きらせん

仙台のきらめき










東北大学公共政策大学院准教授
佐分利 応貴

 「タコツボ」

2007-08-21 23:47:28 | Weblog


    工学研究科の月例ゼミ。夏休みもなく次なる宿題が。
  学会投稿論文も書かないと。

  昔、受験生時代に聞いた中島みゆきのオールナイト・日本で、
  投稿ハガキにこんなような内容のがあった(一浪と十浪以外はうろ覚え)。

 「 一浪の人が読む本  石坂洋次郎 『若い人』
  二浪の人     石川達三 『青春の蹉跌』       
  三浪の人     石川達三 『自分の穴の中で』
  四浪の人     ヘッセ 『車輪の下』
  五浪の人     トルストイ 『罪と罰』
  六浪の人     ルソー 『懺悔録』
  七浪の人     カント 『純粋理性批判』  
  八浪の人     マルクス 『共産党宣言』
  九浪の人     芥川龍之介 『地獄変』
  十浪の人     芥川龍之介 『ある阿呆の一生』 」

  大学の先生は、まさに『自分の穴の中で』毎日生活をしているわけで。

  講座制で徒弟制度があるところならともかく(それはそれで大変だが)、ウチの大学の文系は一人一部屋の小さな巣箱に収まっている。マンション暮らしだと箱から箱へ。空から見ていたらきっと「よくもまぁ毎日きちんと同じ場所に収まっていくよなぁ。誰も命令しないのに。」と思うことだろう。これで窓に鉄格子がついていたらほとんど監獄。でも内側から見たら「自分の城」ってことですな。

  自分は人付き合いに関心がなく、横のつながりがほとんどないので、外部の人に紹介されて経済学部の某先生と飲んだ。でもって意気投合。やっぱりせっかくの総合大学なんだから、穴から出ないと勿体ないね。(でも普通はきっかけがない。)

  だが、「他人」→「顔見知り」→「同志」の間にはそれぞれ深い谷がある。
  ではどうやって越せばいいか? キーワードは「きっかけ」と「共通の目的」である。