ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「ソビエト崩壊から30年」に思うこと

2021年12月26日 20時12分25秒 | あのころ
旧ソビエト連邦が崩壊したのは1991年12月でした。ソビエトはロシア共和国になりましたが、今のロシアより旧体制の方が良かったと思う人は3人に2人の割合でいるとの報道を目にしました。その理由は旧ソビエトは歴史上初めての社会主義体制を実現したこと。そして実情はどうであったかはともかく建前としては「公平な社会」であったことに誇りを感じているようです。
しかしロシア国内に旧体制を懐かしむ人が多数を占めているからといって、旧体制に戻ることはできません。そもそも旧体制の崩壊の直接の原因は、共産党と官僚支配による硬直した計画経済が生産の増大をもたらさなかったことにありました。これは当時のソ連経済の「社会主義的計画経済」が資本主義の「市場経済」より効率が悪かったことの証左にほかなりません。それに気が付いたゴルバチョフ書記長は「ペレストロイカ」で改革策を導入します。市場経済のシステムと統治制度の大統領制を導入しましたが時すでに遅く、まもなくソ連邦は崩壊してしまいました。
あれから30年が経つわけですが、プーチン大統領はロシア国内に存在する「かっての強国を懐かしむ国民の意識」を背景に国民から高い支持を得ています。
さて、そんなロシア共和国ですが、プーチンのここ数年の動向を見ると、クリミア半島を武力によりロシアへ編入したり反体制派ジャーナリストへのなりふり構わない迫害など西欧諸国からは容認できないことが目につきます。

プーチン大統領は次はウクライナ本国へ触手を伸ばそうとしています。もしウクライナと言う独立国へ武力侵攻するようなことがあれば、国際社会はそれを黙ってみているわけにはいきません。ロシアにとっては強烈な制裁を国際社会から受けるでしょう。
30年前のソ連邦は、当時の共産党指導部の「社会主義計画経済」と言う国内政策の失策により自壊しました。30年後の今のロシア共和国は強行な対外戦略により国際社会から締め出される事態を招かないとも限りません。プーチンはそれを分かっているのでしょうか。
ソ連邦崩壊30年にあたり、こんなことを考えてみたのです。


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