ガエゆだR。

~ガチとエンジョイとの狭間で未来の夢を抱くブログ・REBOOT。~

【ATTENTION】始めにお読みください【NOTICE】

この度は本ブログに足を運んでいただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログを読むにあたり、注意事項がありますので、三つ…言わせてください。
一つ。本ブログはタイトルの通り、「デレマスのガチ勢なのかエンジョイ勢なのかよくわからない人のブログ」なので、
「若干ヒリつく話題にも首を突っ込み自分なりの解釈を述べるブログ」、という側面を持ちます。なので、燃えそうなヤツはいつの間にか無くなってるかもしれません。
二つ。管理人の性分がクソマジメちゃんなのでいちいち言う事が堅いです。ぶっちゃけクソつまんねー事も有ります。ご了承ください。
三つ。特にありません。…と言いたいところですが、自分の考えは飽くまで「ガチ勢でもないエンジョイ勢でもない半端者」のお話です。
読み流す程度にご覧ください。
以上となります。大変長らくお待たせ致しました。それでは、ごゆっくりお楽しみください。

怒レルオトコ

2019-08-23 19:06:49 | チラシの裏
どうも、Klowですおはようございます。

ぶっちゃけ、今回の記事はTwitter上でやっとけよみたいなチラシの裏的な糞記事なので読まなくてもいいです(笑)。
ただ、自分の中で「何で俺はこうなるのか?というメカニズムを整理し、ではどうするか?と考える」というだけの記事なので。

というのも。昨日、偶然CS放送でリアルタイムでも見ていて滅茶苦茶好きだった「スーパーサラリーマン左江内氏」が再放送していて、
丁度自分があまり好きではない第7話の放送がありまして、やっぱり何回見ても腹立つわぁ、という話を母上にしたところ

「小っさ! 自分と直接関係ないのに」

「極 小 !!」

バッサリ叩き割られまして。お陰様で「まぁ、俺には関係のない事やんなぁ…でもなぁ…」なんて思うようになり、
そこで「じゃあ何で俺はここまでムカついてるのか」という思考実験というか、その激怒に至るまでの自分の感情を整理しようと思った次第なのです。

キーボードを打ってる時点ではもう既に自分の中で考えは大体出てるんですが、順を追って説明しますと、第8話では、
堤真一さん演じる左江内さんの前に、同じくスーパーマンならぬスーパーウーマンとして活躍する永野芽郁さん演じる桃子ちゃんなる女性が現れます。
しかし彼女はとても面倒臭い性格で、彼に出会うまでは1人きりでも頑張っていたつもりなのに、いざ左江内さんに出会うと、
左江内さんに頼って弱音を零す自分がほとほと嫌になってしまった、として2度も自殺を図ります。

で、1度目は飛び降りようとするところを止められ、2度目の練炭自殺を図って左江内さんに止められた時に、
自分の中で問題の台詞が出るのです。

「自分たちは働きながらヒーローしてるんだからどんなヒーローより偉い!
仮面ライダーやウルトラマンなんて事件が起きなきゃプラプラしてるだけ!
バットマンは金持ちの道楽だし、スパイダーマンなんかただのいじめられっ子だ」(※要約)


といった感じの。…書いてて正直またハラワタ煮えくり返りそうになってましたがここはアンガーコントロール。幸福こそ最大の復讐…Be cool...

………続けます。で、自分がこのたかが台詞の何処にキレたか、って言うと、やっぱり

「そう言ったヒーローたちを心から尊敬していて、尚且つ自分の一部だと思っている、
つまり『自分に関係がある』と思ってる」


から、キレたんだろうなと。現に思い出しただけでも腹の辺りが熱くなる程度にはちょっとカチンと来ますしネ。

では、こう言ったセリフにキレない器の大きな男になるにはどうすればいいか?
それは、「この手の台詞を気にしない」に限るんですが、自分の中では「気にしないだけの理由を作り、心の安定を保つ」
ってのもあるかなー、と思います。

ぶっちゃけ、論破できる台詞を作ってぶつけてしまったらそれはただの器の小さなキモオタ男になってしまうので流石にやりたくないんですが、
(と言うか、こう言う事を考えてる時点でもう既にキモオタな気がしますけど俺はオタクだからキモくなってしまうのもしょうがないかなとは思ったり)
「気にしない」ようにするには、やっぱ自分の中で「気にしないに値する理由」が居るんですよね。
その理由の構築も無しに、「気にすんな」って言われても難しい話なんですよ、うん。例えば、この台詞だと

「仮面ライダーもウルトラマンも事が起きなきゃプラプラしてるだけとは言うけど、実際ライダーには手に職を付けてる人が結構いるし、
ウルトラマンだって地球防衛隊みたいな組織に所属してる職員が多いから、みんながみんなプラプラしてる訳ではない。
でもって、スパイディもいじめられてたって立派にヒーローしてるし、
バットマンだって『ゴッサムシティの行政』じゃ片付けられない悪を対峙してるから、決して金持ちの道楽じゃない」


って感じですかね。
…ぶっちゃけ、自分の頭の中で思ってたことを吐き出して文章化してこうして推敲しながら見てると、

「あ、別に何のことはない偏見に塗れてるだけの台詞やな」

と思い始めたのは内緒です。

ま、なんと言うか。誰に向けるでもない記事なので、ぶっちゃけ途中から言いたいことが散らかってますし、総括も何もなく終わっても良いんですが、
なんかブログ記事として釈然としない感じで終わるのもなんか嫌やなと思うので。

結局、

人間、怒ってる時って割と条件反射的に怒ってしまっている時があるので、
こうして整理してみるのは大事かもしれませんね!


と言う話です。
俺が二度も激怒したこの台詞だって、正直冷静になって思い返すとヒーローへの偏見に満ち満ちたただの悪口でしかありませんでしたし、
割と、世の中カチンときたことって一旦持って帰って考えてみたら、そう怒る事でもないことがあるかもしれませんね!
ただでさえストレス社会と叫ばれて久しい昨今、冷静さを以て自分がカチンときた事柄を冷静に整理すると意外にスッキリするかもしれませんよ!

と言う訳で皆さんも冷静な頭で一回考えてみましょうね!ってことでお終いとさせて頂くことにして。
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カンガエル自由

2019-08-14 12:55:32 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

今回はかーなーりー!…真面目な記事になると思います。同時にセンシティブな話題に
素人が首を突っ込んでいますので、まぁ参考程度に留めておくことをお勧めしておきます…。

先日、あいちトリエンナーレで開催されました、「表現の不自由展」
これは、物議を醸し、展示が中止された作品を、そこに至るまでの経緯と共に紹介し、受け取り手の皆さんに、「表現の自由とはなんなのか」と考えて貰う…
という趣旨の展示会でありました。しかし、その中になんとあの慰安婦像があり、日本ヘイトの象徴やんけ!と非難が殺到。
(中には「昭和天皇の肖像を燃やして踏み潰す」というものもあったようですが其方より此方の方が問題だったようです)
芸術監督を行っていたジャーナリストの津田大介さんは、当時は批難する者に対してTwitter上では、「は?俺に対抗してる訳?俺にはいろんな人ついてるんだよ?」
イキり散らしていましたが、展示されている一部作品の展示を、安全確保の面から中止するという事態に発展したことで、改めて謝罪する事となりました。

そして偶然にももう一つ、Twitter上のダイアクロン隊員の間で物議を醸す出来事がありました。

…とその前に。「ダイアクロン」とは、タカラ時代のタカラトミーが世に放ったトランスフォーマーの祖先と言うべき玩具シリーズなのですが、
2016年頃に復活し、その作品の雰囲気やプレイバリューの高さから好評となり、現在に至るまで商品展開されれている人気シリーズとなっている作品です。

そんなダイアクロンで、ある作例をTwitter上でアップロードした人が居たのですが、彼の上げた作例には、
何と広島原爆の名である「エノラ・ゲイ」が冠されていたのです。設定でも明確に「広島原爆の10倍の威力を持つ大型爆弾を投下する」と記述されており、
これが物議を醸して晒され、炎上する騒ぎとなった結果、その作例を投稿した方はアカウントを削除し、Twitter上から逃亡。
謝罪や納得できる釈明が無いまま、この件は有耶無耶となってしまいましたが、「この件は代々まで恨むぞ」と怒りを露わにする隊員もおり、
奇しくも、先述の表現の不自由展にダブる展開を見せました。

この事を受け、自分は時折問題となる「『表現の自由』を盾にするなら何をしてもいいのか?」という問題を、真剣に考えてみようと思い立ち、
今回は自分の中で考え、構築した持論を展開してみようかなと思います。

まず結論から申し上げますと、先ほどの「何をしてもいいのか?」という問題には、答えはNOです。ええ断じてNOです
何故なら、そう言ったあらゆる「自由」とは、

「何物も傷つけず、また何物からも傷つけられないことが保証されており、且つ
ある程度のルールとマナーが設けられた中で謳歌できるものである」


と思っているからです。

自由と言うのは「厳し過ぎる規制や制限があるからこそ、その殻を破って生まれる」みたいなイメージを抱きがち(自分がそうです)ですが、
こう言ったヘイトになりそうなものは流石にまずい、と一旦は考えるものです。
今回、行政が働いて撤去にまで至った話と、一個人の表現が炎上して本人が逃げた件を勝手にオーバーラップさせ、同列に語っていますが、
幾ら赤いふんどしのおじさん

「慰安婦像は大日本帝国へのヘイトであり、現代日本へのヘイトではなく、平和への思いを新たにする方が今の日本に適している」

と言ったところで、(この一件は韓国側による一部捏造もあると言う話もあり)やはり日本そのものへのヘイトととられかねず、かなり多くの人の怒りを買うのは事実であり、
ましてや広島原爆や長崎原爆の話を取り扱うなら、猶の事だと思います。しかもそう言った話は歴史的な問題でもあるため、
扱いには誰もが慎重にならざるを得ず、正直な所、「幾ら表現の自由と言ってもヘイト創作になりそうなラインは越えてはならない」と思うのですよね。

けど、そういうヘイト創作に対して先鋭化し過ぎたのが今であり、それに便乗するかのように、「この表現はいけない!」「この表現は差別だ!」と、
其々が自分の気に入らない表現や、これってどうなのと言う価値観に基づく正義感を掲げている、
ソーシャル・ジャスティス・ウォリアークソフェミと呼ばれ、ポリティカル・コレクトネスを盾にした煙たがられる存在が跋扈しているのが今だとも思います。
そして、そう呼ばれる方は人一倍「『ゾーニング』にうるさい」という印象もあります。
こう言った場でのゾーニングとは、「物品や情報、サービスなどを年齢別に制限する事」を言います。映画で言う所のPG-12/R-15+/R-18+指定」ですね。
が、その手のゾーニングの話って言い分を聞いてると単に「自分の嫌いなものを排除したいだけのような言い回し」に聞こえるのが往々にしてあるので、
正直「何言ってんだこいつ」で終わるものが大半だった筈なのに、困った事にゾーニングの話は「嫌なら見るな」が罷り通りそうな二次創作界隈でもたまーにあり、
ここから発展して「一部センシティブな表現があるものは注意書きなどを添えた方がいいのではないか?」という暗黙のルールが形作られ、
結構多くの方が「○○注意」「なんでも許せる人向け」などいった注意書きを前置きした上で作品を投稿する、という独特の文化が築かれています。
自分としては、そう言った独自の「暗黙のルール」が築かれた事に関しては、割と前向きに捉えていたりします。
暗黙のルールであるが故に、厳しく制定されておらず、「必ずしも守らなければいけない物」ではないというところが大きいからです。

…やや話が脱線しましたし、長々と語ってとっ散らかってる感が有りますが、俺が考える表現の自由とは

「作り手には最低でもヘイト創作になりかねない表現はしないとか、受け取り手には作品の排除を求める動きをしないとか、
そう言った最低限のルールと、ある一定の『規制』ではく『制限』が設けられた上で、表現ができる事」


が理想なのではないかな?と思います。
ぶっちゃけマルクスばりに理想論語って後は丸投げしてる感がありますが、「自由とはある一定の制限の元に生まれる」という自分なりのイメージを、
短いフレーズに可能な限り集約した結果がコレだったりします。

勿論、これは世の中分かった気でいるようなトーシロの意見ですので、正直詰めれば詰める程ボロが出ると思います。
自分が正直過剰な批判と非難にさらされる覚悟は…ありません。けど自分の意見は言いたいと言うクソ野郎の戯言なので、
何卒、穏やかな気持ちで受け止めてくれることを切に願います。

表現の自由をみんなで考えて守って行きましょうね、という事でお終いとさせて頂くことにして。
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