明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

そんなの関係ねぇ! 入院だって関係ねぇ!~父編<パート4>~

2009年07月25日 15時44分23秒 | 私の家族を紹介します<父編>



父親に関することを書いていると、正直ありえないくらいにヘコむ。

だが、こういう過去には安全にあらわすことのできなかった感情と
ちゃんと向き合い表現し直すことというのは結構大切なことだと
子どもを生きればおとなになれる』
という、私の心のバイブルの一冊である本にも書かれているので
(・ε・)キニシナイ!!

今日は私が高校時代、ひどい風邪を引き40度近い熱を出したときの話である。


ある日、弟がひどい風邪を引いた。
もうだいぶ暑い初夏の頃だったと思うのだが、夏風邪なのかなんなのか
それともなにか食べ物にあたったのか
とにかく弟は衰弱し、脱水症状になり入院を余儀なくされた。

そんなある朝、私が熱をはかると40度近くまで上がっていた。
『あれまぁ、どーりでダルいはずだよ…』
と思い、母に許可を取り学校を休むことにした。

母親はしかしそのとき、弟の入院のことでてんてこ舞い
というか、
弟が心配でしょうがなく、時間があれば弟の様子を見に
病院に駆けつけておったので、入院の必要のなさそうな私の熱なんぞは
眼中になかった。

(一番下の子というのは結構甘やかされ、可愛がられる傾向にあるが
うちの弟も私から見たらそういうふうに扱われているように思えた。
母は弟を一番可愛がっていて、その次が兄、最後が私、というふうにずっと思っていた。
ま、子供っぽい誤解かもしれんけどね)


私は部屋でベッドに横たわり、熱の苦しさで動けずにいた。
そこに、突然響く怒号。


「テメェ、学校行かずになに寝てんだっ!!」



レベルを上げるため雑魚キャラばかりのエリアを歩き回り
たまたまHPがちょっと少なくなってきたなと回復魔法をかけようかかけまいか
『でもこの辺弱いキャラばっかだからな、まだいけるかな』
なんて決めかねていたその瞬間、なぜか強敵参上ッ!!
『ヤベーって、ヤベーって、今こいつと闘ったら確実に死ぬだろッ!!』
がごとくのクソ親父の襲来!
私は心臓Σ(゜д゜lll)ドッキドキ!!!



「サボってんじゃねーぞっ!!
《゜Д゜》ゴラァァァァァァァァァァァァア!!」



父、たたみかける攻撃!!

「学校行ってる時間だろコノヤロー!!!」


ヤバい、このままでは誤解されたままHPゼロになる…と感じた私

『私風邪で熱が相当ありまして、学校は今日は無理なので休みました。
母に許可を取っておりますが…なにも聞いていませんか?』

 (((( ;゜Д゜)))アワワ・・・

ということを、ぼんやりする頭で必死に伝えたところ

( `д´) ケッ!
この軟弱者めっ!


という姿勢はそのままだったが
さすがに理由があって休んだことをどうこうするつもりもなかったらしい

「だらしねーことやってんじゃねーからなっ!!」

と、意味不明な捨て台詞を吐き、そのままその場を去ってくれた。


ホッと一息。

ああ、よかった…。無事に乗り切れた…。

が、恐怖心とは厄介なもので、恐怖の元凶が去ったあともまだ残っている。
またいつ何時奴が襲ってくるかもしれない。
そう思うと、ゆっくり寝ていることなどできなかった。

私は服を着替え、母がいるであろう弟の入院している病院に向かった。

弟は、徐々に元気を取り戻しつつあるようだった。
顔色もさほど悪くはない。

(この頃実は、兄が高校を卒業し家を出ているはずだったのだが
いろいろゴタゴタがあってうまくいかず、そうなっていなかった。
家の中は一層殺伐とし、とにかく息の詰まるような空間と化していた。
たぶんまだこの頃は兄が家にいたのではなかったかと記憶している。
この弟の病室に、兄もいたかもしれない。
そのことに業を煮やしていた父親は、とにかく毎日不機嫌だったのだ。
もちろんご機嫌ナナメなお父様は
弟の見舞いにも一度も来てませんでした。
てゆーか、
入院してるのわかってたのかどうかも疑問)


私は弟たちに今さっきあった父親の襲撃の話をした。

「ああ、あの人ずっと機嫌悪いもんね…。
しかたないよね…」



そういう結論にしか至らないとわかってはいたが、
実際にそんなことを言う母たちを見て
私は正直自分の無力さと現実のどうしようもなさに、結構ヘコんでいた…。

病院に来たので、ついでに風邪の診察を受け薬をもらって帰った私。
他に行く場所なんてないしね…。


どんなに理不尽だと思ってそれを訴えても
「しかたない」
のひとことで片づけられてしまうことの切なさに打ちひしがれる帰り道。

ああ、弟みたいに母に心配されたいなぁ…私も。
なんてことを考えながら、ひとり泣いた。

思えば小さな頃から手のかからない子供だった私。
でもそれは、
いつ怒りが噴出すかわからない大人たちの中で生きていくため
私が身につけた処世術で、自分を守るための唯一の方法だっただけで
なにも好き好んでそうなったわけではなかった。


(中3のときの担任に
いや…、それちょっと違うと思うんですけど~受験編~に出てきた先生)

「お前は人を心配させるのがうまい」

という、
なんともショッキングではあるが事実に基づいた鋭い指摘を受けたことがあった。
担任もそれとなくサラっと発しただけだったし
私も笑顔でかわし、意味のわからない振りをしていたけれど

だって私、なにもしないでいたら誰にも心配されないんだもの
私、誰にも気づいてもらえないなんて寂しくて嫌なんだもの
だって私、全然大丈夫なんかじゃないんだもの


と心の中では思っていた。
こういうのは本来、相手に気づかれないようにやることが重要なんだろうが
私はちとやり過ぎだったか、子供過ぎて下手だったのか
あるいは担任が鋭すぎたのか、ボロが出てしまっていたようだ。
お恥ずかしい)


その日はとても晴れていたが、私の心の中にはいつものように厚い雲が広がっていた。
薬の入った白いビニール袋をぶら下げて歩きながら

どっか行っちゃいたいなぁ…

と、フラフラする頭で、何度も思った。

何度も何度も何度も、思った。




さて、だいぶあとになってからの話だが
あるとき兄から、兄の彼女だった女性がこんなこと言っていた、という話を聞いた。

「○○くん(兄)のお父さんって、弟くんが入院したとき
顔見に行くこともなかったんでしょ。

そういうところ、ちょっと信じられない」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


確かに…(゜д゜)
と、私は初めて思った。

「あいつだったらおかしくないし、それが当然だ」くらいに思っていた私は、

父親がちゃんと父親をしている家では
子供が入院しようものなら見舞いに行くのが普通なのか!

と、ようやく気がついたのだ。

そう言った彼女は本当に穏やかで物腰の柔らかい人で、私は大好きだった。
正常とか、普通とか、いい意味で素直に育つ
っていうのはこういうことなのかなと、その人を見ていてよく思ったものだ。



この数年後、父親が入院することになったのだが
残念ながらっていうか、当然のことながら
子供たちは誰ひとり見舞いにも行きませんでしたとさ。
(兄は行ったのかな? 覚えてねーな)

ま、自業自得だけど。


しかし私が「なにしてやがるっ!?」と言われたあの日
そういえば祖母はどうしていたんだろか? 同じ屋根の下におったはずだが…。
やっぱ、結構忘れてること多いなー。
(ここに書いてあることは事実だと思うが。そうじゃなかったらヤバいべ、さすがに)