たつのこ半畳記 350

坐禅会情報・四季折々の様子を伝えるときどき日記。
令和3年に開創360年を迎えている起雲山大龍寺のブログです。

★当山開基 旗本猪飼半左衛門正景氏・大龍寺殿榮翁林松大居士 平成26年350回忌正当法要について 

2014年05月07日 | 大龍寺縁起
本年平成26年は、当山の開基(寺院建立の発願をされ、実際に建立に尽力した人物)である
故猪飼半左衛門正景氏が亡くなられて350回忌という節目の年に当たります。





開基様は近江国堅田衆の流れを汲む甲斐国の旗本で、
江戸幕府2代将軍秀忠公、3代家光公、4代家綱公の世に幕府の職に就かれていました。
その間、本郷にあった小庵を現在地に移し、「大龍寺」として開創されたそうです。

今日の大龍寺があるのも、檀信徒皆様とのご縁が結ばれたのも、
その元をたどれば開基様のお志があってこそのたまものです。
350年を経た今でも、開基様の菩提を願う事は、何ら変わるところではありません。





寡聞ではありますが、東京都内にある寺院の由緒を渉覧すると、

 ・開創地から移転することなく現在に至り

 ・開基様が明確にわかっており

 ・開基家の子孫にあたるご一族との関係が保たれている」

のは非常に稀なこと、真に有り難いご縁であるようです。

ご命日は東京のお盆中にあたる7月14日であります。
季節的にも、檀信徒皆様に別途ご足労かけてしまうことは避けたく、
この度の山門施食会に際し、一座の法要を勤めたく予定に繰り入れております。

私たち一人ひとりが、350年前からのご因縁によって結ばれています。





墓地内の開基様五輪塔墓地の耐震・補修工事をしました。
こちらも併せてお参りいただきたく、ご案内申し上げます。



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★開基猪飼氏墳墓の改修中です

2013年11月29日 | 大龍寺縁起
当山を寛文元年(1661)に開かれた開基さま、
猪飼半左衛門正景氏の墳墓を改修しています。




五輪塔・灯籠・150回忌石塔など、全て一時的に撤去しました。







更に掘り進めて、土中の調査をしてもらったところ、
開基さまのご遺骨が出土、実際に確認もしました。

開基さまがお亡くなりになったのは寛文五年(1665)は348年前。

戦災直後の復興時、五輪塔も組み直しているとのことですが、
その際、土葬であった墳墓(土中約2m)を掘り起こし
横たわった状態のご遺骨を取りまとめ骨壺へ納めたとのことです。





石で囲われた部分にご遺骨(骨壺)が収まっていました。
土にまみれていたご遺骨も含めて本堂にてお預かりしています。

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★平成26年は、開基 猪飼氏の350回忌にあたります。

2013年11月22日 | 大龍寺縁起
大龍寺は、もともとは本郷にあった「住林庵」という小庵でした。
寛文元年(1661)年、旗本の猪飼半左衛門尉正景氏が発願し
住林庵を現在の牛込に移して「大龍寺」として開創したのが始まりです。

今日、本年が353年目を数える大龍寺がこうしてあるのも、
多くの檀信徒、地域の方とのご縁が紡がれてきたのも、
そもそもは、開基さまが寺院建立の発願をされたことがきっかけです。





当山にとってかけがえのない開基さまは、
寛文5(1665)年7月14日に54歳で亡くなられました。

平成26(2014)年は、開基さまの350回忌にあたり、
報恩供養の気持ちで一座の法要を勤めようと計画が上がっております。







こちらはその墳墓で、五輪塔を主塔にすえています。

手前にある石塔は、150回忌供養で建てられたものです。
また、右手前には、石灯籠も設けられています。

写真を見ても、問題が無いように写っていますが、
第二次世界大戦の戦災によって右手前方向からの熱風を浴びており、
その方向の角が大きく損傷しているのです。

戦後すぐ、応急的にコンクリートなどで補修をしたようですが、
以来、今日までその状態のままとなっておりました。











今回、350回忌の法要に備えて、
下記の通り開基さまの墳墓の整備をさせていただいております。


 (1)五輪塔の損傷部分の補修

 (2)五輪塔に“心棒”を通す震災対策

 (3)墳墓の区画整理

      ・礼拝場所の敷石設置

      ・境界柵の撤去

      ・水鉢、線香立ての補修

      ・150回忌石塔の再建立

 (4)350回忌石塔の建立





11月20日には五輪塔・150回忌石塔などを解体・運搬し、
石屋さんに作業に入ってもらいました。














檀信徒の皆さま各家に、書院建立の折りに寄附勧募のお願いをしており、
現在も観音様お迎えのためにお賽銭を積み立ててもいますので、
特段に開基さま350回忌についてご負担が掛からないよう勤めます。

ただ、お心だけは開基さまにお向けいただきまして、
ともに礼拝の年をお迎えし、大切にご供養を勤めたく思っています。
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★大龍寺縁起(4) 豊川稲荷

2010年07月19日 | 大龍寺縁起
大龍寺には、原町3丁目に飛地の境内地があります。

江戸時代の古地図を確認しますと、
この飛地一帯は別のお寺があったようですが、
この寺院が移転する際に土地の一部を買い受けたようです。

現在、この地はコスモスイニシアのマンション
医院・そして大龍寺の飛地の境内地となっています。



ここには、幟に囲まれた豊川稲荷のお社があります。

豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗妙厳寺の鎮守で、
ご神体はインド発祥の「豊川ダキニ真天」です。

大龍寺は妙厳寺豊川稲荷から長年にわたってご縁があり、
このご神体は昭和5年の豊川稲荷ご開帳を記念し、
明治・大正期に修復されたお堂の資材を用いて作られています。
当時、豊川稲荷で指導僧をしていた洞元和尚さまがこれを譲り受け、
後に大龍寺29世住職として来られた際に持参されたようです。



現在、この地に据えられている社は、
平成21年9月に遷座・点眼法要をお勤めして以来のものです。

お参りの時は静かに手を合わせ、
「オンシラバッタニリウンソワカ」とお唱え下さい。


★稲荷社の移設その1
★稲荷社の移設その2(井戸の汲上ポンプ移動)
★稲荷社の移設その3(社の設置)
★稲荷社の移設その4(新しい社)
★稲荷社の移設その5(遷座点眼法要)
★豊川稲荷・三界萬霊塔 整備
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★大龍寺縁起(3) 開基さま

2010年06月06日 | 大龍寺縁起
大龍寺墓地のほぼ中央にあたる所に
一際目立つ背丈の高いお墓があります。
円錐形・球体・立方体などの石が重なっていて、
見覚えのある方も多いでしょう。

このお墓は今から349年前の寛文元年(1661)、
大龍寺を建立した故猪飼半左衛門正景氏のお墓です。






初代住職を「ご開山さま」と尊称するのに対して、
建立を発願された方を「開基さま」と称します。



猪飼氏は、大阪の猪飼野という地域と関係が深く、
一族(の一部?)が近畿地方から甲斐国(山梨県)へ移住し、
江戸で大龍寺の開基となった猪飼半左衛門正景氏につながります。

初代住職を甲斐国の興因寺から迎えたことも脳裏によぎりますが、
お寺の資料では開創当時の因縁を記したものがないため
詳しいことは分からないままとなっています。

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★大龍寺縁起(2) ご開山さま

2010年05月03日 | 大龍寺縁起
人間で言うところの親子関係が、お寺の関係にもあります。

新規にお寺が開創されたときに住職となった初代住職が
それ以前に元々住職をしていたお寺は親のようなもので「本寺」と呼びます。
逆に本寺にとっては我が子のようなもので「末寺」と呼びます。

現在でもこの本末関係が実質的に機能しているところでは、
相互に協力しながら教化活動や法務に携わっています。





大龍寺が開かれたのは349年前の
寛文元年(西暦1661年)のことです。

ご開山さまと称される初代住職は大盛玄尊大和尚。
「たいせいげんそん だいおしょう」と読みます。

もとは増福山興因寺(現在の山梨県甲府市)の第17代住職で、
この興因寺が大龍寺の本寺という立場になります。

近江出身で甲斐へと移った猪飼家という旗本がおり、
その系属の猪飼半左衛門正景氏が大龍寺開創に尽力していますが、
興因寺とも実質的な交際が無く、詳しい経緯は詳らかではありません。


なお、興因寺の本寺は小田原の大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)で、
最乗寺からすると、大龍寺は「孫末」ということになります。
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★大龍寺縁起(1)  山号「起雲山」

2010年04月01日 | 大龍寺縁起
大龍寺からでは、年4回の新聞を発行しています。

四季折々の行事案内と行事報告に交えて、
行事とは直接関係のない“よろずごと”をお伝えしています。

この新聞で掲載している「大龍寺縁起」を
このブログでも順次掲載していきたいと思います。





山号「起雲山」【さんごう「きうんざん」】


山号とは中国の仏教において、山間部に建立された寺院が、
その寺院を建てた山の名前を寺名に冠したことが始まりです。



もともとインドでは出家僧侶の労働が禁止されていたため
インドのお寺は生産活動をすることがなく、
町に出て托鉢をすることによって食を得ていたそうです。

世縁を絶した「出家修行者」というイメージがありますが、
町から離れすぎないという微妙な距離であったと想像します。



対して、中国の都市部以外に建てられた多くの禅院は、
「作務」と称する労働・生産活動を修行に取り入れたため、
人里離れた山間部にも展開することが出来たのです。

この山間部に建てられた寺院は、
寺名の頭に山の名前(山号)を冠するようになりました。

少林寺拳法で有名な少林寺は嵩山にあるので「嵩山少林寺」、
道元禅師がご修行なさった天童寺は「太白山天童景徳禅寺」のように
「○○山△△寺」とするのが通例の名称となっていきました。

以来、山のない町なかの寺院でも山号を冠することになり、
寺の由緒を現したり、寺名の意味を深める山号を付けているのです。



強大な威神力を持つ龍は、沸き立つ雲と共に現れます。
当山は、「雲沸き起こる山の偉大な龍の棲む寺」となります。

何か不思議な力がありそうな寺名と山号です。
コメント (2)
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