令和4(2022)年4月30日は当ブログの開設から4989日目とのこと。
逆算すると、平成20(2008)年9月1日が始まりの日です。
書院建立にちなんで、会議の内容や、工事の進展等を記録したくて始めたブログです。
その意味では、当初の意義は平成23年の落慶・晋山式の記録で目的は完遂されましたが、
そのままの惰性で、お寺のいろいろを発信・記録するために継続しています。
忙しいときは全く更新もせず放置してしまうので
このブログの継続に難儀な思いはしていませんが、
4989日目という数字の並びに、思う所はあります。
“ああ、もうすぐ5千日、きりがいいな”
私たち誰もが抱く苦しみを仏教では四苦八苦といいます。
生苦(生きる苦しみ)
老苦(老いる苦しみ)
病苦(病にかかる苦しみ)
死苦(亡くなる苦しみ) ※ここまでで「四苦」
愛別離苦(愛する人と離れなければならない苦しみ)
怨憎会苦(憎たらしい人と会わなければならない苦しみ)
求不得苦(欲しいものが手に入らない苦しみ)
五陰盛苦(人が生きること(への執着)が生む苦しみ) ※ここまでで「八苦」
ここで言う“苦”を平易に「苦しみ」としてしまうと面倒なことがおきます。
「幸せは自分が決める」と言われることがありますが、
ならば「苦しみは自分が決める」ということになります。
例えば「老苦」は、“老いる苦しみ”とありますが、
歳を重ねることによって現れる幸せもあります。
仏教で説く苦しみは、主観的な苦楽の問題にとどまらず、
より普遍的な「思い通りにはならない」という意味が含まれます。
そもそも思い通りにはならないものなのに、
私たちはそれを思い通りにしたいと思ってしまう。
そこに生じる苦しみは、いわば自作自演でしょう。
今感じている苦しみの中に、
自作自演をやめることで解決することってないですかね。
念のため…自作自演をやめるというのは、「個人苦」への対応方法です。
故奈良康明老師に、苦には「個人苦」と「社会苦」があると教わりました。
仏教は、各個人がみずからの苦を如何にして解決するかという視点で説かれていて、
社会苦に対して個人苦への対応方法をとるのは適切ではありません。
例えば…ブラック企業の雇用問題に直面している社員が、
「いかに我慢するか」を考えたって問題の解決にはなりません。
むしろ、「みんな我慢しているんだよ」と押しつけが広がれば歪みは大きくなります。
社会問題・社会苦に対しては、それに対応したやり方というものがあります。
ままならない人生を生きている私たちだから、
ふと幸せを感じたとき、“有り難いな”という感情も起こるのではないでしょうか。