明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

それを言ったらおしまいだってば

2009年07月08日 08時32分06秒 | 名も知らぬ誰かへ



無差別殺人事件が
このあいだ放火という形で関西のほうであったけれど
なんでテレビは

犯人がいかに弱くて勝手な人間か

ってことしか伝えようとしないんだろうか、と思う。
個人的なこと言わせてもらうと、だけど。


私、こういう人って珍しくないと思うし
すんげーたくさんいると思うんだけど…。

人殺しますか?

って聞かれたら「NO」だと思うけど、そうじゃなくて

何かを他人全部他人や世間のせいにしたりとか
自分さえよければあとはどうだっていいとか
他人を傷つけてもどうとも思わないとか

そういうのって多くの人にある部分ではなかろうか
と思うわけ。



「憎まれっ子世にはばかる」

って言葉があるけど、私はこれ、世の的を得た言葉だと思う。

え? なんでここでそれが出てくんの?
と思われると思うんだけど

嫌な奴って、私が知ってる限り
結構頭が切れるっていうかズル賢い人が多くて
そういう人ってすごくうまく上にのぼってくんだよね。


事件起こすような人の中にも
嫌な奴の部類にもしかしたら入るのかもしれない
そういう人もいるかもしれない。

でも、基本ズル賢くない人たちなんだと思う。


自分の鬱憤を晴らすために人の命を奪うなんてズルさの象徴だろ

というのはすごくよくわかるんだけど
そういうことではなく、追い詰められてしまうだけの何かは
きっとズルさを持っていないことから発生するもの
なんではないかなと、思ったりするのだ、私は。


いやここで断っておくが

断じて殺人を容認してるわけではない

ので、その辺はご理解を。


でも、こういう事件が起こったときに
犯人を自分たちとまるで違う何かとして語るのは

今後何回でもああいう事件が起こってもいいです。

と、言ってるのと同じだと思う。


本当に恐いのは、

ああいう事件を起こす人間は自分とは違う生き物だ

という人の考え方だと思うのだ。


秋葉原のあの事件があったとき、なんとなく私は

ああいう孤独で寂しい人をつくらないように
これからはもう少し、人に優しくなろう


と思った。


犯罪者というのは、たぶんきっと社会が作り出す。
私たちはみんな、その責任を背負っているのだと思う。
何の罪のない人間というものは、きっとこの世界にはいない。

「何の責任もない」

というのは、それこそ無責任な発言だと思う。
真実かどうかは別として。

この世に生を受けた時点で、なんらかの責任や罪は発生する。
それを覚悟で人は生きるべきだ。

憎悪や悲しみから起こる事件が現実にいくらだって起こる
この世界に生きるのだから、その覚悟はしておいて損はないだろう。


だから悲しい事件が起こったときには
社会で生きる私たちは、反省しないといけないんだと思う。


頭の変な人間がやったこと
ではなく、
自分にもどこかで責任がきっとある
ほんの少しでもいいから、そう考える時間を持つべきなのだと思う。


いいことであれば、人って都合がいいから

偶然じゃない、運命だ

とかいうけど
悪いことが起こったときには

偶然そこにいただけなのに

ってことになる。


でも、もしすべてのことに意味があるなら
きっとこういう事件にも何らかの意味があるはず。


この世界は誰のためにあるものでもたぶんないから
嫌なことや悪いことが降りかかってくる割合はみんなにあって
だから私だって、私の周囲の人たちだって
いつ事件事故に巻き込まれるかわからない。

でも、それはそれで受け止めないといけないことなんだろう。

ものすごくつらくて、ものすごく苦しいことだと思うけれど
生きているってことは、そういうことなんだ。


ときどき、どうしてこんなに生きるのが苦痛なのかと
そう思うけれど、この苦痛が生きているということなら合点がいく。

そして、その苦痛に負けてこの世を自ら去る人もいる。
誰かをこの世から消してしまう人もいる。


でもそういうことの全て、この世界を作っている
私たちひとりひとりが担ってる。


よく人は言う。

もっと○○な人だっているのに

○○は、「過酷な環境で育った」とか「つらい思いをしている」とか
「仕事がなくて大変だ」とかなんでもいいんだけど。

でもね、これ言ったら全部がそこでおしまい。
それ以上問題を掘り下げようっていう気持ちがないんだね。

人が言っちゃいけない言葉って山とあるけど
私はこれもそのひとつじゃないかと、ずっと思っている。

これ言い出したら、何も成立しないし発展もしないもの。
でも、簡単に言うんだよな、大抵の人は…。



AC関連の書籍には、こういうことは絶対書かれていない。
これを言ったら
誰もこの世の中で苦しむ人なんていないってことになるからだ。


もっとつらい思いをしている人も確かに存在するでしょう。
けれど、だからと言ってあなたの痛みが軽減されるわけではないのです。



そう、この考え方がもっと世の中に根付いてくれればいいのに。


痛みを感じているのなら、それは癒されるに値します。


たぶんこんなふうに書かれていたと思うんだけど。

こういう痛みを、他者の痛みを、
四六時中気にしてたらキリないけど、でも無視し過ぎなんだろう
きっと現代人は。

「私もつらいのに、人になんて構ってらんない」

そういう人が多いのも、すごくわかる。
私だってそうだし。


みんな、ギスギス生きてんだな。


しょうがないってことなのかな
「誰でもいいから殺したい」
って発想も。

でもそうじゃないよね。
それはいけないって世間は言うもの。

それならば、誰かの痛みに敏感じゃなくちゃいけないんだよ。
そうしなきゃ、犯罪予防なんてできないもん。

大人は矛盾してんだよな。
私も大人だけど。




なんか昨日から、重い話題だな…暗いわ私…。