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kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

「さらちゃんだけの○○」に文句を言えるか?その前にさらちゃんを満たしてあげよう。

2015年01月11日 23時55分36秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
さらちゃん、最近「さらちゃんだけの○○」とよく言う。
おもちゃやお菓子、食べ物、お母さん、さあや、その他の人物、想像上の人物に対して言う。

今は妹がいるので、「分けてあげ」と言いたくなる。
親としても、さあやに泣かれるのもと思って言う。
分かってくれなかったら、さらちゃんだけのじゃないで」と言う。それでも分けてくれなかったら「けち」「意地悪しないの」と言ってしまう。
学校とか入ったら、皆に分けてあげれる子じゃないととか思ってしまう。

よく考えたら、さらはほしい物がある時、想像で我慢してる。
我慢というほどか分からんけど、子供にとっては結構ほしいのかもしれない。
(2014年12月8日「さらちゃん、想像上のお友達がいる」http://yaplog.jp/kirakira__life/secret/archive/314)
さらちゃんはほしい物があれば、でも買ってもらえないと判断してか「これ、ばあばんとこにある」と言う。それたが進化して最近は「ばあばんとこのなみちゃんが買ってくれた」とか「ばあばんとこのなみちゃんがいらんからくれた」と言うようになった。
その話を一時期電車が一緒だったMちゃんのお母さんにすると、うちは言わんと言う。
親のほしい物中心やけど(シルバニアファミリーとか)、結構買ってあげてるからかなと言ってた。
ほしい物あるけど、めったに買ってもらわれへんからそうなるんかな。

前に、さらちゃんが「さらちゃんだけの○○」と言った時に、「いいよ。これは全部さらちゃんの」と言うと、どういう事でしょう?さらちゃんが、「お母さんにもあげる」と言って来た。
「さらのじゃない。皆のだから分けるの」と言うと、反発して「自分だけの」と言う。
「いいよ。さらちゃんだけの」と言うと、優しくなって「あげる」と言う。
一見あまのじゃくのようだけど、これを思いついたら、理に適う。

ふと、こんなイメージが降りて来た。
コップになみなみと水があふれる位入ってたら、人に分けたくなるだろう。
まだまだ十分、一杯あるからと。なくなっても、またもらえるからと。

でも、コップに水が半分しか入ってなかったら、それをお友達にも分けてあげと言うのは酷やわ。
それより前に私が、さらのコップを満たしてあげな。

この水が「余裕」「気持ちの余裕」「満足してるか」って事じゃないかな。
余裕があれば、自分が自分に満足していれば、人にも優しくできる。

さらのコップを満たすには、やっぱり自分に返って来る。
親も満たされてないと、余裕がないとそんな事できない。

最近保育園で、「さらちゃんだけの○○」と言う事が多いみたい。
さらだけじゃなくて、このぐらいの子は皆言うみたいだけど。
保育園だから「皆のだから、一緒に使おうね」と何度も教えられるみたい。
保育園ではそれでいい。

でも、家ぐらいでは、独り占めできる環境を作ってあげてもいいんじゃないかなと思った。
それが結局は、人にも分けれる、人に優しくできるって事につながるんじゃないか。
人にムリに優しくしなくていい。自分をつぶしてまで優しくしなくていいけどね。

コメント
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