イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

137.永遠の火・旅行記最終回

2006年11月20日 | Weblog
【写真:記憶のホールの永遠の火】


 ここには、収容所から持ち運ばれた、犠牲者の灰が葬られているそうです。永遠の火は毎日再点火され、ホロコーストの記憶を日々新たにしているということでした。薄暗くて、かなり広い何もない場所に、ちょろちょろと燃えている火は、私たち旅行者の魂を沈め、永遠のことに心から思いを馳せる機会となりました。

 見学が終わって陽射しの強い外に出た時、改めて、アダムとエバの時代から脈々と受け継がれてきた、自分の血というものを考えました。そして、もっと先祖に感謝をし、家族を大切にしなければと切に思うのでした。
                               
                                   完

※あっという間の3ヶ月間でした。これで一応旅行記は終了しました。想い出に浸りながら、また新しい発見をしながら、今も主によって生かされていること、イエスが主であり私たちの救い主であられること、主は生きておられて、日々私たちを導いてくださっていることを証致します。ありがとうございました。

 しばらく休憩をいただいてから、今までお見せできなかった写真を提供しますので、お待ちください。また日を改めて、パウロの足跡を訪ねて行った、トルコも簡単に紹介したいと計画しています。
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136.ヤッド・バシェム(ユダヤ虐殺記念館)

2006年11月20日 | Weblog
【歴史博物館の入り口】


「みなさん、お疲れさまでした。いよいよ最後の見学となりました。これからユダヤ虐殺記念館、ヤッド・バシェムにご案内します。ここは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって虐殺された600万人のユダヤ人を記念し、記憶するために建てられた記念館です。ヤッド・バシェムとは、「記念と記憶」という意味のヘブライ語で、イザヤ書56章5節に由来しています。

 建物の方は、『歴史博物館』と『記憶のホール』に分かれていまして、歴史博物館の方には虐殺に関する公文書やフィrム、記念品、遺品などが展示してあります。記憶のホールでは、ガス室の悲劇を象徴する永遠の青白い炎が燃えていて、これはユダヤ民族の深い悲しみを表しているんです。

 また、ヨーロッパのユダヤ人をナチの手から救った、『異邦の義人』を記念して庭に木を植えていますが、杉浦千畝という日本人の木もありますので、後でご案内します」

 倉田さんの最後の説明を聞いた後、バスを降りて義人の木の庭を歩きますと、その全ての木に、名前と国を書いたカードが添えられていました。大木もあれば、まだ小さい木もあります。ずーっと奥の方に杉浦千畝・日本と書かれた、まだ若い木があり、しばし日本人の誇りに浸りました。
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135.エンカレム・マリヤ訪問教会

2006年11月19日 | Weblog
【写真:マリヤ訪問教会】
「聖書の世界」ミルトス社より
 

 バスの中で、倉田さんが説明します。
「みなさん、エンカレムは『ぶどうの畑』という意味です。バプテスマのヨハネの両親は、ザカリヤとエリザベツと言いますが、聖書によれば、彼らは『ユダの山里』に住んでいたと記されていますね。(ルカ1:39)
 そのユダの山里というのが、ここではないかと考えられています。狭くて急な道なんで、バスが入れません。体力に自信のない方は、残った方がよろしいかと思います」

 自信はないですけど、ここも、めったに来れない場所です。気合を入れて頑張ります。シナイ山と同じくらいの傾斜で、結構心臓にきました。途中、マリヤの泉を通過し、山の中腹まで上がりますと、美しい教会が建っていました。マリヤ訪問教会です。

 み使いの訪れを受けたマリヤが、ここに来てエリザベツに挨拶したのを記念して建てられました。中の壁画は、そのことを描いていて、私にも受け入れられる美しさです。外の壁には46カ国の「マリヤ賛歌」が刻まれていて、もちろん日本語のもありました。
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134.模型のエルサレム・町並み

2006年11月19日 | Weblog
【写真:エルサレムの町並み・50分の1の模型】


 すっかりイスラエルに魅せられて・・・本当に不思議な国です。できれば、この模型のエルサレムの中に半日ぐらい浸かって、聖書を辿りたいものだなあと考えます。
 このあと私たちは、イエスの母マリヤがエリザベツに会ったという場所に行くことになっています。
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133.第2神殿時代の模型・エルサレム

2006年11月18日 | Weblog
【写真:50分の1のソロモン神殿】


 ホーリーランドホテルの庭園に、イエス・キリスト時代のエルサレムの模型がありました。ロ-マ軍によって破壊される前の様子が、実際の50分の1に縮小して再現したものです。使われている石は、エルサレムストーンといって、本物の城壁と同じ石だと説明がありました。

 イエスが歩かれた道や神域の様子が、手に取るように分かるので、大変参考になりました。言わば、エルサレム見学の総復習といったところですが、さて、写真を撮るとなると、どこに焦点を合わせたらいいか迷い、結局一番はっきりしているソロモン神殿を中心に撮りました。

※ビデオカメラの持込は12ドル(当時)必要です。
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132.カルド・キュリナリア

2006年11月17日 | Weblog
【写真:古代ローマ式レストランで】

 それぞれの思いを抱きながら、ヴィア・ドロロサを歩き通した満足感。昨年の12月には流れるコーランを聞きながら歩いたものでした。キリスト教は鐘を鳴らし、ユダヤ教は角笛を吹きます。

 コーランと鐘と角笛が、妙に調和する旧市街を、どうやらレストランに向っているようです。新宿の地下街のような、洒落た通路に入ってまもなく、カルド・キュリナリアがありました。中に入ると、まず入り口で肩からローブをつけ、月桂樹の冠をかぶせられます。一瞬にしてクレオパトラかシーザーか、映画の主人公になったような気分でした。

 今から2千年前のユダヤ人の生活、当時の食文化を忠実に再現しようと試みたのが、このレストランで、ローマの影響下にあった、その当時への回帰体験でした。その辺に、素焼きの壷がコロコロと無造作に置いてあり、テーブルは、石灰岩製のコの字型。壁画もロケ現場のように、古代ローマの雰囲気いっぱいです。おまけに明かりはオイルランプ。

 店長も同じ格好で、天使が吹くような長~いラッパをプ~~プ~~。大歓声が上がります。食事をしている間は、これまた当時の格好をしたウエートレスが、半畳ぐらいの大きなウチワでゆったりと扇ぐサービス。もう最高でした。
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131.ヴィア・ドロロサ/第13ステーション

2006年11月17日 | Weblog
【写真:十字架から下された場所】
「聖書の世界」ミルトス社より

 アリマタヤのヨセフとニコデモが、イエスの死体を十字架から下して、寝かせたと言われる場所(ヨハネ19:38~40参照)

 この同じ建物の中に、イエスの埋葬場所、墓と言われる所があるのですが、私たちは先に見学した「園の墓」の方を墓と認めていますので、この中にある墓は見学しませんでした。
 これで、イエスが十字架を担いで歩いた、ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)は終りですが、私たちの旅はもう少し続きます。
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130.二つのステーション

2006年11月16日 | Weblog
【写真:聖墳墓の内部】 外国の本より


 右側が十字架に釘付けされている場所・11ステーション
 左側が十字架上で息を引き取られた場所・12ステーション

 何か痛々しくて直視できないような気分でした。ゲッセマネの園で聞こえたあの言葉が、再び聞こえてきます。

「わたしがここで、血の汗を流すほど苦しんだのは、お前の至らなさを赦すためではなかったのか。十字架にかかったのも、お前の罪を赦すためではなかったのか。 全人類のためとか、わたしたちのためとか言ってるうちは、お前はまだ、わたしから遠い。わたしはお前のために苦しんだ。お前のために十字架にかかった・・・」
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129.聖墳墓教会

2006年11月16日 | Weblog
【写真:聖墳墓教会】外国の本より


 この中に、イエスが衣を脱がされた10番目のステーション、
十字架に釘づけされた11番目のステーション
息を引き取られた12番目のステーション、
十字架から降ろされた13番目のステーション、
墓に葬られた14ステーションがあります。

 ※この葬られた場所が、ここの14ステーションとする説と、園の墓とする説があるのですが、さてあなたはどちらの説を?

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128.ヴィア・ドロロサ/第6ステーション

2006年11月15日 | Weblog
【写真:ベロニカがイエスの顔を拭いてあげた場所】
「聖書の世界」ミルトス社より


 クレネ人シモンが代わって十字架を担ぎ、再びのろのろと歩きはじめたイエスに、一人の女が近づいて顔を拭いてあげました。ベロニカです。ベロニカという名前は、聖書のどこを探しても見つけることはできませんが、遠藤周作に言わせれば、彼女は誰だっていいと言うのです。

「ただその時、この女の心には胸のしめつけられるような、烈しい憐憫の情が溢れてきた。その感情はもはや周囲の人々の罵声や、兵士たちの暴力や妨害をこえて、この苦しんだ男に手を差しのべた」(遠藤周作)

 それでいい。私もそう思います。ベロニカという女性がどんな人なのか知らなくても、遠藤周作は、
「このおそろしい雰囲気の中で一人だけ、人間をかばおうとした女がいた事。それが僕たちをホッとさせる・・・・ベロニカの小さな存在は、社会や群衆がどんなに堕落しても、人間の中にはなお信頼できる優しい人のいる事を、教えてくれるようだ」とおっしゃるのです。

 ある説によれば、ベロニカは、キリストの衣に触れて十二年間の長血が癒された、あの女性だといわれているそうです。(ルカ8:43~48) 

 第7S、第8S、第9Sは説明だけ聞いて、この後いよいよ聖墳墓教会へ進みました。第10~14のステーションは聖墳墓教会の中にあります。


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127.ヴィア・ドロロサ/第5ステーション

2006年11月15日 | Weblog
【写真:クレネ人シモンがイエスに代わって十字架を担いだ場所】
「聖書の世界」ミルトス社より


 ルカ23:26をひも解いてみましょう。
*彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕らえて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。

 その場所にあたるのが、ここだと言うわけで、写真のような建物があります。面白いことに壁には大きな手形がつけられていて、シモンが代わりに十字架を背負った時、思わず手をついたのだと説明がありました。私たちはみな、その手形に自分の手を重ねて、当時に思いを馳せました。
 
 手形そのものを撮ったはずなのですが、その写真を見つけることができませんでした。見つかった時点でお目にかけたいと思います。それにしても、イエスの弟子たちが一人もいなかったのでしょうか。大いに気になるところですが、聖書には次のように記されています。

*・・・・弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。(マタイ26:56)
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126.ヴィア・ドロロサ/第4ステーション

2006年11月14日 | Weblog
【写真:母マリヤに会った場所】

 
 イエスが十字架を引きずりながら、また倒れながら歩いている時、ここで母マリヤに会ったという記念の場所です。女性の目から見れば、なんかほっとして、親子の情愛を感じる場所でもあります。言葉など必要ない、ただ手を握りしめるだけ。母マリヤの気持ちが、じわ~っと伝わってくる場所でした。
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125.ヴィア・ドロロサ/市場のような道

2006年11月14日 | Weblog
【写真:大晦日の市場のような道】 

 私たちはただ黙々と、倉田さんの後からついていきます。あまりにも狭い道。両側にビッシリ並んだ店。その中を行く人来る人でごった返しています。まるで大晦日の市場の中を歩いているようでした。

 ちょっと覗いてみたいお店もあったが、そんなことは許されるわけもありません。迷子にならないように、またぶつからないように、スイッチオンにしたビデオカメラでさえ、私は頭の上に乗せて歩きました。

 ここはスリにやられる旅行者が多いということで、どんどん歩きます。あまりの喧騒に、イエスのことを思っている余裕などありません。差し込む太陽の光も、湯気と煙に巻かれて、行く手を青く照らします。言葉で表現できないほど、異国情緒たっぷりでした。
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124.ヴィア・ドロロサ/最初に倒れた場所

2006年11月13日 | Weblog
【写真:最初に倒れた場所】 第3ステーション
聖書の世界(ミルトス社)より


 十字架は70キロぐらいの重さがあったそうですから、飲まず食わずでムチ打たれ、その後での十字架ですから、よろめくのも無理ないでしょう。
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123.ヴィア・ドロロサ/ムチ打ちの教会

2006年11月13日 | Weblog
【写真:ムチ打ちの教会】第2ステーション


「ヴィア・ドロロサというのは、ラテン語で『悲しみの道』という意味です。ローマの総督であったピラトの官邸から、ゴルゴダの丘(聖墳墓教会)までの、全長約1キロが、ヴィア・ドロロサと言われています。イエスが十字架を担いで歩かれたあの道ですね。14のステーションがありますので、その同じ道をこれから歩いて行きます」

14のステーションとは次のような場所でした。

 1・死の宣告を受けたピラトの官邸
 2・鞭打たれ、十字架を背負った場所
 3・最初に倒れた場所
 4・母マリヤに会った場所
 5・クレネ人シモンが、代わって十字架を背負った場所
 6・ベロニカがイエスにハンカチを差し出した場所
 7・ニ度目に倒れた場所
 8・婦人に話かけた場所
   「・・・わたしのために泣くな。むしろ・・・(ルカ23:28)」
 9・三度目に倒れた場所
10・衣を脱がされた場所
11・十字架に釘づけにされた場所
12・息を引き取られた場所
13・十字架から下された場所
14・墓に葬られた場所

※まず、ビシッ、バシッとムチで打たれるイエスを想像しました。聖書によれば、顔につばをかけ、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて・・・とあります。(マタイ26:67参照)
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