〈別 名〉神無月
10月(じゅうがつ)はグレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、
31日あります。
英語での月名、Octoberは、ラテン語表記に同じで、
これはラテン語で「第8の」という意味の「octo」の語に由来しております。
実際の月の番号とずれているのは、
紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、
(そのため年末の2月は日数が少ない)
3月から数えて8番目という意味です。
日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、
現在では新暦10月の別名としても用いられております。
「神無月」の語源として以下のような説がありますが、
いずれにしても「神無」は宛字としております。
醸成月(かみなんづき): 新穀で新酒を醸す月
神嘗月(かんなめづき): 新嘗(にいなめ)の準備をする月
神な月(かみなづき):「神の月」の意
雷無月(かみなしづき):雷のない月
神無月 建亥月(けんがいげつ)、初冬(しょとう)、
立冬(りっとう)、極陽(きょくよう)、他
神無月(かんなづき、かみなしづき)は、
日本における旧暦10月の異称です。
今日では新暦10月の異称としても用いられております。
「神無月」の語源に明確な語源があるわけではありません。
一般には、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって
一年の事を話し合うため、
出雲以外には神様が居なくなる月の意味と言われており、
出雲では神在月と言われております。
「神無月 」
異名
かみありづき(神在月)、かみさりづき(神去月)、
かみなかりづき(雷無月)、かんなづき(神無月)、
けんがいげつ(建亥月)、こはる(小春)、
しぐれづき(時雨月)、じょうとう(上冬)、
たいげつ(大月)、はつしもつき(初霜月)
しかし、一番有力な説が神無月の「無・な」が「の」にあたる
連体助詞「な」で「神の月」とする事です。
また、出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、
出雲以外には神がいなくなると言われるのは、
後付けの中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた俗説と
されております。
しかし、出雲へ行かず家や村に留まる田の神・
家の神的性格を持つ留守神も存在し、
すべての神が出雲に出向くわけではありません。
なお、御師の活動がなかった沖縄県においても、
旧暦10月にはどの土地でも行事や祭りを行わないため、
神のいない月として「飽果十月」と呼ばれております。
神在月
出雲では、出雲大社ほかいくつかの神社で旧暦10月に
「神在月」の神事が行われます。
旧暦10月10日の夜、記紀神話において国譲りが行われたとされる
稲佐浜で、全国から参集する神々を迎える「神迎祭」が行われます。
その後、旧暦10月11日から17日まで出雲大社で会議が行われるとして、
その間「神在祭」が行われます。
旧暦10月18日には、各地に帰る神々を見送る「神等去出祭」が
出雲大社拝殿で行われます。
出雲大社の荒垣内には、神々の宿舎となる「十九社」があります。
日御碕神社(出雲市大社町)・朝山神社(出雲市朝山町)・
万九千神社(斐川町)・神原神社(雲南市)・
佐太神社(松江市鹿島町)・売豆紀神社(松江市雑賀町)・
神魂神社(松江市大庭町)・多賀神社(松江市朝酌町)でも
神在祭にまつわる神事が行われます。
出雲地方のほかに神在月とする地域が一ヶ所あり、
諏訪大社の周辺となっております。
これは伝承によれば、かつて諏訪大社の祭神であった
「諏訪明神」があまりにも大きな体であったため、
それに驚いた出雲に集まった神々が、
気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」
ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから
神在月とされております。
神無月にまつわる諸説
出雲大社に神が集まるのは、
一般には縁結びの相談のためとされております。
そのため、かつて佐渡には10月の縁談を避ける風習が、
北九州では神が出雲に向かう日と帰ってくる日には未婚の男女が
お籠りをする風習がありました。
出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、
天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあり、
この考えと一致するような、
「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、
神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と
言う伝承もあります。
出雲に祭神(さいじん)が出向いてしまっては、
その地域を鎮護(ちんご)するものがいなくなるということから、
「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるように
なりました。
一般に留守神には恵比須神が宛てられ、
10月に恵比須を祀る恵比須講を行う地方もあります。
鹿島神宮の祭神は、地震を起こす原因と考えられました
「地中に棲む大鯰(おおなまず)」を、
押さえつける「要石」を鎮護するものであり、
過去において神無月に起きた大地震の幾つかは、
鹿島の神が出雲に出向いて留守だったために起きたと
伝承されているものがあります。
*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
ウィキペディアより転載
必要に応じて加筆致します。
月の和名は記紀に関連し古の伝説あり・・・
その時々の背景が浮んで参ります。
10月(じゅうがつ)はグレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、
31日あります。
英語での月名、Octoberは、ラテン語表記に同じで、
これはラテン語で「第8の」という意味の「octo」の語に由来しております。
実際の月の番号とずれているのは、
紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、
(そのため年末の2月は日数が少ない)
3月から数えて8番目という意味です。
日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、
現在では新暦10月の別名としても用いられております。
「神無月」の語源として以下のような説がありますが、
いずれにしても「神無」は宛字としております。
醸成月(かみなんづき): 新穀で新酒を醸す月
神嘗月(かんなめづき): 新嘗(にいなめ)の準備をする月
神な月(かみなづき):「神の月」の意
雷無月(かみなしづき):雷のない月
神無月 建亥月(けんがいげつ)、初冬(しょとう)、
立冬(りっとう)、極陽(きょくよう)、他
神無月(かんなづき、かみなしづき)は、
日本における旧暦10月の異称です。
今日では新暦10月の異称としても用いられております。
「神無月」の語源に明確な語源があるわけではありません。
一般には、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって
一年の事を話し合うため、
出雲以外には神様が居なくなる月の意味と言われており、
出雲では神在月と言われております。
「神無月 」
異名
かみありづき(神在月)、かみさりづき(神去月)、
かみなかりづき(雷無月)、かんなづき(神無月)、
けんがいげつ(建亥月)、こはる(小春)、
しぐれづき(時雨月)、じょうとう(上冬)、
たいげつ(大月)、はつしもつき(初霜月)
しかし、一番有力な説が神無月の「無・な」が「の」にあたる
連体助詞「な」で「神の月」とする事です。
また、出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、
出雲以外には神がいなくなると言われるのは、
後付けの中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた俗説と
されております。
しかし、出雲へ行かず家や村に留まる田の神・
家の神的性格を持つ留守神も存在し、
すべての神が出雲に出向くわけではありません。
なお、御師の活動がなかった沖縄県においても、
旧暦10月にはどの土地でも行事や祭りを行わないため、
神のいない月として「飽果十月」と呼ばれております。
神在月
出雲では、出雲大社ほかいくつかの神社で旧暦10月に
「神在月」の神事が行われます。
旧暦10月10日の夜、記紀神話において国譲りが行われたとされる
稲佐浜で、全国から参集する神々を迎える「神迎祭」が行われます。
その後、旧暦10月11日から17日まで出雲大社で会議が行われるとして、
その間「神在祭」が行われます。
旧暦10月18日には、各地に帰る神々を見送る「神等去出祭」が
出雲大社拝殿で行われます。
出雲大社の荒垣内には、神々の宿舎となる「十九社」があります。
日御碕神社(出雲市大社町)・朝山神社(出雲市朝山町)・
万九千神社(斐川町)・神原神社(雲南市)・
佐太神社(松江市鹿島町)・売豆紀神社(松江市雑賀町)・
神魂神社(松江市大庭町)・多賀神社(松江市朝酌町)でも
神在祭にまつわる神事が行われます。
出雲地方のほかに神在月とする地域が一ヶ所あり、
諏訪大社の周辺となっております。
これは伝承によれば、かつて諏訪大社の祭神であった
「諏訪明神」があまりにも大きな体であったため、
それに驚いた出雲に集まった神々が、
気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」
ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから
神在月とされております。
神無月にまつわる諸説
出雲大社に神が集まるのは、
一般には縁結びの相談のためとされております。
そのため、かつて佐渡には10月の縁談を避ける風習が、
北九州では神が出雲に向かう日と帰ってくる日には未婚の男女が
お籠りをする風習がありました。
出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、
天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあり、
この考えと一致するような、
「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、
神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と
言う伝承もあります。
出雲に祭神(さいじん)が出向いてしまっては、
その地域を鎮護(ちんご)するものがいなくなるということから、
「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるように
なりました。
一般に留守神には恵比須神が宛てられ、
10月に恵比須を祀る恵比須講を行う地方もあります。
鹿島神宮の祭神は、地震を起こす原因と考えられました
「地中に棲む大鯰(おおなまず)」を、
押さえつける「要石」を鎮護するものであり、
過去において神無月に起きた大地震の幾つかは、
鹿島の神が出雲に出向いて留守だったために起きたと
伝承されているものがあります。
*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
ウィキペディアより転載
必要に応じて加筆致します。
月の和名は記紀に関連し古の伝説あり・・・
その時々の背景が浮んで参ります。
ご丁寧にありがとうございました。
記紀や古今和歌集も手元にございますが、こうして掲載しながらも、ワクワクする想いなのです。
ババ様は>出雲からの次のテーマに繋がりました。とは・・・何をやっていらっしゃるのですか?
よろしければですが。
コメントありがとうございました。