こうして、ブログで支援を訴えているのはなぜなんでしょうか?
よくある誤解としては、「裁判官は私情をさしはさまず誰の目にも明らかな判断をする」というものです。
法律は、現実に起こるすべてのことを書いてある、神のご託宣ではありません。あくまでもそれまでの現実をある程度反映しながら、人間という限られた想像力の存在が作ったものです。したがって、法律は必ずしもどんな現実でも記述するわけではありませんし、同じ言葉でも多様な解釈の余地があります。その解釈いかんによっては、法律はこちらに有利にも、あちらに有利にもなりえるわけです。
「誰の目にも明らかな判断」ができるのなら、裁判官なんてものはいらないわけです。どんな事態でもおのずと白黒ついている。
なぜ裁判をしなければならないかというと、ある法律の文言をある事態にあてはめてこちらは相手が不当だと考えるし、相手はこちらが不当だと主張する。純粋法理的には決まらないからこそ、そこを裁判官に決めてもらう必要がでてくるわけです。
今回の問題も、わたしは大同大学が不当な解雇をしたと思っているし、弁護士さんも法律的にも大同大学のやり方には問題があると考えて弁護してくださっています。しかし、大同側は契約成立には至っていないという主張をしている。
私たち非常勤講師あるいは非正規雇用の人たちが不当な扱いを受けないよう、公正な判決を得るためには純粋法理に任せているだけでは、十分ではありません。もちろん論理的な研究は必要ですが、社会が何を望んでいるのかということを形にして裁判官に示さなければなりません。
そのために、支援の輪を広げ、裁判傍聴を組織し、署名を集める必要があるのです。
大学が内定契約成立後にクビを切ったり、直前になってコマを減らしたりという非常勤講師に対してあまりにも厳しい労働条件を押し付ける現状にノーを突きつけましょう。そのために、是非、支援をお願いします。
ご支援いただける方はクリックをお願いします!!
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「誰の目にも明らかな判断」ができるのなら、裁判官なんてものはいらないわけです。どんな事態でもおのずと白黒ついている。
なぜ裁判をしなければならないかというと、ある法律の文言をある事態にあてはめてこちらは相手が不当だと考えるし、相手はこちらが不当だと主張する。純粋法理的には決まらないからこそ、そこを裁判官に決めてもらう必要がでてくるわけです。
今回の問題も、わたしは大同大学が不当な解雇をしたと思っているし、弁護士さんも法律的にも大同大学のやり方には問題があると考えて弁護してくださっています。しかし、大同側は契約成立には至っていないという主張をしている。
私たち非常勤講師あるいは非正規雇用の人たちが不当な扱いを受けないよう、公正な判決を得るためには純粋法理に任せているだけでは、十分ではありません。もちろん論理的な研究は必要ですが、社会が何を望んでいるのかということを形にして裁判官に示さなければなりません。
そのために、支援の輪を広げ、裁判傍聴を組織し、署名を集める必要があるのです。
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