ガエゆだR。

~ガチとエンジョイとの狭間で未来の夢を抱くブログ・REBOOT。~

【ATTENTION】始めにお読みください【NOTICE】

この度は本ブログに足を運んでいただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログを読むにあたり、注意事項がありますので、三つ…言わせてください。
一つ。本ブログはタイトルの通り、「デレマスのガチ勢なのかエンジョイ勢なのかよくわからない人のブログ」なので、
「若干ヒリつく話題にも首を突っ込み自分なりの解釈を述べるブログ」、という側面を持ちます。なので、燃えそうなヤツはいつの間にか無くなってるかもしれません。
二つ。管理人の性分がクソマジメちゃんなのでいちいち言う事が堅いです。ぶっちゃけクソつまんねー事も有ります。ご了承ください。
三つ。特にありません。…と言いたいところですが、自分の考えは飽くまで「ガチ勢でもないエンジョイ勢でもない半端者」のお話です。
読み流す程度にご覧ください。
以上となります。大変長らくお待たせ致しました。それでは、ごゆっくりお楽しみください。

慈シキココロ

2021-11-08 01:29:49 | アニメ・特撮
[警告:本記事は「鬼滅の刃」原作漫画のネタバレを大部分に含みます]
[「ネタバレを回避したい」という方はブラウザバックをお願いします]
[ネタバレを許容できる方のみ、スクロールして本文をお読みください]








































どうも、Klowですおはようございます。

上記の警告文、お読みになられた皆様に向けてお話しますが、今回の記事の趣旨は、

「自分は鬼滅の刃を如何なる物語であるという風に見ているか」
そして
炭治郎とは本当に『生得的狂気に侵された』、簡単に言えば『サイコ野郎』なのか?」

というお話です。前提としてガチ精神科医の斎藤環先生が執筆なされた、鬼滅を心理学的に読み解く此方の記事を読んで頂けると話がスッと入って来ると思います。
出来たら此方の記事を読むのを止めて、まず此方からお読みください。もしくは当記事を読んでから読んでください。長いけどね。
で、今回はその記事に対するド素人のアンサーみたいなニュアンスを含む記事になりますので、
私の記事もクソ長くなると思います。時間の有るお暇な方のみお付き合いください。

結論から申し上げると、俺は鬼滅の物語を

人は老いて死ぬものだが、ある人の思いは、兄弟は勿論友人・知人・後輩と言った、
その人が影響を与えた人たちが繋げて行き、実を結ぶという『人間讃歌』が根底に流れるバトル漫画」


と解釈していますし、炭治郎については

「『生得的狂気に侵された男サイコやろうか』と聞かれればNO。断じてNO


だと思っています。では、そう言う結論に至った話をつらつらとお話して行きましょう。

まず「人間讃歌」とは、ワニ先生こと吾峠呼世晴先生がルーツとするジョジョの奇妙な冒険に登場する造語です。
作者である荒木飛呂彦先生が「思い付きで書いた」(意訳)と仰られているので、明確な意味は読者に委ねられているのですが、
本記事での人間讃歌とは、

『人の弱さ』を認めた上で、進む勇気を振り絞る事は素晴らしい事を伝える讃歌」

と定義しましょう。そして自分は「吾峠先生はこの定義の通りに解釈されてるんだろうな」という仮説のもと話を進めます。

で、こっからが本題。
アニメ/映画無限列車(原作8巻頃)、猗窩座との戦いの中、炎柱こと煉獄杏寿郎さんは、このような台詞を猗窩座に向かって発します。

「老いる事も 死ぬことも 人間と言う生き物の美しさ
老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ


はい。お分かり頂けたでしょうか、このたった数行に込められた、吾峠先生なりの「人間讃歌」を。
そういう吾峠先生の「人は何時か死ぬが、それが人の美しさであり、尊いもの」という「人間讃歌」に基いたかのような台詞は
その後も度々発され、本編を読み進めると、多くの隊士は…柱の皆さんや、隊士でない御館様こと産屋敷耀哉も含めて、

「喩え自分が倒れようと、自分の遺志を継いだ者が、思いを果たしてくれる

とか、

「例え自分が倒れても、仲間達には生きていて欲しい

とか、そういう願いを込めた台詞や手紙の文章を言ったり、書き残したりしているところなどが、少しずつ描写されてきます。
かの蟲柱・胡蝶しのぶさんも、姉である花柱・胡蝶カナエさんが殺されたその日から、「自決覚悟で仇を討つ」と決意し、
自分のたった37kgしかない体の全てに藤の毒を飲み、その体全てに毒を浸透させ、自分自身が「致死量の700倍の毒」へと変化して行きます
カナエ姉さんこそなんとか食われなかったものの、普段は「女食い」の鬼である、仇の童磨自らをわざと食わせる為に。
(童磨は「人を生み育てられる女は、男より蓄えられる栄養が高い」という理由で女を襲い、食べている鬼でした)

恐らくですが、しのぶさんはカナエ姉さんが殺され、カナエ姉さんが拾った栗花落カナヲちゃんが鬼殺隊士になった時から、
「止めはカナヲに刺して貰おう」と思っていたのでしょう。故、しのぶさんはそんな無茶苦茶な事が出来たし、
なんならカナエ姉さんが居ない世界で生きていける自信は無いとすら思っていたのかもしれません。そこまで深い描写こそありませんが、
童磨との戦いの中で、彼女は「ずっと怒って」いて、「やらなきゃいけない事がある」とも独白するシーンがありました。

なので、先程「読んでくれ」と言った記事の中では、柱の皆さんもサイコパスの集団であるという旨が書かれていましたが、
自分は彼らを「優し過ぎるが故に、自己犠牲に走ってしまった人たち」という風に解釈しています。尤も、自分がサイコパスというワードに
忌避感を覚えているというのもあるんですが、本来サイコパスという言葉には、「人としての思い遣りが著しく欠如する人間」という意味合いが含まれておりまして。
柱の皆さんが本当にサイコパスなら、全員が極めて自己中心的に活動し、喩え誰が死のうが素っ気ない態度を取ったし、それぞれが「惡鬼滅殺」の使命を帯びて
活動する事も無かったんじゃねーかな
、とも思ってます。加えて、鬼滅の物語では「炭治郎以外の人間は、わざと第一印象が悪くなるように描いている」と言う風に
聞いた事もありますので、柱合裁判のくだりを取り上げてサイコパス共と評するには聊かナンセンス過ぎるという風に自分は思ってしまいましたね。
ド派手に断じてしまうと、キャラクターの表面しか見てないんじゃね?っていう。だって煉獄さんが無限列車の戦いで命を落とした時も、あの素っ気ない風な冨岡さん

「そうか

という一言に、悔しさや哀しさが詰まっている風に見えるんですよね。冨岡さんは無口で口下手なだけで、仲間思いな人ですから
(そのせいで鬼殺隊見聞録弐巻に掲載されている「柱相関言行録」では軒並み「もっと喋った方がいい」と評されています)
延々と語るとさらに長くなってしまうのでこの辺で切り上げますが、他にも23巻で炭治郎が鬼になってしまい、人戻しの薬を打ち込まれた後の描写など、
様々な部分で鬼滅の物語とは

人間讃歌が根底にあるバトル漫画」

である、という風に解釈したんですよね。「『トラウマ的な責任と倫理』の問題を生み出し続ける物語」という後ろ暗いものではなく。

そして、一番語りたかった「炭治郎はサイコ野郎か、その答えは断じてNO」というお話なのですが。
根拠として、鬼滅の物語を読み解く上で、俺はとっても大事にしている前提条件があります。それは、

「炭治郎は、基本的に禰豆子ちゃんを元に戻す為、常にいっぱいいっぱいで戦ってる」

という点です。
全集中の呼吸を必死で覚えたのも、最終選別を生き抜いて鬼殺隊士になったのも、鬼を倒し続けたのも、その全てが禰豆子ちゃんの為なのです。
あの日、無惨様にほぼ全員殺された中、唯一生き残った身内である、禰豆子ちゃんを人に戻すために。
だから鼓屋敷に行く前の道中で出会った善逸の事を覚えてなかった上に

「お前みたいな奴は知人に存在しない 知らん!!」

なんてズバッと言い切ってしまったし、いち早く入山していち早く下山した伊之助の事なんか、
鼓屋敷の中で出会っても、あの声聞き覚えがあるな~なんて思い出す事も無く、そもそも記憶の端にもありませんでした。
(ゲームヒノカミ血風譚では、藤襲山の山中で伊之助の声を聞くシーンがありますが、それも忘れてしまったのでしょう)

更に、自分の前提を更に裏付けるシーンは、これから遊郭編としてアニメ化されるはずの9巻のお話の中にもあります。
伊之助がさらりと

「俺達の階級"庚"だぞ もう上がってる 下から四番目」

と言い、最終選別の舞台だった藤襲山で加工されたという「藤花彫り」なる、自らの階級を拳に示す入れ墨を浮き上がらせます。
これは「階級を示せ」と手に力を込めながら言うと、拳に階級が浮かび上がり、鬼殺隊士としての階級を一目で分かるようにするものなのですが、
あれ、藤襲山で手ぇこちょこちょされたろ?と伊之助が聞くと

「こちょこちょされた覚えはあるけど疲れてたし… こういう事って知らなかった…」

と、こちょこちょされた記憶こそ在れど、藤花彫りをされたとは思っていなかったと打ち明けます。なので、そんな基礎知識すら頭に入らない程
疲れていて、且つ「あの時はいっぱいいっぱいだった」というのが分かるシーンになってる訳です。

加えて、炭治郎は「俺は長男だから」と唱えながらなんでも我慢できてしまうのも、禰豆子ちゃんを元に戻すために、
自分が倒れてなんかなるもんかという、よくよく考えれば「禰豆子ちゃんの為」という行動原理が見えて来るんじゃないかな~と思います。
更に、記事では「人の気持ちを想像する力が無い」的な事を言われてますが、そこは元々の性格なんだろうなぁと思う所こそ在りますが、
どっかしらに「禰豆子ちゃんの事を気にしてるから」だと思うと合点が行きますし、そんな常に禰豆子ちゃんの事を第一に考えて動く炭治郎に対して、

「まともな『心理』などある筈もない」

なんて断じてしまうのは流石に可愛そうなのではないかと考えてしまう訳です。
勿論、俺が竈門炭治郎という少年を最大限甘く見積もって解釈していると言ってしまえばそれまでですが、俺の中での炭治郎とは、

「禰豆子ちゃんの事を第一に考え、時にいっぱいいっぱいになりそうな中で、
父・炭十郎の遺した『自分が苦しい時でも人を慈しむ事ができる、しなやかで強い人間になれ』という言葉を胸に、
自分の出来る範囲で人に優しく接していた少年なんだろうな」


という認識が有る為、「謎めいた空虚な中心」でも「まともじゃないガキ」(魘夢談)でもないと思ってるんですね。
尤も夢の中で何度も自決できる胆力があるのは、確かにマトモじゃないかもれませんけど………

以上が、自分が結論までに至った根拠でした。
久し振りに面白い記事を読ませて貰ったんですが、聊か共感しかねると思い、一ファンの目線から俺はこう見てるんだぜ、というのを
Twitterでやるとひたっすら長くなりそうだからブログに書こうと考え、この記事が出来上がった次第です。

俺個人的には「ガチの学者先生が読む鬼滅の刃」というお話を他にも読んで、いやそれはこうじゃね?っていうのがやりたいので、
他の方の参戦を心待ちにしておきたいと思いつつ、お終いとさせて頂くことにして。

ココロニ炎

2021-10-11 01:28:33 | アニメ・特撮
どうも、Klowですおはようございます。
去る10月10日、昨日ですね。アニメ版無限列車編が遂に放送されましたね。

えー、今回は煉獄さんに倣って結論から申し上げます

ufotableさん、ずっと疑ってすんませんでした。(スライディング土下座)

ぶっちゃけ放送権が今回からフジテレビに渡ったんで、放送委員会形式になって酷いアニオリ回見せ付けられるんちゃうかって不安でした
全然そんな事無かったです。ワニ先生(吾峠呼世晴先生)の監修入ってますか?ってぐらいの完成度やったし、本編と繋げても破綻してなくて超面白かったです。

俺が個人的に感心したのは、煉獄さんが立ち寄ってた蕎麦屋さんの店主が蕎麦を茹でるシーンですね。
竈門たんjゲフンゲフンボコボコと沸騰するお湯や、バッシャバッシャとお湯を切ってる動作、温かい御汁に蕎麦を入れる所や大根おろしとネギを散らす所まで、
一切の抜かりなく描写されてるのが滅茶苦茶感心した次第です。と言うのも、実は「アニメで料理を描くのは難しい」と言われてるのを何処かで聞いた事があり、
とあるラノベ原作のアニメでは御粥を出すシーンが原作にはあったのですが、どうやら御粥を美味しそうに描くのは特に難しかったようで、
仕方なく御粥より簡単に描けて且つ栄養食であるサムゲタンに差し換えられたなんてこともある程なのです。その後嫌韓から燃やされてましたが…
そう言う事例を知っている俺的には、そんなアニメで美味しそうなおろし蕎麦が描かれている事に感心しましたし、

「え、何?鬼滅の刃ってグルメアニメやったっけ?」

と、一瞬勘違いしそうになるほどの完成度に脱帽した次第です。
…と言うのもufotableさんは過去にグルメアニメを担当した事もあるので、その時の経験が生きてるのかなぁとは思うのですが…。
あと、店主が奢りで搔き揚げをくださるんですが、これは鬼滅どん兵衛&UFOの宣伝も兼ねている描写だったのでしょうか?

勿論、そう言う本来なら少し位手を抜いても良さそうなシーンまで手を抜いていない以外にも、
本編中で登場したやたら速く動ける鬼との戦いでの、鬼と同等かそれ以上の速さで動く煉獄さんのスピード感、戦いの後の残心と納刀が、
お弁当売りのお婆さんの中で煉獄さんの父上である槇寿郎さんと重なるシーンなど、いちいち作画が綺麗で感心しきりの第1話でした。

あと、次回予告では特別編集版の予告のように鬼殺隊見聞録のネタが拾われているのも関心でしたね!
今回の予告で「煉獄さんを他の柱がどう思っているか」という話題が出ましたが、此方は見聞録の弐巻に掲載されている「柱相関言行録」が元になっています。
このアニメで興味が沸いた方は是非其方も読んで欲しいですね…。9人の柱が誰をどう見ているかというのが載っていて面白いのでね!
ただ、弐巻は原作終了後に発売されたものなので、大正コソコソ噂話の中で204話以降のキャラクターたちに触れたり、なんなら最終回の中身にも触れられたりしていますので、
もしかしたら原作全23巻を読了した方が楽しめるかもしれないなぁ…とも思います。気力のある人は是非原作全23巻も合わせてお読み下さい。

これから2話以降では元々の無限列車編に新規カット・新主題歌を加えた仕様になるという事で、アニオリの1話が滅茶苦茶面白かったのが
凄い勢いになったな~!と思うと楽しみになってきますね。第2話以降も期待です!

今から遊郭編初回1時間スペシャルどないすんねやろと思いを馳せつつ、お終いとさせて頂くことにして。

【追記】
なんと柱相関言行録の件、YouTubeにもupされている特別予告編でした!よもやよもやだ!



こんな要素までぶっこんで来る辺りの本気振りが垣間見えるのが本当に凄いですね…益々鬼滅アニメが好きになる………

期待トフアン

2021-09-26 13:50:47 | アニメ・特撮
どうも、Klowですおはようございます。

去る昨日放送されました鬼滅の刃 無限列車編、ご覧になりましたでしょうか。
放送直後、今後の鬼滅の展開をお知らせするプロモーションリールなんかも公開され、なんともうあと2週間もすれば、10月10日夜11時15分から(※一部地域を除く)、
アニメオリジナルエピソード新規カット、更にオリジナル主題歌を盛り込んだアニメ版無限列車編が放送されると発表されました。



そしてずっと気になっていた最大の目玉である遊郭編の放送日時ですが…

12月5日に決定しました!放送時間もこのアニメ版無限列車編から引き続いて11時15分ですね!



更に、今回の宿敵となる上弦の鬼・堕姫の声を担当するのは沢城みゆきさんということで、遊郭編への期待とアニメ版無限列車編が俄然楽しみですね!

…ええ、楽しみではあるんですけれども。
「鬼滅アニメの放送権をフジテレビが獲得した」という話を聞いたときからTwitter民が皆一様に同じリアクションをしてまして。

それは「アニオリ回で面白くないものを見せられるのではないか?」という懸念です。

というのもですね、嘗て鬼滅と同じくおジャンプ様の漫画が原作となります、約束のネバーランドがアニメ化された際の事。
第2期では原作者が監修としてスタッフクレジットに名を連ねてこそいるものの9話で降板した上、最終巻までの流れを半ば強引にアニメにしたため、
(第3期や映画の制作予定は無かったという事情があったであろうと推察できこそすれ)原作漫画から比べて改編と短縮が酷く、
「3期を前提にして、忠実にアニメにして欲しかった」という声が上がったり、言い方が悪いですがお粗末な出来になってしまったそうなのです。

この約ネバアニメは従来のアニメのような製作委員会方式で作られていたため、そこにバッチリフジテレビが名前を連ねていたらしく、約ネバアニメ2期を製作する際、
フジテレビから余計な監修が入ったのではないかと言われていて、フジテレビが放送権を取得した頃から、「余計な手出しをせずに放送してくれ」
フジテレビへの信頼感の欠片もないTweetが多くを占めていたというわけなのです。

反面、鬼滅アニメは製作委員会方式を取っておらず、TOKYO MX系列で立志編が放送されていた頃から、アニメ制作は飽くまでufotableさん……
もといufotable内の外崎春雄監督中心の鬼滅スタッフ主体で作られていたので、よもや手出しはされまいと思っているのですが、
正直此処まで鬼滅クラスタの皆さんから反発と不安の声が上がっていると、正直一抹の不安を抱えざるを得ないのが現状なのです。

更にもう一つ言うと、アニメの原作となる漫画は、ワニ先生こと吾峠呼世晴先生事細かに設定を考えた上で書かれた作品なので、
本編では描写しきれなかった設定が多く、それが単行本の幕間ページや、ファンブック「鬼殺隊見聞録」に記されているという特徴があります。

で、今回のアニメ版無限列車編では、アニメオリジナルエピソードを収録とあるのですが、そんな緻密な設定の上に描かれた漫画であるにも拘らず、
何分「原作者監修」と書かれていないが故、ufotableさんが独自に制作されたものである可能性が高く、それが原作設定との乖離や矛盾
起こしてしまわないか、という懸念も私の中にはあります。無限列車編を初めて見た時も、魘夢の口から「無惨様」と名前が発音されていた・・・・・・・シーンがあり、
「本来ここは心の声だったのに口に出してる演出になってて、演出重視なのかちょっとだけ矛盾してしまってるな」と思ってしまったので……。
(※鬼滅世界の鬼は無惨様の名をうっかり口外すると腹と口から腕が生えて捻り潰されてしまいます。その様子はアニメ10話をご覧ください)

ということもあり、自分の中では

「なんぼフジテレビが放送権~言うても製作委員会方式じゃないんやったら、
フジは口出されへんのんちゃう?それに立志編はアニオリ演出あってもおもろかったやん
言うて気ににしすぎやで(笑)」


って楽観視してる俺と、

「約ネバアニメの前科があるんやったら鬼滅もその毒牙にかけられそう
ちょっと怖いな……。遊郭編からは製作委員会方式になったりして……。
って言うかアニオリ回はワニ先生監修じゃないにせよ矛盾せんどってくれよ……」


と不安視してる俺がせめぎ合ってたりします。

そんなアニメ版無限列車編放送は今から2週間後なのですが、期待8対不安2で待機するしかないなと思いつつ、お終いとさせて頂くことにして。

キラメク聖刃

2021-09-04 02:03:55 | アニメ・特撮
どうも、Klowですおはようございます。

えー、先日リアルタイム視聴できていなかった仮面ライダーセイバー、その増刊号含む全48話ラーニング完了いたしまして、個人的には

「滅茶苦茶面白いやんけ……最後の増刊号込でめっちゃ綺麗にオチ付いてるやん………」

と感動した次第です。
もう今週日曜には新たな物語にして仮面ライダーシリーズ50周年記念作品である仮面ライダーリバイスが放送されますが、
俺は今現在どうにもセイバーロス症候群的な気持ちが抜けきらないので、そのずっと持っている気持ちの塊を何とか文章に変えて、ブログ上に綴って行きたいと思います。
(※また、本記事にはセイバー最終回のネタバレが含まれます。まだ見ていないし、ネタバレは嫌だという方は秒速のブラウザバック推奨です)









(良いですか?ネタバレ嫌な人ちゃんとブラウザバックしましたか?)
(では、そう言った皆さんがちゃんとブラウザバックしたと信じて話を続けます)








と言うのも、セイバーの物語をメタい視線で見るとすげーことしてんな!!!と思ったが故です。

俺個人的に滅茶苦茶感動したポイントが、

ゼロワン映画でセイバーがゲスト出演しなかった事への帳尻合わせを、凡そ1年かけて行った」

という点です。

実は最終回にゼロワンの話の中核を担うヒューマギアが登場していまして(なんと本作のサブライターとも言うべき長谷川圭一先生のカメオ出演)、
このヒューマギアが登場する事によって、直接の言及こそないものの

セイバーの物語(1話~最終回前半)ゼロワンの1年前に起こった出来事で、
セイバーのエピローグ(最終回後半と増刊号)は、ゼロワンの物語(恐らく映画まで)が終わったあとの出来事である」


と解釈できる描写を、滅茶苦茶さらっとやってるんですよね。
つまり、メタ的には「令和ライダー2号」である筈のセイバーを、ヒューマギアが出る事で「実はセイバーの前に起こってた話なんですよ」と
見せる事で、実はセイバーこそ令和ライダー1号と呼ぶべき仮面ライダーであった、と解釈できなくもないのが素晴らしいんですよね。
ブレイドで出て来るブレイドが「作中での1号ライダー」と思わせておいて、「実は2号で先輩のギャレンの方が1号だった」とか、
ディケイドでも「ディケイドじゃなくてディエンドの方が1号だった」とか、そういう本来は作中でやるような描写を作品外でやってて、
めっちゃおもろいやんけ!!!と感動したんですよね。

そりゃまあ、セイバーに変身する主人公の神山飛羽真かみやま・とうまからして、本編中でも普段から「物語の結末は、俺が決める!」って言ってる割には、
世界が終わる幾つもの未来予知を見た結果、未来に絶望した友人でありカリバーに変身していた富加宮賢人ふかみや・けんとに向かって

「物語の結末を、勝手に決めるな!!」

という決め台詞に対する特大ブーメランのような台詞を投げ掛けた上で、結果本当に世界が終わる未来を食い止めたり、
(尤も、「世界が終わる最悪の未来なんて俺が変えてやるから、絶望なんてするな!」っていうニュアンスだったとは思うんですが)
「仲間を求めて彷徨う竜の亡霊の物語」であったはずのプリミティブドラゴンに、「自然とも友達になり、更に人間の友達が見つかった」というハッピーエンドを付け加えて
エレメンタルドラゴンを生み出したり、もっと遡ればこぶた3兄弟の力を借りてドラゴンイーグルぶた3の姿になった時には、3匹の子ぶたを土台にオリジナルの物語を作りながら
攻撃したり
という芸当をしてるんですから、本編中での活躍を踏まえて、先程のメタ的な視点でセイバーを見た際の事を考えると、
伊達に「物語の結末は、俺が決める」って言うてないな………と思いましたね。

俺個人的には「ゼロワンの物語も内包する事で綺麗にオチをつけた」っていう点が一番語りたかったところではあったんですが、
他にも語りたいところを挙げるとすれば、ブレイズ新堂倫太郎しんどう・りんたろうくんが地味にヒロインの須藤芽依すどう・めいちゃんと付き合い始めてるというオチがついててびっくりした、
というお話ですかね。……ええまあ、わたくしのTwitterを見て頂くと分かるんですが、飛羽真が先程のように、バッドエンドを覆し続けた史上最強のハピエン厨であるように、
わたくし結構手の施しようのないカプ厨でして、本編の描写を見てると倫太郎と芽依ちゃんはよくコンビで活動する事があり、
最初期から結構一緒に活動した上に、ソードオブロゴスを抜ける直前も、芽依ちゃんから「エクレア用意して待ってるから!」と言われたり、
決戦前には「これが終わったら、お伝えしたい事があります」と倫太郎が言っており、増刊号になってからようやく「僕と家族になって下さい!!」と告白したものの、
「うちら、もう家族じゃん?」と言葉の意味を理解せず思いっきりスカされたのかなぁと思ったら最後の最後ではお揃いの青い服を着て飛羽真の本屋に訪れるなど、
こういう描写って飽くまで子供向けの特撮では割と匂わせるだけで終わるのが基本やもんな~と思ってたら、「あれ、君達付き合い始めた?」と分かる描写を、
こうして思いっきり出してきて本当にビックリしましたね……。ぶっちゃけペアルックなんてやり始めたので動画を止めて薬指を確認したのはここだけの話。

で、更に結構本編に絡んでくる形でリバイスがゲスト出演した事で、「リバイスの物語とも地続きなのかな?」とも思わせてくれる等、
本作は見事に「シリーズ作品同士の橋渡し」をしてくれる作品である、と言う風に解釈できる描写が最終回と増刊号には詰まっていて、
今までの積み重ねの果てにこのようなオチを用意してくれて、見応え抜群で面白かったなぁ…と言うのが素直な感想ですね。

あともう一つ。今作は変異種が増え続ける新型コロナウイルスの脅威に晒された「コロナ禍」の中で撮影された作品であるが故か、随所随所で雰囲気を崩さないよう
上手く工夫しながらコロナウイルス対策を講じた上での映像制作が行われており、それが今までの仮面ライダーシリーズだったら予算がカツカツになりそうなぐらいの
ドハクリョック戦闘シーンに繋がっているのが、セイバーを見ていて楽しかったポイントの一つでもありましたね。
エフェクトもいちいち派手でかっこ良かったですし、話の内容も最初の内は「ちょっと展開早ない?」と少し思ったりはしたんですが、そんな速い話の展開のまま、
15話ぐらいで「第1部」と言うべき話が終わってからは、全体的に話が飲み込みやすくなってきたので(セイバーのスピード感に慣れたとも言うべきかもしれませんが)
基本的には面白い話の流れのままスッと着地したので、滅茶苦茶よかったですね。

纏めると、

「セイバーは、このコロナウイルスが蔓延する状況下の中、全48話を完走しただけでかなり凄いのに、
今までに培われた合成技術をフル活用してドハデニック演出を駆使していて映像を見るだけでも楽しかったし、
滅茶苦茶さらっとゼロワンの物語との時系列を整理した上に、リバイスの物語への橋渡しをしててて凄い!!」


という話です。個人的にはここ最近見た仮面ライダーの中では見た後の後味がとてもすっきりしていた作品でしたゆえ、コロナウイルスに負けずに完走して下さった
東映スタッフの皆さんや、出演キャストの皆さんには、この場を借りて例年以上の感謝と、労いの意を表したいと思います。
本当に、本当に、ありがとうございました!

明日から始まるリバイスの物語がどういう物になるのか気になるなと思いつつ、お終いとさせて頂くことにして。

子供タチガタメ

2019-07-10 12:03:49 | アニメ・特撮
どうも、Klowですおはようございます。

先日、Twitterで「劇場版Gのレコンギスタによせて、ガンダムを取り巻く環境について10代の立場から語らせて欲しい」と、ある方が長々とツイートしてらっしゃり、
自分も思う所が有ったので、こうしてキーボードを打っています。
正直なところ、彼の論じている話には滅茶苦茶賛同できる所もあるんですが、反面ちょいちょいカチンとくる言い回しもやや有りましたので、
ここでは、良い分に全体的には賛同出来たガンダムオタクの端くれとして反論ではなく、彼の言い分を最大限甘く見積もり
その言葉の棘・・・・を俺なりに抜いて、こういう事が言いたかったのではないか?と言う話をしようかなと。

その前にまず、彼のツイートを読んで思ったところからひとつ。手短に纏めると

確かに映画Gレコは子供たちの目に届いて欲しいけど、ガンダムは「大人たちだけの物」ではない。
あと、最近のアニメはそこまで欲に塗れすぎても無いし、夢も希望も無い訳じゃない。後続のガンダムシリーズだって面白いんだぜ!


ってトコかな、と。

自分は、今まで見て来たガンダムシリーズに嫌いな奴ないんですよ。悪名高いSEED DESTINYだって、モビルスーツのデザインは滅茶苦茶好きですし、
ガンダムブレイカーで作る「カッコいい俺ガンダム」のお手本になってますしネ。
なんなら「リアルタイムで見た時はステラが死んだのがショック過ぎて観るのやめちゃったから、もう1回見たい」とすら思うほどです。
それは、彼が言う所の「ガンダムの名を冠しただけの夢の無い作品」かもしれません。俺が大好きだと言ってはばからぬのオルフェンズ(二期含む)や、
ビルドファイターズ(トライ含む)なんかだって、彼からすればそうなのかもしれません。

………などと書き連ねようかな、と思ったら、該当するツイート主様が

「ガンダムを取り巻く現状を客観的に見た上で色々と話がしたかっただけであり、自分でも酷いなと思ったし、
誤解されたり不快にさせたりする表現があった」
(※要約)

と素直に謝っていたので、この件については不問としつつ、棘を抜く必要すら無くなってきたかもしれませんが、
一番大事なところを語らずには終われないので、本題の「彼は何が言いたかったか」という話に移ります。

で、結局彼は、どういう事が言いたかったのかという話なんですが、俺の解釈では

「ガンダムを見るのは構わんけど、大人が騒ぎすぎてちゃ、子供たちが『ガンダムに触れるチャンス』が少なくなるんちゃう?
もうちょっと静かにして、子供たちに触れるチャンスを作ってあげて欲しいな」


という話なのではないかな?と考えました。
勿論、一部の言い回しには前述通りカチンときましたが、大筋はそう言う事なのではないかと。

ガンダムシリーズって、「大人になってから見直すとストーリーやキャラの魅力が分かる」作りに昔からなってる筈なんですよ。
で、「子供の頃に見ると出て来るロボット(モビルスーツ)がかっこよくてワクワクする」という気持ちを抱く、そんな作りのアニメだと思うんです。
だから、大人も魅了される確かな魅力がある。故、大人が填ると変に凝り固まって行き面倒臭いガンダムオタクになる。そんな風に思うのです。

思うに、彼は「1st以外認めない(キリッ)」「種死は嫁脚本」「AGEはクソだからやめとけ」「トライは次元覇王流(笑)で解決するからダメ」「鉄血2期はクソ」などと声高に宣言したり、
間違った知識で語ると突然反応してマウントポジションを取ってきたりするような面倒臭いガノタに対して、一石を投じたかったのではないかなと。
(勿論クソだダメだと言った雑な言葉で片付けられてしまう筋書きかもしれないのは認めます)

自分もそのガノタの一人であるという自覚は持っていますが、そんな特に面倒臭いヤツが悪目立ちしていたり、
フォロワーさんにそう言った奴らの被害に遭った一人が居たりと、
「ガンダムの入り口って相当レベルが高いんじゃないかな?」と思わざるを得ない状況が何年も前から続いているなというのが素直な感想です。

なので彼は、そう言ったガンダムに執着する大人たちがギャーギャー騒いで、論争を繰り広げて、ガンダムを見て何を学んだのか?と絶望した結果、
あのような連続ツイートをしたのではないか。そんな風に思います。自分もガンダムを見て、そしてファン同士の諍いを見て、
「ガンダムは『現実では簡単には分かり合えないことを分かり合うアニメ』だな」と思った一人ですし。

それを踏まえて、ここからは俺の考えを述べさせて欲しいのですが、

人の好みや信じるものを無理に一本化する必要は無し。大人は大人になりなさいよ!

と思うのですね。(Gレコの話だったので富野節っぽい言い回しにしました)
自分が気に入らない相手に対して、変に反論するから話が拗れて論争になったり、ガノタ同士の醜い言い争いになるんですよ。
だから(自戒も込めてですが)、Twitter上ならカチンと来たって黙ってスパブロしたり、相手にしないようなスルースキルを身に着けるとか、
持論を語るのは結構だけど、汚い言葉を使わないようにするとか、
そう言った人として当たり前の事をネット上でもするようにしろよと思うんですよね。

だからこそ、こうやって「大人は子供に譲れ」といった旨の発想に至ったんだと思いますし、自分も、「大人は静かにしなさい」と思っちゃうんですよね。
けど、自分は大人は子供に譲れなど言う気は有りません。ガンダムシリーズは大人も子供も見ていいし、好きって言って良い。どちらの物でもある作品なのです。
だから今一度、「ガノタとしての在り方」を見直し、襟を正してみませんか?と思うのです。

最後にフル・フロンタルが残した言葉を引用しておきます。

"「過ちを気に病むことは無い。ただ認めて、次の糧にすれば良い。それが、大人の特権だ」"

願わくば、これを読んだ方の意識改革につながればと思い、お終いとさせて頂くことにして。