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『天寧寺
山号は萬松山と号し、曹洞宗に属する。
当寺は、もと会津若松(福島県)城下にあったが、天正年間(一五七三~一五九二)に、天台宗松陰坊の遺跡といわれるこの地に移転されたと伝えられでいる。その後、天明の大火により堂宇を焼失したが、本堂は文化九年(一八一二)に、書院は天保十四年(一八四二)に再建された。
本堂には、仏師春日作と伝える本尊釈迦如来像を、観音堂には後水尾天皇の念持仏十一面聖観音像及び東福門院の念持仏薬師如来像を安置している。
境内墓地には江戸時代の茶人をして有名な金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる善吉和尚らの墓がある。また、山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。
京都市』 (駒札より)
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『京都市指定有形文化財
天寧寺 本堂・書院・表門
天寧寺は曹洞宗の寺院である。境内の主要な建物は、天明八年(一七八八)の大火によって旧堂が類焼した後、十九世紀前期から中期にかけて建てられた。
本堂は、文化七年(一八一〇)に上棟された六間取りの大規模な建物である。正面に向拝を設け、前列三室を仕切らずに一つの空間とし、後列中央間に来迎柱を立てて置仏壇とするが、これは同じ
禅宗の一派である臨済宗寺院の方丈建築とは異なる構成である。
書院は弘化二年(一八四五)の造営で、床の間・床脇、付書院を持つ十五畳の上の間と、同じく十五畳の下の間からなり、その周囲に入側縁をまわす。西北隅に一間四方の室が張り出すのが特徴である。
表門は安政四年(一八五七)建築の薬医門で、構造や意匠に禅宗様の要素が見られる。
これらの建物は、江戸時代後期の伽藍の形態をよく伝えている。また市内においては数少ない曹洞宗の近世寺院建築として貴重である。
平成十四年四月一日 指定
京都市』 (説明書きより)
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天寧寺には4年前の全く同じ日に訪れている。その時のブログを見てみると、境内には綺麗な花が咲いていたが、写真に撮っていたのはつつじと桔梗の花だった。サルスベリは全くない。当時境内には植えられていなかったのか、それとも見過ごしてしまったのか、今となっては全く覚えていないが、一部のクローズアップ写真を見ると、やはりそこそこ花のことも気にして撮影していたのがわかる。しかしあくまでも主目的は、お寺そのものであって、境内に咲く花は二の次だった。
ブログを始めた頃は、花などを意識したのは春の桜と秋の紅葉のみだった。この両者については意識して撮影しに、あちこち回ったものだ。それは今も続いている。5年間で主要なところはほぼを撮り尽くしてしまったが、まだまだ規模は小さくとも、知らないところも数多くあると思う。夏に訪れていると、イチョウの葉があちこちに見られる。一部は色が変わり始めているところもあった。そういった意味では、また新たに撮影する場所が増えて気持ちも高ぶる。
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今回は天寧寺の境内に入ると、つつじは全く見当たらずと言うか、もうすでに散ってしまったようで、百日紅の木に赤や桃色、また白色の花も見られた。そういった意味では様々な色の競演ということで、撮ることに夢中になることができた。天寧寺そのものの詳しいことについては、4年前に記しているので、ここでは駒札と境内の説明書きをそのまま掲載している。
しかし、お寺やいろんな場所の百日紅の花を見ていると、満開真っ盛りのところもあれば、なぜか朽ち始めているところもある。同じ京都市内で特に山奥でもなく、都会の中のお寺なのにこのような差というのはどうして生まれるのか。植物関係に全く疎い私にはその辺りのことはわからない。ここ天寧寺においても、綺麗に咲いているものもあれば、半ば朽ちかけているものもあった。咲き続ける所に行くと10月頃まで咲いているお寺なんかもあるようだ。そういった意味ではあえて、まだ訪れていない場所も何箇所かある。
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サルスベリの木は小川沿いの岸辺によく植えられており、お寺などに行き来する時に綺麗な花を咲かせているのをよく見るし、家の近所でも庭に植えているお宅もある。そういった意味では花だけを撮影するということであれば、わざわざ遠くのお寺まで行く必要はない。比較的近所でもあちこち見られるだろう。でもやはりお寺の境内に花開いているというのが、私にとって意味のあることであり、山門にしろ本堂にしろ、何百年も経つ建物を背景にずっと生き続けている木の花を撮影するというのは、感慨深いものがある。
それは桜にしろ紅葉にしろ、やはり同じ意味合いを感じる。8月が終わりもう9月となる。そして10月には少しずつ紅葉が目に映るシーズンとなってくる。
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