ガエゆだR。

~ガチとエンジョイとの狭間で未来の夢を抱くブログ・REBOOT。~

【ATTENTION】始めにお読みください【NOTICE】

この度は本ブログに足を運んでいただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログを読むにあたり、注意事項がありますので、三つ…言わせてください。
一つ。本ブログはタイトルの通り、「デレマスのガチ勢なのかエンジョイ勢なのかよくわからない人のブログ」なので、
「若干ヒリつく話題にも首を突っ込み自分なりの解釈を述べるブログ」、という側面を持ちます。なので、燃えそうなヤツはいつの間にか無くなってるかもしれません。
二つ。管理人の性分がクソマジメちゃんなのでいちいち言う事が堅いです。ぶっちゃけクソつまんねー事も有ります。ご了承ください。
三つ。特にありません。…と言いたいところですが、自分の考えは飽くまで「ガチ勢でもないエンジョイ勢でもない半端者」のお話です。
読み流す程度にご覧ください。
以上となります。大変長らくお待たせ致しました。それでは、ごゆっくりお楽しみください。

続・メグル蝸旋

2024-05-31 21:01:06 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

今回はまだるっこしい前置きなく本題に参ります。今年冒頭世間を沸かせたセクシー田中さん事件から凡そ4か月、
日本テレビさんが社内に立ち上げた内部調査チームからの報告が寄せられました。ニュース記事はリンクになってる文字のライブドアニュースさんで
読んでいただきたいのですが、「矢張り」と言うかなんと言うか。芦原先生の意向がしっかりと日テレに伝わっていなかったことが明らかになったそうです。

まず、本ブログをお読みになっている方の中にも「セクシー田中さん事件」を忘れてしまったという方もいらっしゃるかと思われるので一応簡単に解説しますが。
本件は、漫画を原作にした実写ドラマ版「セクシー田中さん」において、脚本家の相沢友子先生のInstagramにおける「原作者がしゃしゃり出て来て仕事を盗られた」とでも
言いたげな投稿を受け、原作の芦原妃名子先生が、最終回手前の9話、及び最終回となる10話の脚本を自分で執筆した経緯を説明した内容を自身のブログに投稿した後、
一連の投稿を削除。その数日後、芦原先生は某所の山中で自殺し、ご遺体で発見されてしまったという、「テレビ局が一人の漫画化を殺した」と言っても過言ではない事件です。
これを受けて制作・放送した日本テレビは謝罪を行うと共に内部調査チームを設立すると約束、我々はその事件の行く末を静かに見守るだけとなっていた…というのが、
ざっくりした今までの経緯だったのですが、ここからは、ニュース記事に沿いながらいろいろと気になった所を突っ込んで行きましょう。

報告書によれば、去年2月頃に小学館の方から実写ドラマ化の提案があり、その話を聞いた日テレ制作陣は

「小学館から、『原作未完の部分はオリジナルのエンドで良い』と聞いた」

と言う風に認識しており、その一方小学館は最初から

「未完の部分は原作に影響しない、原作者が提案したもの・・・・・・・・・・を土台にしたオリジナルのエンドでよい」

と言う風に話していたそうで、この時点で日テレと小学館の間に認識の齟齬が発生していたのだそうです。
……この時点で「何?日テレには伝言ゲームで相手の言った事思いっきり取り違えてグダグダにするタイプのアホしかおらんの?」と思ってキレそうになった方、
頑張って我慢して下さい。俺もそうでした。堪えましょう。

また、「ドラマ化するなら、原作を大事にしてくれる脚本家の方でないと難しいと思う」とも小学館は伝えており、
その際は日テレ側も原作者の意向を無視するような改変はしません。リスペクトを持って取り組ませて貰います」と約束しており、
かくして製作が始まったそうですが、その後放送された実写版セクシー田中さんがどうなったかは皆様がよく知る次第ですね。

また、嘗て書かれた芦原先生は自身のブログ記事上でも、小学館を通じて

1.必ず原作漫画に忠実にする
2.漫画の今後に影響を与えないよう、粗筋から台詞まで用意する
3.原作者が用意したプロットは原則手を加えないで貰いたいので、ドラマオリジナルパートになる
 終盤の話
に関しては、原作者が用意した話をほぼそのままドラマ化することを想定して貰いたい他、
 場合によっては原作者が脚本を書く可能性もある


と言った条件を日テレに伝えて欲しいと小学館を通じて連絡していた…筈なのですが、調査を進めた結果、
なんと小学館、このとてもとても大事な条件を書面は疎か口頭でも説明せず、提示していなかったそうなのです。

「は?」

と思われた方、もう少しだけ我慢して下さい。気持ちは分かります。俺もそうです。今キーボードを打つ手にも怒りが籠って仕方ないので。

この結果、こういった条件が小学館から提示されているという認識が無かった日テレは脚本家にそう言った意向を伝える事もなく、芦原先生は
ただ日テレに不信感を募らせていくだけだったらしく、終盤になってあのような事態が発生し、このような事情を知る由もなかった相沢先生は被害者ぶったような
投稿をしましたが、それもその筈。
上記のような背景があった為であり、飽くまでスポニチアネックスの記事上では、小学館の大切な条件の伝え漏れが、
そもそもの原因と言っても過言ではないような書き方
でした。また、この報告書を受けた日テレの石澤代表取締役曰く、

「これまで以上に厳しく取り締まらねばならない事態が浮き彫りとなった為、
テレビドラマに関わる全ての方々が安心して製作に取り組めるよう努力していきます」


と言った風な反省をされたそうですが。

そんな現体制の改善目指しますって話より、
芦原妃名子先生のご遺族への謝罪と、今現在原作を踏みにじって設定を矛盾させ、
コケにしてるとしか思えぬ「アクマゲーム」の原作陣への謝罪は?


と思わざるを得ません。
俺が思うにですね、日テレが守るべきは自分トコのドラマ制作者の方々じゃないと思うんです

原作者でしょうが。

漫画や小説を原作にしたドラマなんて、その原作ありきじゃないと作れないんですから、もう少し原作を大事にするドラマ作りをするだけで…、
それこそ、原作となる作品を連載している出版社から「原作に忠実にして欲しい」って態々言われなくても忠実にするぐらい大事にするドラマ作りをするだけでも、
それだけでも原作者は救われると思うんです。
嘗て自身が作った漫画の実写版が余りにも原作と乖離し、筆を折りかけた漫画家の話を知っている以上、
日テレさんにはあまり期待こそしてはいませんが、原作を大切にするという言葉の意味から今一度考えて頂きたいと思います。

漫画家・小説家を問わず、多くの創作者にとって自身が生み出した創作物は、我が子のように大切な物なのです。
独りでパソコンや紙に向かい合って、キーボードを叩いて、マウスを動かし、ペンを動かし、字を書き、絵を描き。
こういう物語を作りたいとか、こういった物語をいろんな人に読んで欲しいとか、そう言った思いで作られた物の筈なのです。

今回の一件、自分としてはとても大事な事を伝え忘れた小学館についても自分は怒っています。出版社なら、
もっと自分の雑誌で連載を持つ漫画家を、大事にしてやれなかったのか、と。芦原先生から提示された条件を何故はっきりと伝えなかったのかと。
日テレばかりが槍玉にあげられる案件に見えますが、小学館にも我々はしっかりと怒りの声を挙げねばなりません
そんな癖してこんな事態が起こり、挙句の果てに「寂しいです、先生」という拙いお涙頂戴感の漂う追悼コメントを発表して、
何を被害者ぶっているのか、と
。ハッキリ申し上げれば、

「芦原妃名子先生の自殺の片棒を担いだ日テレの共犯者

と言う云われを受けても仕方ないんじゃないかなと思います

幾ら嘆こうが喚こうが芦原先生の命は戻りません。時を巻いて戻す術もありません。
抑々が「ドラマスタッフが安心してドラマを制作できるようにする」というそもそもの目的を履き違えた腑抜けた調査報告を上げてきた調査チームは勿論、
今回の一件で芦原先生への謝罪が1つもなかった石澤代表取締役など、怒りの矛先を向けようと思えば細かく分散できるでしょう。
ですが「原作者の意向をしっかりと伝えなかった小学館」にも同様に良からねばならないようになった結果が見え、自分は小学館を見損なってしまいました。
「結局、原作を虚仮にした日テレも、原作者の意向を伝え忘れた小学館のどっちも悪い話やん」と。日テレだけが悪者ならどれだけよかった事でしょうか。

正直セクシー田中さん事件の根深さは、小学館・日テレ双方にあるのだ、とやりきれない気持ちに苛まれると同時に、
二度とこのような事を繰り返さない為には、日テレが反省すればいい話ではないなと言う失望感を覚えています。
どれだけ多くの人が反省してるんだろうか?小学館もこの報告書を呼んだのだろうか?そして身につまされる思いを、しっかりと感じてくれたのだろうか?と。
再び光が見えなくなってしまいましたが、これで少しでも事がいい方向に進む事を祈りつつ、お終いとさせて頂く事にして。


【’24年6月5日追記】
日テレの報告書が上がってすぐ小学館の方の報告書も上がってきたので、
其方の方もニュース記事を参照しましたが、まず最初に芦原先生への哀悼の意を表す点や、

「芦原先生の死因を特定するものじゃない」(意訳)

言い訳がましいことを書いていた日テレとは違い、行った言わないの水掛け論に対してきっちりと調査を行い
そのほとんどで日テレ側の方が「聞いてない」という回答が得られたということだったそうで、見損なったぞ!と強く出た割に、
謝罪から始まる文章をお出しされ、一旦鞘を収めねばならないなと言う気になりました。その一方、日テレ側から

「原作に忠実にやって欲しいと言った旨の注文を付けられたらドラマ化は無理です、と断るつもりでした」(意訳)

との証言も得られており「ハナから原作に忠実にやる気がなかったんだな」という、テレビ局の驕りが見えてしまったなと思ってしまいました。


言イハルビジネス

2024-05-10 23:10:16 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

突然ですが皆さんは「せどり」という言葉に聞き覚えは有りませんでしょうか?元々は「掘り出し物(主に古本)を転売する」行為を指す言葉で、
そこには「高額転売目的での商品を購入し、それで利益を得る」という邪な思想が介在しないれっきとした日本語の言葉の一つだったりします。

そんな「せどり」なんですが、最近はめっきり高額転売目的で商品を購入し、フリマサイトなどに流して利益を得る、という
所謂「テンバイヤー」言い換えとして機能している言葉に成り下がってしまっておりまして、人の「商品を買う機会」を奪っときながら、何を勘違いしたのか
「私はこれで月30万~50万設けてます」とドヤ顔してる鼻持ちならない野郎共が自らを「せどらー」と自称したり、更には
その自分で培ったせどりのノウハウを烏滸がましくも人に教えようとせどりセミナーを開き「新しいビジネススタイルで儲けを出してます」という態度を取ったり、
セミナー講師の中にはツアーと称して受講生を買い手としてショップに送り込み、複数人で商品を購入して、せどり(もとい転売)を行う、狡猾なせどらーも存在します。

自分は今こうしてブログを書いている今日(※'24年5月10日)、Twitterでつい今日狡猾なせどり講師の実例を目の当たりにしてしまったのですが、
Yahoo!知恵袋に「せどり講師に良い様に使われて儲けが少なかった。ガンプラ見限ってポケカに絞ろうかな」と言った旨の質問を行った間抜けなせどらーが居まして、
どうやら彼曰く参加費5000円のせどりツアーに参加した者から自腹を切らせてガンプラを購入したけれど、5万~7万ぐらい儲かるかな、と見込んでいたら
3万6千円程度しかなく、合計3万円ほど自腹を切った筈なのに純利益は6000円しかなかった為、金を使う予定がパーになってしまったそうです。

その投稿を見た時は「最初は子供達の為にと思って参加した」と言いつつ「正直に言えば赤の他人の為にやってるんじゃない」と爆速で矛盾したり、
「ガンプラで利益を出した人は月30~50万も設けられると聞いてガンプラのファンになった」とか言う「金の匂いしか嗅ぎ取ってへんやんけ」と言いたくなる
余計な情報が幾重にも挿入されており、挙句

「いや、自分はテンバイヤーじゃない。真面目に働いてる働きアリみたいな人からすれば、
ちょっと妬ましいよね、ごめんねせどらーで(笑)」


とでも言いたげな投稿主の言い分が頭にきて毛細血管が何十本も切れててもおかしくない位激怒してた訳ですが、
言ってしまえば、こういう狡猾なせどり講師(笑)が転売を正当なビジネスであるという風に言い張ってるんですよね。

ただ…ここでひとつ思ったのですが。

この手の「せどりはビジネス」「せどりは儲かる副業」と言っているような方々って、正統な手続きを踏んで・・・・・・・・・個人事業主になっておられるんでしょうか?

「ビジネス」と言い張るのであれば、それなりに正式な手続きが必要だと思うのですよね
ちゃんと調べると、個人事業主としてなんかしらの事業を開業した際には、国税庁に「個人事業の開業・廃業等提出書」という
いわゆる「開業届け」を出すのが
必要になるんです。こういった話をするに当たって、個人事業主になるまでに必要な事を知らなかったので、こちらのページを参考にして調べたのですが、
ビジネスと主張するんならこう言った手続きを踏まえてらっしゃるんですよね?と思ってしまうのですよね。
おまけに、こういった転売行為は「一度自分で購入したもの」や「自分で使うつもりだったけど、売らざるを得なくなったもの」を売る
つまり「古物商」に該当する為、もっとビジネスとして主張したければ古物商許可証も必要になる筈なんです。

このブログを介してせどらーの皆さんに喧嘩を売るようですが、ビジネスと称してせどりを行っているせどらーの皆さんはよく読んでください。
あなた方はよもや開業届けも出さず、古物商許可証も取らずビジネスを気取っておられませんでしょうか?少なくとも自分はこの2つを満たしていないならば、
自分は残念ながら皆さんを「新しいビジネスを行っている事業者」ではなく、「人が物を買うチャンスを横取りし、薄汚い金を儲けて悦に入ってるテンバイヤー」だと
見做してしまいます
ので、ビジネスだと認められたければ、そして何万匹も"働きアリ"に群がられて鬱陶しいと思っているのであれば、
一刻も早くこう言った書類をしっかり届け出された方がよろしいかと思われます。

もしくは良心が痛むならさっさとせどりなんて止めちまえと思いつつ、お終いとさせて頂く事にして。

メグル蝸旋

2024-02-17 01:17:40 | (小難しい)雑記/お知らせ
【始めに】
当記事は記事タイトルの由来にもなったjon-YAKITORY feat. Adoの蝸旋らせんを聞きながらor聞いてからお読みください。
個人的に当記事で扱うセクシー田中さん事件が、本楽曲がテーマソングになっているLOST JUDGEMENTロストジャッジメントを彷彿とさせるためなのですが、
そちらの内容を知っている方には理解いただけるかと思います。



えー、非常にセンシティブな話題を取り扱うため、少しでもするりとお話が入ってきやすいよう、
中和剤のようなものを用意させて頂きました。真剣な話題やのに何してんのコイツと思った方、ごめんなさい。今から真面目にお話します。

てなわけでどうもKlowです、おはようございます。

実写ドラマ版「セクシー田中さん」放送後、脚本家の相沢友子先生の「原作者の脚本参加に戸惑った」旨の発言に、ブログとTwitter改めXで反論を展開したのち、
その数日後に遺書をしたため、芦原妃名子先生が自殺したという原作ありのドラマ制作現場史上恐らく初の惨劇が起きた、俺個人的通称「セクシー田中さん事件」
その後、小学館から謝罪っぽいコメントが発表されるも延焼は止まず、2週間と4日経って渦中の日テレが重い腰を上げ、内部調査チームが始動した事で
一旦は静観のフェーズに入った所だったのですが、どうにも本事件について相沢先生の話を鵜呑みにしてらっしゃるのか、
はたまた斜め読みして芦原先生のブログ記事をあまり覚えてらっしゃらないのか、それともブログ記事を読んでやがらないのかは定かではありませんが、

「原作者が脚本書いてくれ、なんて誰も頼んでない。ドラマに首を突っ込んで、
最悪放送中止にでもなった時の責任取れんのか?連載してる途中ならそっちに集中しとけ。
あとで『あのドラマは納得行ってないの』って愚痴るだけにしとけばいいじゃん、と
死んだ人に対してだけど腹立つ」
(要約)

と言った旨の芦原先生への冒涜や侮辱に近い話をしてらっしゃる方を見かけまして、こいつぁいけねえ…と思い立ち、
日テレの動向を静観するしかなくなった今だからこそ、自分が抑々どういう話をしてたかをちゃんと頭に定着させる、というか、いつでも自分が見返して
整理できるメモ帳というか事件簿代わりと言っちゃないんですが、芦原先生が嘗て削除したブログ記事でどういった話をしていたか、
事の発端となった相沢先生のInstagramの投稿と合わせて自分で調べた事を纏めておきたいと思います。


○【発端】
始まりは去年12月24日、クリスマスイブの日。「おしゃれクリップ」終わり、日曜10時半からのドラマとして放送されていた
実写版セクシー田中さんは、丁度今日で最終回を迎えるという当日、相沢先生は後に大問題に発展するpostをInstagramに投稿しました。

「最終回は自分の脚本じゃなく、原作者が自分が脚本したいと希望したため、
過去に経験の無い事でしたが、残念ながら・・・・・急遽脚本協力という形で携わる事になりました」
(要約)

と言った制作現場でトラブルが起きたかのような話をしており、よく読むと「芦原妃名子先生」という個人名を出さず「原作者」と書くに止め、「残念ながら」と
強調する辺りに、後述する芦原先生の反論を踏まえて読むと相沢先生がよほど衝撃を受けたか若しくは悔しかったのか、まるで
「ラストだけ原作者がしゃしゃり出てきて、自分の仕事を盗られた」とでも言いたげなpostは、それなりに反響を呼んだようでした。


○【反論】
最初は然したる話題にもなっていなかったようですが、どうやらそれがかなり遅れたのか、それとも早く届いていたのかは分かりませんが、
このpostは原作者たる芦原先生の目も留まったらしく、芦原先生はこれに反論すべく、数年間放置していたというブログを更新。更に、記事を書く少し前、
1月18日頃に立ち上げていたTwitter改めXのアカウントでも、ブログ記事と同等の内容を投稿します。
これが1月26日、約1か月遅れての事でした。今思えば、1か月間書くか書かざるべきかという葛藤があったんではないかと推し測ってしまいますね。
記事の中では、

9話と10話の脚本を書かざるを得なくなった・・・・・・・・・・・ことを、ちゃんと説明しなければならないと思い記事を書きます」(要約)

と前置きした上で、どのような経緯で脚本を行ったかが克明に記されていました。現在此方のブログ記事は削除されている為、
ニュース記事などを調べてそこに記された内容に依れば、まず、ドラマ化するに当たって芦原先生は

☆ドラマ化するなら、必ず漫画に忠実にして欲しい。忠実でない場合は加筆修正します
☆原作未完なので、ドラマ版最終回近くの話は漫画の話に影響しないオリジナルシナリオを自分が作ります


という条件の元、実写ドラマ版を作って欲しい…と、小学館を経由して日本テレビに伝えて貰ったそうです。しかし、いざ脚本のプロットが上がってみると、
原作漫画を大きく改変したものが提出され、芦原先生がセクシー田中さんという作品の核として描きたかった部分がばっさりカットされていた為、
なんでこうなったの?と聞いても納得の行く回答が得られず「作品の個性を消されるぐらいならドラマ化やめる」(要約)とも訴えた上、
なんで改変されたくないかも丁寧に伝えた上、粘りに粘ってほぼ原作通りの話に直してもらったとありました。

また、完成に漕ぎ着けた頃には最初に伝えたドラマ化の条件が余りにも反故にされていた為、自分達に知る術はないが、「何でこうなったのか」という
疑問を抱えながらの加筆修正作業に追われて相当疲弊していたそうで、8話から10話の最終盤の脚本を担当しようかという約束だった筈が、
それも反故にされて8話から10話までの脚本も上がって来たそうです。この時点で自分としては日テレが殿様商売してるんじゃねえの?と思えてしょうがないですね。
「原作ありのドラマでも話変えてナンボやし?つかなんでそんな嫌なんすか芦原センセ(笑)」みたいな。

その後、「一旦自分が書いた脚本をそのままドラマに落とし込んで欲しい、至らない所が有れば相談して欲しい」(要約)という旨のリクエストを小学館を通して
伝えて貰ったそうですが、ここまで脚本家の相沢先生や監督、キャスト陣の皆さんには直接会った事が無いそうで、
小学館と日テレの間で改変された脚本が上がって来ちゃあ当初の約束通りにしてくれ、と突き返すという事が何度もあり、それから4週間経っても
事態が進展しなかったらしく、製作期間のリミットも迫ってきたこともあって何とか8話だけは改変される前の内容に戻してもらったものの、それでも埒が明かない
判断した結果、小学館を通して「原作者脚本をそのままドラマ化して貰える方に脚本を変わって頂きたい」とすらリクエスト。結果
「8話まで書いてた相沢先生は関わらない」と聞いた上で「9話と10話は芦原先生が脚本を担当する」ということになったとありました。

素人がプロの脚本家の見様見真似をして、不満の残る話になったと思う事はお詫びすると共に、素敵なドラマにしていただいた事を感謝します
といった感じでブログ記事は締めくくられていました。恐らく、芦原先生はメンタル的にも色々と正気を保っているのがやっとだったろうに、滅茶苦茶丁寧に言葉を選んで
最大限傷付けることが無いよう配慮しながら、芦原先生側で起こった事実を克明に記しておられました。

…しかし、この記事のリアクションは、特にTwitter民は「実写化はクソ」という風潮が強く、事実が明るみになるとともに相沢先生のpostが白日の下に晒され、大炎上
自らの想定ではなかったのか「、誰かを攻撃したかったわけではない」と言った旨のTweetを残したその数日後。芦原先生は自らの命を絶ってしまうのでした。


○【その後】
時は遡って、クリスマスイブのpostから4日後。あのpostは当時もそれなりに話題になっていたらしく、嘗て最終回に寄せたpostに対して
釈明するような内容
を記していました。曰く

「自分が脚本したのは8話までで、9話と10話は原作者によるものです」
「今回の出来事は、ドラマ制作の在り方や脚本家の存在意義について考えるものでした。
二度と同じことが繰り返されませんように」
(要約)

といった感じの投稿でしたが、芦原先生の死後、本postを掘り起こしたほぼ全員が見事なまでの被害者面やな」と読み、相沢友子先生は渦中の人となります。
その後のTwitter民のリアクションは皆様の知る通り。トレンドワードに「脚本家のせい」という短文が踊る程、相沢先生はその罪を問われる事となりました

それから相沢先生はこの事件が刻一刻と過ぎる中、2月6日頃に自らのInstagramに新たなpostを投稿しますが、そちらのpostもその後の対応も含め、
火に油を注いでしまいます。文中では芦原先生にお悔やみ申し上げる挨拶に始まりますが、

「自分にとっては初めて聞く事ばかりで、いったい何が真実なのか、
何を信じればいいのかと動揺している内に日が過ぎて行った。今も混乱している」
(要約)

とあり、自分もこの文章を書きながら初めて見た時の「お前のせいやろがいけしゃあしゃあとよお」という怒りがハッキリと蘇るレベルで不愉快な思いをしたのですが、
飽くまで相沢先生は本件に関して被害者であるというスタンスを崩さないようでした。ただ、正直相沢先生には芦原先生からのディレクション
日テレの制作陣から伝言ゲーム式で伝わってる筈なので、全くこの事情を知らないという事は無い筈なのに、それでもこんな
「自分は無実です」と雄弁に語ってる被害者面が出来るのは、筆者としては「このクソアマ面の皮1000万枚張りなのかな」と思ってしまう次第です。


○【現在】
そして現在。小学館がコメントを発表するも、長々と語っている割には最後に泣き落としに走ったような、文面に透けて見える被害者面から
そちらも大炎上する結果となるなど、この事件で加害者の容疑がかっている登場人物全員が被害者面をすると言う、
「虐められっ子虐めを苦に自殺し、それを受けて『そんなつもりじゃなかったんです』と釈明する虐めっ子集団」を見ているかのような煮え切らぬ現状に、
事態が中々風化しないどころか炎症が止まらないと判断したのか、日テレが内部調査チームを擁立。この事件に関してしっかりと時系列を追って調査していく、と
漸く一連の事件の真犯人最有力候補としてマトモな事を言い始め、現在はその調査結果が出る事を一刻も早く願いながら静観するという段階に突入したという訳です。

しかし自分は嘆くわけです。冒頭の蝸旋を引用して、そして俺の言葉として「お前らのせいだ」と。
現状何がどうして芦原先生を追い詰めたのか、定かではありません。けれど、小学館を盾にするように、そして抑々炎上している相沢先生を捨て駒にするように、
ダンマリを決め込んでいる日テレが、筆者的には何より気に食わないのですが、それはまた別のお話、ということで。


以上、自分がザッと調べたセクシー田中さん事件の一連の流れな訳ですが、小学館のコメントや日テレのコメントを大きく取り払い、
相沢先生と芦原先生のコメントに集中して記事を書かせて頂きました。ぶっちゃけ全員被害者面なので煮え切らない思いを今でも抱えているわけですが、
個人的には日テレの内部調査チームが願わくば、しっかりと仕事をしてくれることを期待します。

最後になりますが、自分はこのようなブログ記事を書いた理由は、この事件を追っている外野に対してそういう茶化したコメントをしたヤツを見かけたので、
自分が似たような事を言われない為にも…という感じではあるのですが、「人の死を出汁にして承認欲求を満たしたい」とかいう、
カスみたいな願望で書いたのでは断じてありません
自分がこのセクシー田中さん事件についてTwitterも含めれば事件発生から2週間以上定期的にクドクドブツブツ呟いていますが、自分が「漫画や小説が原作の実写ドラマ」を
楽しんでいる受け取り手
の一人として、二度とこのような事が有ってはいけないと思ったし、アニメではもう既に「映像化に当たって基本的には原作を尊重する」という
暗黙のルールが出来上がっているのに、実写版はまだこんななんかと思った俺としては、ぶっちゃけ「実写化の裏で、余りにも原作と乖離している事にショックを受ける原作者が
いるかもしれない」と想像しながら見たくない
、というのもあり、実写化界隈がもっと原作を尊重する流れが出来て欲しいと、セクシー田中さん事件を忘れられずにはおれんのです。

一日でも早い再発防止に向けた実写化ガイドラインの順守が徹底化される事を願い、お終いとさせて頂く事にして。

ワスルルナ死

2024-01-17 18:27:10 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

皆さんは「メメント・モリ」という言葉に聞き覚えはないでしょうか。ええそうです最近スマホゲーのタイトルになったあの言葉です。
これって何ぞや、って話なんですがズバリ

「人生のネタバレ 死ぬっぽいな」(♪神っぽいな/DECO*27×ピノキオピーfeat.初音ミク)

です。分かりやすく言えば。
ちゃんと解説すると「死を忘れるな」「死を想え」とも翻訳される古代ローマの頃にはすでにあったラテン語の言葉でして、
現代では主に「人はいずれ死んでしまうので、今を生きよう」というニュアンスで用いられる言葉だそうです。

で、何で突然こんな話をするかと言いますと、最近聞く音楽でちょいちょいメメント・モリを感じるものがあるな、と思っての事だったりします。
具体的に曲名と歌手名を挙げると(敬称略)

カラタチの夢/大橋トリオ
/藤井風
光の跡/星野源
私が明日死ぬなら/キタニタツヤ


あたりかな、と。以上、自分が聞いた順に羅列しましたが、この4曲の根底にはメメント・モリがあるような気がするのです。
全ての曲に細かく触れて行くと、文章量がえげつねぇ事になる上、抑々筆者が疲れるので割愛しますが、
「カラタチの夢」には「いつかは死んでしまうなら、自分らしく生きて、笑って行こう」
「花」には「全て枯れて行くけれど、それでも自分だけの花を咲かせに行くんだ」
「光の跡」には「人は跡形もなく消える様に死ぬけれど、きっと自分の『光の跡』を作る為に思い出を作るんだ」
「私が明日死ぬなら」には「自分がもし明日死んでも、あなたはどうにかこの歌を頼りに生きて行ってね」
と言った具合に、「何れ来る死と向き合って上でどうして行こうか」というニュアンスの歌詞が含まれている曲であり、そう言ったいずれ死ぬなら今を生きよう
もしくはいずれ死ぬからこそ今を生きて欲しい、という願いが込められていると解釈できる歌であると言えるんですね。
尤も、4曲目は「今から自殺する人が友人や親族に当てた歌」という風にも聞こえてしまうので、メメント・モリとはまた違うような気もしますが、
それでも「死を意識させる」という意味では一緒なのかな、と思ってもいます。…しかし、先述の通りの印象だったので、
初めて「hope with music.」がテーマのCOUNTDOWN TV LIVE! LIVE!スペシャルで唄ってるのを見た時は目玉剥いたのはここだけの話。
いやマジでここまでテーマに沿ってねえ歌を堂々と唄ってるのあたしゃ初めて見たよキタニくん。

で、2023年後半~2024年初頭にこんなにもメメント・モリがある曲を直近で4曲も効きましたが、直近でそんな曲が世にまあまあ出た理由としては、
やっぱりコロナ渦の影響が大きいのかな、と思っています。2020年~2023年頃までの約3年間、多くの人は死を間近に感じながら暮らしてたんじゃないかなと思いますし。
2020年、中国は武漢を起点とし、世界に蔓延したコロナウイルス。多くの罹患者と死者を出したそれは、日本にも大打撃を与えて行きました
正直に言えば、自分の母方の祖母と、父方の祖父もコロナウイルスで亡くなり、自分も死を間近に感じて生きた一人です。

そんな所謂「アフター・コロナ」、「ウィズ・コロナ」の時代でリリースされた曲に見るメメント・モリと言えば、少し遡って2021年、
Official髭男Dismがリリースした「アポトーシス」がそれに該当すると言えます。
病気で後先のない主人公が、死の恐怖と向き合いながら少しずつ残りの人生を暮らし、遂には眠るように息を引き取る、という物語が描かれた曲なのですが、
リリース時期的に考えると、ボーカルで主に曲を製作する藤原聡くんが、身近な人の死があったのかなと感じられるくらい克明に記された歌詞からは、
先述の「私が明日死ぬなら」と同じく主人公が死ぬ事でメメント・モリを感じられる曲なのかなと思っています。

結局、何を申し上げたいかと言うと、これからもこういう曲がリリースされるとは思っていて、それはやっぱり「コロナ渦を経験した今だからこそ、
人は死んでしまうのだから、今を自分らしく生きて行こう、生きて行って欲しい」という思いが込められていると解釈できる、優しい気持ちで作られた筈の曲だと
思いますので、皆さんも耳を傾けてみて下さいね、という話です。

今日が阪神淡路大震災から29年と言う事で、いち兵庫県民として今日が何事もなく、平和に過ごせることに感謝しながら改めてこういった記事を
書いてみましたが、相変わらずの辛気臭さだなと振り返りつつ、お終いとさせて頂くことにして。

シャベル責任

2023-08-07 22:02:22 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

今月はアーマード・コアVI発売月と言う事で、フロム・ソフトウェアさんが日本各地の電器屋さんを舞台に試遊回を開いており、
10年越しの新作に沸くファン、今作がACが初めてと言う新入り等様々な人たちが各地の電器屋さんに集い、
試遊回でボスを撃破したプレイヤーは周囲から「大阪の逆脚」地名を冠した渾名がつけられるなど、発売前から凄い盛り上がりを見せています。
筆者は会場が大阪にしかなく、行くにも資金も労力も乏しく歯痒い思いをしている兵庫県民なのですが、
ここまでの盛り上がりなので、自分も早くゲームを買い、自分があっためているC4-621くんのイメージ象を形にしてルビコン3で暴れ回りたいものですね。

…と、これだけなら穏やかな話で終わるのですが、それで終わらないのが当ブログ。
ブログ記事をアップロードする時は必ずもやもやした気持ちや我慢できない思いを抱えながらキーボードを叩くのがのが最早決まり。じゃあ何を悩んでるのという話ですが、それは
とあるアーマード・コア4を解説する動画が、ゲームのストーリーをちゃんと追いかけながら遊んでいれば中々間違わないような情報がいくつも含まれており、更に
それを「この動画を見れば全部分かる!」的な動画タイトルをつけ、事実しか語っていないかのように振舞っているものがあるのです。
当の自分も我慢できずに該当動画のコメント欄は勿論、彼のTwitterもといXアカウントにも一言二言物申してしまったのですが、
その動画をアップした方のファンからは「ちょっと厳し過ぎやしないか?」という声も見られてしまいました。

しかし、しかしですよ。
自分は敢えて反論したい

その方曰く、動画を作っている理由が「作品を知らない人の為に軽い脚色を加えているだけ」なんだそうですけれども、
皆さんもよく考えてみてください。このブログ記事を読んでくれている画面の前のあなたは、

ご新規さんを引き付けるためと言いつつ、ある事無い事法螺吹いてる奴を許せますか?

って話なんですよ。
例えばこの動画を見て「え、そんな話なん?興味あるなぁ」って真に受けた奴が実際それを遊んでみて全然違うやんってなったらどう責任取んねんって話なんですよ。
しかも、そもそも公式からも断片的にしか出てない情報を好き勝手に繋ぎ合わせて、有りもしない事実を作り上げているというんだから質が悪い。
おまけにその方主戦場はエルデンリングブラッドボーンなど、フロムさんがここ10年で作られたハクスラゲーの解説・考察動画なんですけど、
ぶっちゃけその動画も質が良いと言っていいものではなく、そちらのシリーズのファンもそいつが台頭している現実に頭を悩ませるものも少なくなかったそうです。
※アレに頭を悩ませていた界隈の方々、今になって異常性を思い知りました。心中お察しいたします。

なので自分は、

「ご新規さんを引き付けるためだからこそ、自分の妄想・考察を省いて、お前が言う『学校の教材』っぽく
なったとしても、映画位長くなりそうだったとしても、ちゃんとした解説動画を作るべき」


と思ってしまうんですね。

曰く「ゲーム内から得られる一次情報を繋ぎ合わせただけでは学校の教材のような味気ないものなってしまう」と言い訳しているんですが、
それならそういう動画を作っていれば、しかも10年越しの新作がやっと出るというACでそんな雑な事をしなければ、
ここまで大炎上する事は無かったんじゃないのか?と思う訳です。ホライゾン:ゼロ・ドーンではソレやってたやんって話ですよ。
最終的には「これからACの知識がちゃんとある人に助力して貰おう」というスタンスを取るつもりのようですが、
果たして本当にちゃんと動画が作れるんか?という不安はぬぐい切れません。それでもなお、俺は彼の語り口調だけは滅茶苦茶好きなので、
少しだけ期待してしまうのです。だって、

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

と昔から言われるように、影響力のある人の太刀振る舞いにはしっかりと自分の責任を持たねばならないのですから。

今度はマシな動画作れよ!仏の顔も三度までやぞ!と思いつつ、お終いとさせて頂く事にして。