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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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13 Jan 2005 龍王宮

2008-11-23 14:51:25 | 近畿(奈良)



もう1年と数ヶ月前に久しぶりに母親の友達がしている寿司屋に行ってきまして、そこの娘さんに和歌山のキティちゃん携帯ストラップを頂いたのでお礼をしてきました。実は、キティちゃん携帯ストラップ仲間であるのです。その近くに、実は第三代安寧天皇のお宮であった片塩浮孔の宮だろうといわれているお宮さんがあります。龍王宮とわれわれは呼んでいますが、たしか、「石園坐多久虫玉神社(いわそのにいますたくずたまじんじゃ)」という長い立派な名前がついているはずです。1990年に今上天皇が奈良の神武天皇陵にいらっしゃったときに、左翼の方に火炎瓶を投げ込まれ全焼しましたが、その後再建されて現在の形になってます。昨日、寿司屋に行った帰りに写真撮りに行ってきました。
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2007年4月29日 21 葛木御縣神社

2007-06-06 11:10:48 | 近畿(奈良)
 立派な名前だったのでいったのだが境内では壁にボールを当てて一人でキャッチボールをしていた少年がいただけで、寂しい小さなところだった・・・・

 写真はいい感じに撮れましたがね・・・・




 少しこの神社について・・・・

 引用はこちらです。 
  http://kamnavi.jp/as/katuragi/katumiaga.htm


祭神
劔根命 配 天津日高日子番能瓊瓊杵命


由緒
 劔根命を明治年間に追祀した。祝詞には「御縣に坐す皇神等」とあるので、いつの時代にか、瓊瓊杵命を祭神とするようになったのであろうが、 本来は、皇室直轄領地である葛木の縣の国魂であり地主神を祀るのか、または志賀剛氏によれば『式内社の研究』で御縣の神は大御饌こととして豊受姫神とされている。 『日本書紀』によると劔根命は初代の葛城国造であり、地主神とすれば当神社の祭神にふさわしい。
 『新撰姓氏録』には、高御魂命の五世孫の劔根命の名が登場し、劔根命之後也として大和国神別に葛木忌寸、河内国神別に葛木直、和泉国神別の荒田直が出てくる。 また、未定雑姓右京に大辛、天押立命四世孫劔根命之後也とある。

 当社には戞羅城薬(かつらぎくすり)が伝わっており、虫歯痛、口唇痛に効能があるとのこと。

 蘇我氏全盛時、推古天皇に、祖先の地として葛城の地を求めたが、後世の笑いものになると断ったとの説話が『日本書紀』に記載されている。


 当神社は式内大社の後裔社であるが、律令体制の崩壊などと水神、豊饒神など実利に即した神々に信仰が移り、、その記憶が薄れるとともに由緒が失われ、更に慶長六年(1601)に領主桑山氏は自らの産土神の諸鍬神社を勧請し、 伝飯豊天皇陵(三才山)の上の諸鍬神社(八幡様)に合祀されていたのを、江戸末期に旧地の西100mの当地に遷座したとされる。

 桑山氏は紀伊国和歌山城主でもあった時代があり、各地に諸桑神社を勧請したが、現在和歌山市には後裔社らしいものは見えない。



 はあ、桑山氏、血のつながりはないけど、親戚筋なんだよな・・・・
 しかし、こんなに神社に悪影響を及ぼしているなんて最低な家だ。
 さほど能力のない殿様だったくせに。
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2007年4月29日 20 住吉神社

2007-06-06 11:04:12 | 近畿(奈良)
 そして、住吉神社到着。実際あまり期待はしていなかったのだが・・・・

 なかなかのところだった・・・・ が、まったく神社に関する情報はない。





 この彫り物が見ものなのだ。



 そして横の稲荷様。




 さらに境内の花々ですわ・・・・





 それでは、最終目的地へと移動ですわ。
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2007年4月29日 19 博西神社

2007-06-06 10:38:22 | 近畿(奈良)
 金村神社のあとは、戦国末期に豊臣秀吉に属していた桑山氏が入部したことにより、廃る原因を作られた博西神社(はかにしじんじゃ)へ歩いていった。金村神社から少し西へ行ったところで畦道に入ると到着する。

 街で見かけた野花。




 そして神社到着・・・・




 この日は祝日「昭和の日」であったために門も開けられていた。そのために中に入って本殿の写真を撮影してきた。



 ついでに、拝殿の反対側からM子師匠を。



 そして・・・・・
 掲示板・・・




 それでは、次は住吉神社へ・・・・

 移動・・・・・

 また道端で見かけた花の写真。




 そして、次へ進む。
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2007年4月29日 18 金村神社

2007-05-30 13:18:51 | 近畿(奈良)




 祭神はこの地に関係のまったくない大伴金村・・・・ 理由は不明。
 明治時代初めには大きな土地を持つ神社であったらしいが、今は見ての通りだ・・・・
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2007年4月29日 17 屋敷山公園

2007-05-30 13:14:33 | 近畿(奈良)
 旧北葛城郡新庄町、今は葛城市になったのだが、そこに古墳と城跡があり屋敷山公園というところがある。小学生のときはよく行っていたものだが、久々に行ってみた。




 入って少し行くと城跡の碑がある。



 ここは、桑山氏の支配地だったのだが、赤穂浅野氏と同じく殿様の刃傷沙汰で改易になったそうだ・・・ 桑山時代は、故郷の大和高田も彼らに治められていたらしい・・・・

 そして、この城跡のあるところが古墳でもある・・・・



 つつじが多いな。

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2007年4月29日 16 笛吹神社

2007-05-30 12:38:26 | 近畿(奈良)
 さて、一応目的地の一つであった笛吹神社(正しくは葛木坐火雷神社)へといった。境内にロシアから送られた大砲がある神社で、保育園時代に近所の幼馴染の親父さんに連れてきてもらったこともあるらしいところであった。




 一応、ここまで、道は細いがコミュニティバスは来るようだ。終点だっけ?



 境内にある大砲です・・・・ 何故この神社に送られたのかがわからんけど・・・・

 上に見えるのが拝殿。





 横にまわって本殿を写す。



 なんとこの脇には古墳もあった・・・・




 葛城氏の墓なのか????
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2007年4月29日 15 長柄神社

2007-05-30 12:29:22 | 近畿(奈良)
 その後、ほかの神社を探していたのだが山の中の集落内で場所がわからなかったので奈良にかえることにした。 そこで、ふと思い立ち長柄神社へ!



 一応、葛城古道の散策コースに入っているはずだ。来るのは二度目・・・



 この周辺には、重要文化財の旧民家などが残っていたりもし、一度は歩いてみるのもいいところだ。




 この周辺で気付いたが、叔母と従弟が家に来ていたそうで会いたいといって私を待っていたようだが・・・・結局、会うことかなわず・・・・ そういえば、もう3年ほど会っていないように思いますな・・・・
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2007年4月29日 3 祈りの滝

2007-05-13 14:58:11 | 近畿(奈良)
 水越峠を走る国道309号の旧道を行くと祈りの滝があって、水を汲みに来ている人もいる。ここは、遠い昔、役行者が修行したといわれているところのひとつらしい。子供のころはよく父に連れてこられて沢蟹を取っていたものだ。



 そして、その前の道からの景色。

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2007年4月29日 2 葛木水分神社

2007-05-13 14:37:59 | 近畿(奈良)
 奈良県から大阪府に入る道は葛城地区では竹之内峠のほかに水越峠を通り千早赤阪村へと入っていく道がある。もうすぐこの、楠木正成所縁の美しき地名が失われるかもしれないが・・・・ 馬鹿小泉の残していった暴政の名残りで・・・・
 水越峠は葛城山系の葛城山と金剛山の間にある峠で、ここには「祈りの滝」と呼ばれる水の綺麗な滝もあるのだが、ここに水分神社もあるのでよっていくことにした。



 何度も、何度もいっているが、「水分」を「みくまり」と読むのは知っているだろうか???

 まあ、それはさておき、まあ簡単に言うと水の神様。これがあるところは水も綺麗なところが多いな。






 なかなか本殿の社は古い感じでなかなかよろしいですな。
 でも、少し位置的な問題もあるが寂しきところでもある。



 何も言うことのないM子師匠のファッションです。

 そして、私は下から撮ってもらいました・・・・

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2007年4月29日 1 長尾神社

2007-05-13 14:28:33 | 近畿(奈良)
 まず、この日は朝から奈良の実家に帰り、母の車を借りて出かけることにした。
 元々の目的地は、千早赤阪村の建水分神社だが、まずは近場の長尾神社からスタートすることにした。以前にも記事にはしていると思うので写真を参考にしてもらえればよいだろう・・・・



 読んでいただくとわかると思うが、交通の要所にあった神社である。
 竹之内街道は有名であるが後は長谷街道(桜井方面)と伊勢街道が交わる長尾街道の交差点に当たるところになるのだ。書かれてはいないが位置的には旅人が旅中の安全などをお祈りしていったに違いがないと思う。





 いい感じがしますか????
 
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2003.02.13 当麻寺

2007-04-24 05:21:58 | 近畿(奈良)
 もう遠き昔の話です。
 写真も下手だなあ、と改めて思う。

 この日は、以前働いていた病院で診ていた患者さんの娘さんの友達(当時はカラオケ仲間だった)に頼まれ、今はないが近鉄大和高田駅前にあったダイエーの駐車場にあったテニスコートの端っこで、その方の仙腸関節をきゅきゅきゅっと動かしに(いわゆるAKAという技術ですな)いってあげたはず。そのあと、Doraと当麻寺へいくことになった。中之坊だけでしたがね・・・












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2nd Sep 2004

2007-04-17 06:22:41 | 近畿(奈良)
 懐かしい写真だ。


 これは、2004年の9月6日から3ヶ月海外旅行をしたときに、旅立つ前にお守りなどを買うのに吉野神宮に行く習慣があったので、行ったときに撮影したものだ。
なつかしい・・・





 人は自分だけでした・・・
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2007.2.11 47 開化天皇

2007-02-25 18:52:49 | 近畿(奈良)
 最終目的地は開化天皇陵に立ち寄ってJR奈良駅ということであった・・・

 まずは陵の横の浄土真宗本願寺派の浄教寺。




 さらに開化天皇陵。




開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇7年(紀元前208年)- 開化天皇60年4月9日(紀元前98年5月23日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第9代の天皇(在位:孝元天皇57年(紀元前158年)11月12日 - 開化天皇60年(紀元前98年)4月9日)。稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと)・若倭根子日子大毘々命(古事記)。いわゆる欠史八代の一人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的である(実在説もある)。

若倭根子日子大毘毘(わかやまとねこひこおおびび)命、春日の伊邪河(いざかわ)宮に坐(ま)しまして、天の下治らしめしき。(この後は、4人の比売(ひめ)を娶って5人の子を儲けたとあって(そのうちの1人が崇神天皇)、その子孫の系譜が記され、それぞれが国造・伴造などの祖になったという。)天皇の御年、六十三歳(むそぢまりみとせ)。御陵は伊邪河の坂の上にあり。(『古事記』)春日の伊邪河宮は、奈良市。
子孫に当麻蹴速がある。
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2007.2.11 46 率川神社

2007-02-25 18:44:40 | 近畿(奈良)
 知らなかったが、大和国一之宮であった大神神社の摂社だったらしい。
 この日は修繕中だったようだ。







 子守明神とも呼ばれ、古来より安産・育児の神として信仰をあつめている神社です。
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