明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

ほしいものなんてない

2009年11月29日 13時53分50秒 | 私の心の中のゴミ箱



ストレス発散のために買い物をしてしまう女性というのは多いだろう。

もちろん統計的数字に弱い私もそういう女のひとりであって
ときどきわけのわからん買い物をしてみたりすることもある。
(なんかまわりくどい言い方・・・)


が、今回に限っては
本当にほしいものがない。

というか
何を買っても結局物が増えるだけ
それが自分の人生にどれだけプラスの影響を与えるのか?
と考え始めてしまい
冷静になると買い物熱が冷めてしまうわけで
その繰り返しをしている感じだ。


しかし本当のところは
“ほしいものがない”
って状況じゃなくて
“金で買えるものじゃないものをほしがっている”
状態だってことを、知っている。

今私の一番ほしいものは
できれば朝の通勤ラッシュが避けられて環境のよい職場

やりがいのある仕事

生きがいにできる何か

一緒に暮らしてくれるくだけた友人
であったり
月に一度必ず会ってお酒を酌み交わせる相手
であったり

なにより
そういうことがちゃんとできる自分
でいられるための強さや柔軟さや心持ちの健全さ
であって
そういうもんは言うまでもないが
お金があれば手に入るってもんでもない
わけで。

金で解決できることってすごくたくさん世の中にはあるけど
金で解決できないことに心を奪われてしまうことも
生きていれば当然ある
わけで、私は今そういう状況に突入しているらしい。


人ひとりの努力だのパワーだので解決できたり
変化させることが可能なことは現実にはそんなにない

っていう持論を持っちゃってる昨今の私の状態で
それでもきっと
自分で自分の人生くらいなんとかできる!
という固い信念と意気込みを維持しつつ
理想の人生や生き方を模索するという作業は
うまくいくことのほうが少ないと思うし
きっと何度もつまづいてくじけそうになることだろう
と容易に想像はつく。

でも、やっぱりここで諦めちゃったり引いてしまうのは
きっと10年後5年後の私自身
(まだ生きていたらの話だけど)
が、むちゃくちゃ後悔していそうな選択肢なので
たぶんやんなくちゃいけないことなんだろうなぁ・・・
とか考えると
ほしいものがたくさんあってしょうがないって状況のほうがずっと楽
なような気すらしてくる。


物欲に隠された自分の本当の欲望や欲求なんて
目逸らして生きてたほうが利口なのかも。
またしても無粋な真似をしているのかも。

でも
やっとこさ現実を生きるのに適したものに修正され始めた
この前向き人間っぽい思考
を持つことができるようになってきたのだから
今こそ自分の本当にほしいものを見極めるときかもしれない。
そして私にとってそれを掴む努力ができるチャンスのときなのかもしれない。

と思って
しばらく物欲のヘコんだ現状況を楽しむ方向で行こうかな・・・
なんてことを考えているところである。

物欲じゃなくて人生欲
物より人生
そう
このあいだレンタルで借りて観た
『サガン-悲しみよ こんにちは-』の中でサガンも言っていた。

家計より人生が大事よ

と。


(いやちょっと意味違っちゃってるけど。
いやサガン自体を見習っちゃダメなのかもしれないけれども。
ちなみにこの作品、私はすごく好きだった。
どっかのレビューで
「眠気との闘いでサガンに興味のない人はおもしろくない」
って言ってる人もいたけど、私には
「サガンに興味のない人が観てもおもしろいんじゃないか?」
と思えるほどの出来であったというのが感想。
基本、作家の人生を映画化したものって結構好きなんだろう私は。
だっておもしろくないか?
あんな生き方した人が現実にいたのだぞ。すげえよ、マジで)


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誰かのために何かをするということ

2009年11月28日 22時58分13秒 | 私の心の中のゴミ箱



自己満足というメリット以外自分にもたらすことがないであろう
“誰かのための作業”
というものを
「馬鹿みたいだ」
とか
「意味ないことをするなよ」
と私の彼氏は簡単に言うが
誰かの役に立つかもしれないと思ってやることには
それなりの意義があると、私は思っている。

そもそもどんな苦労をしても、どんなに損をしても
自己満足に勝るやりがいやメリットというものはそうそうない。

たとえそれが
誰かのためにしたことなのに結局誰のためにもならず
意味がなくなってしまったとしても

だ。

馬鹿みたいだと言われても
私はそういうことをしたいのだ。

そして、それをする自分に満足感を覚えるのだ。

結局自分のためにしてることなんだからいいじゃないか。
というよりも
人間は本来利己的なもので、自分のためにならないことは
そうそうできる生き物ではないんではなかろうか。


どういうことから充足感を得るか
ということの個人的違いでしかないように思う。

勝手な価値観で
馬鹿みたい
だの
意味がない
だのと
あんまり言って欲しくないもんである。

まぁ、人の振り見てなんとかってやつだけど、所詮は・・・。


仕事も、自己満足が得られるようになればシメたもんなんだけどなぁ。



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ブラック会社ではないけど・・・

2009年11月27日 20時36分31秒 | 私の心の中のゴミ箱



今の職場、ブラック会社では決してないけども
以前働いたセクハラ上司の職場以上
“精神的に追い詰められる職場”
である。

短期の仕事って、結構過酷なのかもしれない・・・。


どの辺が精神的に参るかというと
まず
ろくに仕事を教えてもらえない
(OJTもクソもあったもんではない。余裕のあるときにだけ気まぐれに教えてくれる)
そして
1度やったらもうできるよね?
という
職場にいる恐ろしいババアからのプレッシャー
ついでにこのババアからの
“専門用語”での仕事の指示
(わかんねーっつーの、なんのこと言ってんだかわかんねーっつーの)
それから
備品がことごとく壊れているか、または“ない”
(自腹切って買ったものを持っていくか
自分の物を持ってきている人に借りるしかない)
それから
自分の仕事でいっぱいいっぱいの職員が多く
切羽詰まってくると彼女らがキレ気味になる
(いやこっち、何も悪いことしてねーし。勝手にイラつかれても困るし)
そんでもって
短期の派遣なのに、
短期の派遣として扱ってもらえない
(さもベテランのごとくに扱われ、できないことなんてないでしょ的に見られる)
あげく
短期の派遣が短期の派遣に仕事を教えるという
完全無法地帯
になっている。


短期の派遣は私を含め数名いるんだが
まだ仕事を開始してひと月も経っていない時期だというのに
ろくに指導もされていない仕事を完全に任されてしまい
「何をどうしたらこの状況を切り抜けられるかさっぱり」
という
究極のパニック状態に陥っていても

何十名もいる職員の中の
誰ひとりとして手を差し伸べようとしてくれない
という状況に直面したときは

この職場・・・何?

と、本気で思った。


毎日、生きた心地がしない。
精神的によくない・・・。
ストレスで食欲もなくなる・・・。

私は今後、たぶん絶対にあの会社の顧客になることだけはしないと思う。

最低最悪だ。



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働くことに楽しさを求めてはならない理由

2009年11月26日 19時28分38秒 | 職探しまでのディスタンス



思うんだが

働くことに楽しさを求めてはいけない理由
とは
いったいなんなんであろうか?

人間、我慢をしないで生きていくことは不可能らしい。
しかし、どこまで何をどう我慢すべきなのかが、いまいちわからんのだ。


なんでも我慢してりゃなんかにはなるんだろうか。
意味は見出せるんだろうか。
我慢してよかったと、思える日が来るのだろうか。

我慢したことで失ったものと
我慢しなかったことで失ったもの
どっちがどうとか簡単に言えるわけじゃないけど
でも、人間はどうやって生きるのがいいんだろう。

私は、どうやって生きていたいんだろう。


私はクソ大嫌いな父親と18年間我慢して一緒に暮らしてきたわけだが
彼に対して我慢してきたことによって失ったものの大きさは
本当に計り知れない。

たぶんきっと、それがトラウマになっているんだと思う。

だから私は
ガマンがキライダ。

我慢するために大人になったわけじゃない。
我慢するために生きてきたわけじゃない。
我慢するために、我慢してきたわけじゃない。
我慢をすることが、幸せや実りある未来に繋がるとも思えない。

そう思うと、人生に妥協ができなくなってしまう。
我慢することが、果てしなく無意味に思えてしまう。


仕事には、楽しさを求めるべきだと思う。
求めても、いいんだと思う。

努力をすることや、集中することは大切だけれど
我慢をすることに、努力や集中をするのは
やっぱり少し、違うような気がする。


そんなこと言っても、
我慢なしで生きるなんて到底できない芸当
なんだけどさ。