とこやの3階から。

日々思うことを、あれやこれやとつづっていこうと思います。毎日どんどん過ぎていくけど、ときどき振り返ってもみたいから。

心のよりどころ

2004-06-21 20:51:03 | つれづれ
仕事とかプライベートがある程度充実していて
ある程度スムーズに進んでいるときは
精神的にゆとりがあるから「心のよりどころ」について考えることはあまりないと思う。
気持ちとか体とかにないかしらの異常があって
物事があまりスムーズに進んでいないとき、
自分とか他人の「心のよりどころ」なんてことをぼんやりと、もしくは切羽詰った状態で、考えてしまったりする。
肉体的(現実的)にはそうではなくても精神的にいっぱいいっぱいだと、
趣味とか他人とかに「心のよりどころ」を求めてしまったりして、
慰めというか安心というか癒しというか、
自分の心が安らぐ方法とか場所を探してみたりする。
たとえば、旅行に行ったり、植物を育てはじめたり、
本を読んだり、ペットとたわむれたり、
美味しいものを食べにいったり、料理をしたり、
恋人に会いにいったり、ドライブに行ったり。
でも、
肉体的(現実的)にいっぱいいっぱいで、
そのために精神的にも追い込まれてしまっている場合、
自分以外の場所に安らぎとか癒しとかを求めることってあるかな?って考えてみた。
目の前に、やるべきことがやまほどある。
やってもやっても次から次へと湧き出てくる。
時間が足りないなんて思ってみたり。
そしたら、ほかにいってるヒマないし、って私は思うな。
すごく個人的な解釈なんだけど。
癒しとか安らぎまではさすがに無理だから、
「精神の安定」のための手段は自分の中に求める。
副次的なものとして外部から取り入れることはあるかもしれない。
でも、結局は自分自身のなかでなんとかする。
私の場合は「(理論なんて無理だから)理屈」かな。
こういう理由でいまこういう状況にあって問題点はここだから、
それを解消するためにはこうしたほうがいいんじゃないか、みたいな。
もちろん相談してみたりもする。
なかでも私は、原因を追求することが多い。
その場の状況とかの実際的な原因から、
自分がそうやって考えるに至った先天的な原因まで。
自分がこういう考え方をするのは育っていく過程でこういったことがあったから、
とか、
こういった環境でこういう影響を受けてきたから、
とか、そんな感じ。
原因分析っていうのかな。
そういった理論というか理屈に慰められたり諦めたりしながら、
なんとか落ち着いていく感じ。
それを「心のよりどころ」って言うのか自分でもよくわかんなくなってきたんだけど(汗)、
そうやってるうちに本当に必要なこととか、
自分が本当に求めていることなんかに偶然たどりついたりして
モチベーションを高めるのに役立ってる。
他人とかものに頼っても結局はその場しのぎで
あとからひとりになったときに凹み具合が倍くらいになって戻ってきちゃったりするから、
現実的に追い詰められてるときはこういうやりかたが有効だと思う。
そうありたいのかもしれない。
でも、もちろん、他の人とかものが必要ないとかじゃなくて、
自分だけじゃもうどこにもいけないって時も少なからずあって、
そんなときは周りの人とかにホントお世話になってる。
だから、時と場合にってこと。
あとたぶんね、
自分はこうありたいって理想があるから、
現実とは若干違った考え方をしちゃうかも。

さっき、そんなことを考えた。



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