油屋種吉の独り言

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忘却。  (2)

2024-04-07 20:08:49 | 小説
 二階の部屋。
 外向きの窓は二枚のガラス戸になっている。
 けっこうな重量感があり、開け閉めするのに両手を
使わざるをえないほどである。

 いちばん外側に雨戸があり、次に網戸がひかえてい
る。三番目がガラス戸。その内側に障子戸が外からの
陽光をさえぎっている。

 階下のかみさんの動向が気になるが、自らの身体の
不調のほうが問題で、ちょっと横になってれば、いつ
もの身体にもどるだろうとたかをくくり、右向きで身
体を、くの字型に保つ姿勢をとった。

 そのうち両のまぶたに鳩がとまったらしく、この頃
とみに、てっぺんあたりが薄くなった頭を、上下にこ
くりこくりと振りだした。

 「あんた、寝てたんだね。道理で静かだと思ったわ」
 耳もとで、かみさんがそうささやくのを聞くまで、お
れは夢の世界にどっぷりつかっていた。

 「うん……、ああ、まあ、そうみたい」
 ようやく、人らしい声が出て、胸のつかえが下りた
気分になった。

 からだも軽い。
 さっとベッドの上から起き上がれた。
 いつものかみさんと、ちょっと様子がちがう。
 態度がずいぶん殊勝だ。

 上半身をしなしなと動かす。かけぶとんをゆっくり、
めくり終わると、次に下に敷いてあるふとんを、右手
でポンポンかるくたたいた。
 それをふたつ折りにしてから、そっとかけぶとんに
かさねた。
 
 かみさんがこんなふうだと、かえって、おれの心中
の不安が増してしまう。
 「ちょっと、外の空気でも入れてみるか」
 なにげなくそう言った。
 「うん、お願い」
 
 やさしげなふるまいは、おれに、ちょっとした恐怖を
与える。
 しばらく窓際でガラス戸を開けるのをためらっていた
おれだが、思い切って取っ手に左手をそえ、力をこめた。

 ふだんよりするすると開いた。
 「少しだけにしてね」
 「ああ」
 おれの、おんぼろになった頭に、新婚当初の甘いかか
わりのひとつが浮かんできて、うつむいているかみさん
の肩に、両手をおいた。

 かみさんはそっと目を閉じ、あろうことか、くちびる
を突き出した。
 しかたないなと思いつつ、おれは彼女の要求に応えて
やった。
 ため息をつきたいが、我慢した。

 吹き込んでくる風に、ぬくもりは一切感じられない。
 身を切るごとく、ひんやりしている。

 おれはヴェランダを越えると、遠くを観るまなざしで
辺りを見まわす。
 太陽がすでに、西にかなり傾いている。
 その淡い朱色の光が、木の葉がすっかり落ちてしまっ
た木々の群れを照らし出している。

 「ちょっと買い物に付き合ってね。子どもらの夕食は
用意したわ」
 「ああ、それは良かった。近くに遅くまでやってる店
があるんじゃないの」
 かみさんの言い方次第で、おれの語り口が変わる。

 「お米の値段がね、高いわ。ほかの物も欲しい。でき
るだけ安く手に入れたいわ。そう思って急ぎの用は早々
と済ませたわ。久しぶりにあんたとU市まで遠出をして
もいいかなって思うの」
 「そうなんだ。めずらしいな」
 「うん」
 
 (かみさんの様子が変だ。かみさんにとって何かいい
ことでも、近いうちにあるのだろうか……)
 おれは首をひねった。

 「あらっ、あんたって。こんなところに光るものが付
いてる……。ほら、これ。この肩先に…」
 「ええっ、うそだろ」
 この日の朝以来、おれは自らのからだの変化が気になっ
てしかたなかった。

 「うろこ、みたいよ。一枚だけど。固くてごわごわし
てる」
 おれは内心、びびりながらも、
 「ああ、それね。きのうU市に行っただろ、その際魚
市場に寄ってね。そこでバカでかい魚をいじったんだ」
 思わず、うそを言った。

 「あら、そうなんだ。ちっとも知らなかったわ。この
ごろ、あんた、ちょいちょい、U市に行くのね。へえ、一
体、だれとご一緒なのかしら」

 かみさんは、おれの頭のてっぺんを、ほっそりした左
手でぴしゃりとたたいた。
「なに言ってるの。ひとりに決まってるよ」

 おれはいささかむきになりながらも、笑顔だ。
 だが、むりやり感情をおさえたせいで、しわしわ面の
皮がこわばってしまう。

 間もなく旧式の赤いインサイトに乗り、おれとかみさ
んは車中の人になった。

 「運転中はあまり話しかけんでくれ。横断歩道を通過
する際は、くれぐれも歩行者に要注意だからな」
 「わかったわ。テレビでも宣伝してるわね。日の暮れ
るの早いし、四時過ぎたら、前照灯アップにしたがいい
わね」

 ちょっと気になる昼寝の内容を、おれは夢分析でもす
るかのごとく考え始めた。

 夢かうつつか、この午前に、屋根の上で目撃した架空
の動物は現れなかった。
 ただ、この如月にしてはめずらしいほどのぬくもりの
ある中空を、自らの意識がふわふわと飛ぶでもなくただ
よっていただけだった。

 荘子に見える胡蝶ではない。
 もっと違った生き物の形をとっているらしかったが、そ
れが何か、確かめようがない。

 あくまでも夢の中の出来事。
 それが悔しくて、おれはぎりぎり歯をすり合わせた。
 するとまじかの雲が冷やされてしまい、氷の粒になっ
てしまった。
 空の一隅がピカリと光り、ゴロッゴロッと鳴った。
(こりゃ一体、どうしたことだ)
 おれは、どうにかなりそうな思いだった。

 ずっとずっと空のかなたの一片の白雲の上で、何者か
が手を振っている。
 よしっ、それじゃズームインするぞと、おのれのから
だをそこに近づけようとすると、たちまちのうちに彼ら
の頭上に着いてしまった。

 おれは、あっと声をあげた。
 そこには、この世でもっとも親しかった人たち、おれ
の親きょうだい四人が笑顔でたたずんでいた。

 こんなこと、たとえふたりでお茶してる最中でも、絶
対、かみさんに話さないほうがいいだろうと思った。
 



 
 

 
 
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鎌倉の竹林 (鎌倉八百ヶ谷戸の善財です)
2024-04-08 08:09:46
鎌倉の竹林は崖の崩落防止を目的とされたものです。鎌倉はとても崩れやすい土地で、毎年どこかが崩落しています。木々も大きく育つと大地に根を張り、風で大地を緩ませることになるため、最近では危険な斜面の伐採が行われています。京都の竹林とは趣も異なります。
Unknown (sunnylake279)
2024-04-08 09:48:22
おはようございます。
我が家も、とても重くて両手ですごく力を入れないと開かない窓があります。
主人公はもしかして、龍と一体化したのではと思いました。
それとも、知らぬ間に別の次元に来たのかもとも思います。
とても不思議なお話ですが、なんだかリアルですね。
続きを楽しみにしています。
ありがとうございます。

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