明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

小さなアリの目線で見たら蜘蛛だって巨大生物~夫婦喧嘩編~

2009年07月21日 14時52分00秒 | 家族の肖像



なんだかもう、タイトルがぐっちゃぐちゃになってきて
一体誰のなにを書いてんだか一見しただけではわからんようになってきたぞ。

という不安を抱いていたら、なんだgooブログでもカテゴリ増やせんじゃん(笑)
ジャンルにしか目が今までいってなくて、なんでこんなジャンル分けしかねーの?
と思っていた。
記事が分けられなくて困るじゃん、と思っていたサザエさんな私。



『夫婦喧嘩編』では、私が子供の頃に見せられた両親の喧嘩
について書いていこうと思う。


一番記憶に鮮明に焼きついているのは小学生のとき。
午後の6時や7時といった夕日ももう落ちてしまった時間帯だったと思う。
いや、もっと遅かったのかもしれない。

家の中には、私と両親だけだった。
(最初に触れておくが
兄弟の中で両親の夫婦喧嘩を見た回数はなぜか私がダントツで多い)

突然喧嘩を始めた両親。
理由は母が父に口ごたえをしただとか、そういういつものことだったと思う。


出て行けだの、出て行かないだのというやりとりがあった。
私はただ、おろおろしながらそのやりとりを見ていることしかできずにいた。

父親がまず、母に手をあげた。
頬を思い切り打った(ぶった)のだ。

いつもはそこで引き下がる母が、そのときはよほど頭に来たのだろう。
父の顔を叩き返したのだ。

頭に血が上っている父はそれでさらにキレたらしい。
また母の顔を殴った。
母は眼鏡をかけていたのだが、その眼鏡が飛んだ。

母は

こんなのもう我慢できない

という様子で

「出てくわよ、出て行けばいいんでしょう!」

と吐き捨て、そのまま走って家を出て行ってしまった。

謎だが、父親は「逃がしてたまるか」という感じで母のあとを追いかけ
やはり外に走っていってしまった。

それは「出て行った妻を連れ戻しに行く」というよりは

『ちくしょう、まだ殴りたりねぇぞ』

という感じに私には見えた。


私は呆然とした。

私、ここにいるんですけど(泣)

たぶん、そういう気持ちだった。
(「お母さん、逃げ切って」という思いもなくはなかったが(苦笑))


しかし目の前で喧嘩を繰り広げた両親に対する怒りよりも
母が私を置いて家を出て行ってしまった
という現実にしばし打ちのめされた私。


しまった、お母さんが家出をっ!
しかも私を残してっΣΣ(゜д゜lll)ズガーン!!



なにが恐ろしいかって、母がいなくなったあとのこの家で
あの恐怖のクソ親父らとともに生きていくなんて
絶対にできないと思っていたのだ、私は。
私にとって母の存在が唯一この家で暮らすということの理由のようなものだった。


私は、泣きながらそのとき一番仲のよかった友達に電話をした。

「お母さんが出て行っちゃったの…どうしよう…」

泣きながら訴える小学生の女の子を気の毒に思ったのだろう
その子の親御さんは、慌てて親切に私の家まで来てくれた。

父と母を捜してくると言って、すぐに出て行かれたのだが、
今思い出すと、いい人だったなぁと思う。
わざわざ家まで来てくれたのだ。なんと親切な。


しかし、こんなことになっているとはなにも知らない私の両親は
なんと少し時間が経ったあと、
なにもなかったような顔をして家に戻って来た。

Σ(゜Д゜;エーッ! 

なんだったの? さっきの夢?



以下はふたりが出て行ったあと私が行った行為について話したときの
うちの両親の言い草です。

「他の家に電話なんてしないだろう、フツー」
「恥ずかしいことしやがって」


探してくれた友達の親御さんに対しては

「ただの夫婦喧嘩なのに大袈裟にしちゃって
子供って参りますよ、もう(;´∀`)」


と、私を勘違い娘だと馬鹿にしまくったあと
「子供が勝手にしたことですので」という態度で
無理やり笑顔を作って笑いかけていた。



・・・・・・・・・・・・。



眼前で両親がぶったたき合ったあと
母親が半泣きで出て行ったのを見ても
子供は平常心でいろと?


私は捨てられた気分だったのだが…。
この世の終わりかと思えたのだが…。




うーん…しかし、今思い出してみても
「別に友人に電話するほどのことではなかったのか?」
「友達の親にまで迷惑をかけて、やはり余計なことをしたのだろうか?」

と、少し思う。

あの状況で私は、一体どうしたらよかったのだろうか?

謎だ。



というわけで、
そのときあまりにも馬鹿にされて恥ずかしい思いをしたので
それ以降はふたりがどんな喧嘩を目の前で繰り広げようと
誰かに助けを求めたりするようなことはなくなった。

一線を超えそうになったら

私が親父を殺してやる

と、いつも思っていた。



誰かになにかを頼むということを、私は本当にしない人間なんだが
これはこのときのことが関係でもしているんだろうか?
誰かに借りを作りたくないという思いもあるがそれ以上に

誰かに頼んでいいだけの正当性のあるものなのかそれは?

と、躊躇する気持ちが非常に障害になっている気がする。
だって恥ずかしいじゃないか、自分で解決できる問題だったら。





雨が降ると思い出す帰り道~高校生編~

2009年07月21日 13時49分20秒 | 過去をさらけ出しても私平気よ



今、私のいる部屋の窓からはしとしとと降る雨が見える。
あの日も今日のような冷たい雨が降っていた。


高校時代、私は半分死んだまま生きていた。

クラスの中では孤立していて、他のクラスに友人はいたけれど
他クラスの雰囲気に馴染むことも難しく
1日中黙って、ひとことも口を開かないまま下校の時間を迎える日もあった。

そんな日には、決まって
「こんな身体、消えてしまえばいいのに」
と思った。

誰の目にも映っていないのと、同じじゃないか、と。
だったら、身体なんて、心なんて、私なんて、いなくなればいいのだ。

「死にたい」ではなく、それはいつも「消えたい」だった。


体調を崩すことが多くなり、欠席や早退、遅刻が増えた。

その日は、早退をして家に帰る途中だった。
アスファルトは、雨で黒く光っていた。

家以外に、行く場所があれば、まだ救われていたかもしれない。
でも、私にはそんな場所などなかった。

自転車で登校していた私は、雨の中を自転車を押しながら歩いた。
傘をさして自転車に乗るのはいけないことだったので
教師に叱られないように学校を出るまでは合羽を着て
学校から少し離れたところで合羽を脱いで
制服が濡れるのも気にせずに、傘をささずに自転車を押して歩いていた。


途中、川に差し掛かり
川の流れを見つめて思った。

その日は、本当に心が沈んでいた。
深い深い水溜りの底に、沈んでいた。


どうして生きていなくちゃいけないんだろう。


毎日こんなことを考えてばかりいた私だったけれど
この日のこの思いは、切実だった。

この先、きっと楽しいことなんてひとつもあるはずはない。
こんなに、こんなに、こんなに
こんなに身を切られるような悲しみの中で
それでもどうして生きていないといけないんだろう。



それしか思い浮かばない私に、世界は悲しみの灰色に染まって見えた。


こんなに寂しくて悲しくて苦しいんだから
心臓が止まってこのまま死んでしまえればいいのに。


頭がおかしくなって、自分をめちゃくちゃにして
なにもわからなくなればいいのに。



そう考えながら、壊れることのない自分の頑丈な脳を恨めしく思った。



人は絶望では死ねないのだなぁと、あとになってから思ったっけ。

そう、あの日の私の気持ちを言い表すなら

絶望

だったと思う。

大袈裟だと笑う人もいるかもしれないけれど
10代の女の子だって、絶望くらいするのだ、ちゃんと。
というよりも、壊れやすい分だけ、絶望しやすいのかもしれない。

なんの希望も、なんの光も見出せない。
ただ世界はつらく、重苦しく、残酷でしかなくて
自分がここにひとつの身体を持って存在していることを
心から悲しいと思った。



高校を卒業したあとにも1度だけこういう経験がある。
あの世界を、誰かに見せることができたら
と、時折ふと思うことがある。

色が見えていないわけじゃないのに、限りなく世界はグレー一色に近い。
蒼にも似ているような気がする。
冷たくて、救いがなくて、果てしない。
他人みたいな顔をしてそこに世界があることが、憎いとすら感じる。


今思い出しても、ぞっとする景色だ。

でも、こんなふうに雨の降る日にあの日を思い出すと

今はあの日よりずっとましだ

と素直に思える。

今も苦しいままだけれど、あの頃よりは水の底から浮上できているのかもしれない。
これからだってもしかしたら、顔を水の上に出すところまでいけるかもしれない。

あの日の私は、ずっとあの日の悲しいままだけれど
今の自分は少しマシだから、きっとあの頃の私も救われるよな

なんてことをふと考える、そんな雨の日。





キミに送るエール

2009年07月21日 11時28分25秒 | 名も知らぬ誰かへ



ちょっと長文。
途中で疲れたら休んでね。
(って、誰に向かって書いとんねーん)


いろいろと愚痴を書き連ねている私だが
実の親を悪く言うのにはやはり抵抗を少なからず感じている。

匿名性が高いとは言え、結構突っ込んだことまで書いているので
いつ何時誰がこのブログを読み私のことだと勘付かないとも限らない。

こんなことを私が書き綴っていることがわかれば
祖母は正気を失いかねないし
親父は激怒するだろう。
もし面倒が起こったら、兄弟にも申し訳ない。
(母親に限っては、私のことを少しは理解できたと思うかもしれないが)


私にとってここに書き綴る過去は
破棄してしまいたいゴミのような記憶
でしかないが、正直「若干私だけの思い込み」というものが
紛れていないとも言えない。
人間の記憶はとても曖昧なものだということも、理解している。


私は家族を恨んでいるし、心からあの家が嫌いだったと言える。

しかし私はそこに行くまでに何度も引き返そうとしたし
自分の育った家について何度も考察を重ねた。
誤解してほしくないのは
自省などをまったくせずに
最初からすべてを家のせいにしたわけではない

ということ。

もちろん、
今だってすべてがすべて育った家庭のせいと言いたいわけでもないのだが
見る人が見たら、全部家庭のせいにして
自分が被らねばならない責任を回避している
ように見えるのだろうなと思うと
それは違います、とひとこと言っときたいのだ。


そもそも私が負うべき責任は
というか、こういう問題で子供が負うべき責任があるとすれば
子供が自分自身の人生を「自分」として生きること
(それも、自分が自分であることに疑問や苦痛を感じずに、のびのびと)
以外になにもないであろう。


悲しかったり苦しかったりする過去や
昔ぶつけることの許されなかった怒りを吐き出すことは
自分の人生を台無しにするためではなく
自分が自分として生きていいと思えるようになるため
にすることであって、決して責任転嫁が目的ではないのだ。


だからもし、私のブログを読んで気分を害する方がいらしたら
たぶんそれは見る角度の違いから来るものです
ということを、この辺で一度断っておこうと思った。

なにも考えずにただ愚痴を並べ立てるだけのために
私だってこんなにパワーを使ってブログを更新しまくったりしない。
いくら暇だと言っても、だ。


もう三十路間近のドン詰まり女になりかけていて
結婚やら出産やらの希望もなく
虚弱体質で働きゃすぐに身体と心がぶっ壊れるし
人生をかけてもいいと思えるような仕事もない

現実に失望していて厭世的
生きる気力もないくせに人生に対する希望も捨てきれず
隙を見ては一人前の社会人を目指すけれど
いつも恐怖におののき途中で挫折

「もっと自分はやれるはずなのに…」
「でもきっと最初からこの程度だったんだ…」
の狭間でもがき苦しむ

社会のゴミだと自分を卑下してみたり
社会のほうがゴミだと強気になってみたり

そんな矛盾した自分に嫌気がさすけど
自分は自分でいるしかないってわかってる
わかってるから余計にイラつく


理解してもらえるとは到底思っていないが
私は自分を変えたい、人生を変えたいのだ。

カウンセリングに通ったのも、精神科の薬を飲んだのも
自己啓発の本を読むのも、AC関連書を読むのも全部
自分の人生を生き方を、もう少しだけでも明るくしたい
という切実な思いから来るものだ。

決していたづらに親を悪者にしたいだとか
親に思い知らせてやりたいとか、そういう気持ちではない。

情けないけれど、吐き出すと楽になるのだ。
驚くほど、楽になれるのだ。
視力がよくなくて目が疲れやすい私は、
パソコンに長時間向かっていると肩こりも眼精疲労も増してだるくなるが
心は少し、解放されたような気分になる。
それは、なににも増して今一番、私に必要な感覚なのだ。



人は無責任な生き物だから

人の話はどうでもいいけど、自分の話は聞いて欲しい
自分の考えは間違っているはずがない

そんなふうに、他者を受け入れられない人がたくさんいる。
私自身もそうだ。


まだ「子供」である子が読んでいたら聞いて欲しいんだが
大人になればなるほど、人間は他者と苦痛を分かち合うのが難しくなる。
そして、話すことのできる場所も相手も、少なくなる。
傷を見せることのできる空間が、狭くなる。


いい大人になってまで過去を引き摺っているなんて

というのが、社会の常識だからだ。


「大人になるまでひとりで我慢してきました。
でももうそろそろいいと思うんです、私楽になってもいいですか?」
と思ったときにはすでに大人になっていて、気づくと

大人になる過程で、いかに孤独な時間を過ごし
痛みを分かち合える相手に運悪くひとりも出会えなかったとしても
大人になったらみんな
自分の気持ちの面倒は自分でみなければならない

という暗黙のルールの中に放り込まれているのだ。


そしてこれは、心が人一倍強く、辛抱強い子ほど感じる現実

「私こんなに不幸な思いをしてきてるの、だから優しくされて当然なの」

と、公然と言って回れる図太さを持たない子は
ほとんどひとりで悩み苦しみ、死を選ぶしかなくなることもある。
本当に苦しいのは、声を上げられない子のほうなのに、だ。

でも、「我慢の人」が突然「私不幸なの人間」になったところで
頭がどうかしたか、突然不幸になりたがり始めたようにしか思われず
周囲に理解されることはまずない。
「あなた、そういう人じゃないじゃない」ってね。
(私、経験者なんで)


社会のルールにあわせて普通に振舞おうと思えば思うほど
その鎖は自分の身体に食い込み、痛みが増すだろう。

けれど、そこでなにも言わないまますべてをひとりで背負って
みんなにちやほやされる「私こんなに不幸なの人間」を羨望の目で見つめ
そうなることすらできない自分を責め哀れみ
ひとり朽ちていくなんて
そんなに悲しいことはないだろうっ!?

と、ある日私は思った。


誰彼構わずに自分の不幸な身の上を話し
わかってくれる誰かに出会うのを期待する


という発想は、私の選択肢の中にはもうすでにない。
(というか、あまりに主観的個人的過ぎる話でもあるので
「そんなのどこにだって転がってるよ」
と一笑に付される危険のほうが高いと踏んだ)

そういうのが受け入れてもらえる年齢も、
もたもたしてるうちにとうの昔に去ってしまったような気もするしな。

だから私は、ブログで吐き出すという方法を思いついた。
これならば、(間違って来てしまった人も中にはいるだろうが)
人が強制的に直接、私の中の「いろいろ」で苦しめられることではない
と判断したからだ。

私は、私が抱えている闇の部分で
人を傷つけたいとか、迷惑をかけたいとか、または救って欲しいなどとは
これっぽっちも思わないので
直接愚痴を聞いてもらうだとか話を聞いてもらう
という方法を取る必要はないと気づいたのだ。


でも、もし今これを読んでいるあなたがとても若くて、そして苦しみを抱えていて
でも「周囲にわかってくれる人はいない」という状況だったとしたら
人生の節目というものがあって
わかりやすいものが卒業だの入学だのというものなんだが
その変わり目のときに少しでも
新しい場所で自分の理解者を探してほしいと思う。

私はなんでもないという振りをしまくって
突っ張って、悲しみを隠して生きてきてしまったので
(だいぶ早い段階で諦めてしまったので)
気づくと本音を言える友達という人がいなくなっていた。
(今はひとりだけそういう友がいるが、それはラッキーだったとしか言いようがない)

まだどこかに望みはあると少しでも思えているならば
チャレンジしてみる価値はあると思う。
(とても弱っているときにはしないでね、危ないから)

心無い言葉で傷つけられることも数限りなくあると思うし
結局はうまくいかなかったと肩を落とす結果になるだけかもしれない。

でもあなたを受け止め、理解してくれる人はきっとどこかにいるはず。
相手も、あなたと出会うことを望んでいてくれるかもしれない。

それなら、試す価値はあると思う。
私がこうしてブログを書いて自分を試しているように。