油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

そうは言っても。 (1)

2020-08-02 19:05:40 | 小説
 長かった梅雨が終わった。
 白い雲の間から久しぶりに太陽が顔をだし、
これまでのうっ憤を解消するかのように、が
んがんぎらぎらと輝きだした。
 「暑いわ。ほんま久しぶりや」
 うれしくてしょうがない種吉は、子どもみ
たいにはしゃぎながら、縁側にすわりこんだ。
 「ああ、よっこらしょっと。ほんまこんな
ときこそ、誰かさんにリーダーシップを発揮
してもらわんと困りますねんわ。こんな狭い
街でもあっちでコロナ、こっちでコロナ。こ
ないだのときより、なんやひどいのんとちが
うやろか」
 あたりに聞こえるくらいの大きさで、ぼそ
ぼそ言った。
 ぼんやりしてるようでも、新聞やテレビは
よく見ている種吉である。
 目の前の庭を隅から隅まで見渡して、あっ
と声をあげた。
 後ろ向きにしゃがみこんだ自分の奥さんの
姿に気づいたからである。
 かわいそうによく眠れなかったんだろう。
 蚊取り線香の煙に取り巻かれている。
 朝早くは、まだ蚊やぶゆがうろうろしてい
て、汗の匂いにつられてそれらが血を吸いに
来るのである。
 多分、草むしりの最中だろう。
 あえて声をかけると、手伝えといわれるに
決まっている。
 種吉は声をあげないでいることにした。
 飼い猫のプータロー、ご主人が手すきとみ
て、ちゃっかり膝の上にのってきた。
 種吉は、ごろごろと喉を鳴らし、甘えて来
る友に、じゃけんな振る舞いができるはずが
ない。思わず、
「ささ、もっとこっちゃ来い」
 と言ってしまった。
 プータローがくしゅんとやった。
 猫だってくしゃみをするのだ。
 種吉は思わず顔をそむけた。
 奥さんは後ろ向きのままである。
 種吉はほっとため息をついた。
 プータローのからだを胸に引き寄せ、のど
をさすりはじめた。
 「そんなとこで、あんた、いったい何して
るの」
 ふいの奥さんの言葉が、種吉の胸に、矢の
ように突き刺さった。
 まだ、彼女は後ろ向きだ。
 「すまん。わかっとたんか。あんまりお天
気がいいので、つい日向ぼっこしたいと思っ
てな」
 「わたしはね。後ろにも目がついとる」
 「そうなんや。そら知らんかった。手伝う、
手伝うで。せやけど、いまちょっとかんべん
したりいな」
 「かんべんできません」
 「そうか。ほならしょうがおまへんな」
 種吉は、よいしょと声を出しながら、濡れ
縁に根付いたようになった腰を持ち上げた。
 両手を腰にあて、ゆっくり玄関に向かう。
 愛撫の中途で放り出されたとばかりに、プ
ータローはごきげんがわるい。
 長いしっぽを、神経質げに、二三度ふると、
建物のかげに消えた。
 「あんた、早くして。猫と遊んでなんかい
ないで。ほら見て。この草」
 「かんにん、かんにん。やるよ、草むしり。
あっ、せやった、やらなあかん用事、忘れとっ
たわ」
 「まったく勝手な人。都合がわるくなると、
そうやって関西弁使って、人をけむにまいて
しまうんだから。誰かさんのこと四の五の言
わんで、自分のことをもっとしっかりやって。
ウイルスって相手は、まったく目に見えない
んです。誰だってどうしたらいいのか迷って
しまうでしょ?」
 「そうかといってな、お前。ゴーツー旅行
ってのはどうかと思うけどな。ウイルスがま
ん延するのを助けてるみたいで」
 「そうはいっても、都会の人だって人間で
しょ。とうとう自粛自粛じゃかわいそ過ぎる
わ」
 「はあ。そんなもんかいな」
 山の神さまにはかなわないとみた種吉。
 玄関でスリッパにはき替えると、ゆっくり
二階の書斎にのぼっていった。
  
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 会津・鬼怒川街道を行く  ... | トップ | 会津・鬼怒川街道を行く  ... »

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事