木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

議会の意見対立については認識論的真理主義より実存主義的視点で

2011-05-25 01:28:35 | 地方自治
 昨日(5月24日)、今期4年間の最初となる臨時会(定例ではなく、臨時に開催される本会議)が開かれました。そして、昨日の臨時会にて、正副議長、監査委員、各常任委員会委員、議会運営委員会委員などの選出や、特別委員会の設置などが行われました。

 先の4月24日実施の統一地方選挙を経、2011年5月2日から2015年5月1日までの任期を認められた江戸川区議会議員は正式に選出されていました。しかし、昨日の臨時会にて議長以下、議会運営委員会や各常任委員会委員、その他多くの決め事が正式に議決されるまで、議会は効率的に機能し得ず、ある意味、議会が存在していないとさえ言える状態であったと言えるかもしれません(厳密に言えば、存在していないという解釈にはならないのだと思いますが)。

 臨時会を開く前に、まず何をどのように決め、どのような議案にするのかを協議し、まとめておかなければなりません。議会のあり方については議員それぞれはもちろん、会派によっても考え方が異なります。そこで、5月2日来、昨日まで、拡大幹事長会や幹事長会を重ねて開き、臨時会で採決すべき議案について協議し、まとめてきたわけです。

 国会、地方議会を問わず、議会はそれぞれ異なった政治的見解を持った者同士が複数集まって構成されている場です。意見がぶつかり合うのはお約束のことがらで、ともすると百家争鳴になりかねません。会派単位で(政党単位ではありません!)で行動することで、ある程度の「百家争鳴」化は防御されているのかもしれません。しかし、会派ごとで意見をまとめたとしても、今度は複数の会派が存在することは防げません。そうすると、無論、会派同士のぶつかり合いが残りますので、ここで議会の協議は難航することになります。

 内容にもよりますが、政治的見解の相違にはしばしば理屈や理論を超えたものがあります。例えば、国防、歴史認識、人権、公共などのとらえ方などについては、相互の見解が異なれば、どんなに話し合いを重ねても、またどこまで行っても、議論は平行線です。こうした事柄をめぐっては、もはや思想、宗教の違いに近いものがあります。
 
 また、もっと下世話な話をしてしまいましょう。議会とて所詮、感情を持った人間同士が話し合い、決めていく場です。議員同士の感情的対立(要は、好き嫌いです)が要因となってまとまらないこともあります。いえ、かなりあります! 12年間在籍してきて、端的に感じることです。

 こういう場合には、いくら瑕疵のないもっともな論理を双方が積み上げて責めてみても、何らの歩み寄りも生まれません。お互いに「あいつは嫌い!」だからです。

 少数意見への配慮の一つとして民主主義には議論という場が用意されているとも言われます。しかし、協議の長期化でお互い体力を消耗してくれば、議論もだんだん意味性と可能性を失っていきます。(無意味とは言っておりませんので、お間違えなく!)

 そのように協議による解決の可能性が喪失された場合、あとは数の論理で決まるのみです。議会という「民主主義」体現の場で、非民主的な決め事が、「民主的な」ルールで決まるというのはよくあることです。何とも皮肉な現象です。(ただし、これとて、多数派の立場からすれば、「非民主的な決め事」でも何でもなく、決定事項も方法も「民主的」でもあり得るわけです。こうなると認識論の堂々巡りとなりますので、こっちが正義、あっちが正義という真理主義の議論はこの程度にしたいと思います。結局、議会には絶対者の立場の行司役は存在しませんし)

 こうした現象について、私は嫌味や恨み節を言っているつもりはありません(少しは言っていますが<笑>)。

 私は少数会派に所属してきた期間が長いので、議会運営上で有利な立場にあったという記憶はあまりありません。ですが、そういう状況下にありならが、以上のような現象に対し、ルサンチマンに満ちた恨み節ばかり言うつもりはありません。なぜなら、これが先の選挙をはじめ、毎回、民意に基づいて実施された選挙の結果であり、それに従って会派が構成されているのです。この事実を直視しないわけにはいきません。私たちが会派の意見対立をどうのこうのと論評し合う前に、まず選挙の結果が存在するのです(ある意味、実存主義的なとらえ方です)。意見の対立する議員や会派を恨んでみても、構造的には的を得ているとは言えないような気がします。

 ただし、もちろん、私個人としては議会のあり方や議会改革についての一家言を持っております。江戸川区議会の現状にはまったく満足しておりません。改革の意欲と希望を持っております。

 いっぽうで、議会改革に消極的な意見が今のところは大勢のような気がします。江戸川区議会では会派構成において大きな会派と小さな会派とに端的に分かれており、また、その会派構造が長期にわたり変化せず、やや硬直化しているということが、その大きな要因であろうと推測しています。(特定の会派や議員個人の批判は私の趣向とは異なりますので、そうした記述方法はとりません)。

 でも、どのような会派構造になったとしても、それぞれが選挙の結果なのです。投票率が40パーセントであろうとも、区民の半分以上が投票しなくとも、それぞれが有効に成立した選挙の結果なのです。

 自分にとって不本意であっても、不条理であっても、さしあたっては意見対立の事実を直視せざるを得ません。

 つまりは、いわば宗教的対立に近い現象を内包している議会という場において改革を実現させていくのには時間とエネルギーが相当かかるということだと思います。

 議会改革について、私なりに提案したいこと、主張したいことがいろいろとあります。今般の拡大幹事長会でも提案したことがいくつかありました。「宗教的対立」の解決策として理論というロゴスを追及することの虚無感を感じないわけではありません。ですが、理論で勝っていれば、常に優位に立てますし、時間がかかるかもしれませんが、理解者は増えていくものです。時代にそぐわない理屈は白日の下にさらされれば、必ず後退していくものです。私なりにすべきことは、こつこつと議会改革の理論武装を強化していくことだと考えています。

 今日は抽象的な語り口になってしまいましたが、機会を見て、具体的な議会改革の争点などについても提案していきたいと思います。




江戸川区議会議員 木村ながと
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