「商業高校卒の母親を散々馬鹿にする父親を見て育ったら
いつの間にか大学卒になることが夢の女になってました」
なんつー長ったらしいタイトルじゃ。
と思って、本当はこれをタイトルにしようと思ったんだけどやめた。
私にとって大学に入り一人暮らしをする費用を
親にすべて出させることは
一種の復讐みたいなもんだった。
愛も安心もくれなかったんだから
お金だけはちょーだい。
結構したたかだな、自分。
「子供なら無条件に親に愛してもらえて当然だなんて
思うんじゃねーぞ、甘ちゃんよ」
という、男前なガッツある人種もいるんだろう。
が、私は全く違っていた。
そもそも大学に進学する根っこの部分にある理由が
母親みたいに男に学歴で馬鹿にされるような女に
絶対死んでもなりたくない
という、とんでもなくお粗末なものだったので
大学卒業してもあんまり意味がなかったのは
当然のことだったのかもしない。
(それでも、希望の大学に入るために頑張ったけどね)
その前に
学歴で差別するようなクソつまんねー男なんかと
結婚しない賢い女になる
という目標をまず立てるべきではなかったかと
後で思ったりはしたんだが。
しかし、落とし穴ってあるもんで
人生で最初に付き合った男に
人生で一番大切だったはずの時間を潰され
学のなさでこてんぱんに馬鹿にされる
なんて思ってもみなかった若い頃の私。
別段向こうが
賢かったわけでもインテリだったわけでもないんだけど。
ただ、人を見下すことについてだけはものすごい長けていて
自分を本当より大きく見せて支配できる相手を
本能的に見抜く才能があって
そういう男に
一番引っかかりたくないと思っていた私のような女が
見事に引っかかった。
なんとまあ、悲劇。
両親を見ていて、恋愛なんて一時の病だ
というのは知っているつもりだったが
世に溢れる愛だの恋だのを賛美する
流行歌や小説やドラマや映画に
それ相応には毒されていたのだろう。
私はその初めての恋に
一直線に突っ走っていった。
だいぶ大人だったのに、今振り返っても不思議でならない。
よく考えたら顔も性格も何もかもタイプじゃないのに
男に免疫がなかったせいなのか
ものすごい孤独を味わったあとだったからなのか
簡単に好きになったと思い込んでしまえた。
恋愛というのは思い込みでも成り立つものだと
あれで私はよく知ったような気がする。
その後、いいなと思える男の子と数人付き合ったけれど
どの相手に対して抱く気持ちにも
私は懐疑的だった。
今も恋人についてもそれは同じだ。
きっと一生この感覚は失わないだろう。
冷静になってみれば
「好きじゃない」
ことなど簡単にわかるはずなのに
冷静になることは、とても難しい。
それにそれを見ないほうが、いいときもある。
本当の意味で誰かを好きになることなど
私はきっとできないだろうと思う。
恋をしているときは一種の心神喪失状態だと
思ったほうがいい。
事実そうであることが多い。
周囲の男女を見てみても同じことだ。
実際には、別れたあとでさえも心神喪失状態のまま
ずっと好きだと思い続ける人種もいるけれど。
そういう友達を見ると心から同情する。
別の角度から見たら、ふたりには愛などなかったことが
嫌というくらいにわかるのだけれど。
片方がそれを認め離れたあとでも
もう片方はそれに気づかない、ということもあるのだ。
げに、世の恋愛至上主義的思想は罪深いものだ。
私の両親も一時の愚かな感情で性行為を交わし
予防してなかったせいで結婚する羽目になり
それを考えると
もっと冷静になってよ、キミたち。
セックスは娯楽ととらえずに、単なる繁殖活動に限定して
愛だの恋だのとは切り離してさ。
もし快楽目的でするんならさ、ちゃんと避妊しようよ。
病気も予防しようよ。
キミたちみたいなのがそういう受精活動するとさ
私みたいな不幸な子供が何人も作られちゃうわけ。
そこんとこ、考えられないかなぁ?
あ、そうか、キミたち
「愛とセックス」って
決して融合することのないはずのふたつのものを
自分たちは共有してるって
まるで酒と薬同時にやってるみたいに
気持ちよくなっちゃってるから
何も耳に入らないんだね。
ああ、哀れだ。哀れとしか言いようがないね。
でもキミたちよりもっとかわいそうなのは私たち。
と、そんなふうにつぶやきたくなってしまうよ。