きまま舎(や)

自宅カフェや民泊のAir BnBをマイペースでやっています。

『音』と『時』

2018年09月04日 | 日記

『出会い』は本当に突然やってくる。

自分が意図して出会おうと思って出会うのではなく
出会ってしまうのだ。

BnBをやっていると
まさに『出会い』の連続。

もっと英語が話せたら
深い話ができるのになぁ~と思いながら
いつも話したい事が話せないという
フラストレーションをこちらが
かかえているうちに帰る日が来てしまう


今年は日本人で長く滞在して下さる方と
コミュニケーションのストレス無く良い時間を
もてたのですごく嬉しかった。それも同じ歳!!

その方にお部屋の事や
ゲストさんとして気がついた事を色々とお聞きする事ができた。

そうしたら、考えもしなかった事を教えてくれた。




2階にはお部屋が二つあるのですが、
普通の家なのでその二つの距離が離れているわけではない。

トイレだって近い。

よってコレがあればイイなと教えてくれた。

なるほど、まさにこれつくったのも日本人よね。

早速、楽天で頼んだ。すぐに届いた!






『出会い』が突然なら『別れ』だって
突然の事もある。

でも人は人と突然別れるという事を忘れてしまう。


数年前、知人が前の日まできまま舎にきてくれていたのに
それが最後となり突然のお別れをした。

そこで、『人は突然別れる事もある。』という事を
悲しみと寂しさで学んだはずなのに
日常を生きていると忘れてしまうのだ。



でも、いつまでも
その事を後悔したり、それを避けるために(突然別れがくるからと言って)
楽しい事をし続けたりするのは
なにか本末転倒の様な気がしていた。

人と人が突然お別れになるという事を
忘れてしまっても後悔せずに生きるには
ひたすら、その日まで楽しく過ごすというやり方ではなく
ストンと気持ちが落ちる事はできないのかなぁ~と
常々思っていたの。


そして、今回の出会いでその答えが出たの。


突然に別れる事もその『時』だったのだと。

先に紹介した日本人ゲストさんと
言語の問題なくたくさんお話をした。

そしてね、
沢木耕太郎の『今が時だ』という文章を教えてもらった。

『旅人はいつでもこう思う。
 自分はこの地に来るのが遅すぎたのではないか。
 もう少し早く来ていれば、もっとすばらしい旅があったのではないだろうか、と。
 もし、十代の頃ここに来ることができていれば、どれほど心を動かされたことだろう、と。
 旅人は、いつでもそこに行くのが遅すぎたのではないかと思う。
 もう少し前に来ていたら、もっと自然な佇まいが残されていただろう、これほど観光化されていなかったろう、と。
 しかし、と一方で思わないでもない。
 かつての、あの時だけが「時」だったのではなく、今も「時」なのかもしれない。
 いや、むしろ、ようやく訪ねることができた今こそが自分にとって最も相応しい「時」だったのではないだろうか。
 今が時だ。』


沢木耕太郎だもの。旅のことについて書いたものだろうけれど
人生にも当てはまる気がする。

いつもが私の『時』なのだ。

後悔する事無く、いつもコレが時なのだと思えたら幸せだね。