切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

日光寺・・・浄土宗捨世派?     京都府京田辺市   2024.8.7 訪問

2024-08-11 22:56:27 | 撮影
 JR 学研都市線 同志社大学前駅から、同志社大学京田辺キャンパスの中央道路を上がっていくと、その途中にある。周辺は京田辺キャンパスに囲まれていて、このお寺のある一画だけがちょっとした森になっている。道路途中の参道の入り口は非常に小さく、見逃してしまいがちだが、一応石段が見えるのでそこに立札が立っている。

 

 石段を上りながら境内へ上がっていく。ほどなく到着すると、そこそこの広さの境内がある。一見して、無住の寺であるという感じが伝わってくる。ある程度手入れ はされているようだ。全体的には境内に草があちこちに見られ、大きな木も何本かあるもののこちらは 手入れの跡が見られない。境内の端に本堂らしき建物があるが、全てシャッターが降ろされ 内部は見えないようになっている。

 なんだか戦国時代の場に来たような錯覚にとらわれそうだ。少し離れたところから大学のサークル活動の様々な声が届いてくる。

    

 日光寺について色々と調べてみたが、情報は皆無だった。しかし境内にあった石柱には「壱百度石」と彫られたものがあり、これはいわゆるお百度参りの基準の場所を示す石柱であり、今まで様々なお寺を訪れたのだがこのように彫られた石柱は初めて見た。

  もう一つ少し大きめの石に「月誉上人」と彫られたものがある。浄土宗に関わる人の名前だ。法然の 「称名念仏」が多くの人々の気持ちを捉え、全国に広まっていく。しかし時を経ると同時に、お寺の俗化や形式化、僧侶の劣化等に陥るケースが増え、それを正すべく 浄土宗の中に、新たに捨世派と呼ばれるような活動を繰り広げ、法然の本来の思いに立ち返ろうとする役割を果たした人物だ。彼は晩年を現在の八幡市で過ごしたという。京田辺市のすぐとなりだ。

  

 この日光寺が具体的にどのような関わりがあったかは分からないが、このような名前が彫られた石があるということは、それなりに理由があってのことだろう。以前はここにご住職が住まわれていたが、今現在は無住のお寺となっている。

  
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1 コメント

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Unknown (大阪▪枚方市、小野賢一)
2024-08-14 07:41:54
おはよう☀
今、朝の散歩です。日光寺の静謐な姿が伝わってくるブログの内容です。娘のマンションで熱中症に罹り、ほぼ1ヶ月になって回復しました。泉澤さんのブログを静かなところで読めるようになりました。
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