ああ、キーボードで文章打ってると落ち着く。
今回は、今まであまり登場してこなかった弟についての記事。
弟は、兄や私よりはプレッシャー少なく、のびのびとは決して言えないが
それでも重く圧しかかるものは少なく育ったかもしれない。
私は、兄弟の中で一番まともに育ったのが弟だという認識でいる。
しかし弟は私と同じ、あるいは私以上に父親を嫌っている。
その理由はいろいろとあるんだと思うんだが
弟本人に聞いたことはないので、詳しくはわからない。
私は何度か弟がクソ親父に叱られているのを目にしたことがある。
(叱るってゆーよりうちの父親の場合、八つ当たりとかストレス発散だな)
その中で、たぶん一番最後に見たものだと思うのだが
強烈に記憶に焼きついているものがある。
これはそのお話。
あるとき、弟が学校でなにか問題を起こした。
(のだと思う、たぶん)
クソ親父はいつものごとく怒り狂った。
たぶん、覚えていないということは、それほどたいしたことでもなかったのだと思う。
そもそも私たち兄弟は、クソ親父の恐怖教育の影響のせいか
悪いことというのがあまりできない子供だったと思う。
ただ弟だけは少し例外で、大人たちをちょっとびっくりさせるようなことを
1、2回だけ、したことがあるように記憶している。
(詳しくは言えないんだけど)
でも、それも子供の遊びというか
(それで済ませてはいけないものもあったような気もするが)
よくわからずにやってしまったあと、「大事だ」と気づいてしまったというか
そういう、過ちに近いものだった。
それを教えられていなかった大人たちにも、私は責任はあると思っている。
とまぁ、そんな弟ではあったが、でもそのときのそれは、
そんなに大袈裟なレベルではなかったと思う。
だがしかし、
父親の怒りはピークに達していた。
ものすごい剣幕で階段を上ってきて、弟の部屋に入った。
その頃になると、私はもう「父親に反抗ができる娘」ではなくなっていた。
父親に対してはただもう恐怖しかなく、口ごたえなどできない気の弱い人間になっていた。
家にいてもできるだけ父親と顔を合わせないようにしていたし
家の中で誰かがそんなふうに父親のターゲットになったとしても
ただ黙っておとなしく、見ていることしかできなかった。
だからそのときも私はただ
開いたドアの隙間から、
気づかれないよう中をじっと覗くだけだった。
なにもできないのなら、見るのもやめればよかったのにと思う。
けれど、それだけはどうしてもやめられなかった。
誰が父親にどういうふうに傷つけられるかを
この目に焼きつけておきたい衝動にいつも駆られた。
父親は弟の髪を掴んで引っ張り、説教を始めた。
頭を何度か殴ったかもしれない。
説教の内容は、よく覚えていない。
そのシーンがあまりに痛かったので、それしか覚えていない。
部屋に木の柱があったのだが、父親はその前に弟を立たせ
頭を持って何度か叩きつけた。
昔、父親は祖父からそのようにして仕置きをされていたのだそうだ。
それには「柱の刑」なる名前があった。
そんな名前、馬鹿みたいだ、と今は思うけれど。
そのあともまた父親は何度か弟の頭を拳で思い切り殴ったと思う。
ゴツッという、あの嫌な音だ。
そして、弟の髪をまた引っ張り
「お前、坊主な。わかったな?」
と言った。
お洒落に気をつかい始める思春期だ。
弟の入っていた部活は坊主でなくてもよかったし
その髪型は弟にも似合っていた。
それについ最近、切ってきたばかりだったと思う。
それまでに弟は、
父親の知り合いがやっている店
というだけの理由で、行きたくもない散髪屋に行かされていたのだが
何度行ってもどうしてもそこが好きになれなかったらしい。
父親に内緒で、母からお金をもらい他の場所で切っていた。
(もしかしたら、このとき問題になったのはそのことだったのだろうか…)
父親は言った。
「××の店に行って坊主にしてもらってこいよ」
(××とは、弟が無理やり行かされていたその店の名前)
今考えると、
髪を切る店すらも自由に決めることのできない家だったのかとあらためて思う。
というよりも
「その店には行きたくない」
ということを言う自由すらなかったのか
と、驚く。
私の家で、父親は絶対の存在だったのだ。
あんなにくだらない人間なのに、
父親というだけで、だ。
まったく、世の中というのは不条理この上ない。
弟もその髪型を気に入っているようだった。
それまでただ黙って無表情で父親に好きなようにされていた弟だったが
「××で坊主にしてこい」と言われた瞬間に、泣いた。
声を出さず、目から落ちてくる涙をどうにも止められないという様子で
心から、悔しそうに。
おわかりいただけるだろうか?
単に坊主が嫌だったというわけではない。
髪型さえも自分の思うようにできる自由がないという状態が
心底悔しかったのだと思う。
だから、殴られてどんなに痛くても決して泣かなかった弟が
その瞬間に泣いたのだ。
それは、
“親というものに負けた”瞬間だったのだと思う。
どんなに理不尽だと思っても、親の言うことに逆らうことのできない
その不自由さに、弟は泣いたのだろう。
あの涙を、私は忘れることができない。
下を向き悔しそうに唇を噛む顔を、忘れられない。
私の家では、子供はあまり声を出して泣くということがなかったと思う。
泣いていても慰めてくれるような家ではなかったし
泣くことで余計に大人のストレスの的になることばかりだったからだろう。
声を殺して泣くということがどのくらい苦しいか
大人ならもうほとんどの人が知っていることだろう。
でも、子供のうちからそれを強いられるというのは、結構つらい。
布団を噛んで、泣き声を必死に隠すあのつらさは、筆舌に尽くしがたい。
弟はあの日以外にも
私の知らないところで父親から理不尽な要求をされたり
同級生やその保護者らの見ている目の前で罵声を浴びせられたりと
いろいろされていたようだ。
弟が問題を起こした裏には、そういうストレスもあったのかもしれない。
それでもあれだけある意味真っ直ぐに育ったのだから
私は、弟は結構本気ですごいと思っている。
頭脳明晰で成績もよく、親の希望どおり
私よりもずっと偏差値の高い国公立大学にストレートで入っていたし
就職もちゃんとした。
私はそれを、親の育て方ではなく
弟自身の力だと思っている。
あいつは、不条理な環境にもヘコたれずに、踏ん張ることのできる男なのだ。
ここぞというときには、力をちゃんと発揮できる強さを持っているのだ。
あんな家に生まれていなければ、もっと能力を発揮できたろうに。
不憫でならない。
そんな弟は今でも、「お父さん」や「オヤジ」という言葉を発することがない。
父親を呼ぶ必要も、話す必要もないからだ。
ただ本人のいないところで
「あの人」
と言うだけだ。
いつから弟がそう言うようになったのかは覚えていないが
もう随分遠い昔に、「お父さん」という言葉を口にすることはなくなっていたように思う。
最後に弟の口からその言葉を聞いたのは、いったいいつだったろう?
記憶の中の弟はいつでも、父親を「あの人」と呼んでいる。
子供から「お父さん」と呼ばれない父親は不幸だ。
なんて哀れなんだろう。
でも全部、本人が招いたことだ。
しかたない。
弟の「あの人」を聞くたび、私はいかに父親が愚かなヤツかということを知る。
昨日の
悪かったを信じられなくなったわけ~父編<パート5>~
と関連のある話。
大学に入って少し経った頃のことだったかと思う。
私は父親にある復讐をした。
・・・復讐って言っても、自分でしようと思ってしたことではなく
なんか結果的にそんな感じになっちゃったかなという感じだったんだけど
長期休暇かなにかの折、私が実家にいたときのことだった。
突然父親から
「話がある」
(ひぃいいいいいいいいいい)
と呼び出され、ふたりきりにさせられた。
なななな、なんだよ(((( ;゜д゜))))アワワワワ…状態の私。
だって、それまでろくに顔付き合わせたこともなければ
もう親子としての会話すらままならない状態だったんだゼ。
「な、なんですか…?」
(父親と話すときはほとんど敬語)
と切り出す私。
よく覚えていないんだけど、説教ではなくなんかわけのわからん話をされ
よくよく聞いてみれば、どうやら父親は私と
「世間一般の仲のよい父娘」
の関係になりたいらしかった。
(・⊿・) ヘ?
アンタ頭ドウカシタノカ?
私の思考は一瞬止まった。
「?」で埋め尽くされた。
目の前にはなにやらニヤけた顔で
「なぁ~、だからふたりで一緒に飲みに行こうぜ~」
と吐くクソ親父。
正直、気持ち悪いです。
てゆーか
「お断りです」
私は即座に断った。
いや、本来ならば大人になって、ここは父親に付き合うべきだったのかもしれない。
しかし、私にはこの事態がいったいなぜ起きているのか
なぜにこの人はこんなことを普通に言えるのか
いったい、今起こっているこの事態はなんなのか
まったくの理解不能でした。
一度断っても
「ナァ~、ナァ~、そう言わずにさぁ~」
と、怒りをぶつけまくったあとに優しくなるいつものあの感じで
甘い声で擦り寄ってくる父親。
((( lll゜Д゜)))ゾゾゾゾーーーーー
今思い出しても鳥肌が立つよ。
私は断固拒否した。
いや、もはや反射だな、てゆーか
生理的に受けつけられなかった。
イヤダ、なにこのオヤジ…なんでこんな甘えてくんの?
てゆーか、なにこのキャラ…なにしてんのこの人…。
私の頭の中はそれで一杯だった。
思うに、クソ親父は
大学に入学して家を離れて成長した娘が帰省をしてきた。
大人になった娘と父親水入らずで酒を酌み交わしたい。
という欲求を持ったのだろう。
(前にも少し書いたのだが、
一番上の兄がこのような巣立ちというか自立にちょっと失敗していて、
必然的に私が世間様に顔向けできる自立に成功した私の家での最初の子供
ということで、父親はそれが嬉しかったのだろう)
だがしかしお父さんよ、
あんた、子供と
そういう関係築いてきてねーだろ
と、心から言いたい。
そういうのは、私の友達の子たちのように
もうずっと小さな頃からの関係の積み重ねによって初めて成立するものだ。
子供が家出て成人したからって
急に仲良し親子になろう
なんて、虫が良すぎるだろう。
てゆーか、無理ありすぎ。
それが、彼にはまったく理解できなかったらしい。
とにかく気持ちが悪いという感覚しかなかった私はその場から離れた。
このことが災いしたのかはわからない。
数年後、私が卒業を目前にしながら就職できずにいたとき
それは起こった。
そもそも、私が卒業する頃はまだ氷河期真っ只中で
しかも私の通っていた大学の就職率は本当に悪かった。
その上私は3年の半ばくらいから精神科やカウンセリングに通い始めていて
(このきっかけになった出来事があるのだが、それはまた今度)
メンタル面で相当ヤバい状態に陥っており
(まぁ、それがなくてもダメだったと思うんだが)
とにかく就職活動というものが恐くて恐くてしかたなく、
誰かと張り合うなんて、誰かと競争するなんて絶対無理
という心理状態で、実際には“就職が決まらない”ではなく
“就職活動ができない”
という感じだった。
もともと、受験のときでさえ面接などがある“推薦”と呼ばれるものは
大嫌いで、苦手で、ずっと避けて生きてきていた。
ついでにアルバイトの面接だけはそれでもなんとか受け続けてはいたのだが
面接になるとどうしても
「私なんかより、もっと優秀な人他にたくさんいますから…」
的な卑屈な面が出てしまい
自己アピールがアピール事故のようになってしまう私であったので
あまり色よい返事はもらうことができないでいた。
(志望者が多い人気の職種で倍率が高かったとは言え、お粗末…)
さて、そんな就職先も定まらぬ中、ある日父親から携帯に電話があった。
「オメェ、就職どーなってんだよっ!?」
いつものごとく、ヤクザ調のあのガラの悪い怒鳴り声。
「もう○月だってーのになにしてやがんだ!
まだ決まんねーのか!?
ああっ!?
おめぇ、本当にちゃんとやってんのか!?
卒業してからの生活はどーすんだよっ!?
卒業したらオレは一銭もやらねーからなっ!
オメェを援助する金なんてねーんだからな!!」
と、一方的にまくし立てる父親。
ただでさえメンタル面で参っている私には大ダメージ。
卒業後の生活が一番不安なのは私である。
ついでにおっかねぇ。
マジこえぇ。
氷河期だとか、精神的に不安定とか
そういう言い訳は一切通用のしない世界でございます。
娘の情緒不安など、そんなものは存在しないと思い込んでおられるのですから
そりゃあもう、
弱い者には死あるのみ。
彼にはそれだけでございます。
私はその日以降、
あまりに恐ろしくて実家からの電話を取ることができなくなった…。
_| ̄|○ il||li
しかし、留守電には相変わらずの父親からの口撃が残されていた。
電話を取らない私に腹を立てた父親の発言はエスカレート。
「てめぇ、電話に出ろよっ!
てめぇひとりでデカくなったと思ってんじぇねーぞ!
誰の世話になったと思ってんだ!?
ええ? ああ?」
このような発言がいくつも残されている状態。
あら? 間違い電話?
ヤクザの抗争かなにかですか?
と思わずにいられない…。
(てゆーか、娘に“てめぇ”って…)
私は恐怖に我を忘れ、親に殺されるのではないかと真剣に悩んだ。
身体が震え出し、家から出ることもできなくなった。
カウンセラーや友人に相談もしたけれど
みんな一様に
「父親がそんなに恐ろしいはずはない」
という態度を示すだけだった。
どんなに訴えても、私の恐怖は伝わらなかった…。
そりゃそーだ、みんなはそんなことを言われたことがない。
録音した父親の声すら聴いてくれなかった…。
げに恐ろしきは幸運と無知よ…。
そのような親など世にいるわけはないというその幸せな思い込み。
あな恐ろしや。
結局、なんとか希望の職種とはまったく違った場所であったが、
アルバイトとしての働き口を得た私。
(てゆーかー、単なるフリーター?)
とりあえず親の援助から脱せたという喜びと安心を手にした。
(ま、このあとひどいどん底に落ちるんだけど)
しかし、実家から電話があるたび、父親の声を留守電で聞くたび
私はものすごい恐怖に今でも襲われる。
いまだに実家からの電話には恐くて出られない状態である。
・・・・・・たぶんきっと、数年前の「飲みに行こうよ事件」のときに
私が「喜んで」と一緒に行っていたとしても
ヤツの本質は変わらなかったろう。
同じようにされていたと思う。
なぜなら、変わる気があったのなら
娘との関係を修復したいと本気で願った父親であったのなら
もしその時に自分の願いが叶わなかったとしても
その後も娘をそれまでとは違った方法であたたかく見守り続け、
心の氷が溶けるのを辛抱強く待ったはずだからだ。
私の父親は、認めるのは涙が出るほど口惜しいが
そういう我慢のできない弱い人間なのだ。
時折、
あのとき私は父親にひどいことをしてしまったのだろう
あのことを根に持っているから、私につらくあたるのだろうか
などということを思ったりもする。
がしかし
彼の言動は、あまりに幼稚で身勝手で
受け入れることはやはりできない。
器のちっさい私のキャパを超えている。
父親って、こんなものなのだろうか。
ため息でちゃうなぁ。