明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

ほとほと自分に嫌気がさしました

2009年06月30日 10時19分09秒 | 私の心の中のゴミ箱



今日は朝からダークだわ…。
ダークサイドに飲み込まれているわ。


ちょっと前に書いた
「彼女について」
に出てくる子のアドレスと電話番号を削除して
勝手に「もう付き合いません」宣言を心の中だけでしている私。


いや、こういうのってでも自分の中だけでいいと思うんだよね。
相手にどうこう話つける問題でもないと思うし。

てゆーか、これだって別に彼女が悪いわけじゃなくて
もしいい悪いを決めるならば悪いのは私のほうなわけで。
だから別段彼女を責める必要性もないわけだから
何もしないってことが最善の策だと思うわけで。

彼女のほうも友達ほとんどいないから
私がいなくなるとかなりダメージだとは思うんだけど
そんなのは考えてもしかたない。

私と友達やってて受けるダメージのほうが
先のこと考えたら大きいかもしれないし。


しかし、世には
「異性とでも最高の友情を築けてます
って素晴らしい方もおられるというのに
同性の友達とですらこんな事態にばっかり陥ってる私。
どんだけ人付き合い苦手なんだ…


そもそもなぜに私はこんなに嫌になるのか。
(単に余裕がないってだけだと思うんだけど…)
なんでこんな嫌になる相手とばかり長く付き合ってきたのか。

「もっと早く気付いてただろーがよ」
と、心の中の自分が言ってないわけでもない。
「手打つのがおせーんだよ、いつも」
誠にそのとおり。


人に求め過ぎだの、人に期待し過ぎだのって
たぶん他の人には思われるんだろうけど
私、別段特にそんなにだいそれたことは求めていない
つもりなんだけどなぁ…。

てゆーか、求めようがないし。
第一、相手は私が求めたいと思うようなもの、持ってない。

私はただ、これ以上不快になりたくないってだけ。


自分は傷つきやすいくせに
人が傷つくようなことや、不快に思うこと
平気でしたり言ったりするんだよな…。

それを指摘したら素直に「ごめん」と謝るのだけど
また同じことの繰り返し。

きっと、自分の傷つくジャンルと違う部分のことは
何にも気にしていないんだろう。
だから平気で嫌なことを言う。


こうやって、ブログで愚痴るのも全然いいことではないけど
私だって吐き出さないとやってられないこともある。

でも本人に吐き出して治るものでもないなら
無理に傷つける必要もないし
要するに私がストレスを発散したいだけだから。


毎回毎回、怒涛のごとく愚痴を聞かされるのも
本当につらかった。

どうしてそんなに悪いことばっかり起りますかあなた…。

と、事実「愚痴りたくなるだろうな、それは…」
と思うことばっかりではあるんだけど
それだけに重い

非常に重い。

聞いててこっちは地面に埋まるかと思うよ…。

しかも自分でそれを引き寄せてたりするのを
自覚していないようなのがまた痛い。

「自分でそれ、なんとかできるのになんでしなかった?」

と、毎度苦しい問いが浮かんでは消え浮かんでは消え…。
ああああああ……。


ついでに、それにもかかわらず
こっちが気を許してちょっと相談事をしたり愚痴ろうものなら
10倍にも20倍にも膨らまされて
「最悪の事態よそれは!」
と大騒ぎ……。

ただちょっとだけ話聞いてもらえればよかったのに…。
なんでそんな最悪の事態みたいに言うの…(泣)

「私が知恵ふり絞って解決策考えてあげるから!」
という態度も、どのようにして受け止めたらいいのか…。



つらかったよぉおおおおおお。
ウワァァ━━━━━。゜(゜´Д`゜)゜。━━━━━ン!!!!




だけど、不幸自慢になると
「私はあなたなんかには負けないわ」
「あなた、こんなこと経験したことある?」
って、俄然強気になるのよね…。

私わからないわ、あなたって人が…。

こういう人でも、どこか好きな部分があれば
変わらず付き合っていけるんだろうけど
残念なことに、今はもう彼女に対してそう思える部分が
ひとつも見当たらなくなってしまった。



しかし、どーしてこういう人と長年付き合ってきたんだか
自分が自分で一番謎だわよ。

だってこういう人がひとりやふたりじゃないわけよ。
自分の人格疑うわ。
いや、マジで。

私もその人たちと同じレベルの人間でしかなかった
って説もあんだろうけど
自分的には昔からの友達だし大切にしようって
ずっと必死で頑張ってきたわけで
その努力の方向性が間違ってたって言われたら
この先もう友達なんていりません的気分MAXなわけで

ああ、人生ってつらい。


それとも

頑張って続けるようなものは友情ではありえない

ってことなのかしらこれは。

相手との関係において「無理してるな自分…」
って思ったら、一度冷静に見直すべきってことなのかな。


もともと攻撃が自分に行くタイプだから
他人をこんなふうに攻撃するのは得意じゃないんだけど
攻撃したらしたでホント自分に嫌気さすし
どっちにしても救われねぇ思考だなぁ。


でもまぁ、くっだらねぇなぁと思う関係は
とりあえず清算できつつあるし
今はこの流れをなんとか続けるしかないだろう。

いつかどっかには行き着くさ、たぶん。





とにかく愚痴る。~“芸人あがり”って何? 編~

2009年06月29日 12時43分36秒 | 日記



関係ないけど政治関連の話。

東国原宮崎県知事
の話題でテレビは賑わってて、いいだの悪いだのって
いろんな人がコメント述べてるのを見るんだけど
気になるのが、ときーどき出てくる

“芸人あがり”

って言葉。


これ言う人って揃って「芸人上がりが何を言う」ってことを
「失礼かもわかりませんが」とか「こういう言い方はアレですが」
って前置きして言ってるけど

これって単なる差別発言以下でも以上でもないでしょ。
どんな前置きしようが、どんなふうに後を続けようが。


国の総理がここまで軽いものになったのかとか
一期だけでも知事職を努めるべきだろうとか
うまくいかないよ、こんなやりかたって
嘆くのは別にいいと思うんだけど

なんでそこに「芸人上がりが」って言葉が出てくるのか
意味がわからん。

見識を疑うぞ、私は。


元芸人だったことが、どれだけの意味があるっていうの?
そこに何の障害があるわけ?
元弁護士だの、元医者だのだったらいいわけ?
じゃあ「何上がり」だったらいいわけ?

有識者とされてる人が堂々とテレビに出て
普通にこんな発言する世の中ってどうなんだろう。


と、思うのは私だけか?


私は別に、誰がどっから選挙に出馬しようといいんだけど
でも東国原知事はとりあえず
「自分はドンキホーテだ」
って、自分の無謀さ加減をわかってるようだし
そんなに目くじら立てて否定する必要あることかな…。

小泉劇場のマネだとか言ってる人に限って
郵政選挙のときにまんまと小泉をはやしたててたりすんだよな。

どうして今さら自分には見識があって
物がすべてわかってるって顔して
人を簡単に非難できるのか、お聞きしたい。


結局私たちは、差別をなくせない。
こんなちっぽけなことですらも。


だって逆に差別しちゃうもんね、私。
「芸人上がり」って言葉を使う人のこと。


私は差別なんて
良識的社会通念から外れたようなことはいたしません


って顔をして、普通に差別ができる。



全然関係ない話なんだけど

ちょっと前に、なんとか小町とかいうQ&Aサイトで
「嫌いな人が多いんですけど」
っていう質問に結構な数の人が

「嫌いな人が多い人って、その数だけ嫌われてる」
とか
「嫌いと思ってるのは絶対その人に伝わる」
とか
書いてたんだけど
みんな結構幸せに生きてんだな。


「嫌いな人が多い人ってその数だけ嫌われてる」

まず、これが成立するなら逆の言い方をすると
この世の中に片思いは存在しないってことでは…。
恋愛だったら別、
っていう論理はこの場合通用しないと思うけど。
だって人間全般にいえることであれば恋愛でだって同じはず。
基本恋愛だって好き嫌いで成り立ってるわけだし。


「嫌いと思ってるのは絶対その人に伝わる」

これはちょっと意味が違う。
伝わるんじゃなくて、どこかから伝わってしまう可能性が高い
ってだけ。
誰かに話したことが誰かから本人に伝わるだけ。
嫌ってる本人が、あからさまにそう振舞ってるんでなければ。


とにかく
「嫌いな人が多い人って、その分嫌われてる」
これは大嘘だろ、どう考えても。

嫌いな人全員から嫌われるって、なかなか難しいぞ。
これって、嫌ってる相手だけじゃなくて、他の人からも
嫌われるってことなんだろうか。
でもそんなおかしな話あるか? 普通に考えて。

嫌ってる人が多くて、なおかつ嫌われている人っていうのは
場所や相手をわきまえないで
「あの人嫌い、この人嫌い」
って影で言いまわってる人であって
周りの人が嫌いだからって、その分その人は嫌われてる
っていうのはおかしいと思う。


第一、嫌ってることを態度に出さない人もいるわけで
そうすれば相手も自分が嫌われていることに気づかないわけで
それじゃあ嫌いになる理由もないではなかろうか。


自分の今まで見てきた人たちを思い出してみても、
本人はみんなのことを好きなのに
みんなからは慕われていない人だとか
みんなのことを嫌ってるのに
なぜか周りからは好かれてる人とか
そっちのほうがずっと多かった気がするけど…。


嫌った分だけ自分は嫌われるんだ
じゃあ嫌わないようにしよう

っていうのはいい心がけだとは思うけど
「嫌いな人が多いんだよね…」
って悩んでる人に対して

「嫌ってる分あなたも嫌われてるものよ」

って言う人がいたとしたら
そういうこと言う人のほうが嫌いだよ私は…。


好き嫌いなんてしょーがねーだろーよもう。
大人だからもっと広い心持てとかいうけど
大人だからどうこうできるもんじゃねーだろ。


ついでに学生時代は嫌いなら付き合わなければいいだけ
社会に出たらそうはいかない


って、とてつもない大間違いをかましてる人がいるけど


何言ってんのっ!?


学生にとっては学校の中が社会なわけで
そこでは嫌でも嫌いな人と毎日顔合わせるし
協力して勉強しなくちゃいけないことだってある。

いじめられて逃げ場がない子だっている。
信じられないよ。

集団行動にうるさいのは、会社よりむしろ学校のほうなのに。
学校は人と交流することを学ばせる場所であって
だから躍起になって子供を集団で行動させるんじゃん。


嫌いな人と付き合わなくちゃなんないのは
若い子も大人も同じだよ。


逆に、会社を自分の意思でやめられる分だけ
もしかしたら大人のほうが
自由が利くかもしれない場合だってある。

ほんと、腹立たしいわ。


こういうこと言う人って、学生時代に恵まれてたんだろうな。
学生時代は嫌いな人と関わらないで済んだ
なんて、どう考えても思えないもの。

大人になってからのほうがよっぽど
嫌な人間と関わらないで生きてく方法がある気がするけど。


嫌いな人が多い場合はね別にそれでいいよ。
心がけ次第でどうにかなることもあるんだろうけど
人間自体が好きになれないことって
あると思うんだよね。

それで生きていける人もいるし、
残念ながらそれだと生きていけない人っていうのもいて
どっちになれるかっていうのは微妙なとこだけど。

でも、自分が嫌ってる分まわりも嫌ってるなんていうのは
ただの幻想。


嫌な人と付き合わないと生きていけないっていうのも嘘。
まるっきりゼロってわけにはいかないと思うけど
限りなくゼロに近い状態で生きていくことだって
できないわけじゃない。

ようするに、自分がどう生きたいかってだけだと思う。

人が嫌いな自分が嫌なら好きになる努力をすればいいし
嫌いなものは嫌いって割り切って生きてもいいし
どっちつかずで悩んで生きるのもあり。

こうしなきゃいけないなんてことはない。


まったく、本当に腹が立つよ。

どこに「嫌いな人が多い」って人を責める必要があるっていうの。
「嫌いな人が少ない人」や「いない人」がいいなんて
誰が決めたの?


「愛した分だけ愛されること」が難しいってことは常識なのに
どうして「嫌った分だけ嫌われる」なんてことが
常識になりえるの?







たぶん人生を動かすのって外側じゃなくて内側、本当の意味では

2009年06月29日 10時27分27秒 | 過去をさらけ出しても私平気よ



最初に昨日の続きなんだけど
『夏のあらし!』の最終回がたぶん見られるであろうサイト
をリンクしときます。

ここ。

(今はまだ12話までしかアップされてないけど)

ほんと、昨日はヘコんだわぁ。


というわけで(どーゆーわけだ?)今日も懲りずに更新。


『蒼の封印』っていう、ちょっと古いんだけど
かの有名な『海の闇、月の影』の作者
篠原千絵の漫画作品があるんだけど

私はこの漫画の主人公の蒼子みたいな気分に
本気でなったことがある。


蒼子が転校するところから物語は始まってたと思うんだけど
以前いた学校では言われたことのないようなことを
周囲のクラスメイトから言われてちょっと驚く
っていうシーンがあるのね。

事実、蒼子って実は別人になっていたんだけど
なんだったかなぁ、たぶん魂食らう鬼かなんかだったと思うんだけど

主人公は自分が鬼で、本物の蒼子の魂を食べて
自分が変わりに蒼子になってるってことを覚えてないんだな、コレが。

でも以前の蒼子の写真見たら別人なわけで。
それからも知らんうちに同級生の魂食べちゃったりいろいろあんだけど。



まぁ、とにかく

実は別人になってんのに、自分がそれに気づいてないだけ

っていうおかしな状況に実は私なってんじゃなかろうか
って、私が一瞬本気でちらっと思うことがあったのは
転校ではなくて、大学に入学したときだった。

チャットモンチーのときにもちょっと触れたんだけど

私ってほんと、高校卒業するまでずっと
男子なんかとは口も聞かない、根暗で地味な
どっちかっていうとブスの部類に入れられるようなタイプだったのね。

というか、とにかく馴染んでなかったの、学校とかクラスとか。

で、小学生の頃から父親が嫌いだったせいで破格の男嫌いで
でも正義感が強かったから、女の子が泣かされてたら飛んでいくし
結構優等生だったから、クラス委員なんかもやっちゃって
だけどとにかく男子には煙たがられる存在で。

こういうと「地味」ではないような気もするんだけど…。
でも存在薄いとは言われてたんだよなぁ。


思春期迎えて、それなりに私も女の子らしく
男子なんかを意識するようになってくるとでも
なんかますます悪くなっていったんだよねぇ。

男嫌いが抜け切れないくせに、気になる男子がいたりして
なんかもう自己矛盾抱えてどうしたらいいのかわかんない状態。

でも気になる異性からは別段注目もされないし、みたいな。


親が厳しかったから、高校時代なんかはもう
楽しいことのひとつもできずに、家で本読んだり映画観たり
楽しみっていったらそれしかありませんみたいな感じで。

通りすがりの知らない男子校の生徒に
「キミって超ブサイクだよね」
と声をかけられる始末。
(あれ、なんかの罰ゲームだったんだろうか…ほんとヘコんだわ)


それなのにっ!


高校卒業して大学に入学したらなんなのっ!
ものすごくモテるじゃないか、私!
大学でもバイト先でも!

周囲の女子から

「○○ちゃん連れて行くと
男の子みんな○○ちゃんに持ってかれるからヤダ」

と合コンに連れて行ってもらえないくらいに!
(結局大学時代合コンなんて1回しか行かなかったけど)


「私、もしかして本物の自分食べてしまいましたか…」
と、そりゃあもう考えるわ悩むわ。


だって、自分ではそういう自覚がまったくないんだもんね。
そんなこと言われても、私知りません状態だもんね。

結局大学は4年間モテ続けだったわよ。


でもそれでね、結局中身が変わらないとね、
環境がどんなに変わっても、同じ生き方しかできないってこと
よぉくわかったの。

そんな恵まれた状況だったのに
大失敗の繰り返し
だったもの、4年間ずーっと。


誰のことが本当に好きかもわからなかったし
自分が誰にどんな扱いを受けて、自分がどのくらい傷ついたかとか
自分が何をして誰を傷つけているのかとか
わかんないことだらけで、結局全部失って
それで初めて気がついた。

問題は結局、外側じゃなくて内側。


いくら美人だのかわいいだのと言われてもね
心の中が卑屈でブスでしょうがなかったの。
高校までの自分のまま。

いつも自信がなかったし、
でも自分でそれを認められなかったし、周囲にも悟られまいと
必死に格好つけて、疲れきって嫌になって…。

大切だと思えるもの、結構あったと思うんだけど
ほとんど手元に残らなかったな。



私が考える人間に一番必要なものってね

この世界に、ここに、自分はいてもいい

って思える自信と気持ちだと思うのね。

自分は愛されるに値する人間。
自分は人を愛することのできる人間。
ここにいていい存在。
無駄じゃない。


そう思うことってね、命を続けていくために欠かせないもの。
これなしで生きているのは、死んだまま生きているようなもの。


五体満足だから幸せなんじゃない。
自分より不幸な人がいるから
自分を幸せだと思えるわけじゃない。

ただありのままで自分がそこにいていいと、必要とされていると
そう思えることが幸せで、
それ以外のことは後からついてくるものなんだと思う。


って、話がちょっとおかしくなったけど

自分に自信をなくさないでいられるのであれば
きっとそれが一番大切なことで
親や周りの人間からどんなにひどいことをされても
自分を意味のないものだと思ってしまわないで。

どこかで、ほんの少しだけでもいいから
自信や自分がいることを肯定する気持ちを
ずっと持ち続けて欲しい。

それはとても難しいことだけれど
自分がそういうものを失いかけていると意識するだけでも
だいぶ違うと思うんだよね。


私は、意識していなかったから。

逆に私は、自分は自信をなくしたりしていない
存在意義を失ったりしないって心から信じてるところがあって
この環境から抜け出しさえすれば、自分は自分でいられる
って、そんなふうに思ってた。

でも、意識していなかった分
自分がとても大切な、あると思い込んでいたものを
実は失っていたってことに気づくのが随分あとになってからだった。


うーん、すごく話がややこしくなってるよな。
でもそうだったんだよね。

理解したときにはもう遅くて、そういうときって
自分が誰かに利用されてものすごく傷ついたあとだったり
大切な人をものすごく傷つけたあとだったり
大切だと思っていたものが、実はまったく大切じゃないって
そう思ったときには他のものを全部失くしてたり
なんかもう、本当に打ちのめされてる状態なんだよね。

自分は正しい、大丈夫、自信もあるわ。
そう思って突き進んで、行き止まりになるまで
実は自分がどんな状態だったか気がつけない。
そのときにはもう、引き返す道もわからない。


…書けば書くほどドツボにはまる感じだな…。


環境さえ変われば

と思っている部分が、今とても強くある人がいたら
もしかしたら、外側じゃなく内側にも問題が広がっていないか
一度考えてみるのもいいことかもしれない。


私は、問題は外側だけだと思ってた人間で
内側のことになんて見向きもしなかったから
とてもいい機会が巡ってきても
それをちゃんと掴むことも、活かすこともできなくて
それを今、とても後悔しているから。

心の準備はできているつもりだったのに
それをどうやって使えばいいのかがわからなかった。

自分の価値を認めてくれる人が現れたとき
その人とどう向き合えばいいのかわからなかった。

付き合いたくなどない相手や
自分を都合よく利用して傷つける相手と付き合って
同じように自分を傷つけることをやめることもできなかった。

できると思ってたことが、実は全然できなかった。


うう、言いたいことってつまり

自分が心地悪い、何か間違ってる
って思う場合には、きっと何かがあるはずで
それを信じて動ける強さをどうかなくさないで
ってことなんだけど

でも難しいんだよね、こういうのは。

知らないうちに虐げられる役割を演じちゃったり
気がつかないうちにそういうところに飛び込んでたり
わかんないんだよねぇ、自分では。

あるはずの自分の価値が、わかんなくなっちゃうんだよね。


でも自分がそうなってるって意識して生きるだけでも
ちょっと違うかもしれないから。
(できなかった私が言えることじゃないんだけど…)


ああ、その人の産道通って出てきたって理由や
精子や卵子がその人たちのものだからって理由でなく
その人たちが自分にとって最善の存在だからって理由で
子供が親を選ぶことができたらどんなにいいかと思う。

生まれたばかりでそんな判断できないっていうのが
また困ったところなんだけど。


昨日の夜、ブログに間違ったこと書いてたのがショックで
(どんだけ精神面弱いんだ)
その延長なのかどんどん悲しくなってきちゃって
なんかもう何が悲しいのかもわかんないのに
涙ばっか出てきちゃって、止められなくて。

自分の今までの生き方とか辿り着いた今の状況とか
いろんなこと考えてたら絶望的になっちゃって。

だってきっと、私のこの肉体に他の人格が入ってたとしたら
きっと今の何十倍も素晴らしい人生を歩めてたかもしれないとか
正直よく考えるんだよね、昔から。

この入れ物、自分に合ってないってくらいに
鏡見て、誰これ? って思うときもある。

そう思うとね、そんな人格を作り出したであろう
この世の要素のすべてが悲しくて憎らしくてたまらない。

まるで自分で自分を無意味なものにしてるみたいな感覚。

こんなに切ない気持ちがこの世にあるんですかってくらい
意味なく悲しくなる。
つまらないことなのに、どうしてこんなにつらいんだろうって思う。


ま、でも泣いて一晩寝て起きたらこうよ。
ブログなんて更新してる。

今日も元気。
たぶんね。

この人生も、この世界も
実は別にそんなに悪いものでもないのかもしれないし
悪かったとしても、ここにしかいられないんだから
どっちだっていいや。


ああでも、コレ読んでもし理解してくれた人がいたとして
でも内面なら変われるじゃない、外見は変えられないよ
外見がマズいほうがずっとつらいよ
と思う人がいるかもしれない。

別段、外見がどうのこうのって話をしたいわけでも
特別なかったつもりだったんだけど
中身を変えるのも、外見を変えるのとあまり変わらないくらい
大変な人もいるってこと、言いたかったのかも。

てゆーかもはや何の話かもわかんねーなこれじゃ。


外見と中身がつりあってると世の中生きやすいのかもしんないな
とは、ときどき思うけどなぁ。

あれ、マジこれ何の話よ?




ごめんなさい、最終回じゃありませんでした

2009年06月28日 21時52分03秒 | 感想文を書いてみるシリーズ(テレビ系)



まっずいなー。

前回『夏のあらし!』が先週最終回迎えた
みたいなこと書いちゃったんだけど、今週が最終回みたいだ。


誰か私の勘違いを鵜呑みにして
今日の『夏のあらし!』見逃しちゃったりしちゃったらどーしよ。

ファンはしっかり自分でチェックしてると思うんだけど…。
6月2○日を見間違ったんだよね、きっと私…。


ああ、本当にごめんなさい。
当日になって気がついてしまったわ…。
こんなの遅いわ。

申し訳ないわ、眠れないわ。


お詫びに今度動画探して貼り付けようかな…。
でも今ならそうやってみんな後からでも見ることできるか…。


もっと早く気づけたらよかったんだけどなー…。
このブログのせいで見逃しちゃったよ!
っていう方がいたら、本当に申し訳ございません。


ま、みんなそんなにしっかりこんなブログ読んでないと思うけど…。
自意識過剰ですけど…。

とりあえず謝らせてください…。


はあ。。。
私ってドジだな。サザエさんかよ。



あ、やっぱり最終回だったんだ

2009年06月24日 22時29分24秒 | 感想文を書いてみるシリーズ(テレビ系)

 

『夏のあらし!』
というアニメが日曜の深夜(つまり月曜の深夜か?)
に放送されていたので見ていた。

『みなみけ』
が私は好きで、それを見てたということで
「みなみけ」後のアニメ「夏のあらし!」も見ることにしてた

っていうだけの話なんだけど。


最初はなんだこの変な顔の主人公は…
(はじめちゃんのことね)
と思ったんだけど、声のキャストもよかったし

なんだ、よくできた話じゃねーか

とか1話目で結構感激しちゃって
その後結局最後までしっかり見てしまった(うふ)。


この数ヶ月1番しっかり見てたアニメだったな結局。


昨日の夜、録画してた『夏のあらし!』を見て

あれ、もう最終回か!

と思ったんだけど、エンディングが済んだあとの
イラストが映るあの数秒間のあいだ

次回も早起き!

って文字があったんで、終わりじゃねーのか?
と思って公式サイト見たらやっぱり最終回だった。


あの時間帯のアニメって結構いいかもな。
次何はじまんだろ。

「きょうの5の2」だかなんだかは興味をひかれなかったんで
見てなかったんだけど…。


しかし相変わらずどんなに検索しても
ブリグリのトミーが最後のブログにどんなこと書いてたのか
全然わかんねーな、まったく。