たそがれ日記

したたかに、しなやかに。

ボランティア交流会

2012-03-26 23:12:00 | 日記

年1回 ボランティアをやっている人を、希望募集し、先着順に交流会に参加
出来るイベントがある。
バス1台分なので、参加したくても、行かれない人が沢山いる。
丁度、ボランティア活動日だったので、速い時間に申し込みが出来、
今年は川越に、
行く事が出来ました。

それぞれに活動が違うので、普段は会う事は無し。それだけに、
色々の人との、
交流会は、楽しい会話が弾むのに、時間がかかるが、
得るものが多く、参考になり、
貴重な1日でした。

ゆずりは自身としては2回程、川越には、行った事がるが、以前より、
街自体力を入れているが、以前の方が楽しかったなぁ~と言う気持ちは、
いがめない。



文化財として貴重な喜多院。最近は、川越と言えば、五百羅漢と言うほど
有名になった538体が鎮座している。

以前は、もっとあった、菓子屋横丁。
市のバスは無料で帰る時間が決められているので、蔵作りをゆっくり
見学したかったのですが、叶いませんでした。


井の頭自然文化園にて撮影

2012-03-23 22:56:22 | 日記

21日未だ寒さで、震えながらの撮影に、先日の多摩動物公園の失敗所を
もう一度見直そうとやってきました。

ピントを確かめて、背景を確かめて、素早く撮る


猿の親子の愛情たっぷりの、仕草に見とれて、しまった。
AFでピントが難しい時はMFで自分が動く事した。

AF,SS,ISO、被写体の明るさ・・よく考えたつもり。
それでも満足ではない。
何度も挑戦してみたいです。


ドジな日が続く。

2012-03-15 23:17:09 | 日記

そそっかしいのが玉にキズの ゆずりは。

①大事なショートヘアピースを自分で洗って陰干ししていた2,3時間。
  風がどこかに持って行ってしまった。
  庭中、くまなく探したが、見つからない。その後雨が降り、きっと土の中に
  埋もれてしまってのでしょう!。     
                                あ~ぁ 8万円がパア~。

②よろけたはずみに、付けていた望遠レンズが転がり、曲がってしまった。
 距離を出す所が割れて写す事は出来るが、同じ角度ばかり。
 新宿のキャノンに相談に、行ったら・・これは駄目だ。と
 新しく買い替えるか、直すのは出来るが、非常に高いです。
 全く・・もうっ。                     これも 〇万円がパア~。

③春の準備にと、スカーフを買った。
 突然の春風にあっと言う間に空高く舞い上がり、あれよあれよと
 空高く 飛んで行ってしまった。
                                  これも  パ~。

④先日の海ほたる行きに、傘がお猪口になり、買うはめに。
今日は朝から晴れていたので、傘を持たずに出かけたら、途中から大雨。
困り果て遂に買う事に。
                                   これも散財。

どうしたと言う事??  何か良い事ないかしらね?ついてないゆずりは。

でもよい事一つ。
 血糖値が下がり始めたのです。170まで上がったのに、小さい薬1個で
 1か月の間に、低血糖になるまで下がった。
 下がりすぎで、90。(これはキケンらしいが)
 先生から薬はもう、飲まなくてもよいとの事。  バンザ~イ。???
 


撮影会に参加。

2012-03-14 22:25:54 | 日記

多摩動物公園
 
 雪の翌日(3月1日の事)20人程の方々と、重い一眼を持ち出掛けました。

 掛りの方は入園者のために、雪かきを早朝からしたとか、歩くには困りません
 でした。
 雪の中で遊ぶ動物たち・・と言う珍しい風景に、こちらは大喜びでした。
 動く動物は難しい。に尽きます

 
雪の中を闊歩するキジ              金網を消しての撮影ピントが難しい。
 
ポーズをつけてくれた。             中々正面を向いてくれない。
 
温室の中は暖かくてレンズが曇る。     飛び回る蝶を追いかける。
 
珍しい蝶。                      やっと落ち着いて蜜を吸う。

寒さに弱い動物は外に出ず、又、出さない・・と言う事で、余り撮れませんでした。
この日は9800歩・・午後に成ると、コートもいらず、リュック、三脚、脱いだコート。
下は雪解けで濡れているので、置く事もならず、大変でした。
いつも一人で行くので、何か参考になるかと思ったのですが、皆、バラバラ行動。


日本人になった。

2012-03-10 22:37:51 | 日記

日本文学者の ドナルド・キーン さんが震災で国籍取得と日本永住を決心した
・・と言うニュースを聞いて、
10年前、娘のように可愛がっていた中国生まれの彼女の事を思い出した。

国費留学生として、日本滞在中の彼女が、近所に住んでいた事で、知り合った。
色々な事がある度に、相談に乗ってあげていた。素直な愛すべき子でした。

大学を優秀な成績で卒業。卒業式には振袖袴を着せてあげ、嬉々としていた。
日本人枠しかない、厳しい就職試験にも合格。
中国と日本との架け橋になりたいと夢を語っていたある日。

日本のお父さん、お母さん・・聞いてほしいと真剣な顔で話しだした。

帰化したい。嘘でしょ。帰化するとはどんな事か、解って話してるの?の会話が
続き・・それ以来すぐには、返事は出来なっかつたのです。
よく考えて、良く考えて・・と何度も説得。

ひと月も過ぎたころ、気持ちは決まった・・と。以前から考えていた事であるし、
保証人は中国の人と、大学の先生。

日本の役所の手続きが、大変・・日本名を是非考えてほしい・・と。
実家の親にも了解済み。
実家の親が挨拶に来日するという所まで、考えていた。

本人の中国名の一字を、入れ、姓名判断の本を読み、候補をいくつか考えて、
決めた。〇〇〇子と本人も気に入り、役所に提出。新しい職場で、日本人として
歩み始めた。
此のバイタリティイに今時の若いものは・・
との考えは逐次消えていきました。

職場の寮での一人住まいの生活が落ち着いた頃、初給料で買ってきた・・と
お酒を持って現れました。もう立派な日本女性。敬語と話し言葉の違いさえ身につけ、
驚くばかり。

ゆずりはの考え方も変わっていかざるを得ない。凄い経験をさせて貰いました。


いつか彼女のその後、現在を又書いていきたいと思います。
出張先からのメールが届きます。目まぐるしく世界を飛び回っているようです。

勿論、日本名で。


ルミナリエ

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