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ガエゆだR。

~ガチとエンジョイとの狭間で未来の夢を抱くブログ・REBOOT。~

【ATTENTION】始めにお読みください【NOTICE】

この度は本ブログに足を運んでいただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログを読むにあたり、注意事項がありますので、三つ…言わせてください。
一つ。本ブログはタイトルの通り、「デレマスのガチ勢なのかエンジョイ勢なのかよくわからない人のブログ」なので、
「若干ヒリつく話題にも首を突っ込み自分なりの解釈を述べるブログ」、という側面を持ちます。なので、燃えそうなヤツはいつの間にか無くなってるかもしれません。
二つ。管理人の性分がクソマジメちゃんなのでいちいち言う事が堅いです。ぶっちゃけクソつまんねー事も有ります。ご了承ください。
三つ。特にありません。…と言いたいところですが、自分の考えは飽くまで「ガチ勢でもないエンジョイ勢でもない半端者」のお話です。
読み流す程度にご覧ください。
以上となります。大変長らくお待たせ致しました。それでは、ごゆっくりお楽しみください。

メグル蝸旋

2024-02-17 01:17:40 | (小難しい)雑記/お知らせ
【始めに】
当記事は記事タイトルの由来にもなったjon-YAKITORY feat. Adoの蝸旋らせんを聞きながらor聞いてからお読みください。
個人的に当記事で扱うセクシー田中さん事件が、本楽曲がテーマソングになっているLOST JUDGEMENTロストジャッジメントを彷彿とさせるためなのですが、
そちらの内容を知っている方には理解いただけるかと思います。



えー、非常にセンシティブな話題を取り扱うため、少しでもするりとお話が入ってきやすいよう、
中和剤のようなものを用意させて頂きました。真剣な話題やのに何してんのコイツと思った方、ごめんなさい。今から真面目にお話します。

てなわけでどうもKlowです、おはようございます。

実写ドラマ版「セクシー田中さん」放送後、脚本家の相沢友子先生の「原作者の脚本参加に戸惑った」旨の発言に、ブログとTwitter改めXで反論を展開したのち、
その数日後に遺書をしたため、芦原妃名子先生が自殺したという原作ありのドラマ制作現場史上恐らく初の惨劇が起きた、俺個人的通称「セクシー田中さん事件」
その後、小学館から謝罪っぽいコメントが発表されるも延焼は止まず、2週間と4日経って渦中の日テレが重い腰を上げ、内部調査チームが始動した事で
一旦は静観のフェーズに入った所だったのですが、どうにも本事件について相沢先生の話を鵜呑みにしてらっしゃるのか、
はたまた斜め読みして芦原先生のブログ記事をあまり覚えてらっしゃらないのか、それともブログ記事を読んでやがらないのかは定かではありませんが、

「原作者が脚本書いてくれ、なんて誰も頼んでない。ドラマに首を突っ込んで、
最悪放送中止にでもなった時の責任取れんのか?連載してる途中ならそっちに集中しとけ。
あとで『あのドラマは納得行ってないの』って愚痴るだけにしとけばいいじゃん、と
死んだ人に対してだけど腹立つ」
(要約)

と言った旨の芦原先生への冒涜や侮辱に近い話をしてらっしゃる方を見かけまして、こいつぁいけねえ…と思い立ち、
日テレの動向を静観するしかなくなった今だからこそ、自分が抑々どういう話をしてたかをちゃんと頭に定着させる、というか、いつでも自分が見返して
整理できるメモ帳というか事件簿代わりと言っちゃないんですが、芦原先生が嘗て削除したブログ記事でどういった話をしていたか、
事の発端となった相沢先生のInstagramの投稿と合わせて自分で調べた事を纏めておきたいと思います。


○【発端】
始まりは去年12月24日、クリスマスイブの日。「おしゃれクリップ」終わり、日曜10時半からのドラマとして放送されていた
実写版セクシー田中さんは、丁度今日で最終回を迎えるという当日、相沢先生は後に大問題に発展するpostをInstagramに投稿しました。

「最終回は自分の脚本じゃなく、原作者が自分が脚本したいと希望したため、
過去に経験の無い事でしたが、残念ながら・・・・・急遽脚本協力という形で携わる事になりました」
(要約)

と言った制作現場でトラブルが起きたかのような話をしており、よく読むと「芦原妃名子先生」という個人名を出さず「原作者」と書くに止め、「残念ながら」と
強調する辺りに、後述する芦原先生の反論を踏まえて読むと相沢先生がよほど衝撃を受けたか若しくは悔しかったのか、まるで
「ラストだけ原作者がしゃしゃり出てきて、自分の仕事を盗られた」とでも言いたげなpostは、それなりに反響を呼んだようでした。


○【反論】
最初は然したる話題にもなっていなかったようですが、どうやらそれがかなり遅れたのか、それとも早く届いていたのかは分かりませんが、
このpostは原作者たる芦原先生の目も留まったらしく、芦原先生はこれに反論すべく、数年間放置していたというブログを更新。更に、記事を書く少し前、
1月18日頃に立ち上げていたTwitter改めXのアカウントでも、ブログ記事と同等の内容を投稿します。
これが1月26日、約1か月遅れての事でした。今思えば、1か月間書くか書かざるべきかという葛藤があったんではないかと推し測ってしまいますね。
記事の中では、

9話と10話の脚本を書かざるを得なくなった・・・・・・・・・・・ことを、ちゃんと説明しなければならないと思い記事を書きます」(要約)

と前置きした上で、どのような経緯で脚本を行ったかが克明に記されていました。現在此方のブログ記事は削除されている為、
ニュース記事などを調べてそこに記された内容に依れば、まず、ドラマ化するに当たって芦原先生は

☆ドラマ化するなら、必ず漫画に忠実にして欲しい。忠実でない場合は加筆修正します
☆原作未完なので、ドラマ版最終回近くの話は漫画の話に影響しないオリジナルシナリオを自分が作ります


という条件の元、実写ドラマ版を作って欲しい…と、小学館を経由して日本テレビに伝えて貰ったそうです。しかし、いざ脚本のプロットが上がってみると、
原作漫画を大きく改変したものが提出され、芦原先生がセクシー田中さんという作品の核として描きたかった部分がばっさりカットされていた為、
なんでこうなったの?と聞いても納得の行く回答が得られず「作品の個性を消されるぐらいならドラマ化やめる」(要約)とも訴えた上、
なんで改変されたくないかも丁寧に伝えた上、粘りに粘ってほぼ原作通りの話に直してもらったとありました。

また、完成に漕ぎ着けた頃には最初に伝えたドラマ化の条件が余りにも反故にされていた為、自分達に知る術はないが、「何でこうなったのか」という
疑問を抱えながらの加筆修正作業に追われて相当疲弊していたそうで、8話から10話の最終盤の脚本を担当しようかという約束だった筈が、
それも反故にされて8話から10話までの脚本も上がって来たそうです。この時点で自分としては日テレが殿様商売してるんじゃねえの?と思えてしょうがないですね。
「原作ありのドラマでも話変えてナンボやし?つかなんでそんな嫌なんすか芦原センセ(笑)」みたいな。

その後、「一旦自分が書いた脚本をそのままドラマに落とし込んで欲しい、至らない所が有れば相談して欲しい」(要約)という旨のリクエストを小学館を通して
伝えて貰ったそうですが、ここまで脚本家の相沢先生や監督、キャスト陣の皆さんには直接会った事が無いそうで、
小学館と日テレの間で改変された脚本が上がって来ちゃあ当初の約束通りにしてくれ、と突き返すという事が何度もあり、それから4週間経っても
事態が進展しなかったらしく、製作期間のリミットも迫ってきたこともあって何とか8話だけは改変される前の内容に戻してもらったものの、それでも埒が明かない
判断した結果、小学館を通して「原作者脚本をそのままドラマ化して貰える方に脚本を変わって頂きたい」とすらリクエスト。結果
「8話まで書いてた相沢先生は関わらない」と聞いた上で「9話と10話は芦原先生が脚本を担当する」ということになったとありました。

素人がプロの脚本家の見様見真似をして、不満の残る話になったと思う事はお詫びすると共に、素敵なドラマにしていただいた事を感謝します
といった感じでブログ記事は締めくくられていました。恐らく、芦原先生はメンタル的にも色々と正気を保っているのがやっとだったろうに、滅茶苦茶丁寧に言葉を選んで
最大限傷付けることが無いよう配慮しながら、芦原先生側で起こった事実を克明に記しておられました。

…しかし、この記事のリアクションは、特にTwitter民は「実写化はクソ」という風潮が強く、事実が明るみになるとともに相沢先生のpostが白日の下に晒され、大炎上
自らの想定ではなかったのか「、誰かを攻撃したかったわけではない」と言った旨のTweetを残したその数日後。芦原先生は自らの命を絶ってしまうのでした。


○【その後】
時は遡って、クリスマスイブのpostから4日後。あのpostは当時もそれなりに話題になっていたらしく、嘗て最終回に寄せたpostに対して
釈明するような内容
を記していました。曰く

「自分が脚本したのは8話までで、9話と10話は原作者によるものです」
「今回の出来事は、ドラマ制作の在り方や脚本家の存在意義について考えるものでした。
二度と同じことが繰り返されませんように」
(要約)

といった感じの投稿でしたが、芦原先生の死後、本postを掘り起こしたほぼ全員が見事なまでの被害者面やな」と読み、相沢友子先生は渦中の人となります。
その後のTwitter民のリアクションは皆様の知る通り。トレンドワードに「脚本家のせい」という短文が踊る程、相沢先生はその罪を問われる事となりました

それから相沢先生はこの事件が刻一刻と過ぎる中、2月6日頃に自らのInstagramに新たなpostを投稿しますが、そちらのpostもその後の対応も含め、
火に油を注いでしまいます。文中では芦原先生にお悔やみ申し上げる挨拶に始まりますが、

「自分にとっては初めて聞く事ばかりで、いったい何が真実なのか、
何を信じればいいのかと動揺している内に日が過ぎて行った。今も混乱している」
(要約)

とあり、自分もこの文章を書きながら初めて見た時の「お前のせいやろがいけしゃあしゃあとよお」という怒りがハッキリと蘇るレベルで不愉快な思いをしたのですが、
飽くまで相沢先生は本件に関して被害者であるというスタンスを崩さないようでした。ただ、正直相沢先生には芦原先生からのディレクション
日テレの制作陣から伝言ゲーム式で伝わってる筈なので、全くこの事情を知らないという事は無い筈なのに、それでもこんな
「自分は無実です」と雄弁に語ってる被害者面が出来るのは、筆者としては「このクソアマ面の皮1000万枚張りなのかな」と思ってしまう次第です。


○【現在】
そして現在。小学館がコメントを発表するも、長々と語っている割には最後に泣き落としに走ったような、文面に透けて見える被害者面から
そちらも大炎上する結果となるなど、この事件で加害者の容疑がかっている登場人物全員が被害者面をすると言う、
「虐められっ子虐めを苦に自殺し、それを受けて『そんなつもりじゃなかったんです』と釈明する虐めっ子集団」を見ているかのような煮え切らぬ現状に、
事態が中々風化しないどころか炎症が止まらないと判断したのか、日テレが内部調査チームを擁立。この事件に関してしっかりと時系列を追って調査していく、と
漸く一連の事件の真犯人最有力候補としてマトモな事を言い始め、現在はその調査結果が出る事を一刻も早く願いながら静観するという段階に突入したという訳です。

しかし自分は嘆くわけです。冒頭の蝸旋を引用して、そして俺の言葉として「お前らのせいだ」と。
現状何がどうして芦原先生を追い詰めたのか、定かではありません。けれど、小学館を盾にするように、そして抑々炎上している相沢先生を捨て駒にするように、
ダンマリを決め込んでいる日テレが、筆者的には何より気に食わないのですが、それはまた別のお話、ということで。


以上、自分がザッと調べたセクシー田中さん事件の一連の流れな訳ですが、小学館のコメントや日テレのコメントを大きく取り払い、
相沢先生と芦原先生のコメントに集中して記事を書かせて頂きました。ぶっちゃけ全員被害者面なので煮え切らない思いを今でも抱えているわけですが、
個人的には日テレの内部調査チームが願わくば、しっかりと仕事をしてくれることを期待します。

最後になりますが、自分はこのようなブログ記事を書いた理由は、この事件を追っている外野に対してそういう茶化したコメントをしたヤツを見かけたので、
自分が似たような事を言われない為にも…という感じではあるのですが、「人の死を出汁にして承認欲求を満たしたい」とかいう、
カスみたいな願望で書いたのでは断じてありません
自分がこのセクシー田中さん事件についてTwitterも含めれば事件発生から2週間以上定期的にクドクドブツブツ呟いていますが、自分が「漫画や小説が原作の実写ドラマ」を
楽しんでいる受け取り手
の一人として、二度とこのような事が有ってはいけないと思ったし、アニメではもう既に「映像化に当たって基本的には原作を尊重する」という
暗黙のルールが出来上がっているのに、実写版はまだこんななんかと思った俺としては、ぶっちゃけ「実写化の裏で、余りにも原作と乖離している事にショックを受ける原作者が
いるかもしれない」と想像しながら見たくない
、というのもあり、実写化界隈がもっと原作を尊重する流れが出来て欲しいと、セクシー田中さん事件を忘れられずにはおれんのです。

一日でも早い再発防止に向けた実写化ガイドラインの順守が徹底化される事を願い、お終いとさせて頂く事にして。

ワスルルナ死

2024-01-17 18:27:10 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

皆さんは「メメント・モリ」という言葉に聞き覚えはないでしょうか。ええそうです最近スマホゲーのタイトルになったあの言葉です。
これって何ぞや、って話なんですがズバリ

「人生のネタバレ 死ぬっぽいな」(♪神っぽいな/DECO*27×ピノキオピーfeat.初音ミク)

です。分かりやすく言えば。
ちゃんと解説すると「死を忘れるな」「死を想え」とも翻訳される古代ローマの頃にはすでにあったラテン語の言葉でして、
現代では主に「人はいずれ死んでしまうので、今を生きよう」というニュアンスで用いられる言葉だそうです。

で、何で突然こんな話をするかと言いますと、最近聞く音楽でちょいちょいメメント・モリを感じるものがあるな、と思っての事だったりします。
具体的に曲名と歌手名を挙げると(敬称略)

カラタチの夢/大橋トリオ
/藤井風
光の跡/星野源
私が明日死ぬなら/キタニタツヤ


あたりかな、と。以上、自分が聞いた順に羅列しましたが、この4曲の根底にはメメント・モリがあるような気がするのです。
全ての曲に細かく触れて行くと、文章量がえげつねぇ事になる上、抑々筆者が疲れるので割愛しますが、
「カラタチの夢」には「いつかは死んでしまうなら、自分らしく生きて、笑って行こう」
「花」には「全て枯れて行くけれど、それでも自分だけの花を咲かせに行くんだ」
「光の跡」には「人は跡形もなく消える様に死ぬけれど、きっと自分の『光の跡』を作る為に思い出を作るんだ」
「私が明日死ぬなら」には「自分がもし明日死んでも、あなたはどうにかこの歌を頼りに生きて行ってね」
と言った具合に、「何れ来る死と向き合って上でどうして行こうか」というニュアンスの歌詞が含まれている曲であり、そう言ったいずれ死ぬなら今を生きよう
もしくはいずれ死ぬからこそ今を生きて欲しい、という願いが込められていると解釈できる歌であると言えるんですね。
尤も、4曲目は「今から自殺する人が友人や親族に当てた歌」という風にも聞こえてしまうので、メメント・モリとはまた違うような気もしますが、
それでも「死を意識させる」という意味では一緒なのかな、と思ってもいます。…しかし、先述の通りの印象だったので、
初めて「hope with music.」がテーマのCOUNTDOWN TV LIVE! LIVE!スペシャルで唄ってるのを見た時は目玉剥いたのはここだけの話。
いやマジでここまでテーマに沿ってねえ歌を堂々と唄ってるのあたしゃ初めて見たよキタニくん。

で、2023年後半~2024年初頭にこんなにもメメント・モリがある曲を直近で4曲も効きましたが、直近でそんな曲が世にまあまあ出た理由としては、
やっぱりコロナ渦の影響が大きいのかな、と思っています。2020年~2023年頃までの約3年間、多くの人は死を間近に感じながら暮らしてたんじゃないかなと思いますし。
2020年、中国は武漢を起点とし、世界に蔓延したコロナウイルス。多くの罹患者と死者を出したそれは、日本にも大打撃を与えて行きました
正直に言えば、自分の母方の祖母と、父方の祖父もコロナウイルスで亡くなり、自分も死を間近に感じて生きた一人です。

そんな所謂「アフター・コロナ」、「ウィズ・コロナ」の時代でリリースされた曲に見るメメント・モリと言えば、少し遡って2021年、
Official髭男Dismがリリースした「アポトーシス」がそれに該当すると言えます。
病気で後先のない主人公が、死の恐怖と向き合いながら少しずつ残りの人生を暮らし、遂には眠るように息を引き取る、という物語が描かれた曲なのですが、
リリース時期的に考えると、ボーカルで主に曲を製作する藤原聡くんが、身近な人の死があったのかなと感じられるくらい克明に記された歌詞からは、
先述の「私が明日死ぬなら」と同じく主人公が死ぬ事でメメント・モリを感じられる曲なのかなと思っています。

結局、何を申し上げたいかと言うと、これからもこういう曲がリリースされるとは思っていて、それはやっぱり「コロナ渦を経験した今だからこそ、
人は死んでしまうのだから、今を自分らしく生きて行こう、生きて行って欲しい」という思いが込められていると解釈できる、優しい気持ちで作られた筈の曲だと
思いますので、皆さんも耳を傾けてみて下さいね、という話です。

今日が阪神淡路大震災から29年と言う事で、いち兵庫県民として今日が何事もなく、平和に過ごせることに感謝しながら改めてこういった記事を
書いてみましたが、相変わらずの辛気臭さだなと振り返りつつ、お終いとさせて頂くことにして。

シャベル責任

2023-08-07 22:02:22 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

今月はアーマード・コアVI発売月と言う事で、フロム・ソフトウェアさんが日本各地の電器屋さんを舞台に試遊回を開いており、
10年越しの新作に沸くファン、今作がACが初めてと言う新入り等様々な人たちが各地の電器屋さんに集い、
試遊回でボスを撃破したプレイヤーは周囲から「大阪の逆脚」地名を冠した渾名がつけられるなど、発売前から凄い盛り上がりを見せています。
筆者は会場が大阪にしかなく、行くにも資金も労力も乏しく歯痒い思いをしている兵庫県民なのですが、
ここまでの盛り上がりなので、自分も早くゲームを買い、自分があっためているC4-621くんのイメージ象を形にしてルビコン3で暴れ回りたいものですね。

…と、これだけなら穏やかな話で終わるのですが、それで終わらないのが当ブログ。
ブログ記事をアップロードする時は必ずもやもやした気持ちや我慢できない思いを抱えながらキーボードを叩くのがのが最早決まり。じゃあ何を悩んでるのという話ですが、それは
とあるアーマード・コア4を解説する動画が、ゲームのストーリーをちゃんと追いかけながら遊んでいれば中々間違わないような情報がいくつも含まれており、更に
それを「この動画を見れば全部分かる!」的な動画タイトルをつけ、事実しか語っていないかのように振舞っているものがあるのです。
当の自分も我慢できずに該当動画のコメント欄は勿論、彼のTwitterもといXアカウントにも一言二言物申してしまったのですが、
その動画をアップした方のファンからは「ちょっと厳し過ぎやしないか?」という声も見られてしまいました。

しかし、しかしですよ。
自分は敢えて反論したい

その方曰く、動画を作っている理由が「作品を知らない人の為に軽い脚色を加えているだけ」なんだそうですけれども、
皆さんもよく考えてみてください。このブログ記事を読んでくれている画面の前のあなたは、

ご新規さんを引き付けるためと言いつつ、ある事無い事法螺吹いてる奴を許せますか?

って話なんですよ。
例えばこの動画を見て「え、そんな話なん?興味あるなぁ」って真に受けた奴が実際それを遊んでみて全然違うやんってなったらどう責任取んねんって話なんですよ。
しかも、そもそも公式からも断片的にしか出てない情報を好き勝手に繋ぎ合わせて、有りもしない事実を作り上げているというんだから質が悪い。
おまけにその方主戦場はエルデンリングブラッドボーンなど、フロムさんがここ10年で作られたハクスラゲーの解説・考察動画なんですけど、
ぶっちゃけその動画も質が良いと言っていいものではなく、そちらのシリーズのファンもそいつが台頭している現実に頭を悩ませるものも少なくなかったそうです。
※アレに頭を悩ませていた界隈の方々、今になって異常性を思い知りました。心中お察しいたします。

なので自分は、

「ご新規さんを引き付けるためだからこそ、自分の妄想・考察を省いて、お前が言う『学校の教材』っぽく
なったとしても、映画位長くなりそうだったとしても、ちゃんとした解説動画を作るべき」


と思ってしまうんですね。

曰く「ゲーム内から得られる一次情報を繋ぎ合わせただけでは学校の教材のような味気ないものなってしまう」と言い訳しているんですが、
それならそういう動画を作っていれば、しかも10年越しの新作がやっと出るというACでそんな雑な事をしなければ、
ここまで大炎上する事は無かったんじゃないのか?と思う訳です。ホライゾン:ゼロ・ドーンではソレやってたやんって話ですよ。
最終的には「これからACの知識がちゃんとある人に助力して貰おう」というスタンスを取るつもりのようですが、
果たして本当にちゃんと動画が作れるんか?という不安はぬぐい切れません。それでもなお、俺は彼の語り口調だけは滅茶苦茶好きなので、
少しだけ期待してしまうのです。だって、

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

と昔から言われるように、影響力のある人の太刀振る舞いにはしっかりと自分の責任を持たねばならないのですから。

今度はマシな動画作れよ!仏の顔も三度までやぞ!と思いつつ、お終いとさせて頂く事にして。

悩マシキワダイ

2023-07-23 22:11:04 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

いきなりですが、当ブログ「ガエゆだR。」は地味~に5周年を迎えておりました。初めて記事を投稿したのが今から5年前の2018年4月28日ですんで、
ちょいちょいブログ記事を投稿しながらもうそんなになったんですねぇ。ちょっと感慨深いものが有ります。
…が。ぶっちゃけこのまんまでええんかいな?という悩みも少しはある訳です。

Twitterでは収まりきらない、タイムライン汚しになりかねない話題や、「コレはブログで纏めた方が良いかもしれない」と思った話題を書き殴るために立ち上げたので、
話題が自ずと辛気臭いものになりがちなのが最早当ブログの特色なのですが、

それにしたって辛気臭すぎるんちゃう?

とも思わなくはない訳です。

しかし明るい話題をお届けするにしても、なぜか如何せん辛気臭い話題を投稿するより何故か倍ほど労力を使うと言うか、
辛気臭い話の方がすらっすらと文章が浮かぶんですね。これは自分の考えを確たる文章として表現せねば!と言う気持ちが強くなると言いますか。
楽しい記事を投稿するとなるともうアレです、例えば

「今日はやっとSwitchを買いました。一緒にデモンエクスマキナも買ってもらいました。
ずっと欲しいゲーム機だったので滅茶苦茶嬉しかったです」


ってな感じの、小学生が書いた夏休みの日記レベルの事しか書けなくなっちゃうんですよね……。
反面、辛気臭い話題の時は「如何に尤もらしく、且つ自分の気持ちが伝わるかどうか」みたいな工夫をあれやこれやと凝らしまくって、
例えば今この記事を書いている時でさえ「どうしようかなぁ」って迷ってる気持ちが1人でも多くの読み手の方に伝わるように書きたくなる訳です。

ってなわけで遂に6年目に突入し、上記の通り答えのない悩みを孕んだ管理人が黙々そして悶々と書き連ねるブログですが、もう少し明るい記事も
お届けしていきたいなぁと思っておりますので、こんなブログを読んで時間を無駄に過ごしてやってもいいぜ、と言う方がおりましたら、
今後とも是非ガエゆだR。をよろしくお願いいたします。

気付いたら5年もブログ書いてるよ…と思ったらこういう記事も書かねばと思って書きましたが、良いオチが思いつきませんで、
この辺でお終いとさせて頂く事にして。

ソウサクシャノ心得

2023-07-18 19:13:29 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

2019年、令和に入って初めて起こった、京都アニメーション放火殺人事件
青葉真司という一人の男が、日本アニメ史を彩る至宝と言うべきアニメ会社に向かって、

「自分のアイデアを盗作された」

等と宣い、理不尽な怒りから火を放った事で無辜の命が奪われてから、もう間もなく4年が過ぎようとしています。

そこで、4年経った今だからこそ…というと大層ですが、趣味、同人、商業に至るまで、全ての創作者が、ふとしたことで
「第二・第三の青葉真司」のようになってしまわぬよう、良識ある人な要らん心配だろうなとは思いつつ、注意喚起めいた事を記したいと思います。

結論から申し上げますと、恐らく一番大事な事は

自分が考えたアイデアは自分のものだけど、間違っても『自分が一番最初に考えた』なんて思い上がっちゃいけない

という点である、と俺は考えます。と言うのも、俺は池田満寿夫先生が語った「全ての創造は模倣から出発する」という理屈が大好きだってのもあるんですが、
世の中に出てるほぼ全ての創作物ってのは、割といろんなものにインスパイアされたりオマージュしたりするところから始まるのが基本と言っても過言じゃありません。
特にこのブログ記事を読んでくださってる方の中には「今なんとなくこういう話を考えてみたい」という脳内ネタ帳がある人や、マジもんのネタ帳がある人が居るかとは思いますが、
そう言うアイデアってのは、大体自分が感銘を受けたものに強く影響を受けていることが多いし、なんなら自分で考えたと思っても、自分の好きな作品の影響を
知らん間に受けてる可能性もある訳です。例えば、つい先日終了し、自分の中では鉄オルを超えた面白さで圧倒されたガンダムシリーズの水魔女でも、
シェイクスピアの「テンペスト」へのオマージュが散見される作品でしたし、なんなら大河内一楼先生がメイン脚本のアニメにはシェイクスピア作品へのインスパイア&オマージュ
多分に含まれていますからね。大河内先生の代表作の一つであるコードギアスなんかそうです。

このように、ガチプロの商業作家をやられている方でも、自分の好きな作品へのリスペクトやオマージュを堂々とやりますし、
滅茶苦茶有名な話では、黒澤明監督の「七人の侍」に影響されて、ジョン・スタージェス監督「荒野の七人」のメガホンを取ったり、
そもそも絵画の世界だって喩えば綺麗な風景を絵にして自分が感じた美しさを表現してたり、はたまたスープの缶詰を描いた絵があったりと、
人間、いろんな物語やそれに付随する設定を色々と考えたり、創作物を造ったりしますが、そのアイデアには必ずどこかに元ネタがあることはここまででお分かり頂けたかと思います。

では、なぜ「間違っても自分が一番最初に考えたなんて思い上がっちゃいけない」と言ったのか?
それは偏に、多くの人がいろんなものからオマージュされて創作物を構築するのですから、調べれば大なり小なりネタ被り・・・・が発生するからです。
だから、「よっしゃ次のネタ決まったで~!」と思って考えてたネタを喜び勇んで同人や趣味の創作に反映させたと思ったら、商業作品で
自分と似たようなアイデアで作られた作品が、ほぼ同時期にドーン!と世に出る場合があるんですよね。

こうなってしまっては自分のアイデアを引っ込めるか、「自分が似たようなの考えてたのに、公式が先にやっちゃったんですよー」と自虐しつつネタを披露するかの
どちらかしか、少なくとも俺にとっては選択肢が思い浮かばなくなってしまいます。ところが青葉みたいなキ○ガイ野郎は、

「俺の作品がパクられた!!!!!許さねえ!!!!!!1!!!」

と激怒する訳です。しかし、先述の理屈で考えりゃあネタ被りが発生するのなんて当たり前の話なんです。
恐らくですがこういう理屈になってしまう人は、上述の視点が抜け落ちている可能性が高い為、商業で自分と似たようなアイデアが出て来た時は
「フッ、公式も俺が思いついてた境地まで辿り着いたか」ぐらいふんぞり返る位の余裕を持った方がよいかと思います。ぶっちゃけ俺はそうしてます。

つまり、

「全ての創作物は大体元ネタがあるものが多く、それは歴史的な創作物であろう絵画であってもそう言うのがあるし、
自分が考えた、若しくは考えてるネタと同じようなアイデアが商業物になった時は、怒るのではなく『自分の境地まで来たか』と余裕を持つ」


というのが、理想の気持ちの持ち方なのではないのかな、と思います。
一番最初に言ってる事と矛盾してるようですけれども、「自分のアイデアは自分のもの」ならば、それぐらいの気持ちを持ってても良いんじゃないかなと。

最後になりますが、もしこのブログ記事を読んでくれた人で、創作をしている人が居たら、出来たら俺の記事を思い出して、
「俺のアイデアがパクられた」って発想に至りそうになっても気持ちを鎮めて下さればいいな、と思います。
あんな事件が起きて、理不尽に多くの命が奪われることが二度と起きないようにする為にも。

というわけでやや差し出がましい記事になりましたが、お終いとさせて頂く事にして。