昨日仕事の途中、桜に魅かれて初めて立ち寄った天王寺区小橋町にあるビルの谷間の神社、産湯稲荷神社です。
現在、味原本町になっている一帯には、味原池という木野村・小橋村共用の用水池があったらしい。
白鴨御池(しらかものみいけ)・とみ池・梵字ヶ池などともいわれた。南のほとりは比売許曾神社(ひめこそじんじゃ、東成区)の旧地ともいい、その境内外末社産湯稲荷社がある。
かつてここにわき出していた「産湯の清水」は、大坂六清水の一つといわれたんです。
「千早振 神代のままに 濁りなき 高津のしみづ くむも涼しき」
小侍従 など、古くから知られていた。現在は公園脇に社殿と井戸がある、この井戸は以前大阪城のお堀とつながっており戦略的に重要とされたとの言い伝えが真田雪村伝説にあったらしいとか? 味原池の周囲は桃山といわれ明治初年まで桃畑が多く、弥生の花盛りには遊覧客がおしよせた。最寄りの桃谷駅も明治年開設当時は桃山駅だったとか。
"天王寺区" 大阪府大阪市天王寺区産湯稲荷神社の境内には「式内 比賣許曾神社御旅所」の石碑がある.。
比賣許曾神社は延喜式にも記載のある由緒ある神社で、現在は玉造の東、東小橋町にあるが、石山の合戦で焼かれて現在
の場所に遷座する以前は、この地に祀られていたという。
社記によると、当地の開拓神である大小橋命(おほおばせのみこと)は天児屋根命(あめのこやねのみこと)の十三世の後胤で、ここ味原郷に誕生、境内の玉井を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という。
隣接していた「味原池」は、比賣許曾神社の祭神下照比売命(したてるひめのみこと)が天の磐船に乗って天降られた霊地とされている『摂津名所図会』には、「味原池、小橋村の西にあり。一名比賣許曾神の御影池という。土人溜池とよぶ。」とある。
『摂津名所図会大成』には、またの名を白鴨御池、味原(みはら)の池ともいうとある。
今は、この地域を味原町(あじはらちょう)と呼ぶんですが。
かつて上町台地から味原町にかけては多くの池や川が流れていたらしく観光地のような風光明媚な地域だったんですねー。神話も多くてー!
昔、味原池から流れ出た川は南へ下り大阪赤十字病院の横を通り細工谷を東へ流れ落ち東へ蛇行し猫間川を形成していたらしい、今は猫間川筋という地名が残るのはそれから来ていたのかー。
こんな小さな町にもすごい歴史があったんだなー!
桜は5分咲きですがこの桜の下で歴史を辿りながら美味いお酒が呑みたいナー!