ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

画家と写真家の違い

2017年12月02日 11時51分08秒 | 写真とカメラ
きょうは、少し暇な時間が出来たので、相変わらずしょうもない事を記事にしたいと思います。
しょうもない事なので、何の役にも経たない事は、本人もわかっているのです。

さて、それは何かというと、画家と写真家との違いです。
ここで写真家と言うのは、実際に写真をカメラで撮っている人の事です。
写真を撮らない写真家なんているのかとお思いの方もおられるかもしれませんが、実はいるのです。
それは、写真のデーターを加工して思い通りのイメージを造りだして、色んな画像と組み合わせて別なイメージの作品に仕上げる作業をしているアーティストなどがおります。
写真を題材にして、別のイメージを作り上げる事は正確に言えば、写真家の仕事ではありませんが、広い意味では「写真加工家」と言えるでしょう。

さて、ここからが本題です。
画家の中で特に抽象絵画を専門とする人たちは、キャンバスに描く作品の対象は、現実に存在する必要はありません。
画家の頭の中にそれは存在していればよいわけです。
頭で思い描いた何かを、キャンバスに描き写すのが画家の作業だとすれば、写真家は現実に存在す事象のその時の局面を切り取り、それを自分の頭の中に思い描くことの代わりに、フィルムや感光素子に記録していきます。

このことは何を意味しているのでしょうか。
写真家には「現実」が必ず必要だという事に外なりません。
これは写真技術が発明されてから一歩も変わっていないのです。
「ない物」を写すことは写真家には、できないのです。
「在るもの」に対して多少の変更(色味や明るさなど)を加える事以外には、写真家に出来ることはないのです。

画家には想像力が求められるとすれば、写真家にはそれは必要はないのでしょうか。
画家ほどの想像力は必要ないかもしれませんが、写真家にも多少の想像力は求められます。

出来上がった写真の構図や色合い、明るさが印画紙に焼き付けられたりプリントされた時の出来具合を想像して、写真を撮るぐらいの想像力は必要なことなのです。
それは、撮る対象が風景であったり人物であったりする場合で、使い分けなければならない想像力ではないかと思います。
人物の横顔を撮ると仮定すれば、その人物の顔立ちで何が美しく特徴的に撮れるのかを見極める眼が必要なのでしょう。

さて、ここで疑問がわいてきました。
絵画では自画像が良く描かれていますが、「自画写真」と言うものはあまり見かけませんね。
自画像を描く時には多分、鏡に映った姿を画家はキャンバスに描きます。
それでは、「自画写真」は不可能なのでしょうか。
鏡に映った撮影者を撮影者自身が撮るとすれば、顔の一部には必ず撮影者が構えているカメラが写ってしまいますね。
もし撮るとすれば、シャッターを切るときにカメラのオート機能を使うとか、リモコンでシャッターを切る以外にはできません。
その時、写真家は現実にはカメラのファインダーを自分の眼で見ていることが出来ない訳です。

いまのカメラには自撮り機能をもつのもあるようですので、それを使えば「自画写真」も可能になるでしょうかね。

とりとめのない話になってきましたので、きょうはこれでおしまい。







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