油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

遺影。

2024-02-06 22:54:19 | 小説
 「おめもむこさまだよな。きにょうやきょうの人さまの
釜のめしってえことじゃねえだろが……」

 暗い中から声がした。
 低くて、しわがれている。
 しかし、Nにとってはやけに親しみが感じられた。

 (えっ、いま時分、だれ?)

 K家の新居。
 寝室全体に木の香りが漂う。

 隣の部屋との間にふすま四本建ての間仕切り。鴨居の上
は書院造りになっている。

 なぜかNの視線はその書院のすき間に、きゅっと固定さ
れたようになっていて、あちらこちらと両目を動かすこと
ができないでいる。

 ふいにNの息づかいが荒くなった。

 Nの意識そのものが彼のからだから抜け出し、天井の少し
下あたりを、それが浮遊している。

 (幽体離脱ってやつか……、くそっ)

 白い霧状のものが、その書院の隙間をとおりぬけてきて、
すうっと尾を引いた。

 畳の上まで下り、しばらくそこらをふわふわはいまわっ
ていたが、突然、するする龍の形になって宙に向かった。

 横たわっているNのベッドわきに、それがやってきて、
ふわふわ立ち上がった。

 人影になっている。

 それがNのからだ全体におおいかぶさってしまうと、苦
しいのか、Nの寝息がとぎれがちになった。

 夕刻には部屋の雨戸もガラス戸も、完全に閉じられてし
まっていたから、何者も入れないはずである。

 Nはいまだ熟睡してはいない。
 あまりに意識がはっきりしていて、つらくてたまらない。

 Nの頭の中に、ひとつの黒い点らしきものが現れ、たち
まち家の形になった。
 
 ここの昔ながらの家だとNは思う。

 そこは実際、玄関の硝子戸を開け歩み入ると、先ずは土
間がある。
 左手に六畳間。それは茶の間になっていてテレビが置か
れていた。

 Nの意識だけがふわりふわりと動いているらしい。
 六畳間には上がらず、ずんずん家の裏手に向かう。

 途中、すすけて黒くなった柱にぶつかりそうになりなが
ら、今はふんごみになっているが、昔は囲炉裏だったとこ
ろを横目に見た。

 狭い通路をとおっていく。
 通路の隅で、ふいにみゃああと何かが鳴いた。

 暗い中でも黒猫だとわかる。
 後足で立ち上がり、からだがしきりに動かした。
 
 (猫のまりちゃん……?)

 飼い主のSが座敷の奥からあらわれ、
 「こら、そんなところで子を産むんじゃねえ」

 言い方があまりに優しい。
 
 「鴨居を見たらよかんべ」
 再び、先ほどの声がNの耳にとどく。
 
 Nはあっと声をあげ、目を見ひらいた。

 視線の先、茶の間のかもいに、K家の二代前の先祖の遺影
が飾られていた。

 Nの妻の祖父母のものだった。

 翌朝、午前四時半。
 辺りは、まだうす暗い。

 「ちょっと旧宅に用がある」
 玄関先でNが彼の妻に声をかけた。

 「まだ眠いのに……、なによいったい、起こさないでよ」
 「ごめん、ごめん」

 しばらくしてNが何かを小わきに抱えてもどると、彼の妻
がお茶をいれて待っていた。
 
 「ずいぶん早いな。寝てればよかんべ」
 「いいのよ。なんだか胸さわぎがしてね。横になってらん
ない。あら、それなあに?」
 「見ればわかるよ。ほら、これ」
 「まあ、たいへん。引っ越しに忙しくて……、跡取りなの
にわるいことしたわ」

 Nは苦笑いを浮かべ、
 「やれやれ、これでいいんですよね」
 両手で大切そうに持った義理の祖父母の遺影にむかって、ま
じめな顔で語りかけた。

 「何がいいのかしら?」
 「別に。その答えは言わぬが花でね。考えてみれば、この方
もおれもふたりしてむこ様なんだよな」

 Nはしきりに頭をかいた。
 (了) 
 

 

 
コメント (2)
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