三条天皇の即位で両皇統は融合される事となった。

上皇になった際の名称は、現在の二条城の東北に嵯峨天皇が造営した離宮「冷然院」が後に後院(上皇の御所)となった「冷泉院」に由来する。

冷泉天皇は容姿が非常に端麗であったが、皇太子時代から精神の病ゆえの奇行が目立った。大江匡房が記した『江記』などにより、以下のエピソードが挙げられる。

足が傷つくのも全く構わず、一日中蹴鞠を続けた。
父帝(村上天皇)に手紙の返事として、男性の陰茎が大きく描かれた絵を送りつけた。
清涼殿近くの番小屋の屋根の上に座り込んだ。
病気で床に伏していた時、大声で歌を歌っていた。
退位後に住んでいた御所が火事になった折、避難するときに牛車の中で大声で歌を歌った。
儀式の最中にに「こんな重いものは被っていられない」といきなり冠を脱ぎ、近く使えていた馬命婦を帳の中に強引に引き入れて姦した。
これらの奇行と当時の摂政だった藤原実頼と外戚関係を持たず、逆に有力な跡継ぎとされていた 為平親王が伯父の源高明を舅とし、藤原氏を刺激した(安和の変の伏線となる)事等が僅か2年で退位する原因となった。もっとも退位後は在位時のプレッシャーがなくなったのか、61歳まで生きたが、師貞親王(花山天皇)をはじめとする皇子女や弟円融天皇、その皇子の一条天皇等多くの親族に先立たれたのは皮肉な事であった。しかし、天皇の血統は確実に孫娘の禎子内親王をもって、没後円融系と融合される事となったのである。


なんか・・・・

傾奇者のにおいがする?
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3 Sep 2006  京都17

2007-08-20 00:27:40 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 もう、丸1年位なりますか・・・・
 早く更新しなければ・・・・

 哲学の道に入って・・・
 噂の狛鼠のある大豊神社を目指し、ついに立て札を発見していくことに・・・



 その横には豪華な家が・・・・



 すごすぎだ・・・・

 そして、あまり整地されてるとはいいがたい参道を通って行きます・・・



 荒れ果てている境内に入り、本殿は軽く写真を撮りスルー。いきなり左側にある摂社?に突入。なんと、狛猿と狛鳶。鳶とは驚きだ・・・・





 さらに、目的の狛鼠のある大国さんへ!



 ちなみに、この外国の旅行客カップルは道に迷っていたようで、英語で私に道を尋ねてきましたが・・・どうやら、ふたりが話していた言葉はラテン系?スペイン語気味だったが・・・英語で説明したの理解できたのだろうか・・・ 自転車のたびで、我々とは反対ルートで南山寺方面へ向かっていました。結局、反応が理解し切れていないようにも思ったのだが・・・ 女性は少し英語がわかっていたようなのだが・・・男性が微妙な反応だった・・・・

 無事だったのだろうか???
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3 Sep 2006  京都16

2007-07-31 00:50:58 | 近畿(京都)
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1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 哲学の道を歩いていると光雲寺の近くで・・・



 久邇宮家の墓か、顕子内親王の墓なんだろうか????

 そして、美しいときく光雲寺!




 写真を撮っていると急に防犯ブザーがなり、強面の若い禿げが怒鳴ってくる。
「拝観しておりません」だと???
 ものには言い方もあるだろうと思うが、少しメンチの切りあいになっていたのをM子師匠は知らない・・・・

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