2008年9月のブログ記事一覧(2ページ目)-ギャラリー貴祥庵 ―《貴志 理の 日々の思いついたままのイメージ絵画、心に残る言葉、歳時の記録を綴る》―


Yhaaa!4

 

逆さのサカサマ

 

金屏の羅は誰か秋の風
 十六夜の雲吹きさりぬ秋の風
 唐黍のおどろきやすし秋の風


 

 ― 蕪村 ―

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Yhaaa!3

 

一歩を踏み出す前にぐるっと回れば 色も表情が変わり新たな世界。

「 詩のことばも、自分の心を伝えるために役だつ必要なことばを選びだして、それにもっともふさわしい場所におくことで、美しさが生まれます。」

高田敏子の『詩の世界』の第9章「真実をみつめて」より

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Yhaaa!2

 


 「なぜ小鳥は歌うのかね?」と<師>は言いました。

 小鳥は述べたいことがあるから歌うのではありません。歌があるから歌うのです。
 <学者>の言葉なら理解できます。<師>の言葉は、理解するものではありません。それらは、木立を吹く風、せせらぎの音、小鳥の歌に耳を傾ける人のように聴くものです。<師>の言葉は、すべての知識を越えた、心の内側にある何かを目覚めさせるものなのです。

 

― アントニー・デ・メロ神父の「小鳥の歌」 ―

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Yhaaa!

 

絵本をひらくと、海がひらける。若葉にはまだ、海がわからない。

若葉よ。来年になったら海へゆかう。海はおもちゃでいっばいだ。

うつくしくてこはれやすい、ガラスでできたその海は
きらきらとして、揺られながら、風琴のやうにうたってゐる。

海からあがってきたきれいな貝たちが、若葉をとりまくと、若葉も、貝になってあそぶ。

若葉よ。来年になったら海へゆかう。そして、ぢいちゃんもいっしょに貝にならう。

― 金子光晴 ―

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無題3

 

 「絵が分からない。とりわけ抽象、現代美術が分からない。具象、写真のような絵だとなんとなく分かる気がするんだが。」との質問を時々受ける。 これに対して答えとして 「額に皺を寄せて難解なパズルを解くように無理に何を描いているか理解を求めなくてもいいのでは!」、「色、形だけを見て 恋人選びをするような感覚的な好き好きの気持ちで見ればいいのでは」と答えて来たが、もっと簡単な答えがないものか、自分はほんとうの意味での美術について会話をしているのだろうか。話せば話すほどに長く 理屈ぽっくなってしまう美術論を展開しなければならないのだろうかと。いつも自問していた。 9月10日付けの朝日新聞夕刊日本人.脈.記の絵本きらめく⑪で見かけたこんな一文より

《あるとき、店のテレビで、絵の解説番組が流れていた。となりにいた小学生がつぶやいた。「絵は心で読むんだよ」。》 

 「絵は心で読む」。うーんこれしかない言葉。心無い人には絵は見えないかと納得。

 

 

 

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無題2

 

町も人も 美しい名前が 多くなりました
  でも何だか 疲れます
 ここに 小さな 花があります
  「へくそかずら」といいます

  「へくそかずら」
  呼べば 心が和みます
  「へくそかずら へくそかずら」
  「へくそかずら へくそかずら」
  つぶやきながら 夕べは
   ぐっすり 眠りました

(速さのちがう時計・星野富弘)

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無題

 

今日から再開

空が高く青い秋本番の気候

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風16

 

週末までお休み

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風15

 

あなたは独りで、樹々や草地や川の流れと共にいなければならない。思考やイメージで、いろんな問題を持ち込んだら独りでいられない。地上の岩や暗雲で、心がいっぱいになってはいけない。できたばかりの器のように空っぽでいるべきだ。そうすれば、これまでになかったなにかをトータルに見るだろう。もしあなたというものが内在すれば、これを見ることはできない。見るためには、あなたは死ななければならない。この世界で自分は重要なものだと考えているかもしれないが、それは違う。あなたは思考が組み立ててきたものをすべて所有しているかもしれないが、そんなものは全部古くさく、使いふるしでぼろぼろになりはじめている。

J・クリシュナムルティ「クリシュナムルティの日記」
(宮内勝典訳・めるくまーる社)

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風14

 

.........

あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過(よ)ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
わたくしはその跡をさへたづねることができる
そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ
あまりにもそのたひらかさとかがやきと
未知な全反射の方法と
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
ただしくうつすことをあやしみ
やがてはそれがおのづから研かれた
天のる璃(るり)の地面と知つてこゝろわななき
紐になつてながれるそらの楽音
また瓔珞(やうらく)やあやしいうすものをつけ
移らずしかもしづかにゆききする
巨きなすあしの生物たち
遠いほのかな記憶のなかの花のかほり

......

宮沢賢治の「青森挽歌」より

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