ハーブ園でまたトイレ休憩をして、その後、シートを敷いて軽食を取る。
この時に私がO先生に、「普段自分の子のシートしか見ないから知らなかったけど、皆のが一斉にあるとこんなにきれいなんですね」と言うと、先生も「言葉にならないでしょう」と仰った。本当に子どもは豊かな時を過ごしている。
そして、母も。
ハーブ園で帰り際、色組ごとのシートの上に白い封筒が落ちている。
先生は時間を急いでいたし、時間と効率を考え、子どもに声かけしようとしたら、先生2人から制止された。
そうして子ども達が荷物を持っても尚残ってる物を見て、先生が「シートを片付けたいけど、片付けられないんだけど」と言う。
水色組の子ども達がリュックの中を見て、自分はもらった白い封筒があるか確認する。
そして1人がなかったと言って、手を挙げる。
時間・効率よりも、人に迷惑かけない事よりも、自分で気付き自分でする事を優先するんだ。
私、生活団では生活リズムが大事というから、時間守るのが目的になってた。
ギリギリセーフでパッと寝とか。
それより、時間が多少ずれても、自分で気付き自分でする事を大事にしているんだ。
今日は、生活団の神髄を肌で感じた。
手紙でどんなけ書かれるより、著作集でなんぼ読むより、身を持ってその空気感に触れる方が、どういった事を大切にすればいいのか伝わって来る。
山登りしてる最中に何度も別の角度から、ロープウェーが見えていた。
赤い箱のロープウェー。
子ども達が何回か「乗りたいなー」と言っていた。
私もどういうコースか知らないから、「乗れるといいね」と言っていた。
後から聞いたら、さあやは先生が「乗りません」と言ってたと言う。
そしたら最後に、帰りは何とロープウェー。
ロープウェーに乗ると分かった時の子ども達のうれしそうな顔と言ったら!
Kさんなんか、私に両手でタッチを求めて来るくらい喜んでた。
子どもも1人として数えて6人乗りだから、3グループに別れて乗った。
遠くから見るさあやの顔もうれしそうだった。
生活団の遠足では、時々O先生とも話せた。
私は最近は、さあやに何も言わないようにしている。
母のお励みのようなものだ。
さあやは言ったらするけど、言わなかったらしないと気付いて。
で、言い続けてできるようになって、それでいいのか、と気付いて。
先日、生活団の音楽の先生が言われた言葉も響いて、さらに考えるようになった。
生活団って、失敗をさせてくれる場所。
私が受けた公教育のように、失敗が許されない場所ではなく、失敗してもどう学ぶかを練習させてくれる場所。
せっかく失敗してもいい場、間違える経験をしても受け入れてくれる土壌があるのに、失敗しないように親が言うのはもったいないのでは。最近気付く。
さあや自身も「学校は怒られるからイヤ。生活団は話をするだけ」と言ってた。
子どもなりによく見てる。
O先生曰く、言わないようにするには「『忍』の一文字です」との事。
前日に同じ方面の生活団卒業生のいる母達に会ったけど、「子どもだけの事なら何も言わない。例えば共通の部屋が散らかってるとかだと、迷惑がかかるから、それは片付けてと言うけど」と言う。
そんなにあっさり?と思ったけど、確かに子ども自身の事なら、本来母は何も困らない。
帰りは遅くなって、さらに米を炊いてもらえば良かった。
一緒に洗った事はあるけど、一通りはさせてない。
それを何故かと考えると、失敗してほしくないからだった。
失敗したのを、私がやり直ししたくない、無駄にしたくない。
でも、落ち着いて考えたら、子どものうちの失敗なんて微々たるもの。
何を面倒がってたんだろう。
失敗をやり直すのを躊躇するより、やらせてみて物事がスムーズに進む方がいいじゃないか。
さあやは家に着いたら、カバンや中身を床に広げる。
私も夕食の支度を急いでて何も言わなかった。
1つずつ順番にやってた。
その後、水やり、散歩、ピアノの練習も。
言わなくてもやるんだ、それを目の当たりのした。
むしろ、言わない方がすっきりできるんだ。
もう1つ、この遠足の付き添いで気付いた事がある。
生活団は、人の目より、自分が今何をすべきかを大切にしてる。
新神戸で、準備体操も、ここでかと思ったけど、気にせずしてたし。(一応人通りは少なかったけど、人が通らない訳でもない。)
遠足の最中も、子ども達の様子が微笑ましいのか何組かに「どこに行くんですか?」等、声をかけられた。
そういう時、私は母譲りで、色々話が続いてしまって、子どもの事を忘れちゃったりしてしまうんだけど、生活団の先生は、目的地も子どもにははっきり言ってないからか、その人にだけ聞こえるように言いはするが、これからの行程もあるからか、それ以上の話はしない。一見、冷たいようだけど、自分に集中する上で、この姿勢は大事。
私が世間話を思わずしてしまうのは、相手に気遣ってるのもある。
けど、生活団の先生はそれはしない。今ここでする事に集中してるから、愛想振りまいてる場合じゃないんだろうな。
自分に集中すると言っても、自己中とは違う。
登山中何人もの人とすれ違ったけど、その度に「こんにちは」と言ったり、道を譲るよう子どもに促したりしていた。人の事は考えている上で、自分のすべき事に集中しているのだ。
生活団って、自分軸を育ててくれるな。
私、昔は登山とかめんどくさいと思う方だったけど、あれだけしんどい思いして登った後のロープウェーは最高だった。
たまには山登りもいいなあ。
しんどいけど、いい日だった。
また、家族で山登りをしてみたいなと思った。

