ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

朽ち果て行く茅葺民家と子供のおもちゃ

2017年10月13日 20時38分48秒 | 風物・光景
きょうの記事は、ほんとは書かないでおこうかとも思ったのですが、どうしても伝えておきたい思いに駆られたので記事にすることにしました。

表題の画像の茅葺の民家は実際に、秋田県の北部のある集落にあります。
そこの場所はあえて、記事上には記載しません。

東日本大震災の翌年の6月頃に、一度この場所を訪ねています。

この集落はかっては住民が居住して生活を営んでいたところでした。
そこの住民はこの場所からもっと町に近いところに移り住んでいき、かなりの年月の間は無人となっていました。

町の役場がその場所と家屋を無償で提供するので、移住者を募っていたのです。
そこへ、宮城県からの若者が単身で移住してきたのでした。
ちょうど来た直後に、私が訪ねたのが震災の翌年でした。
その時の若者の話では、後で一緒に住む人が来るという事でした。
その後、どうしたのかと気にかけてはいたのですが、ずうーと訪れることもなく時間が過ぎていました。
ふと、思いついてきょう、訪ねてみたのです。
あの時の若者はその後、結婚をして子供も授かったとの事です。

子供のおもちゃの乗り物が庭先に置いてありました。



そして、住居にしている茅葺民家以外の建物の様子を写真に収めたりしました。

もはや崩れ落ちるのは時間の問題だろうと思われる様子です。
茅葺の屋根には、草や木の幼木までも生えております。
以前より老朽の度合いがひどくなっています。
この光景をしばらく見ておりましたが、涙腺が緩み自然に涙ぐんでしまいました。

人間の営為など、ちっぽけなものなんだと思うと、涙が出てきたのです。



民家のすぐ近くにはかっては荒れ果てていた田畑が立派に再生され、稲刈りも終わっていました。
そこに住む若者たち夫婦が協力者を得て、稲作をしていたのです。
その光景にも涙を誘われました。

たった一つの家族だけがそこに暮らしている現実と、崩れ去ってゆく民家・・・
この光景は原発事故により人が住めなくなってゆく場所の光景とも重なってゆきます。

どんな境遇でもそこに留まって道を開こうとする若者がいる一方、朽ちるに任せて行く廃屋の光景。
その二つの光景を書き留めておきたいと思い、記事にした次第です。

そこは初夏のころには桃の花が咲きます。
それを見に来ることを告げて、そこを後にしました。
「ガンバレよ」とは言えませんでした。


現実にその場所には居住者がいるので、その家屋と場所はあえて記載しませんでした。
ご理解を頂きたい。




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