明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

叫ぶ兄、包む母。暴れる私、無関心な母。~母編<パート6>~

2009年07月31日 12時13分38秒 | 私の家族を紹介します<母編>



【叫ぶ兄、包む母編】


高校卒業を控えた兄が、
部屋に閉じこもって学校に行けなくなったことがあった。

別に学校でいじめを受けていたとかいうことじゃない。
ただ、自分のした選択を後悔し、身動きが取れなくなったのだ。


兄はプロの○○選手になることを夢見ていた。
(○○はスポーツの名が入るのだけど、ご想像にお任せします)
高校の途中、夏休みを利用してそのスポーツを学ぶため
海外留学までしたほどだ。

しかし、進路を決める段階で兄はミスをした。
自分の進みたい道を選ぶことが出来ず、不本意な道を選んでしまったのだ。

どうしてそういう選択に至ったのかはわからない。
そもそも、本人すらもわかってはいないようだったのだから
誰にも本当のところはわからないだろう。

(本当を言えば、その選択をした理由というよりも、もっと深い根っこの部分、
つまり、兄がどうしてそういった選択をし得る人間になったのか
という部分は、私はなんとなく理解できる気がしているのだが)

兄は自分のしたその選択を、ひどく後悔していた。
頭から布団を被り、一日中塞ぎこむ日々が続いた。


その選択は、結構重いものだった。
それは兄の一存でひっくり返すことが可能な範囲を超えたもので
もはや兄が道を変えたならば、関係のない他の人にも
多大な迷惑がかかるレベルのものだったのだ。

誰にも迷惑をかけたくない
でも、自分の意思も曲げたくない


この相反するふたつの思いに苦しめられていたのだろう。


大学進学の過程でちょっとつまづいた兄がきっかけになり
家の中が非常に殺伐としていたということは以前にも書いたが
そんなの関係ねぇ! 入院だって関係ねぇ!~父編<パート4>~参照)
その頃から、少しづつもうおかしくなり始めていたのだと思う。

父親は、兄がどうしてそんなふうになっているのかまったくわからないでいた。
そしてそのことに、とてもイライラしていた。


それはある意味当然のことで
親に本音なぞを話したら心が壊されるということ
を私たち兄弟はわかり過ぎるくらいわかっていたので
自覚するしないにかかわらず
親に本心を話すことができなくなっていたのだ。
だから、兄がなにも言えずにいて、両親がなにもわからないまま
というのは、私の家では当然の成り行きだったとしか言えない。


しかしまぁ、今の私から見ればそのように理解できる状況であっても
狂ったままの過去の私たち家族には理解不能な由々しき事態であって
それをなんとかしようともがきまくっていた。
もがけばもがくほど事態がややこしくなることなど、誰も知らずにいたのだ。


さて、ある日のことである。

その日は朝から父親が兄を責め立て、非常に気まずいというか
なんともいえない殺気と無力感と先の見えない不安に家中が包まれていた。

私自身も通っていた高校のことで非常に悩んでいた時期で
自分のことだけで精一杯だった上に
ピリピリしている両親と生気のない兄の問題が乗っかってきていたので
もう半分死にかけのような状態であった。


兄の部屋で、
兄が朝から父親にさんざん罵詈雑言をぶつけられているのが聞こえた。
例のごとく、兄はなにも反論できない。
言葉を発することもできていなかったと思う。
私はただ、それを廊下で聞いていた。

しばらくして、散々吠えまくって疲れた父親は階下へと降りて行った。

私は制服を着てはみたものの、学校に行きたくなくてしょうがない気持ちを
どうやっておさめようかと苦労していた。
そこに突然、兄の叫び声が聴こえてきた。

「うぉおおおおおお」

という、動物みたいな叫び声だった。
私は兄の部屋の近くに行き、その声に耳を澄ませた。
よく聴いてみると

「つらいんだよぉぉおおお、
苦しいんだよぉぉおおお」


と言っていた。

中をそっと覗いてみると
どうやら兄の部屋には父親と入れ替わりに母がやって来ていたようで
ベッドの上で布団を頭から被って叫んでいる兄の横に母の姿があった。
母は、「大丈夫、大丈夫だから」と布団の上から兄の背中を擦っていた。

やるせなさの境地のようなその叫び声は家の中で
とてつもなく陰気で、不幸で、悲劇的な響きかたをしていた。


私は学校に行く時間を気にして兄の部屋から離れたが
階段の途中で崩れ落ちるようにして座り込んだ。

不吉で、息苦しい家。
孤独で、不毛な学校。


涙が次から次へと流れてきた。

なんだこの家
なんだこの家族
なんだこの生活
なんだあの学校
なんだこの自分
なんだこの世界


もう、それしか考えられなかった。
なんでこの家はこんなことになっているのか、
なんで自分はこんなことになっているのか、
すべてに嫌気がさして、でもそこから逃げられないという
どうしようもない救いのなさに押しつぶされそうだった。

階段で泣いている私を見つけた母が
珍しく私に優しい言葉をかけた。
兄にしていたように背中を擦り

「大丈夫、うまくいくから。全部うまくいくから」

そんなことを言いながら。
(若干いい話的な流れだが、これは母親のいつもの無責任行動でしかなく
断じて感動的なシーンでもなんでもなかった)


後日、母は私に言った。

「あのね、お兄ちゃんが叫んだときね、お母さんやっとわかったの。
お兄ちゃん、苦しかったんだって、初めてわかったの」

なぜか母の目は輝いていた。
私にはさっぱりだし、読んでいる方にもさっぱりの展開だと思うが
母はこのときなにかを悟り切ったような表情を浮かべていたし
本当にこれだけのことしかなかった。

いったい母はなにがわかったのか?
いったいなにが大丈夫なのか?

なにもわからないまま話は次回に続く。






『エヴァンゲリヲン新劇場版・破』~感想文を書いてみる(映画)~

2009年07月31日 09時40分55秒 | 感想文を書いてみるシリーズ(映画系)



先日
“エヴァンゲリヲン新劇場版・破”
を観てきた。

“序”が公開された折には恋する乙女のように心臓ドキドキさせて
ワクワクしながらかなり早い段階で観に行っていたのだが
(ほら、私ってミーハーだから)
作品観て「なんだこれ…」とガッカリしたもんで“破”にはなんの期待も抱いていなかった。
単なる総集編かよ、と。


がしかし
“破”はもんのすごくよかった。

「これだよ、ニューミレニアムエヴァンゲリヲン」と思った。
私はこういうのを、たぶん観たかったのだと思う。


非常に面倒くさがりの私、
映画に行く前にその作品の予備知識などはほとんど仕入れない状態で観に行くことが多く、
エヴァも例に漏れずそんな調子で観に行ったので、
ニューキャラの真希波・マリ・イラストリアスの存在さえも知らずにいた(笑)

行く前にちょっとだけ寄った本屋で、マリが表紙のCutをパラパラ開き
『へー、新しいキャラってメガネっ子なんだ~』
とぼーっと思っただけだった。

しかしCutすらちゃんと見なかったもので、
マリの声が坂本真綾ということも頭に入っていなかった私。
最初に真綾の声が劇場内に響いて、テンションが一気に上がった(笑)
私は真綾が好きなのだ。


なんかもう、それだけでももういいかってな具合なほどご機嫌になったのだが
ストーリーが進んでいくにつれ
新しいエヴァにハートをがっちり掴まれてしまった。

観ておらなんだ方のために、私は基本ネタバレなしの感想を書くので
なんかあんまりよく感動が伝わんないかもしれないんだけど

いや、
しっかり新しいエヴァになっていた
と、個人的には超思う。
(全然変わってないじゃん、と上映終了後愚痴っている人も見かけたが)

監督のインタビューとか、私はパンフでさえも読んでないので
そういうものの知識が一切ない状態で勝手に語らせてもらうんだけど
あそこまであの主要キャラたちの言動を変えるのは
結構勇気必要だったと思うんだよね、個人的に。

だって、
レイがこんなことをするか?
アスカがこんなことを言うのか?
シンジがこんなふうになるのか?

と、テレビシリーズのエヴァを見ていたパンピーのひとりとしては
すごくそう思うシーンがたくさんあったのだよ。

いや正直好きなアニメではあったけど
私はファンと言えるほどエヴァのことを知ってるわけじゃなくて
興味もそんなにあったわけじゃない。
(10年前の劇場版シリーズはとりあえず観に行ったりもしてたけど)
テレビシリーズにいたっては、もう記憶すら曖昧でほとんど覚えてなんてない(笑)

だから、偉そうにどうこう言えないんだけど
エヴァがエヴァの一線を、ちょっと越えそうになってるなにかが
“破”にはあったなと感じた。

殻を破るっていうよりは新しい色を上から塗りたくる感じに近い。

そんなにキャラ設定だのにだって私は執着があったわけじゃないんだけど
レイにこんなセリフ言わせるの、平気だったのかな
とか
アスカがこんなに素直になっちゃっていいの
とか
シンジをこんなに感情を出す子供にしていいんですか
みたいな、ちょっとドキっとする場面が多々あり。

まぁ、だからってそれだけですべてがいい方向に向かうってわけじゃないところが
またうまく作ってるな、エヴァの匂いだよな
とか感心してしまうわけなんだが。


でも、10年前(正確に言うともう10年以上経つんだろうけど)の
あのエヴァを熱心に見ていた私たち世代にとっては
それってどうなんだろう?
と、思わないわけでもなく
あくまでも一個人としての意見だけれど
ちょっと、それって無責任じゃないか?
みたいな気持ちも、正直ないこともない(笑)

いや、今の作品がおもしろけりゃそれでいいんだけど
ひねくれ者の私としては、じゃあ10年前のあのエヴァはなんだった?
みたいな気分にもなるってことで。
世界を楽しめって、人生を楽しめって、今さらあのエヴァが言うかよ、的なね。

今作られているエヴァは、
もうあの頃の私たちに向けられたものではなくて
さらにもちろん今の私たちに向けられたものでもない
今の子供たちに向けられたものだろう
っていう感覚が、私をそんなふうに寂しくさせたのかもしれないな。

(ま、そこまでエヴァをアニメ以外のなにかに祭り上げる必要性もないんだけど)

あ、一点だけ、私がすごく共感したのは
ミサトとカジがふたりで呑み屋で語ってるシーンだったなぁ。
今度のミサトとカジのやりとりって、いいねぇ。


でも結局昔の路線を引き摺ったままだと“序”みたいに
なぁなぁっぽい印象しか受けなくてつまんないし
だから結局
こういう方向性で行くエヴァって嫌いじゃないわ
って思うわけなんだけど
やっぱり少しだけ、寂しい気もしちゃうなぁ(苦笑)


ちょっと話がソレるけど私は数ヶ月前
“交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい”
を観て、だいぶ感動した経験をしていたんだけど
今回のエヴァには、ちょっとレントンとエウレカを彷彿とさせるような
そんな匂いを感じるなにかがあって(笑)
アニメの知識の乏しい私の勝手なこじつけではあるんだけど
あの純粋なボーイミーツガール的要素が今回のエヴァからは感じ取れた気がした。
これも個人的に、嫌いじゃない。

しかしエウレカセブンって、わかりやすくていいよなといつも思う。
“ポケットが虹でいっぱい”だって出てくる単語が
『神話』だの『ピーターパンとウェンディ』だの『ドーハの悲劇』だよ。
なんてわかりやすいんだ!
『人類補完計画』だの、『リリス』だの『アダム』だの、『ロンギヌスの槍』だのより
(比較対象になる言葉をと思ったんだがあまり出てこなかった…)
ずっと身近に感じる(笑)安っぽいとも言うのかもしれないが。


さぁて、マリのキャラクターがすんごいよかったもんで
私は真綾効果も手伝ってすっかりファンだが
マリの言葉にはいちいち感心してしまう。

やっぱ脚本、うまいよね。
日本のアニメの脚本のレベルって、ほんと、断トツだと思う。
構成やらなにやら、すべてがあいまってああなってるんだろうけど、素晴らしい。
(若干わざとらし感がある場面もなくはなかったけど、熱が伝わればすべてよし)


それから、
「おお、細かいな」と変に感動した部分があるのだが
ちょいネタバレで申し訳ないが、アスカが料理をするシーンがあって
(てゆーか私、ネタバレってどこまでがそうなのかわかんない)
そこで小皿にすくって味見をするところがあるんだけど
味見して、小皿に残ったスープかなにかの液体をシンクに捨てる場面があるのね。
で、その液体がシンクに零される音までちゃあんと入ってたもんだから
おお、って思ってしまった私(笑)
当たり前の音響なのかもしれないんだけど、なんかえらい感激してしまった。


次回作がどんだけ先になるかはよくわからないみたいだけど
(3年後かなとか言ってる人をよく見かけるが)
“破”を観て、俄然待ち遠しくなってしまった。

ああ、でもテレビシリーズを見てたあの頃の自分に
今のエヴァンゲリヲンを観せてみたいもんだ。
どんなふうに思ったろうか。

あんなにドロッドロだった悲壮感たっぷりのアニメが
こんなにどこかに希望とか、願いとか、愛とかそういう前向きなものを秘めた
違うアニメになり得るんだって知ったら、驚くだろうなぁ。

テレビシリーズの最後でも、まるで違う世界のシンジやらアスカやらレイが
“たとえばこんな世界だったら”
みたいな感じで描かれたりはしてたけど
あれとはまた別の形で、同じ世界でもこんなふうに変われるんだみたいな
ちょっとやっぱり、根暗な私にはインパクト大きかったなぁ。

最後に
ああ、マリみたいな子になってみたい!
すっごく痛いけど、おもしろいからいい!
生きてるからいい!

って、そんなふうに言ってみたい。

そうやっていじけてても、楽しいことなにもないよ
って、そんなふうに生きてみたいな、死ぬまでに一度だけでも。





弟が泣いた日~父編<パート7>~

2009年07月30日 17時47分37秒 | 私の家族を紹介します<父編>



ああ、キーボードで文章打ってると落ち着く。

今回は、今まであまり登場してこなかった弟についての記事。


弟は、兄や私よりはプレッシャー少なく、のびのびとは決して言えないが
それでも重く圧しかかるものは少なく育ったかもしれない。
私は、兄弟の中で一番まともに育ったのが弟だという認識でいる。

しかし弟は私と同じ、あるいは私以上に父親を嫌っている。

その理由はいろいろとあるんだと思うんだが
弟本人に聞いたことはないので、詳しくはわからない。

私は何度か弟がクソ親父に叱られているのを目にしたことがある。
(叱るってゆーよりうちの父親の場合、八つ当たりとかストレス発散だな)
その中で、たぶん一番最後に見たものだと思うのだが
強烈に記憶に焼きついているものがある。
これはそのお話。


あるとき、弟が学校でなにか問題を起こした。
(のだと思う、たぶん)
クソ親父はいつものごとく怒り狂った。
たぶん、覚えていないということは、それほどたいしたことでもなかったのだと思う。

そもそも私たち兄弟は、クソ親父の恐怖教育の影響のせいか
悪いことというのがあまりできない子供だったと思う。

ただ弟だけは少し例外で、大人たちをちょっとびっくりさせるようなことを
1、2回だけ、したことがあるように記憶している。
(詳しくは言えないんだけど)
でも、それも子供の遊びというか
(それで済ませてはいけないものもあったような気もするが)
よくわからずにやってしまったあと、「大事だ」と気づいてしまったというか
そういう、過ちに近いものだった。
それを教えられていなかった大人たちにも、私は責任はあると思っている。


とまぁ、そんな弟ではあったが、でもそのときのそれは、
そんなに大袈裟なレベルではなかったと思う。

だがしかし、
父親の怒りはピークに達していた。
ものすごい剣幕で階段を上ってきて、弟の部屋に入った。
その頃になると、私はもう「父親に反抗ができる娘」ではなくなっていた。
父親に対してはただもう恐怖しかなく、口ごたえなどできない気の弱い人間になっていた。
家にいてもできるだけ父親と顔を合わせないようにしていたし
家の中で誰かがそんなふうに父親のターゲットになったとしても
ただ黙っておとなしく、見ていることしかできなかった。

だからそのときも私はただ
開いたドアの隙間から、
気づかれないよう中をじっと覗くだけだった。


なにもできないのなら、見るのもやめればよかったのにと思う。
けれど、それだけはどうしてもやめられなかった。
誰が父親にどういうふうに傷つけられるかを
この目に焼きつけておきたい衝動にいつも駆られた。


父親は弟の髪を掴んで引っ張り、説教を始めた。
頭を何度か殴ったかもしれない。
説教の内容は、よく覚えていない。
そのシーンがあまりに痛かったので、それしか覚えていない。

部屋に木の柱があったのだが、父親はその前に弟を立たせ
頭を持って何度か叩きつけた。
昔、父親は祖父からそのようにして仕置きをされていたのだそうだ。
それには「柱の刑」なる名前があった。
そんな名前、馬鹿みたいだ、と今は思うけれど。

そのあともまた父親は何度か弟の頭を拳で思い切り殴ったと思う。
ゴツッという、あの嫌な音だ。

そして、弟の髪をまた引っ張り

「お前、坊主な。わかったな?」

と言った。

お洒落に気をつかい始める思春期だ。
弟の入っていた部活は坊主でなくてもよかったし
その髪型は弟にも似合っていた。
それについ最近、切ってきたばかりだったと思う。

それまでに弟は、
父親の知り合いがやっている店
というだけの理由で、行きたくもない散髪屋に行かされていたのだが
何度行ってもどうしてもそこが好きになれなかったらしい。
父親に内緒で、母からお金をもらい他の場所で切っていた。
(もしかしたら、このとき問題になったのはそのことだったのだろうか…)

父親は言った。
「××の店に行って坊主にしてもらってこいよ」
(××とは、弟が無理やり行かされていたその店の名前)


今考えると、
髪を切る店すらも自由に決めることのできない家だったのかとあらためて思う。
というよりも
「その店には行きたくない」
ということを言う自由すらなかったのか

と、驚く。

私の家で、父親は絶対の存在だったのだ。

あんなにくだらない人間なのに、
父親というだけで、だ。


まったく、世の中というのは不条理この上ない。


弟もその髪型を気に入っているようだった。
それまでただ黙って無表情で父親に好きなようにされていた弟だったが
「××で坊主にしてこい」と言われた瞬間に、泣いた。

声を出さず、目から落ちてくる涙をどうにも止められないという様子で
心から、悔しそうに。


おわかりいただけるだろうか?
単に坊主が嫌だったというわけではない。
髪型さえも自分の思うようにできる自由がないという状態が
心底悔しかったのだと思う。

だから、殴られてどんなに痛くても決して泣かなかった弟が
その瞬間に泣いたのだ。

それは、
“親というものに負けた”瞬間だったのだと思う。


どんなに理不尽だと思っても、親の言うことに逆らうことのできない
その不自由さに、弟は泣いたのだろう。



あの涙を、私は忘れることができない。
下を向き悔しそうに唇を噛む顔を、忘れられない。


私の家では、子供はあまり声を出して泣くということがなかったと思う。
泣いていても慰めてくれるような家ではなかったし
泣くことで余計に大人のストレスの的になることばかりだったからだろう。

声を殺して泣くということがどのくらい苦しいか
大人ならもうほとんどの人が知っていることだろう。
でも、子供のうちからそれを強いられるというのは、結構つらい。

布団を噛んで、泣き声を必死に隠すあのつらさは、筆舌に尽くしがたい。



弟はあの日以外にも
私の知らないところで父親から理不尽な要求をされたり
同級生やその保護者らの見ている目の前で罵声を浴びせられたりと
いろいろされていたようだ。

弟が問題を起こした裏には、そういうストレスもあったのかもしれない。
それでもあれだけある意味真っ直ぐに育ったのだから
私は、弟は結構本気ですごいと思っている。
頭脳明晰で成績もよく、親の希望どおり
私よりもずっと偏差値の高い国公立大学にストレートで入っていたし
就職もちゃんとした。

私はそれを、親の育て方ではなく
弟自身の力だと思っている。
あいつは、不条理な環境にもヘコたれずに、踏ん張ることのできる男なのだ。
ここぞというときには、力をちゃんと発揮できる強さを持っているのだ。

あんな家に生まれていなければ、もっと能力を発揮できたろうに。
不憫でならない。




そんな弟は今でも、「お父さん」や「オヤジ」という言葉を発することがない。
父親を呼ぶ必要も、話す必要もないからだ。
ただ本人のいないところで
「あの人」
と言うだけだ。

いつから弟がそう言うようになったのかは覚えていないが
もう随分遠い昔に、「お父さん」という言葉を口にすることはなくなっていたように思う。
最後に弟の口からその言葉を聞いたのは、いったいいつだったろう?
記憶の中の弟はいつでも、父親を「あの人」と呼んでいる。


子供から「お父さん」と呼ばれない父親は不幸だ。
なんて哀れなんだろう。
でも全部、本人が招いたことだ。
しかたない。

弟の「あの人」を聞くたび、私はいかに父親が愚かなヤツかということを知る。






最後まで娘の話を聞かなかった男~父編<パート6>~

2009年07月30日 09時35分55秒 | 私の家族を紹介します<父編>



昨日の
悪かったを信じられなくなったわけ~父編<パート5>~
と関連のある話。


大学に入って少し経った頃のことだったかと思う。
私は父親にある復讐をした。

・・・復讐って言っても、自分でしようと思ってしたことではなく
なんか結果的にそんな感じになっちゃったかなという感じだったんだけど
長期休暇かなにかの折、私が実家にいたときのことだった。

突然父親から
「話がある」
(ひぃいいいいいいいいいい)
と呼び出され、ふたりきりにさせられた。

なななな、なんだよ(((( ;゜д゜))))アワワワワ…状態の私。
だって、それまでろくに顔付き合わせたこともなければ
もう親子としての会話すらままならない状態だったんだゼ。

「な、なんですか…?」
(父親と話すときはほとんど敬語)
と切り出す私。

よく覚えていないんだけど、説教ではなくなんかわけのわからん話をされ
よくよく聞いてみれば、どうやら父親は私と
「世間一般の仲のよい父娘」
の関係になりたいらしかった。


(・⊿・) ヘ?
アンタ頭ドウカシタノカ?


私の思考は一瞬止まった。
「?」で埋め尽くされた。


目の前にはなにやらニヤけた顔で
「なぁ~、だからふたりで一緒に飲みに行こうぜ~」
と吐くクソ親父。



正直、気持ち悪いです。

てゆーか

「お断りです」

私は即座に断った。

いや、本来ならば大人になって、ここは父親に付き合うべきだったのかもしれない。
しかし、私にはこの事態がいったいなぜ起きているのか
なぜにこの人はこんなことを普通に言えるのか
いったい、今起こっているこの事態はなんなのか
まったくの理解不能でした。

一度断っても
「ナァ~、ナァ~、そう言わずにさぁ~」
と、怒りをぶつけまくったあとに優しくなるいつものあの感じで
甘い声で擦り寄ってくる父親。

((( lll゜Д゜)))ゾゾゾゾーーーーー

今思い出しても鳥肌が立つよ。
私は断固拒否した。

いや、もはや反射だな、てゆーか
生理的に受けつけられなかった。

イヤダ、なにこのオヤジ…なんでこんな甘えてくんの?
てゆーか、なにこのキャラ…なにしてんのこの人…。

私の頭の中はそれで一杯だった。


思うに、クソ親父は
大学に入学して家を離れて成長した娘が帰省をしてきた。
大人になった娘と父親水入らずで酒を酌み交わしたい。

という欲求を持ったのだろう。
(前にも少し書いたのだが、
一番上の兄がこのような巣立ちというか自立にちょっと失敗していて、
必然的に私が世間様に顔向けできる自立に成功した私の家での最初の子供
ということで、父親はそれが嬉しかったのだろう)

だがしかしお父さんよ、
あんた、子供と
そういう関係築いてきてねーだろ
と、心から言いたい。

そういうのは、私の友達の子たちのように
もうずっと小さな頃からの関係の積み重ねによって初めて成立するものだ。
子供が家出て成人したからって
急に仲良し親子になろう
なんて、虫が良すぎるだろう。
てゆーか、無理ありすぎ。

それが、彼にはまったく理解できなかったらしい。


とにかく気持ちが悪いという感覚しかなかった私はその場から離れた。
このことが災いしたのかはわからない。

数年後、私が卒業を目前にしながら就職できずにいたとき
それは起こった。

そもそも、私が卒業する頃はまだ氷河期真っ只中で
しかも私の通っていた大学の就職率は本当に悪かった。
その上私は3年の半ばくらいから精神科やカウンセリングに通い始めていて
(このきっかけになった出来事があるのだが、それはまた今度)
メンタル面で相当ヤバい状態に陥っており
(まぁ、それがなくてもダメだったと思うんだが)
とにかく就職活動というものが恐くて恐くてしかたなく、
誰かと張り合うなんて、誰かと競争するなんて絶対無理
という心理状態で、実際には“就職が決まらない”ではなく
“就職活動ができない”
という感じだった。

もともと、受験のときでさえ面接などがある“推薦”と呼ばれるものは
大嫌いで、苦手で、ずっと避けて生きてきていた。
ついでにアルバイトの面接だけはそれでもなんとか受け続けてはいたのだが
面接になるとどうしても
「私なんかより、もっと優秀な人他にたくさんいますから…」
的な卑屈な面が出てしまい
自己アピールアピール事故のようになってしまう私であったので
あまり色よい返事はもらうことができないでいた。
(志望者が多い人気の職種で倍率が高かったとは言え、お粗末…)


さて、そんな就職先も定まらぬ中、ある日父親から携帯に電話があった。

「オメェ、就職どーなってんだよっ!?」

いつものごとく、ヤクザ調のあのガラの悪い怒鳴り声。

「もう○月だってーのになにしてやがんだ!
まだ決まんねーのか!?
ああっ!?
おめぇ、本当にちゃんとやってんのか!?
卒業してからの生活はどーすんだよっ!?

卒業したらオレは一銭もやらねーからなっ!
オメェを援助する金なんてねーんだからな!!」

と、一方的にまくし立てる父親。

ただでさえメンタル面で参っている私には大ダメージ。
卒業後の生活が一番不安なのは私である。
ついでにおっかねぇ。
マジこえぇ。

氷河期だとか、精神的に不安定とか
そういう言い訳は一切通用のしない世界でございます。
娘の情緒不安など、そんなものは存在しないと思い込んでおられるのですから
そりゃあもう、
弱い者には死あるのみ。
彼にはそれだけでございます。


私はその日以降、
あまりに恐ろしくて実家からの電話を取ることができなくなった…。
_| ̄|○ il||li


しかし、留守電には相変わらずの父親からの口撃が残されていた。
電話を取らない私に腹を立てた父親の発言はエスカレート。

「てめぇ、電話に出ろよっ!
てめぇひとりでデカくなったと思ってんじぇねーぞ!
誰の世話になったと思ってんだ!?
ええ? ああ?」


このような発言がいくつも残されている状態。

あら? 間違い電話?
ヤクザの抗争かなにかですか?


と思わずにいられない…。
(てゆーか、娘に“てめぇ”って…)
私は恐怖に我を忘れ、親に殺されるのではないかと真剣に悩んだ。
身体が震え出し、家から出ることもできなくなった。

カウンセラーや友人に相談もしたけれど
みんな一様に
「父親がそんなに恐ろしいはずはない」
という態度を示すだけだった。

どんなに訴えても、私の恐怖は伝わらなかった…。
そりゃそーだ、みんなはそんなことを言われたことがない。
録音した父親の声すら聴いてくれなかった…。


げに恐ろしきは幸運と無知よ…。
そのような親など世にいるわけはないというその幸せな思い込み。
あな恐ろしや。


結局、なんとか希望の職種とはまったく違った場所であったが、
アルバイトとしての働き口を得た私。
(てゆーかー、単なるフリーター?)
とりあえず親の援助から脱せたという喜びと安心を手にした。
(ま、このあとひどいどん底に落ちるんだけど)

しかし、実家から電話があるたび、父親の声を留守電で聞くたび
私はものすごい恐怖に今でも襲われる。
いまだに実家からの電話には恐くて出られない状態である。



・・・・・・たぶんきっと、数年前の「飲みに行こうよ事件」のときに
私が「喜んで」と一緒に行っていたとしても
ヤツの本質は変わらなかったろう。
同じようにされていたと思う。

なぜなら、変わる気があったのなら
娘との関係を修復したいと本気で願った父親であったのなら
もしその時に自分の願いが叶わなかったとしても
その後も娘をそれまでとは違った方法であたたかく見守り続け、
心の氷が溶けるのを辛抱強く待ったはずだからだ。

私の父親は、認めるのは涙が出るほど口惜しいが
そういう我慢のできない弱い人間なのだ。


時折、
あのとき私は父親にひどいことをしてしまったのだろう
あのことを根に持っているから、私につらくあたるのだろうか
などということを思ったりもする。

がしかし
彼の言動は、あまりに幼稚身勝手
受け入れることはやはりできない

器のちっさい私のキャパを超えている。



父親って、こんなものなのだろうか。
ため息でちゃうなぁ。




悪かったを信じられなくなったわけ~父編<パート5>~

2009年07月29日 19時06分28秒 | 私の家族を紹介します<父編>



「ごめんなさい」
とか
「すみません」
とか
世にはいくつか謝罪のときに発せられると思われる言葉が存在する。

「悪かった」
も、たぶんそれなんだと思う。
てゆーか、フツーそうだろ。


私も、クソ親父の口から数回、人生でこの言葉を聞いた記憶がある。
よくあるよね、なんてゆーか漫画とか、ドラマとか
すんげーギクシャクしてたり、折り合いの悪かった親子がクライマックスで
このひとことでこう、なんてゆーの?
和解?
みたいな、そういうの。

あの親父が頭下げて謝ったんだよ、みたいな。
でも、これってまだまだ全然甘いんではないかと思うわけ。

この言葉で和解っていうのが感動的だったり、印象的だったりすんのは
それがきちんとした謝罪になった場合のみであって
そうじゃない場合っていうのは、ただのその場しのぎだったってことで
なんの感動も、なんの感慨もない。
てゆーか、逆に、ムカつく。


「そうじゃないっていう場合」っていうのがどういうことかっていうと
「すまん」だの「悪かった」だのと謝った翌日には、翌週には、翌月には、翌年には
また再発
ってことだ。

再発って、意味通じなさそうだな。

謝って直しますと言ったことが、全然直ってないってこと。
謝ったのと同じ過ちをまた繰り返すってこと。

まぁ、簡単に言うとそういうことだ。

私のクソ親父はまるっきりこれであった。
改心しますと頭下げて子供に謝りはするが
その次の日にはもうコロっと忘れて同じように振舞う男だった。


謝るだけまだマシなのかもしれないが
なんの改善にも繋がらない謝罪に、どんな意味があろうか…。
これを思い出すたびに、なんとも言えない怒りがこみ上げてくる。

一度こういう男と付き合ったことがあるが
「別れる」
と言ったときだけ男のクセにみっともなく泣きじゃくり
「オレ、変わるから」
「だから、別れないでくれ」と、嘆願する。
受け入れるが、もう数時間後には
“別れたかった男そのもの”に戻っている。
(ほんとに、なんでこんなクソ親父そっくりな男と付き合えていたのか
数年経った今でも自分で自分がわからない)

こういう奴が、一番厄介だ。

いったい、お前はなんなんだ?
と、心から思う。

なんのために謝るんだ? なにを謝っているんだ?
なにが悪かったと思っていたんだ?


意味不明なんだよっ

こっちは改心したもんだと思って毎回許すのに、一向によくならねえ!!

お前の「ごめんなさい」にはどのくらいの重さがあるんだ!?
ええ? お前の「すまなかった」には
いったいどのくらい「すまない気持ち」が入ってんだ?

ポースだけならやめてくれよ。

いや、マジで。
そういう気持ちマックスだから。
で、他人の「ごめんなさい」とかも、もうなんだかわかんなくなってくるから。
どれが本当の謝罪で、どれがその場しのぎなのかって、正直判断つかないし。

まだ、付き合ってるだけの男なら、別れて切っちゃえばいいだけだけど
生活の援助受けてる立場で父親となるとそうはいかなかったから
ほんと、もういったいなにがどうなってんのか
ああ、思い出すと腹が立つっ!!


なんでこういう人種がいるんだ。
なぜにこういう奴が親になるんだ。
なぜにこういう親のもとに生まれてきてしまったんだ。
あああああああ、口惜しい!


謝ったら、ちゃんと誠意を見せろ。
言ったことが本当だってことを、証明しろ。
(せめて証明しようと努力しているところを見せろ)

「ごめん」って言えば済むことばっかじゃねーんだ。

謝って直すと約束したことのひとつも守れない大人の言うことをきく
バカな子供がいると思うか!?

この愚か者めっ!
カーッ(゜Д゜≡゜д゜)、ペッ



次回はこれに関連する話をひとつ…。