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「毎日心も体も元気でナチュラル」をモットーに、日々の暮らしのあれこれを、気の向くままに書き綴った日記です

ONCE - ダブリンの街角で

2009-02-14 | 映画・本・音楽など
 『ONCE - ダブリンの街角で』
 これは先週の週末に夫と二人で観た映画。
 とてもいい映画だったので、とりいそぎタイトルだけご紹介。

 アイルランドの首都ダブリンで、ストリートミュージシャンの男性とチェコ移民の女性が出会い、ともに音楽を紡ぎだし、演奏することを通じて心を通いあわせるというテーマ。二人ともとても貧しいのだけれど、自分の好きな音楽に打ち込んでいるときは二人とも目を輝かせていて、音楽を通じて人は夢を見たり、夢を語ったり、聴き手に夢を与えたりできるのだということを感じさせてくれる。

 映画のほぼ6割を占める音楽(実際にプロのミュージシャンである主役の2人が自分たちで作詞作曲演奏している)もとてもいい。

 先日このブログで紹介したうちの弟の音楽とも、(どちらもBritish Rock系の流れを汲んでいて、切ないメロディーやリフレインの多さ、哀愁を帯びた歌い方など)けっこう通じるものがあるので、それも含めて…。(ちょっと我田引水すぎか?

 Valentine's Dayに観るにもちょうどよさそうなので、未見の方はぜひどうぞ。(しまった、うちもどうせなら1、2週間待って、バレンタイン・デーに観ればよかった…
 
 でも観るまでこんなにいい映画だなんてしらなかったので。

 ちなみにこの映画、2007年サンダンス映画祭観客賞と、2007年ダブリン国際映画祭観客賞を受賞していて、映画主題歌の"Falling Slowly"は同年アカデミー賞のオリジナル歌曲賞を受賞しているそう。私も"Falling Slowly"がサントラの中では一番好きかも。
 
 

弟のバンドのHP (1/31追記)

2009-01-28 | 映画・本・音楽など
 うちの弟のバンドのホームページの紹介です。
 先日、MySpace.comにバンドのHPを作ったので見てみて~とリンクを送ってきてくれて、せっかくなので私のブログでも紹介させてと言ったら(めずらしく?)OKの返事だったので、弟の気が変わらないうちにさっそく紹介(笑)。

 
 つい最近、活動を(「なんとなく」)再開したそうなのですが(笑)、数年前までけっこう真剣に活動していた時期には、(かなり限られた範囲内においてですが、彼のやっているたぐいの音楽を愛好する人たちの間においては)「知る人ぞ知る」の、けっこう人気のあるバンドだったようです。
 
 ちなみにほぼ全曲、うちの弟が作詞作曲、ギター、ヴォーカルを担当している様子。実は彼のバンドの演奏を初めて聴くまで、自分の弟が作詞作曲なんぞ手がけているなんてまったく知らなかった姉・・;  
 自分の弟をこういう場でほめるのはちょっと気恥ずかしいというか、おこがましいかもしれませんが、なかなかいいじゃんと思っています。
  
 デモ演奏の試聴もできるようなので、ご興味のある方はよければぜひ訪問してやってください。

 リンクはこちら
 
*1/31追記
 個人的におすすめはChange Your Mind, She's So Mine, I've Been Findingです。(ウェブサイトでは"I've Been Founding"となっているのですが、ミススペルのようです。訂正しとく~と言ってましたが、まだのようなので、とりあえずここで訂正。笑)
 

Photoback (自家製写真集)

2009-01-14 | 映画・本・音楽など
 去年の10月頃に、あるウェブサイトの懸賞で、Photobackというオンライン写真集作成サービスのフリーチケットがあたったので、拓海の成長記録アルバム(誕生から8か月まで)を作ってみました。

 本当は1歳になるまで待って、1歳の誕生日の記念に作りたかったんだけど、この無料チケットの有効期限が1月20日までだったので、しかたなく、誕生から8か月までの写真のみで作成。

 このPhotobackというサイト、なかなかお勧めです。
 私はちょっと迷って、結局自分の作品の一般公開はしませんでしたが、「STAGE」というページで他の人たちが作ったいろんな写真集を見ることができて、とても面白いです。
 自分が写真集を作るにあたってもおおいに参考にさせていただいたのですが、なかには本当にプロ顔負けのような出来のものもあって、自分が作品を作るわけでなくても、こうした上手な作品を見るだけでも楽しめます。

 今回、思わず懸賞にあたったおかげでこうして自家製写真集を作ってみましたが、かなり楽しめました。これまで撮りためていた写真をなんらかの形にできたというのも嬉しかったし、数多くある写真のなかから限られた枚数を選び出し、ああでもないこうでもないと写真に文章をつけていく作業も楽しかったし。

 夫や夫の家族にも楽しんでもらえるよう、英語で文章を入れようかと最初は思ったのですが、縦長の写真を入れたページの文章は、縦書きで入ってしまうことに気づき、結局日本語オンリーで文章を入れることにしました。
 ここしばらく、カレンダーや拓海の写真アルバムサイトへのキャプションは(夫の家族にも読んでもらえるように)いつも英語優先で書いていたので、今回久しぶりに日本語で文章をつけて、やっぱり日本語っていいなあ~…としみじみ(自分にとって書きやすいという意味で)。

 それにこうして、縦書きと横書きが自由自在で、写真が縦長か横長かに関わりなくキャプションを入れられる日本語の柔軟さにも改めて感動。個人的意見ですが、こうして縦書きと横書きが混じることによって、写真集にさらに幅やふくらみが生まれ、artisticになる気がします。

 (…と、ここまで言っておきながらなんだけど)でも日本語版を作った後で、やはり夫にも文章つきでの写真集の醍醐味を味わってもらいたくなり、ちょうど1月に誕生日を迎える義母への誕生日プレゼントにもいいかと思ったので、結局英語版も2冊別途に作成。

 (アメリカにもオンライン写真集作成サービスのサイトはもちろんあり、私も実際、Shutterfly.comというサイトを今年のカレンダーを作るのに使ったのですが、写真集に関する限り、Photobackのものの方が断然、artisticだと思ったので、英語が縦書きになってしまうページがあるというデメリットも承知の上で、photobackの方で作成しました。でもshutterfly.comはカレンダーやマグカップなど、いろんなものが作成できるので、孫の写真やグッズならいくらあってもいいというじいじやばあばのいる家庭(でアメリカ在住)なら、なかなかおすすめです。)

 英語版を作る際に苦労したのは、縦長の写真に入れるキャプションのみでなく、文字数にかなり制限が加わったこと。

 半角は2文字で全角1文字分と数えられるのが通常だと思うのですが、なぜかこのPhotobackサイトでは半角1文字も全角と同じ1文字と数えられてしまうらしく、とてもとても短い文章しか入れられなかったので(何せ、"On April 17th 2008, at 5:14pm, Benjamin was born."と入れようとしたら、日付のパートだけで字数がいっぱいになってしまったくらいなので@@;)、いかに文章を短く削り、かつ写真にぴったりあった説明を入れるかにかなり苦労しました。
 でもできあがったものを見てみると、文章が短い分、なんとなく余韻のようなものが生まれて、これはこれでまた日本語版とは違った味わいが出た気もします。
 日本語版も、本当はもっともっとシンプルに、短い文章で綴りたかったのですが、成長記録アルバムという側面もあり、「これだけは最低限盛り込みたい」という情報がけっこうあって、結局長い文章になってしまったので…。(まあ、日本語版も英語版も、しょせん自己満足の世界ではありますが。。。 でも、こういうのって、子どもが大きくなった時に、子ども当人にとってもとても大事な思い出になると思うので、単なる親ばかだとは思いません。)

 で、私の作った写真集ですが、一般公開はしていないものの、メールで招待した家族や友人には見てもらうことができます。こういうのを見て楽しんでくれそうな友人の方たちには私の方からメールを送らせていただこうと思いますが、万一、興味があるけど私からの(正確にはPhotobackからの)メールが来なかった…という方は、ぜひご遠慮なく、こちらのブログのコメント欄か、私宛てのメールでお知らせください。

 
 

親として大切なことは

2008-08-30 | 映画・本・音楽など
 先日、ある雑誌を読んでいたら面白い詩に出会いました。
 イギリスの詩人、フランセス・コーンフォード Frances Cornford (1886-1960)の、「親のつとめのあらまし」(Ode on the Whole Duty of Parents) 。親子の距離のとり方や、親の子に対する接し方、親としての心構えみたいなものがテーマになっている詩です。

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 Ode on the Whole Duty of Parents       親のつとめのあらまし
 by Frances Cornford                    訳・木坂 涼
 
 The spirits of children are remote and wise,子どもの心は、遠くを見すえてつねに、一枚上だ。
 They must go free              海を泳ぐ魚や、
 Like fishes in the sea           空を飛ぶむくどりのように
 Or starlings in the skies,         子どもも自由でいなければならない。
 Whilst you remain              親はその間、おだやかな岸辺となって
 The shore where casually they come again,  ふらりと戻ってくるのを待つのがつとめだ。
 But when there falls the stalking shade of fear, ところがもし、恐怖の影が忍び寄り、子どもに
 You must be suddenly near,       襲いかかろうとしたら、親のあなたは瞬時に
 You, the unstable, must become a tree  その子のそばにいないといけない。
 In whose unending heights of flowering green たとえ動揺していようと、なにごとにも動じない
 Hangs every fruit that grows, with silver bells; 大樹のように、青々とそびえ立っていなければ。
 Where heart-distracting magic birds are seen あなたの枝という枝には、あらゆる果実を実らせ、
 And all the things a fairy-story tells;   銀の鈴をさげ、魔法の鳥も見え隠れさせて
 Though still you should possess    恐怖を忘れさせる。おとぎ話に登場するものを
 Roots that go deep in ordinary earth,  ひととおりそろえておきながらも、あなたは日常の
 And strong consoling bark        土に深く根ざし、丈夫な愛情の樹皮で
 To love and to caress.         子どもを包んで慰めるのだ。
 
 Last, when at dark            いよいよ日が暮れれば
 Safe on the pillow lies an up-gazing head 寝かされた子どもは、安心して
 And drinking holy eyes          枕からあなたを見上げる。
 Are fixed on you,            この世の不思議を飲み込もうとする崇高な眼で。
 When, from behind them, questions come to birth そしてあなたが前に話したことの
 Insistently,               断片といっしょに、次々わいてくる質問をする。
 On all the things that you have ever said 太陽について、蛇について、幾何学の
 Of suns and snakes and parallelograms and flies, 平行四辺形について、蠅についても、
 And whether these are true,       「本当に?本当に?」としつこいまでに。
 Then for a while you'll need to be no more そんなときは、あなたはもう、
 That sheltering shore           おだやかな岸辺にも、
 Or legendary tree in safety spread,    そびえる大樹にも、なる必要はない。
 No, then you must put on         かわりに大賢人ソロモン王の
 The robes of Solomon,           礼服を身にまとうか、または
 Or simply be               ベッドの端に腰をかけたまま
 Sir Issac Newton sitting on the bed.   ニュートン博士を演じ切ればいい。


 オリジナルの英詩はもちろんのこと、木坂さんの日本語訳もまたいい。
 どの節も好きだけど、特に好きなのは、「おとぎ話に登場するものをひととおりそろえ」、「魔法の鳥を見え隠れさせて」、突然何かにおびえて泣き出した子どもの恐怖を忘れさせることができる一面をもちながら、その一方で、「日常の土に深く根ざし」、「丈夫な愛情の樹皮で、子どもを優しく包んで慰める」包容力と強さをもちあわせた、優しく強い大樹のイメージ。
 こんな風になれるといいけど・・・。うちの夫は(別に自慢したりのろけたりするわけじゃないけど)、かなりこの大樹のイメージに近い気がするけど(いや実際に体が大きいからってだけじゃなくてね・笑)、自分自身はどうかな~。けっこうちまちましたところがあるから、これから意識して、こういう大樹のような母親になれるように努力しなきゃいけないかも。
 最後の、親を質問攻めにする子どもへの対応の仕方を詩にしているところも、ユーモラスでさらっとしていて、とても好き。
 私自身も、「なんで? なんで?」と、親や周囲の大人を質問攻めにして困らせる子どもだったらしいから、自分の子どもについても覚悟しとかないと…(笑)。大賢人ソロモン王かニュートン博士を演じ切るっていうのも並大抵じゃなさそうだけど、それくらいの演技力と度量と遊び心が大事だってことは、覚えておこう(汗)。

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 この詩を見つけたのは、鎌倉の叔母のはからいで、2ヶ月前から航空便で送り届けられるようになった『婦人之友』という雑誌。文化、環境、政治、家庭生活、育児…などなど、守備範囲が広くてなかなか読み応えのある雑誌です。
 恭子おばちゃん、どうもありがとうございます。
 楽しんで読ませてもらってます♪
 

バッハの新たな弾き手、シモーヌ・ディナーシュタイン

2008-08-28 | 映画・本・音楽など
 以前、ラジオNPR(National Public Radio)局の『Morning Edition』(話題の人物をインタビューを通して紹介する番組)で偶然知った、Simone Dinnerstein(シモーヌ・ディナーシュタイン)というピアニスト。彼女の弾くバッハの『ゴールドベルク変奏曲』がとても素晴らしくて、それ以来ずっと彼女のことが気になっていた。
 
 そしたら昨日のWall Street Journalの"Leisure & Arts"欄でまた彼女が取り上げられているのを見つけたので、これは忘れないうちにブログに書き付けておこうと、今日はほんの走り書きメモ程度での更新。

 彼女は4歳のとき自らの希望でピアノを習いはじめ、ジュリアード音楽院に進んだのち3年で中退してロンドンへ留学、Maria Curcio(アルトゥール・シュナーベルの弟子で、内田光子の指導者)のもとで3年学び、それから再びNYへ戻ってジュリアード音楽院を卒業。しかしながら、他の多くのジュリアード卒業生と同様、「テクニックと将来への期待・希望を山ほどもって卒業しても、機会がない」状態に。
 でもそこでへこたれず、彼女は以後数年間、米国全土の数々のリタイアメント・センターや小さなコンサート・ホールでのギグを重ね、それを通じて集めた15000ドルの寄付金・助成金で、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』CDを自費出版する。このCDは注目を集め、今年の始め、Telrac Recordsというレーベルから出版される運びに。そのとたん、あれよあれよという間に話題を呼び、クラシック音楽CDとしては異例の売れ行きを示す結果となったのだそう。

 私がラジオを聞いていて彼女のインタビューに瞬時にして惹き付けられたのは、彼女の弾く『ゴールドベルク変奏曲』主題曲のアリアがとても瞑想的で美しかったことがもちろん第一の理由だけど、それ以外にもうひとつ、「全曲1時間にも及ぶこの難曲の録音とソロ・リサイタルというプロジェクトに取りかかったとき、彼女はちょうど妊娠していた」というインタビュアーの言葉が聞こえてきたから。このラジオ番組を耳にしたのは去年の11月で、その頃は私もちょうど妊娠5ヶ月くらいだったから、"I was pregnant then, but in spite of that, or rather, exactly because of that, I thought I wanted to start something really deep, and a major project in my life" という彼女の言葉に、ぴん!と耳が惹き付けられたんだと思う。(うろ覚えなので、これは彼女の言ったとおりの言葉ではないけど、だいたいこんな感じのことを言ってた(…と思う)。)

 彼女は長らくグレン・グールドのファンだったそうで、このゴールドベルク変奏曲もグールドの演奏の影響を多分に受けていると本人が言っているとおり、グールドを思わせるところも確かにそこここで出会う。でもグールドのバッハが、あくまで端正で、一つ一つの音が研ぎ澄まされて透明感があって、軽いんだけれども底流に何か自己を律する厳しさのようなものが漂っているのに対して、彼女の弾くゴールドベルクはもっと温かで、瞑想的で、流れるような感じ。グールドのが青とか白とか、寒色系のイメージなのに対して、彼女のは(太陽の暖かさを思わせる)オレンジとか(瞑想的で深い沈黙を思わせる)赤紫とかの暖色系で、ときに金色がきらきらと混じる感じというのかな。
 
 彼女は今週木曜日(明日だ!)、NYのLe Poisson Rouge(インディー・ロック、フォーク、エレクトロニック、そしてクラシック音楽をプロデュースするクラブ)でコンサートをするそう。選曲は、バッハ、ベートーヴェン、そしてPhilip Lasserの『バッハのコラールを主題とする12の変奏曲』(寡聞にして聞いたことないけど、19世紀のロマン派、フランス印象主義、アメリカの劇場音楽とジャズを自在に取り入れた曲らしい)なんだって。NYに住んでいたら行ってみたいところなんだけどなあ。ブルーミントンにもいつか来ないかな。

 彼女のプロフィールや音楽に興味のある人は、以下のサイトへどうぞ。

『遅咲きのクラシック・ピアニスト、シモーヌ・ディナーシュタイン』(Wall Street Journal、Thursday, August 26, 2008)

NPR classic music archive: simone dinnerstein (NPR, November 5, 2007) (こちらでは彼女の演奏を聴くことができます)

 
 *この記事を、ブルーミントンで私のピアノの先生をしてくれていたNatsukiちゃんに捧げます。
 Natsukiちゃん、日本に帰ってから元気にしてるかな~?

チェロのコンサート

2008-03-05 | 映画・本・音楽など

 先々週の日曜日(2月24日)、Bloomington ArtsWeek(2/20-3/1)のイベントの一つとして行われた、IU音楽科大学院生によるチェロのリサイタルに行ってきました。

 この日のコンサートのチェリストのアンドレ・ミシェレッティさんは、実は友人Mさんのご主人。Mさんは私の日本語のクラスにも来てくれている日系ブラジル人女性で、とても楽しくてブラジル人らしいリラックスした雰囲気が素敵な人。

 リサイタルはとっても素敵でした。アンドレの弾くチェロは音色がとても深くて艶があって、流れるような旋律のところは深く美しく、そして楽しくリズミカルなパートは体も一緒に弾むような感じで軽やかに、ときにはコミカルに、…とメリハリがあって、ほんとに知り合いの演奏だからというひいき目でもなんでもなく、純粋に素晴らしい演奏でした。

 伴奏のピアノの人もとても上手で、やっぱり美しいパートとリズミカルなパートなどがしっかり弾き分けられたメリハリのある演奏で、チェロとの息もぴったり。

 選曲もチェロの音色を心ゆくまで味わえるメロディの美しい曲が中心だったのも嬉しかったかな。
 私のお腹の中の赤ちゃんも心なしかとてもリラックスして、私と一緒にチェロとピアノの美しい音色にじーっと聴き入っていたようです。

 ちなみに選曲は、ブラームスのホ短調のソナタ(Op.38)、ドビュッシーのニ短調のソナタ、そしてブラジル人作曲家二人(MignoneとVilla-Lobos)による小作品二曲という構成。ブラームスのソナタは前からとっても好きな曲だったので、生で聴けたのがほんとに嬉しかったです。それからブラジル人作曲家の二作品もそれぞれ趣きがあってよかったし。(一つは列車の走る様子を音楽にしたものらしく、リズミカルでちょっとコミカルなところもあって、とても楽しい曲、そしてもう一つはとても美しい曲でした。)

 リサイタルの後、Mさんのお宅でされる打ち上げパーティによかったら来て~と誘われたので、あつかましくお邪魔してきました。ブラジル人の人たちが沢山来ていて、ブルーミントンにこんなにブラジル人がたくさんいたんだ~とちょっとビックリしてしまったくらい。ブラジル人特有のリラックスした雰囲気と、ポルトガル語の優美でソフトな響きが心地よくて、ほんとに楽しかったな~

 お料理はどれもなかなか美味しかったんだけど、私としては一番のヒットはブリーチーズに温かいソースをたら~っとまわしかけたもの。美味しいパンにこのチーズをのっけて食べるとそれだけですごいごちそうでした。カシスのソースと蜂蜜のソースと二種類あったけど、特に気に入ったのは蜂蜜のソースの方。
 
 

 あとは美味しいワインも一緒に楽しめれば最高だったんだけど、残念ながら妊婦なのでワインはあきらめ、お水で我慢…

 
 この日曜日には、birth doula(助産婦さん)をしてくれるスーザンとのmeetingの約束もあって、なかなか大忙しな日曜日でした。(この日は夫とスーザンと私の3人で、My Birth Planというのを作成。痛み止め、帝王切開、会陰切開などを行うことについてどう考えているか、等々の意思表示を前もってこういうplanによって立てておき、担当産科医に見せて話し合うことがこちらではできるようになっているのです。日本でもそうかな?)

メシアン「世の終わりのための四重奏曲」(2/11追記あり)

2008-02-08 | 映画・本・音楽など
*2/11追記* この日記、2/8にいったん公開したのですが、Ayumiさんの内面に立ち入った記述が一部あったため、本人の意向が確認できるまでは公開を差し控えようと思い直し、2/9にいったん公開を取り下げました。その後、本人から書いた内容についての了解を得ることができたので、改めて公開させていただきます。(ただし、本人の了解は得られたものの、不特定多数の人からのアクセスが想定される場での公開であることを鑑み、件(くだん)の箇所は極力差し障りのないように書き換えました。ご了承ください。また、今回省いた内容は、私にとってはとても大事な出来事だったので、それも何らかの形で保存しておきたいという気持ちから、オリジナルの日記もそのままの形で保存し、今日から新たに始めたパスワード制で保護された形で公開することにしました。)

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 昨日は、IU音楽科のGraduate Recital(大学院生によるリサイタル)で、ブラームスのクラリネット三重奏曲イ短調(クラリネット、チェロ、ピアノ)と、オリヴィエ・メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』(クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)を聴いてきた。

 演目からもお分かりのとおり、今回のリサイタルはクラリネット奏者がメインで、それ以外の奏者は彼女のサポート共演者。そのうちのヴァイオリン奏者を友人(かつ私の日本語クラスの生徒)のAyumiさん(日系ドイツ人)が務めるというので、それが目当てで行ったんだけど、メシアンの曲が予想以上に素晴らしかったばかりか、ブラームスの曲もとても美しい曲で、本当にいいリサイタルだった。すごく寒い夜だったけど、重い腰を上げて行って本当によかった! コンサートが終わった後、ここまで深い余韻にひたれるのは久しぶりかも。

 それほど感銘を受けたのは、曲目や演奏が素晴らしかったこと以外に、メシアンの曲にとても興味深く意義深い背景があったということ(そしてリサイタル会場に置かれていた、作曲者メシアン自身による本曲の解説文のリーフレットのおかげで、演奏の前にそうした予備知識を得ることができたこと)も大きかったと思う。ここのリンク先に詳しく書いてあるけど、メシアンは英文学者の父親と詩人の母親のもとに生まれ、文学的素養や才能にも非常に優れていたこともあって、自作の曲の多くに文学的・芸術的な解説文を書いているらしい。幼少の頃からピアニスト、オルガニスト、作曲家としての才能を花開かせただけでなく、神学、鳥類学への造詣も深く、様々な鳥の鳴き声を収集・分析して自らの音楽にも取り入れていたほか、「音を聴くと対応する色が見える」という共感覚の持ち主でもあり(それゆえ自曲の解説文などに色彩への言及が非常に多い)、本当に多種多彩な才能の持ち主だったらしい。私がコンサート直前に大慌てで読んだこの『世の終わりのための四重奏曲』の解説文も、深い神学的知識に裏打ちされ、独特の色彩感覚などに富んだ、とても文学的な文章だった。私はやっぱり文学畑の人間なので、そういう文学的な表現や解説がついている曲だと、それだけで思い入れが深くなってしまうところもあるのかもしれないけど。
 
 でも、そうした文学的要素以上に私が感銘を受けたのは、この曲がナチスの収容所で書かれ、初演されたという事実。第二次大戦中、ドイツ軍に捕らえられたメシアンは、ヨハネ黙示録第10章(「そして私は力強い御使いが、雲に包まれ、虹を頭上に戴きつつ、天から降りてくるのを見た。。。。そして御使いは言った、『第七の御使いによってトランペットの響きが鳴り渡る時、偉大なる神の神秘は成就されるであろう』。拙訳)にインスピレーションを得て収容所内でこの曲を作曲したのだそう。四重奏の編成としては珍しい「クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ」という構成も、たまたま同じ収容所にこれらの楽器の奏者が収監されていたという偶然の事情によるものらしいけど、昨日の演奏を聴いた限りでは、この組み合わせはこの曲ではとてもうまく活かされているように思った。
 1941年1月15日の、収容所内での初演では(幸いにも監獄の所長が音楽に理解のある人で、この曲の演奏を特別に許可してくれたらしい)、零下30度を超える厳寒の中、3万人を超える囚人たち(主にフランス人、ポーランド人、ベルギー人)が、「弦が3本しかないチェロ」や、「鍵盤を押さえると元に戻らないピアノ」などの奏でる音色に聴き入った、とメシアンはこの解説文に記している。(Wikipediaの解説によると、メシアンは後に、「私の作品がこれほどの理解と集中力をもって聴かれたことはなかった」とも語っているのだそう。)
 
 ブラームスの三重奏曲は4楽章全体を通じてとても調和的(harmonious)で美しい旋律が耳に心地よかったけど、それと比べると、メシアンのこの曲は不協和音なども多用されていて、いわゆる「わかりやすい美しさ」というのとは少し違う。でも聴く人の耳と心をとらえて離さない、不思議な魅力と美しさ、そして哀しさに満ちている曲だった。不協和音が効果的に使われていることで、曲全体にピンと張りつめた緊張感のようなものが漲っていて、全8楽章からなる長い曲(演奏時間約50分)なのに、聴いているこちらを全く飽きさせなかった。ところどころで挿入されるクロウタドリやナイチンゲールの鳥の鳴き声を模したクラリネットやヴァイオリンの旋律も、黙示録的なもの(この世の終末とその後に到来する最終的な平穏の予示)を思わせる感じで効果的。

 全体的に不協和音の響きや緊張感が漲るこの曲の中で、第5楽章と第8楽章は唯一(というか唯二?)、例外的にただひたすら穏やかで美しい旋律が奏でられ、その他の楽章と好対照をなしていたのも印象的だった。(「イエスの永遠性への賛歌」「イエスの不滅性への賛歌」と名付けられたこの2つの楽章は、それぞれピアノを伴ったチェロの独奏と、ピアノを伴ったヴァイオリンの独奏で演奏される。)やっぱり一番しみじみと心惹かれたのはこの美しい二つの楽章かな…。でも緊張感漂う他の楽章あってこそ、この珠玉のような二つの楽章の美しい旋律がより活かされているんだろうというのは素直に実感できたけど。人生の不条理への怒りや哀しみをなめ尽くした後でこそ得られる悟りの境地というか、そうしたものを超克した先の心の平安というか… そういうものを心の深い部分で受け止められたような気がしたから。

 以前は不協和音が多用される曲はあまり好きではなくて、自分で聴くことはほとんどなかったんだけど、最近、ピアノの先生のなつきちゃんから練習曲として渡されたバルトークの小曲(「ブルガリアのリズムによる舞曲第一番」)にも不協和音がかなり多用されていて、この曲の練習を通じて(ほんの少しずつだけど)不協和音ならではの美しさや魅力を理解しはじめた気がする。とすると、メシアンの曲をこうして受け入れ、深く味わえたのも、なつきちゃんのもとでピアノを続けてきたおかげかな。。。 こうして自分では弾くことはおろか存在さえ知らずにいたかもしれない曲を選んでもらい練習させてもらえることで、音楽への理解も少しずつ深まり、幅が広がっていっている気がする。(なつきちゃん、ありがとう

 にしても、このリサイタルの間中、お腹の中の赤ちゃんがさかんに動いていた(暴れていた?^^;)のには笑った。でも不思議なことに、メシアンの第5楽章と第8楽章の間だけはあまり動かず、じっとして聴いていたみたい。これはきっと美しくて穏やかな旋律が心地よくて静かに聴き入っていたからだと思うんだけど、第5楽章が終わって、次の楽章で4つの楽器が一気にいろんな音を奏ではじめるとまた盛んに動き出していたのは、赤ちゃんにはやっぱり不協和音はちょっとアクが強すぎるということなのかな?(笑)母親の私が「(知的レベルで音楽を理解して)美しい」と思って聴いていたとしても、赤ちゃんの耳には違って聴こえるのかな。それとも母親が美しいと思って心地よく聴いているものなら、赤ちゃんも心地よく聴いているのかな。(だとすると、あれは暴れていたんじゃなくて、踊ってたってことか。)どっちなのか、実はけっこう気になったりして…(笑)。

 
 コンサート終了後、ちょうどその日に焼いていたお菓子の差し入れをもってAyumiさんに一言ねぎらいの言葉をかけに行った。そのときAyumiさんは、「この曲を弾くと、この曲が作曲された背景や初演されたときのエピソードのことに思いが飛んで、いつもとても心が動かされる」…と話してくれた。

 このリサイタルが、そしてメシアンの『世の終わりのための四重奏曲』が本当に私にとって深い余韻を残す特別なものになったのは、コンサート後のこの一幕があったからかも。Ayumiさんはまだ若いけど、ドイツにいた頃から既にベルリンのオーケストラなどで活躍していたみたいだし、(しかも(クラシック・ファンにしか分からないミーハー・ネタだけど)かの有名なバレンボイムとも大学の指導教官を通じて知己らしく、何でも大学のカフェテリアで一緒にコーヒーを飲みながらおしゃべりすることもあった(!)とかで、何だか既に世界の大舞台に身を置いている感じだし、)とにかくこれからの飛躍や活躍がとっても楽しみ。

 日本語も既にかなり上手なのに、「漢字やvocabularyをもっと増やして、もっと上手にしゃべれるようになりたいし、お母さんとももっといろんなことを日本語で話せるようになりたいから」と、多忙なスケジュールの合間を縫って私の日本語クラスに通ってくる彼女は、きっとすごい努力家なんだと思う。心も姿勢もまっすぐで、なんというか、「心が澄んでいる人」という表現がぴったりの人。昨日のコンサートでの演奏と、その後の彼女の言葉を聴いて、ますますそう思うようになった。
 彼女のような人と話していると、こちらも心や姿勢をまっすぐにして、がんばらなきゃ…って気になってくる。
 …うん、がんばろう!(最近少々さぼり気味のピアノも含めてね・笑) 

2007年に観た映画ベスト3

2008-01-08 | 映画・本・音楽など
 アメリカ中西部の片田舎の町で暮らしていると、普段の(週末の夜などの)夫婦そろっての娯楽はついつい映画鑑賞になりがち(しかもこの町にあるシネマコンプレックスでは、たいていハリウッド大作ばかりで、ミニシアター系のいい映画などはほとんどやっていないので、自宅でのDVD鑑賞が主になりがち)。そんなわけで、去年もたぶん年間を通してざっと60-70本くらいは二人で映画を観たかな。
 せっかくたくさん映画を観たので、2007年に観た映画のベスト3というのを選んで紹介してみたいと思います。


Best 1: The Lives of Others (2006)(原題:Das Leben der Anderen;邦題:『善き人のためのソナタ』)



 2007年アカデミー賞外国語映画賞受賞作のドイツ映画。
 
 1983年、ベルリンの壁崩壊前の旧東ドイツの首都、東ベルリン。売れっ子の劇作家ドライマンが秘密警察Stasi(シュタージ)に目を付けられ、自宅に盗聴器を仕掛けられる。(当時、反体制行為/思想を摘発するための、秘密警察によるこうした盗聴行為や、市民同士による密告行為などが日常レベルで行われていたというのがこの物語の背景になっている。)ドライマンとその恋人である女優のクリスタは、こうして24時間体制の監視下に置かれることになる。その彼らを監視する音頭をとったのが、秘密警察幹部候補(?)のヴィースラー。実直謹厳、無口で一見冷淡なヴィースラーはしかし、この監視の任務遂行を続けるにつれ、初めて芸術家たちの生活や文化に触れることになり、彼の中で何かが変わり始める…という話。
 物語は、こうした彼らの人間模様を描きつつ、ベルリンの壁崩壊前5年から崩壊後4年までの東独の変遷を辿っている。

 ネタバレになるのであまり詳しくは書けないけど、この映画の邦題に使われている、『善き人のためのソナタ』(英語では"Sonata for a Good Man")というピアノ曲がこの物語の中で重要な役割を果たしていて、音楽好き、ピアノ好きの私にとっては、その点もこの映画の魅力の一つ。私とエイマーはDVD特典の監督インタビューなども観たのだけれど、そのインタビューによると、ドライマン役を演じた役者コッホは、ピアノはそれまで一度も習ったことがなかったにもかかわらず、この曲だけは一曲全部を通して弾けるようになるまで、2、3ヶ月の間毎日3、4時間ずつ(だったかな?うろ覚えなので数字は正確じゃないかも)練習して、最終的には弾きこなせるようになったのだそう。(映画本編でも彼が自分で演奏しているのが見られる。)「コッホは、この曲を練習することを通して、ドライマンという人物や当時の東独の状況に置かれた人々の心理などをより理解することができ、自分の役作りにも非常に役立ったと言っていた」と監督が話していたのが印象的だった。

 この映画、そこいらに転がっているハリウッド映画なんかでは到底太刀打ちできないほどの、哲学的深さと美しさをもった映画だと思う。(ちなみに、上述のピアノ曲(この映画のために書き下ろされたそう)も、とても美しい曲だけど、単純なメロドラマ風の美しさではなく、哲学的・瞑想的な深みを持った複雑な美しさ。)ぜひぜひおススメ。
 
Best 2: The Namesake (2006)(邦題:『その名にちなんで』)

 ピューリッツァー賞受賞作家ジュンパ・ラヒリによる同名の小説の映画化作品。インド・アメリカ合作(たぶん)。
 
 インドからアメリカに移民してきた夫婦のもとに生まれた長男は、両親(特に父親)のある思い入れから、ゴゴールという一風変わった名前をつけられる。彼の名字がガングリなので、フルネーム(=ゴゴール・ガングリ)だと、ますます変わった名前に響いてしまうというのもあり、ゴゴールは少年時代からことあるごとに、この名前のせいでからかわれたり話のネタにされたりで恥ずかしい思いをすることになる。青年になる頃から、彼はとうとうこの名前を捨て、別の名前の下に生きはじめる。この名前に込められた両親の思いを理解することなく…。
 この名前のエピソードが象徴するように、家族間のすれ違いや、それを乗り越えたところに生じる家族の絆や愛のあり方などがこの物語の大きなテーマの一つになっている(と思う)が、それ以外にも、インドからの移民第一世代である両親と移民第二世代であるゴゴールやその妹などとの移民特有の世代間のギャップの問題や、国籍や人種の絡んだ人間関係、恋人関係、愛情のあり方、ゴゴールの一人の人間としての成長の軌跡など、様々なモチーフがさながらインドの絹織物のように織りなされていて、観終わった後、いろんなことを考えさせられる。

 この物語、私たちにとっては下記の二つの点でも特別なものになった。原作の小説は映画よりもさらにいいそうなので(エイマーのリサーチグループの学生さんの一人、パリメル(インド出身)の言)、これはぜひ読んでみなくっちゃ。
 一つは、主人公ゴゴールの体験がエイマーの体験と重なるところがあったということ。エイマーも、英語文化圏の人間としてはかなり変わった名前を親からもらっていて、少年時代は名前のせいでからかわれて嫌な思いや恥ずかしい思いをしたことが少なからずあり、そのせいで親を恨みに思ったこともあるという経験の持ち主だったから。(もちろん今では彼は自分の名前やそれをつけてくれた両親を誇りに思っているそうだけど、子どもの頃はなかなかそこまで悟れないものだもんね。)
 それともう一つは、私自身の体験と映画の中の両親の体験に重なるところがあったということ。両親の子どもを思う気持ちと、とにかく親離れしたい子ども、あるいは大人になるにつれて親に対して批判的・反抗的になっていく子どもの気持ちのすれ違いや衝突…というテーマが、ちょうど私自信の一番下の妹との関係にまつわる経験にも重なったんだよね(たまたま妹がうちに滞在した直後にこの映画を観たので^^;)。なかでも、私の体験と全く同様の体験をゴゴールの母親がするエピソードがあって、これにはほんとに胸を突かれる思いがしたよ~。

 同じミラ・ナイール監督による、Monsoon Wedding(『モンスーン・ウェディング』)もおススメ。

Best 3 (その1): Amazing Grace (2006)

 イギリス映画。19世紀イギリスを舞台に、大英帝国の黒人奴隷貿易を廃止しようとして闘った理想主義者/政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの生涯と、奴隷貿易が廃止されるまでの過程を描く。当時のイギリスの政治状況などについても勉強になるし、観終わった後にとても清々しい感動がある。
 この映画は、私にとってはウィルバーフォースが自分の母親と重なるところがあって(ウィルバーフォースと同じような理想主義者で、家事や家族との団欒時間や自分のことなどを犠牲にしてでも世のため人のために常に身を粉にして働き、闘っている人なので)、いろんな意味で身につまされたり、共感したりするところが多かったので、観終わったときの感動もそれだけ特に大きかったんだと思う。
 自分はなかなか彼や自分の母親のようにはなれないけど、でもこうして自分の信じる道をひたすら突き進む、(端から見たらちょっと愚かしいと思えるほどの)理想主義者たちの存在が、私たちの世界や生活をよい方へ変えていく力の一つになっていることは確かだと思う。

Best 3 (その2): Talk to Me (2007)

 アメリカ映画。1960年代のワシントンD.C.では、黒人文化のソウル音楽や、キング牧師の活躍による全米的な市民運動の盛り上がりなどが相乗効果を果たしあって、非常にパワフルで独特なワシントンD.C.文化が生まれていた。その60年代後半のワシントンD.C.で、アフリカ系アメリカ人たちを中心にD.C.市民たちから絶大な支持を受けたラジオDJがいた。彼の名はピーティ・グリーン(Ralph Waldo "Petey" Greene Jr.)。彼は元服役囚でありながら、ラジオでのトークショーを通して、「真実をありのままに語る数少ないDJ」として人々の人気を集め、やがてピーティ自身もそのなかで自分の使命のようなものを見いだしていくようになり、特にキング牧師暗殺をきっかけに起こった大暴動など、アフリカ系アメリカ人たちが混乱した時期にも彼らを平和主義的な方向へ導く役割を果たしたりもするようになる。
 彼がD.C.のラジオ局WOL-AMでDJを任されるきっかけを作ったアフリカ系アメリカ人番組プロデューサーのデューイ・ヒューズとの生涯にわたる友情、パートナーシップ、葛藤、衝突をめぐるもう一つのテーマも興味深く、感動的。
 1960年代のアフリカ系アメリカ人たちの文化を知ることができ、ひいてはアメリカ文化そのもののダイナミズムをまた違った視点から見ることができるし、笑いや涙など、エンターテインメント要素にも富んでいて、単純に映画としても面白い。
 …ということで、Best3の次点に。


 ほんとはもっと他の映画もいろいろ紹介したかったけど、ここまで書いてさすがに疲れたので、とりあえずこれでアップします。映画好きな人もそうでない人も、このなかで未見のものがあったら、よければ一つても見てみてね。

Jasminのピアノ・リサイタル

2007-11-14 | 映画・本・音楽など
(11/15追記*「ジャスミンさん、どんな人か見てみたい~」という声を聞いたので、ご本人にお願いして写真を掲載させてもらうことにしました。こちらが先日のリサイタルでの写真。もう一枚、ぜひピアノを弾いている姿も…ということで、こちらもご本人の許可を得て、IUのウェブサイトに載っている写真を転載させていただくことにしました。(本文の下の方を参照。)こちらは少し以前の写真のようですが。ちなみに、この写真、実はブログ友達のすめりさんが発見してくださったものです(!)。すめりさん、どうもありがとうございます~♪)
 
 続けて更新。
 この金曜日にはもうひとつ素敵なことがあった。
 私のピアノの先生なつきちゃんの同級生がIU Music Schoolのホールでピアノソロのミニリサイタルをやるというので、なつきちゃん、わかなさん、トマス、エイマー、そして私の5人で連れ立って聴きに行ったんだけど、そのリサイタルが予想以上に素晴らしかったから。
 ピアノを弾いたのはJasmin Arakawaさんという日本人のIUピアノ科の学生さん(Jasminというのは本名ではなく、アメリカでのニックネーム兼ピアニストとしての芸名らしい)。彼女とは去年の秋にある機会に一度だけ会って話したことがあるんだけど、ピアノだけでなくてバレエやフラメンコも習っていたことがあるというので、なんだかそれだけでけっこう親近感を感じていた私(←勝手に…)。しかも「Jasminのピアノはとても華があって素敵」というなつきちゃんからの前評判もあって、私の期待度はリサイタルの前から高まる一方・・・
 ・・・だったわけなんだけど、実際に聴いたそのリサイタルは、その私の期待をさらに上まわる、本当に素敵で見事な演奏だった。ロベルト・シューマンのソナタ、ハイドンのソナタ、スクリャービンのソナタの3曲、計1時間というプログラムで、どれも高い技術力と集中力を持って弾きこなしていたと思ったけど、中でも最後のスクリャービンが一番よかった。(というのは、私だけでなく、なつきちゃん、わかなさん、エイマー、そしてトマス全員で一致した意見。)スクリャービンの曲の持つ独特の華やかさや激しさが彼女に最もよく合っていたんだと思う。

 しかしこれだけの濃厚なプログラムを集中力を持続して最後まで弾ききる(しかも全て暗譜!)というだけでも、私なんかから見るともう神業に近い。もちろんプロのピアニストはソロでもたいてい休憩を挟んで2時間のプログラムを組むわけだから、この2倍の時間、集中力と体力を持続するわけだけど…。でも自分のごく身近にいる友人やその友人がこうして演奏するのを間近で見るのは、プロのコンサートとはまた違った感動やインパクトがある。

 しかしJasminさんは本当に華があって素敵だったなあ。(カメラを持って行っていなかったので、写真が一枚もないのが本当に残念!→11/15追記:ご本人の協力で、当日の写真を1枚だけ掲載させていただけることになりました。)華やかなピンクのホルターネックのドレスがとてもよく似合っていて、それでピアノを弾いている姿はなんだかちょっとのだめを思い出してしまった。(というのが本人にとって嬉しいことかどうかはわからないけど^^;) ピアニストとしての技術力、精神力、存在感、そのどれをとっても、「プロのピアニストとして十分通用するだけのものを持っている人」となつきちゃんが言っていたけど、ほんとにプロのピアニストになってこれから活躍してほしいな。厳しい世界だろうとは思うけれど・・・。

       
 こちら、IUのウェブサイトに掲載されているジャスミンさんの写真。ピアノを弾いている時の表情が素敵です♪

 なつきちゃんも同級生の頑張っている姿を見て、また新たな刺激を受けた様子。エイマー、トマス、私と4人で日本食レストランで一緒に夕食を食べた後、「これからもうひと頑張り、練習します」と言って、Practice Buildingに戻って行った。
 個性やタイプは違うけど、なつきちゃんのピアノも温かくてとても素敵。こうして自分の目標に向かって毎日努力を続けている姿には本当にいつも心打たれるし、いい刺激をもらっていると思う。なつきちゃん、Jasminさん、ともにそれぞれの目標や夢を叶えられる日がいつか来ますように。陰ながら応援してます

音楽の力

2007-08-22 | 映画・本・音楽など
 今日は「のだめカンタービレ」をかなり一気に観て、それとパンとお菓子を焼いたのと、英語版ブログの更新を少ししたのと、ピアノの練習でほぼ一日が終わった。 今日やろうと思っていたことあと二つ(書道と日本語教授法の復習)はできず。(いいんだろうか、こんなことで・・・)ま、明日からまたがんばろう。

 昨日書いた記事の余韻と「のだめ」効果(?)で、まだずっと音楽の力について考え続けている。

 昨日アップした記事のなかで出てきた症例の人たち全員が、そろってその音楽への情熱をクラシック音楽に向けたという事実が、なかでもとても興味深く思える。特にチコリア氏は、事故以前はどちらかというとロック音楽を聴いていたらしいんだけど、事故以後、突然の"musicphilia"(音楽愛好症)の症状を示したとき、その対象ははっきりとクラシック音楽(それもピアノ音楽というかなり限定された対象)だったし。
 クラシック音楽には、やっぱり人間の根源的な部分に訴えかける力があるということだろうか?
 
 そしてこうして重病や重大事故で脳に障害や変容をきたした人たちがクラシック音楽に心を向けるようになったとき、一様に「クラシック音楽を聴くと、心が揺さぶられて強く感動する」とか、音楽の力に圧倒されて「取り憑かれたようになった」とか言っているのを聞くと、クラシック音楽の癒しの力の大きさを思う。

 「のだめ」の存在、たった3日前まで知らなかったけど、こういう漫画やアニメやドラマで、クラシック音楽ファンの裾野が広がるのはとってもいいことだ。原作の漫画読みたいな~ 誰か貸してもらえる人、いませんか?