ガエゆだR。

~ガチとエンジョイとの狭間で未来の夢を抱くブログ・REBOOT。~

【ATTENTION】始めにお読みください【NOTICE】

この度は本ブログに足を運んでいただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログを読むにあたり、注意事項がありますので、三つ…言わせてください。
一つ。本ブログはタイトルの通り、「デレマスのガチ勢なのかエンジョイ勢なのかよくわからない人のブログ」なので、
「若干ヒリつく話題にも首を突っ込み自分なりの解釈を述べるブログ」、という側面を持ちます。なので、燃えそうなヤツはいつの間にか無くなってるかもしれません。
二つ。管理人の性分がクソマジメちゃんなのでいちいち言う事が堅いです。ぶっちゃけクソつまんねー事も有ります。ご了承ください。
三つ。特にありません。…と言いたいところですが、自分の考えは飽くまで「ガチ勢でもないエンジョイ勢でもない半端者」のお話です。
読み流す程度にご覧ください。
以上となります。大変長らくお待たせ致しました。それでは、ごゆっくりお楽しみください。

カツドウカノ真贋

2021-11-17 11:14:34 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

先日、選挙で当選されたハッピー米山こと米山隆一先生が、
(以下要約)

「ジェンダー平等や、気候変動に対応する方針も打ち出していいとは思うが、出す順番としては、
経済、福祉、ジェンダー・気候変動の順で出した方がいいと思う。
3つ目を最初に打ち出してしまっては、余裕のあるヤツの趣味だと思われてしまう」


と発言したのをきっかけに、フェミニストを名乗る方々が一斉に彼を攻撃。しかもあるフェミニストの方が

パパ活売春おやじを推薦する時点でジェンダーなんて本気で考えてない
「奥さんだって性欲処理機じゃない


などと発言したのを切欠に、米山先生は当該フェミニストをブロック。一方、この発言に

「それ私に言ってる?」

と、奥様の室井佑月さんが割って入り、これを切欠に「フェミニストvs.室井」という構図が繰り広げられました。
そして室井さんが戦っている一方、徒党を組むフェミニストのアルファの一人である靴の人のTweetを取り上げた米山先生が

「『ジェンダーの問題に取り組む女性達であり、全ての女性達じゃない』って、
もうそれフェミニズムって言うか『フェミニストイズム』じゃん。
フェミニズムには賛同するけどフェミニストイズムには共感できません。ご自由に」


と言った事で、フェミニストを名乗る皆さんの旗色がいっぺんに悪くなったようで、
別のターゲットを見つけて放火する様なムーブを取ってしまいました。人間こんな事も出来るのか、と感心する次第であります。

自分は普段米山・室井夫妻の言う事にはどうにも「何コイツ」と思って賛同しかねる方なんですが、今回ばっかりは賛同どころか、
もう大絶賛でして、どれだけ絶賛したかと言えば、つい先日Twitter上で「フェミニストイズム」では微妙に語感が悪いので、
トとイをリンキングして「フェミニスティズム」にしよう、と新たな言葉を生み出したほどでした。

さて、意味の分からない言葉を生み出すだけではツイフェミ、改め「フェミニスティシスト」と同じですので、自分なりに意味をお話したいと思います。

フェミニスティズムとは、自分なりの定義では

「フェミニストであろうとしたが故に、本来のフェミニストのあるべき姿から大きく逸脱し、
元々のフェミニズムに付随している少しのミサンドリー男嫌いを拡大解釈したような思想。
また、その思想を持つ者をフェミニスティシストと呼ぶ」


と言う感じになります。…なんか漠然としてますが、要するに「ツイフェミ」と言う言葉の言い換えです。
今までは「Twitterフェミニスト」を略して「ツイフェミ」と呼んでいましたが、それではフェミニズムやフェミニストと言う思想や、
その思想を持ちながら、あそこまで過激でない人々に失礼に当たると思うので、出来れば本ブログを読んだ皆さまも使って頂ければと思う次第です。

で、そのフェミニスティシストってのはどういう奴らを定義すんの?という話ですが、私の定義では、

1.主に男性を叩く他、自分たちの意見に賛同しない女性にも「名誉男性」のレッテルを貼って叩いたり、
男性向けと思しきコンテンツに、「性的」性犯罪を助長しかねないと言った苦情を申し立てたりするようになる

2.「クソオス」「🍣🐈🌹(オスシ・ネコ・ローズ→オス・〇ね・〇す)」等、男性を極端にケダモノ扱いする言動
繰り返すようになる。場合によっては反出生主義を掲げている者もおり、その場合は男児であっても容赦なく憎悪を向ける

3.「ヘルジャパン」「性的搾取大国」等、ジェンダーギャップ指数ランキングが低い事を根拠にした、
日本を下げる言動をするようになる

4.(ここでは敢えて言及しないが)特定のコンテンツやジャンルを好きと掲げる人物の場合、「自分の好きなものは
罪に問われない」という、都合のよい考え
をするようになる

5.過去の発言をほとんど覚えておらず、過去の発言を遡ると正反対の事を言っていて、過去の自分に対する
ブーメラン現象を起こしたり、同じフェミニストの屋号を掲げる他の人物に突き刺さるような発言を何度も行う
※原則、人間は過去の発言をあまり覚えていないものだが、フェミニストを名乗る人々は顕著

6.何度批判や批難(場合によっては誹謗・中傷を含む)を受けようとも、自分の方が正しい、自分は間違ってない、寧ろ
自分たちに文句を付けた者が悪いとする等、過去の事実を都合のいいように歪曲して解釈し、
自身が問題発言をしたから事が始まったにも拘らず、過去を反省しないある種の「無敵の人」と化する

7.「自分はフェミニストだorではない」と名乗っている・いないに問わず、
そう言った1~6の発言をする者の考えを支持したり、擁護したりしている(ここ重要)

8.上記の条件に少しでも接触しそうな、もしくはドンピシャの発言を繰り返している


と言った感じの人、と言う事になります。基本はフェミニストと名乗っていることを基本にしようかと思いましたが、フェミニストと名乗ってなくとも
彼方側の言う事を支持する方もいらっしゃるので、そちらも対象にしました。なので、この条件で言うと全国フェミニスト議員連盟の皆さんを始めとした、
フェミニストの屋号を掲げる人の多くは1の条件に該当しますし、やたらオタクをおちょくってくるフリーライター利害関係者ステークホルダーの意味を履き違えたハードボイルド気取り
あとどっかの正義面した王様気取りなんかは7に該当しますね。
尤も私個人的には、二次元に対して性犯罪を助長しかねないとかどうとか言う人は、海外と日本の性犯罪検挙率を比べてから仰って欲しいんですけどね。出羽守みたいで癪ですけど。

…さて、「これが『フェミニスティズム』であり、こういった方たちは『フェミニスティシスト』と言えると思う」というお話をしましたが、
「やけに定義がこまけぇな」とお思いの方もいるでしょう。何せこれ、Twitter実際に居た人たちを参考に定義しているんですよ。
ヤバいですよね。いろんな意味で。

こう言いだすとほとんどの「フェミニストと呼ばれる人たち」該当してしまうような気がしますが、そうでもしなければならないぐらい、
フェミニズム、いう思想は、本来の意味や理念が失われている…ちょっとカッコつけた言葉で言えば、
「日本のフェミニズムは死んだ」と言える状況にある、と私は考えています。

こういった人々は、往々にして訳の分からない言葉を言って回り、自分の気に入らない物を簡単に否定してしまう人たちであり、
私はこういった人たちの動向を観察し、逐一ツッコミを入れてきたつもりではありました。しかし、自分はそこまで他のフォロワーへの
影響力が無い人間であり、自分が言っていることがヒャクパー正しいかと言われれば、決してそうではない人間です。

ですが、どうか本記事を読んだ皆さんには、あちら側の造語が「攻撃」に使われる事が多い為、
主に「フェミニズムを違えた人を、本来のフェミニストと『区別』するための言葉」として使って頂ければなと思う次第です。

願わくば私の文章が、これ以上でもこれ以下でもない風に解釈される事を…と祈りつつ、お終いとさせて頂くことにして。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慈シキココロ

2021-11-08 01:29:49 | アニメ・特撮
[警告:本記事は「鬼滅の刃」原作漫画のネタバレを大部分に含みます]
[「ネタバレを回避したい」という方はブラウザバックをお願いします]
[ネタバレを許容できる方のみ、スクロールして本文をお読みください]








































どうも、Klowですおはようございます。

上記の警告文、お読みになられた皆様に向けてお話しますが、今回の記事の趣旨は、

「自分は鬼滅の刃を如何なる物語であるという風に見ているか」
そして
炭治郎とは本当に『生得的狂気に侵された』、簡単に言えば『サイコ野郎』なのか?」

というお話です。前提としてガチ精神科医の斎藤環先生が執筆なされた、鬼滅を心理学的に読み解く此方の記事を読んで頂けると話がスッと入って来ると思います。
出来たら此方の記事を読むのを止めて、まず此方からお読みください。もしくは当記事を読んでから読んでください。長いけどね。
で、今回はその記事に対するド素人のアンサーみたいなニュアンスを含む記事になりますので、
私の記事もクソ長くなると思います。時間の有るお暇な方のみお付き合いください。

結論から申し上げると、俺は鬼滅の物語を

人は老いて死ぬものだが、ある人の思いは、兄弟は勿論友人・知人・後輩と言った、
その人が影響を与えた人たちが繋げて行き、実を結ぶという『人間讃歌』が根底に流れるバトル漫画」


と解釈していますし、炭治郎については

「『生得的狂気に侵された男サイコやろうか』と聞かれればNO。断じてNO


だと思っています。では、そう言う結論に至った話をつらつらとお話して行きましょう。

まず「人間讃歌」とは、ワニ先生こと吾峠呼世晴先生がルーツとするジョジョの奇妙な冒険に登場する造語です。
作者である荒木飛呂彦先生が「思い付きで書いた」(意訳)と仰られているので、明確な意味は読者に委ねられているのですが、
本記事での人間讃歌とは、

『人の弱さ』を認めた上で、進む勇気を振り絞る事は素晴らしい事を伝える讃歌」

と定義しましょう。そして自分は「吾峠先生はこの定義の通りに解釈されてるんだろうな」という仮説のもと話を進めます。

で、こっからが本題。
アニメ/映画無限列車(原作8巻頃)、猗窩座との戦いの中、炎柱こと煉獄杏寿郎さんは、このような台詞を猗窩座に向かって発します。

「老いる事も 死ぬことも 人間と言う生き物の美しさ
老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ


はい。お分かり頂けたでしょうか、このたった数行に込められた、吾峠先生なりの「人間讃歌」を。
そういう吾峠先生の「人は何時か死ぬが、それが人の美しさであり、尊いもの」という「人間讃歌」に基いたかのような台詞は
その後も度々発され、本編を読み進めると、多くの隊士は…柱の皆さんや、隊士でない御館様こと産屋敷耀哉も含めて、

「喩え自分が倒れようと、自分の遺志を継いだ者が、思いを果たしてくれる

とか、

「例え自分が倒れても、仲間達には生きていて欲しい

とか、そういう願いを込めた台詞や手紙の文章を言ったり、書き残したりしているところなどが、少しずつ描写されてきます。
かの蟲柱・胡蝶しのぶさんも、姉である花柱・胡蝶カナエさんが殺されたその日から、「自決覚悟で仇を討つ」と決意し、
自分のたった37kgしかない体の全てに藤の毒を飲み、その体全てに毒を浸透させ、自分自身が「致死量の700倍の毒」へと変化して行きます
カナエ姉さんこそなんとか食われなかったものの、普段は「女食い」の鬼である、仇の童磨自らをわざと食わせる為に。
(童磨は「人を生み育てられる女は、男より蓄えられる栄養が高い」という理由で女を襲い、食べている鬼でした)

恐らくですが、しのぶさんはカナエ姉さんが殺され、カナエ姉さんが拾った栗花落カナヲちゃんが鬼殺隊士になった時から、
「止めはカナヲに刺して貰おう」と思っていたのでしょう。故、しのぶさんはそんな無茶苦茶な事が出来たし、
なんならカナエ姉さんが居ない世界で生きていける自信は無いとすら思っていたのかもしれません。そこまで深い描写こそありませんが、
童磨との戦いの中で、彼女は「ずっと怒って」いて、「やらなきゃいけない事がある」とも独白するシーンがありました。

なので、先程「読んでくれ」と言った記事の中では、柱の皆さんもサイコパスの集団であるという旨が書かれていましたが、
自分は彼らを「優し過ぎるが故に、自己犠牲に走ってしまった人たち」という風に解釈しています。尤も、自分がサイコパスというワードに
忌避感を覚えているというのもあるんですが、本来サイコパスという言葉には、「人としての思い遣りが著しく欠如する人間」という意味合いが含まれておりまして。
柱の皆さんが本当にサイコパスなら、全員が極めて自己中心的に活動し、喩え誰が死のうが素っ気ない態度を取ったし、それぞれが「惡鬼滅殺」の使命を帯びて
活動する事も無かったんじゃねーかな
、とも思ってます。加えて、鬼滅の物語では「炭治郎以外の人間は、わざと第一印象が悪くなるように描いている」と言う風に
聞いた事もありますので、柱合裁判のくだりを取り上げてサイコパス共と評するには聊かナンセンス過ぎるという風に自分は思ってしまいましたね。
ド派手に断じてしまうと、キャラクターの表面しか見てないんじゃね?っていう。だって煉獄さんが無限列車の戦いで命を落とした時も、あの素っ気ない風な冨岡さん

「そうか

という一言に、悔しさや哀しさが詰まっている風に見えるんですよね。冨岡さんは無口で口下手なだけで、仲間思いな人ですから
(そのせいで鬼殺隊見聞録弐巻に掲載されている「柱相関言行録」では軒並み「もっと喋った方がいい」と評されています)
延々と語るとさらに長くなってしまうのでこの辺で切り上げますが、他にも23巻で炭治郎が鬼になってしまい、人戻しの薬を打ち込まれた後の描写など、
様々な部分で鬼滅の物語とは

人間讃歌が根底にあるバトル漫画」

である、という風に解釈したんですよね。「『トラウマ的な責任と倫理』の問題を生み出し続ける物語」という後ろ暗いものではなく。

そして、一番語りたかった「炭治郎はサイコ野郎か、その答えは断じてNO」というお話なのですが。
根拠として、鬼滅の物語を読み解く上で、俺はとっても大事にしている前提条件があります。それは、

「炭治郎は、基本的に禰豆子ちゃんを元に戻す為、常にいっぱいいっぱいで戦ってる」

という点です。
全集中の呼吸を必死で覚えたのも、最終選別を生き抜いて鬼殺隊士になったのも、鬼を倒し続けたのも、その全てが禰豆子ちゃんの為なのです。
あの日、無惨様にほぼ全員殺された中、唯一生き残った身内である、禰豆子ちゃんを人に戻すために。
だから鼓屋敷に行く前の道中で出会った善逸の事を覚えてなかった上に

「お前みたいな奴は知人に存在しない 知らん!!」

なんてズバッと言い切ってしまったし、いち早く入山していち早く下山した伊之助の事なんか、
鼓屋敷の中で出会っても、あの声聞き覚えがあるな~なんて思い出す事も無く、そもそも記憶の端にもありませんでした。
(ゲームヒノカミ血風譚では、藤襲山の山中で伊之助の声を聞くシーンがありますが、それも忘れてしまったのでしょう)

更に、自分の前提を更に裏付けるシーンは、これから遊郭編としてアニメ化されるはずの9巻のお話の中にもあります。
伊之助がさらりと

「俺達の階級"庚"だぞ もう上がってる 下から四番目」

と言い、最終選別の舞台だった藤襲山で加工されたという「藤花彫り」なる、自らの階級を拳に示す入れ墨を浮き上がらせます。
これは「階級を示せ」と手に力を込めながら言うと、拳に階級が浮かび上がり、鬼殺隊士としての階級を一目で分かるようにするものなのですが、
あれ、藤襲山で手ぇこちょこちょされたろ?と伊之助が聞くと

「こちょこちょされた覚えはあるけど疲れてたし… こういう事って知らなかった…」

と、こちょこちょされた記憶こそ在れど、藤花彫りをされたとは思っていなかったと打ち明けます。なので、そんな基礎知識すら頭に入らない程
疲れていて、且つ「あの時はいっぱいいっぱいだった」というのが分かるシーンになってる訳です。

加えて、炭治郎は「俺は長男だから」と唱えながらなんでも我慢できてしまうのも、禰豆子ちゃんを元に戻すために、
自分が倒れてなんかなるもんかという、よくよく考えれば「禰豆子ちゃんの為」という行動原理が見えて来るんじゃないかな~と思います。
更に、記事では「人の気持ちを想像する力が無い」的な事を言われてますが、そこは元々の性格なんだろうなぁと思う所こそ在りますが、
どっかしらに「禰豆子ちゃんの事を気にしてるから」だと思うと合点が行きますし、そんな常に禰豆子ちゃんの事を第一に考えて動く炭治郎に対して、

「まともな『心理』などある筈もない」

なんて断じてしまうのは流石に可愛そうなのではないかと考えてしまう訳です。
勿論、俺が竈門炭治郎という少年を最大限甘く見積もって解釈していると言ってしまえばそれまでですが、俺の中での炭治郎とは、

「禰豆子ちゃんの事を第一に考え、時にいっぱいいっぱいになりそうな中で、
父・炭十郎の遺した『自分が苦しい時でも人を慈しむ事ができる、しなやかで強い人間になれ』という言葉を胸に、
自分の出来る範囲で人に優しく接していた少年なんだろうな」


という認識が有る為、「謎めいた空虚な中心」でも「まともじゃないガキ」(魘夢談)でもないと思ってるんですね。
尤も夢の中で何度も自決できる胆力があるのは、確かにマトモじゃないかもれませんけど………

以上が、自分が結論までに至った根拠でした。
久し振りに面白い記事を読ませて貰ったんですが、聊か共感しかねると思い、一ファンの目線から俺はこう見てるんだぜ、というのを
Twitterでやるとひたっすら長くなりそうだからブログに書こうと考え、この記事が出来上がった次第です。

俺個人的には「ガチの学者先生が読む鬼滅の刃」というお話を他にも読んで、いやそれはこうじゃね?っていうのがやりたいので、
他の方の参戦を心待ちにしておきたいと思いつつ、お終いとさせて頂くことにして。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする